2017年02月

Linuxは一応「ubuntu(ウブンツ)」にしようかと。

ここのところ、晴れて昼間は暖かいが夜になると急に寒くなる日が続く。
Linux導入計画を検討し始める。
ネットを見るとLinuxにもいろいろ種類があって、これらをディストリビューションというらしい。
ビギナー向けから本格的なシステムエンジニア向けプログラマ向けのものまで多種多様。
Windows環境で作成したファイルが多く、また周辺機器のドライバも当たり前だがWindowsのドライバである。
これらはなるべく今のままで置いておきたいし、ハードディスクに下手にLinuxをインストして失敗、結局Windowsも周辺機器もすべてパーになる(もちろんデータ類は事前にバックアップを取っておくし、リカバリCDで出荷時状態に戻せばいいのだが時間がかかる)という最悪の事態になりかねない。
外付けのメディア、CDやDVD、USBなどから起動する方法はないかと思ったら、そんな虫のいいことを考えるのは誰しも同じで「ubuntu」というディストリビューションがそれにあたり、USBへのインストーラーまで用意されて、ビギナーにも敷居が低そうで人気もある。よし、これでいこうか、と決める。
しかし、念の為に今動かしているデスクトップPCを避けて、古いノートパソコンで試そうとまずは押入れを探したら、あんれまあどこかに行ったようで、よくよく思い出したら8~9年前に娘にやったことを思い出す。
娘も今ではそれを使わず、これまたどこかにしまいこんでいるらしく、暇な時でいいから出しておいてくれと頼む。
たしか富士通のFMV”LIFE BOOK"で、むろんOSはXP。CPUやメモリ容量なども覚えてないがもはやレガシーなノートで、それでもUSBポートさえあれば「ubuntu」は使えるようだ。
Linuxの基本でもマスターしようと教科書かガイドブックを探しに夕方、海の見える本屋へ行くが見当たらない。3月の1ヶ月をかけての導入プランであるから、あせることはないのだが、わざわざ三宮にあるこの本屋の神戸における旗艦店まで行くのも面倒くさいので、隣町にある筒井康隆のサイン本で有名な書店(作家の神戸の本宅がこの近所にあって、以前は本人を何度か隣町の駅前を歩いているのを見たことがある)へ行ったら、店舗の半分がなくなっていた。
街の本屋がどんどん潰れていくという時代、この書店もその波に覆われたのか。なにせ紙の本や雑誌が売れなくなって久しい。淋しい話ではあるが。
IMG_0969スペースが半分になった店にそんな売れそうにもない専門書があるとは思えないから、店に入らずして帰りの電車の人となった。加速度的に昼がながくなっていく。午後5時半過ぎでようやく暮れなずむ街の光と影の中でレールが橙色に光っている。

とかく便利な我がヘアスタイル

朝晩は放射冷却現象でやたら冷え込むが、昼間はぽかぽか、いや、ぽか一つくらいの暖かさ。日差し自体は完全に春のもの。
今日はツキイチの散髪日。ここ数年ずっとサイドとバックを短く刈り上げトップまわりに髪を残す、いわゆるソフトモヒカンスタイル。
10年前に丸坊主にしたのがきっかけで、ちょっとでも後ろ首や耳たぶに伸びた毛が触れたら鬱陶しくてたまらなくなる癖がついてしまった。
その頃の行きつけの散髪屋の大将が「髪の毛短う刈りあげたら癖になりまっせ」と言ったものだが本当だった。
10年の間に何度か、普通のおっさんの髪の普通の長さまで伸ばそうと決意するのだが、前記のラインまで伸びて来たら辛抱たまらん!状態になるのだ。
爾来、丸刈りにしたり角刈りにしたり、ソフトモヒカンにしたり、とにかく短髪スタイルヘッドを繰り返し、今の形に落ち着いている。IMG_0049
せこいことを言うなら、短髪はランニングコスパが抜群にいい。丸坊主、角刈り、ソフモヒなど安トコチェーンの1,000円散髪で充分。もっともオシャレな人はそんな頭でも、それなりの理髪店や美容院でちゃんとハサミで短く刈り込んでもらうらしいが、私には関係ね。
電動バリカンを買ってきて自分でやったこともあるが、丸坊主以外はどうしても上手くいかない。丸坊主にしたところで剛毛に出来ている私の髪はすぐに刃をワヤにしてしまう。バリカンの手入れもあれはあれで結構めんどくさいし。
寝ぐせや強風で髪の乱れとはまったく無縁、夏なんぞは汗かきすぎたと思えば、そのへんのトイレに駆け込んで頭に水かけて、ぶるっぶるっと振って水を切り、歩いているうちに瞬く間に乾く。まったく犬みたいで便利な頭だぜ。
顔の作りはブサイクだが、全体的に濃い顔つきで人相も悪いと来ているから、この頭が変に板についている。
よって外見的にはコワモテ、しかも小太り。これで肩を少し怒らせて歩けば、その筋の人っぽく見えなくもない。
一度だけだが、深夜のコンビニの前でうんこちゃん座りでたむろっている茶髪金髪のオニイチャンたちの中をわざとゆっくりと歩いたら、悪ガキどもは座ったままささっと左右にずれて道を開けてくれた。まるでモーセの海割りてヤツだな、あれは気持ちよかったぜ。でも心の中ではビビりまくっていたぜ。
家に帰ってその話を家人共にして「俺もVシネに出てくるヤーさんみたいやの~出れるかもわかれへんで」と得意になっていたら、「ええ年こいてあほちゃう」の一言で黙らされた。モーセは波に呑まれて奇跡は終わった。

スタバでハルキの新作読むのはカッコ悪いことなのだ。

朝のうち晴れていたが、昼過ぎより曇りだす。寒気やわらいだまま。
何を思ったのか自分でもわからないが、バッハの「マタイ受難曲」を全部聴き通そうとして、さきほどからYou Tubeでかけっぱなしにしているのだが、20分経ったところで止めた。
鬱陶しい、ああ鬱陶しい。こんなのじっと聞いていたら気がふれるわ。私の耳はバッハを拒絶する、というよりバッハの方が近寄る私を「しっ、しっ。おまえにわしの音楽がわかってたまるけ!アホンダラ」と追い払っているのだが。
気分を換えて、同じクラシックでも浪速のモーツアルトと異名を取る天才キダ・タロー作曲の「アホの坂田」を聞く。すんなり耳をすっと通り抜けて心に染み入る。名曲だ。とここまで書いてYou Tubeのタブを閉じる  。
 さっき散歩したついでに某巨大書店のわが町の支店に寄り、特設コーナー扱いで山と平積みしてある村上春樹の新刊「騎士団長殺し」を手に取り、さもつまらなそうな表情を作りパラパラimageとめくって、すぐにそこから立ち去った。
この作家の初期の作品は読み込んだクチだが、80年代終わり頃に「ノルウェイの森」のクソつまらなさに自分で勝手に作家にケチをつけて以降は、一部の短編集をのぞいて読み通した作品はない。
ここ10年、ノーベル文学賞絡みで作家の長編新刊が出ることが、NHKの報道番組のいわば看板である「ニュース7」のヘッドラインで取り上げられるくらいとなり、ある意味「国民的作家」と言えるのだが、ここまで来ると書店では買いづらい。文学そのものより話題性、あるいは時代と同時性を保つことがファッションであると考える、やや死語的にいえば”ミーハー”に見られるのが厭だからである。
この作家の「1Q84」が出た頃だから、もう8年も前のことか。ちょうど今頃の季節だったと覚えている。
大阪本町の東芝ビルの1Fにオープンテラス付きのスタバがあり、10くらいのテーブルには1人の客しかおらず、その客は年の頃30代後半と思しき、口髭を生やしたいかにも業界人ですそれもカタカナ仕事ですてな身なりで長い脚を組み、「1Q84」の本をカバーも付けずに読んでいる。テーブルの上のカップの横にさりげに置かれてているのは「スマホ」という言葉がまだ世に出ていない時代のiPhone。
「つまりボクって時代の先端を走ってるわけよね、iPhoneそばにハルキの新刊読んでるわけよねこの寒いのに店の中にいればいいものをこうして寒気に耐えて外にいるのはボクってカッコいいでしょと見せつけたいわけよね。これが東京の代官山あたりならもっと絵になるけどね」ちゅうわけかおまえこら、と私は心で毒づきそいつをひと睨みして通り過ぎたわけだが。
しかし、考えてみたら上記のような髭男の挙措はギャグやコントそのものである。本人はカッコいいと思っているのかも知れないが、傍から見れば相当痛い。おいおいおいおいやめてくれよと見ている方が照れくさくなる。実際わたしは男を睨みつけながら、その痛さの要素が私の中にも存在しているような気がして、男は私の分身であるかもしれないと思ったとたん、とてつもない大きさの含羞にとらわれたのである。
今、スタバがかつて踏み台としたドトールに逆転されようとしているらしいが。今どきスタバでAirMacでお仕事してますノマドですとかハルキ読んでますとかってのは実はすごくかっこ悪いことである。
早川義夫の「かっこ悪いことはかっこいいことだ」的な逆説はそこにはなく、ただひたすらカッコわり~~のである。だからスタバがスタり始めたのである。
それを早くも8年前に見きった私は実はカッコよかったのである。自分を鏡に映していたらカッコいい自分しか見つけられなかったはずで何も含羞を感じることはなかったのである。

ばいばい、Windows

さすがに朝晩はまだまだだが、昼間は日差しがあれば春めいていると思うことが多くなった。空気は依然冷たいが手指がかじかむほどでもなし。後4日で弥生3月らしい日和が続く。
水曜の夜の関東煮がまだ残っていたので平らげる。タネのうちすじ肉は赤味噌といっしょに煮込み、どて焼きらしきものを別にしつらえた。
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どちらも熱々なので、ここはお湯割りよりも炭酸と氷とレモン汁でチューハイを友とする。
この朝酌の後、一眠りしてパソコン相手に雑事を片付ける。
我がパソコンのOSはWindowsVistaである。XPと7以降の間に咲いた徒花みたいなOSで、調べてみると日本国内でのシェアはわずか1.6%。3年前にサポートが切れたXPですらいまだ10.1%のユーザーがいるというのに。
このVistaも来る4月11日をもってサポート終了となる。マイクロソフトもVistaをとっくの昔に見捨てているようで、去年の秋以降更新プログラムが配布された記憶がまるでない。自動更新に設定してあるので、こちらが更新忘れということはありえない。
Windowsの最新ver.は10だがマイクロソフトはこの10以降のOS開発はやめるようだ。MacOSⅩのごとく。
いずれにせよ、Vistaをやめてとりあえず7にアップグレードさせるか、今の私のパソコンでは10を動かすのには非力過ぎる。いっそのこと新しいマシンを買うしかないのだが、そんな金は一銭もない。
そこで思いついたというより、以前から一度はトライしたいと考えていたフリーOSであるLinuxの採用である。
00年代生産のPCでも充分稼働するし、セキュリティに関しても世界中の有志たちが、様々なプラグイン、カスタムアプリやソースを作って無料で公開している。
要はネット接続にLinuxを使えればとりあえずOKなのだが、これを導入するのはチト敷居が高い。多少の勉強を要する。初心者御免のOSである。
しかし検討の価値はある。グーグルPC向けに開発したGoogleChromeOSはこのLinuxカーネルを採用している。グーグルの今後の動向を見ているとスマホやタブレットOSであるAndroidをいずれPC向けにも出してくると思うが、今はLinuxを勉強しておいても損ではない。
世界を席巻したWindowsとIntelの黄金コンビの時代は終わりを告げようとしている。いろいろ泣かされることの方が多かったが、世話になったのは確か。ここは愛惜を込めて、ばいばいWindows!

愚策プレミアムフライデー、悪趣味エクスプレス「瑞風」を嗤う。

払暁時、強風吹き荒れる。春の嵐というべきか。嵐のあとは晴曇繰り返すもののわりと穏やかな一日となった。
世間は今日より、月に一度のプレミアムフライデーの初日とか。金曜の午後3時で仕事を終え土日連休を休ませてその分、消費活動に費やさせ大企業の高給取りが多い正規雇用社員の財布からお金を吐き出させるのが目的である。
この国のバカな政府は相変わらず世間の実状がわかっていない愚策を弄してくる。こんなことをやられると大企業の下請け企業や出入りの業者といった中小企業、大企業に派遣されている非正規雇用労働者の負担ばかり増える。
飲食店などのサービス業は、昨今ただでさえ人手不足の折である。このうえ余暇時間が増えて客が増えても対処出来ない。いきおい少人数でこなさなければならず、結果長時間低賃金のは果て過労死という悲惨な事態が増えるのは必定。
大企業に派遣されている非正規雇用社員の給与は時間給計算が基本である。派遣先の労働時間が減ればそれだけ収入も減る。正規非正規の収入格差はますます広がる。
大企業の社員だけがウハウハで、日本の勤労者の多数を占める、経営者も含めた中小企業、商店など社員、従業員が泣きをみるだけの制度など早晩引っ込めろといいたい。
労基法完全違反のそれこそ奴隷労働と等しい仕事を社員に強いて報酬を出さないブラック企業の摘発、その経営者の処罰に関しては国には秋霜烈日の姿勢でもって大いに介入してもらいたいが、労働者余暇の時間設定まで、民間に対していちいちごちゃごちゃぬかすな。
JR西日本が「走るホテル」をコンセプトに編成した豪華寝台特急「トワイライト瑞風」の運行が6月より始まるらしい。image
臨海部に沿うルートで近畿中国地方をほぼ一周する旅行代金は1泊2日のロイヤルツインで1人27万円から。最高額のスイートは2泊3日で1人120万円で1車両全部を1室のみあてるという、なんだか無駄に豪華な気がしないでもない。列車旅の概念を鉄道会社のくせに履き違えているとも言えなくともない。
こんな高い列車に誰が乗るんだと首を傾げていたら、なんと半年先まで全車両予約完売しているのだと。
私ならいくら金を目の前に積まれてもこんな悪趣味なものには乗りたくはない。
次々に廃止してきた従前からのブルートレインを需要に応じて臨時で走らせばいい。「瑞風」のような贅を尽くした豪奢な車両自体に価値があるとするのなら、もはや「鉄路の旅」とはいえない。
ゴージャスにゴテゴテと飾り立てるのは何も鉄道でやらずとも大型観光バスやトレーラーを改造して高速道路でも走らせられる。
「瑞風」の客車の塗色は深めの鶯色で、北朝鮮の金正日がロシアへ行くのに利用し、その豪華さと車両に特別装甲を施し戦車搭載までした長編成の列車が世界中の話題になったがあの列車の色に近い。
金正日列車は厳重すぎる沿線警護と他の列車のすべてを停めて最優先で動かしたものだから、それまでの苛政により度重なった人民の怨嗟を増やしただけに過ぎなかった。
その点、同じ塗色であっても件のJR西日本の超豪華列車、金余り酔狂者ご愛顧阿房列車は停車する西日本の名所各地で万札びらをばらまいて少しは地元を潤せて還って来てくれることだろう。お土産は紅葉饅頭一箱だけというのは許せんけんの。

北朝鮮はバカ息子が死なない限り何も変わらない

晴れ時々曇り。寒気、予報が伝えるほどはなし。
昨夜半より結構呑んだが、さほど残らず。
しかし倦怠感があり食欲もなく、朝におじや夕方にきしめんに花かつおを振りかけて食したのみ。
隣の駅で下りて銀行で所用をすませ、図書館で別の区の図書館で借りた「グーグル秘録」と乙川優三郎の短編集「太陽は気を失う」を返却すると同時に「北朝鮮国家安全保衛部」を借りる。
不可解極まりないあの国の秘密警察の実態を、かつてそこに勤務しながら脱北した人物が暴露した本。2003年の刊行なので、内容の大方は秘密警察本好きの私には既知で、おさらいのつもりで読んでいる。そんなことおさらいしたって、興味のない者からすれば「だから何」な無駄な知識を自己満足的に充足させるだけだが。
読書に実利を求めても仕方がないと考えている、実用本や自己啓発本とは全く無縁の場所にいる私にとってはこれはこれで愉しいひとときなのである。
連日、マレーシアでの金正男の暗殺事件について報じられているが、あの国に世界共通の常識や原則など露ほども求めてはいけない。
在マレーシアの北朝鮮大使館職員の言い条はあまりにも荒唐無稽すぎて論ずるに値しないが、彼らとて国家安全保衛部の厳重な監視下に置かれているわけで、自分たちの独自の見解を述べてはならない。
そんなことをすれば自分も含めた家族、親族、親しくつきあっていた人物まで芋蔓式に逮捕され、尋問と拷問を繰り返されたあげく北朝鮮国内の政治犯収容所送りとなり、最後は筆にするのも憚るやり方で殺されてしまう。
大使館職員の言うことは金正恩が言っていると思って全く差し支えがない。
あのエリンギカットのデブが死なない限り、あの国は絶対に変わりようがない。
中国もさっさとあの厄介なデブを抹殺したくてウズウズしているのが本音だ。
北朝鮮の住民統制監視システムが、今でこそやや綻びが出かけているが、それでも今なお国家安全保衛部の下、緻密に稼働しているのは事実。刺客を送り込む手段がないに等しい。
「いや、どんな不可能でもやってのける人物がたった一人いる…」
習近平は執務室でひとり含み笑いをした。そしてデスクの電話を取ると人民解放軍総参謀部第二部のトップを呼びだした。
「張同志、今からアメリカのアトランタ刑務所に収監されているマーカス・モンゴメリーに手紙を書いてくれ」
「そうすると総書記同志…」
「ああ、いよいよあの男に依頼する時が来た。我々中南海を怒らせるとどういう結果になるか、あのバカ息子に身をもって知ってもらう」
「かしこまりました」
と、世界一のスナイパーにしてテロリストのあの男に頼るしか方法はない。
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ミヤネぎらい。

終日どんより曇っているが、寒気さほどなくむしろ暖かい。さてはと思ったら案の定、夜になって雨が降り出した。
昨日の安ワインの酔いが残っていないといえば嘘になるが、日本酒大量摂取後にありがちな、まるで頭の芯にドリルを穿かれるような痛みや、胃のむかつきからくる吐き気もなし。体全体に倦怠感が澱のように残っている。
尾籠な話だが、ワインの大量飲みの朝の大便はやたら黒くそして固いことを初めて知った。ワインの何がそうさせているのだろうかよくわからん。
頭がなかなか働き出してくれないので、リビングでテレビをぼけっと見る。
この時間帯なら、よみうりTVの「情報ライブ ミヤネ屋」かMBSの「ちちんぷいぷい」なのだが、「ちちんぷいぷい」のどこか楽屋仲間同士受けばかりすることを言って盛り上がっている雰囲気が好きでないので、どうしても「ミヤネ屋」を選んでしまうが、どうもこの宮根誠司が好きになれん。
朝日放送の社員アナウンサーであった頃から、彼に抱いていた軽薄なイメージが抜けきれず、独立してからはこの「ミヤネ屋」と、夜の放送だがカンテレで「Mr.サンデー」という、自らメインキャスターの報道番組を持っている。
どの番組をとっても宮根からはインテリジェンスが少しも感じられない。
そのくせ報じられるニュースやトピックスに関して斯界の専門家たちが意見を述べている途中で、知ったかで賢しらで結局はしょうもな~としか言いようのないを茶々を入れ「自分が自分が」を全面に出したがる。
人の話は最後まで聞いてから、てめえの愚見を開陳しろよなまったくとツッコんでみたくもなる。
それでも、昔のサスペンスドラマの再放送や通販サプリの長尺CMを埋草的に並べただけのものを視せられるよりはマシなのだが。
夜は久しぶりにおでん、いや、かんと炊き。おでんこれはさすがにワインというわけにいかず、麦焼酎のお湯割りで。今宵も一杯一杯復一杯、肝臓やられるぞそのうちに。

さすが餅は餅屋。

日替わりで寒暖を繰り返している。気温はジェットコースター状態で上がり下がりのここ数日。
春への歩み寄りのピッチが上がったわけで喜ばしいことだが、寒いものは寒い。
晴れたり曇ったりの中、昼過ぎに女友達の家に遊びに行く。
indexかねてから、今や伝説のサブカル漫画誌となった『ガロ』に彼女が応募して落とされたという漫画の下書きを拝見したかったということで。
ケント紙とまではいかないが、それに近い漫画専用紙にロッドリング1本で描かれたそれはたしかに巧い。
鉛筆でささっとアウトラインだけ描かれたものでも、私らなんか足下にも及ばないという言い方すらおこがましいほどたいしたものだと思った。
彼女の仕事がデザイナーであるのは伊達ではない。プロのデザイナーの画力の底力を思い知らされたという次第。さすがに餅は餅屋だけはある。
後は、家に来る途中、彼女と立ち寄った駅前のスーパーで購ったペットボトルの安赤ワインを呑みながら、テーマはさまさまなジャンルでの談論風発のひととき。
時には議論めいたものとなり、激昂のあまり互いの胸ぐらをつかみ合いの成りゆきに至りそうになるのだが、彼女の空手の練習台になりたくないので私の方から矛を収める。
彼女と知的スリリングに満ちた時の流れ早く、気がつけば彼女と私、それぞれが1.8リットル入りのワインボトルを空けてしまっていた。
安物でもワインはやはり優しい酒だ。日本酒と同じく醸造酒なので悪酔いが懸念されたが、さほど足もふらつかず意識もしっかりし、「大丈夫やで」というのに「あんたはジイさんのエリアに片足を入れているから」と、いらん一言をつけくわえて駅まで送ってくれた彼女と歩く坂道から、無数の夜間照明のライトを浴びた製鉄会社の工場群が薄暮の中で蜃気楼のように浮かび上がって見えたのが、まあ酔いといえば酔いだろうか。

まったく忌野清志郎の歌どおりだ。

午前中、強い風吹き渡り、午後より雨がまとまって降るのと同時に気温波及効果、気温は急降下と書きたいのにこんな変換しやがったGoogle日本語入力。アホだ。
こと日本語の変換能力に至っては日の丸ATOKの足元にも及ばない。
「グーグル秘録」読み続ける。世界中の本をスキャニング、データ化する過程で著作権という大きな壁にぶつかる。人が心血注いでものした著作物を平気でコピーしてネットを通じて何が悪いと開き直るわりには、自分とこの検索エンジンやその他の自社開発ソフトウェアなどの知的財産物は当社の重要な資産ですと必死に守るのはあまりにも身勝手。そりゃ叩かれるわな。
理工系の人の悪い癖で、数学の正解は一つしかないのと同じく自分のやり方がこの世の唯一絶対のものであるという信じたがる。自分という宗教に自分でぬかずく滑稽さ。
宗教といえば、清水某というグラドル出身のタレントがいきなり所属事務所をバックレて、生まれた時から親共々信仰している宗教団体での活動に専従するという騒ぎが出来している。
この宗教団体の長は歴史上の人物はおろか、今存命中の有名人の霊言とお話が出来るという笑けるしかないすごい人で、自らの肖像写真を御本尊様として信者に100万円もの金で売っているそうな。
ここのライバルの某巨大宗教団体のコピー曼荼羅本尊はたしか1幅3000円。ま、鰯の頭にもいろんな値段があるようで。
人が何を信じ、何を拝もうと、かつてのオウム真理教のようなことをしでかさない限りは勝手であり、笑いながら「勝手にやってなさいね」と生温かく野次馬的に見ていればいいのだが、清水某のやり方は宗教人以前に社会人として、一個の職業のプロとしてまるでだめ。
水着は嫌だの握手会は嫌だの給料安いだの、そんなのグラドルでバラエティもやりますタレントでいこうと思った時にわかっていたはず。子供じゃあるまいし。彼女の味方はかの宗教団体とその信者しかいないと言っても過言ではない。
こう言ってはなんだけど、宗教にのめりこむ人って実は無責任なんだ。自分で考えることを放棄して自分の運命をすべて信じる神にゆだねてしまっている。人生を生きるにはその方がたしかに楽だが、自分の人生に自分で責任を取ろうとしない不誠実な態度のまま、そしてそれがおかしいと疑わず思考停止状態でいるとは。人生ふざけて送っている。笑わせるな。

世界一有名なうさぎ

晴れ。冬型の気圧配置に戻ったというが、寒気それほどなし。朝の海のきらめきが広くなっている。
ミッフィーを世に創り出した絵本作家が亡くなった。うちの娘も、あのどんなシチュエーションでも絶対に正面を見ているという、単純な線で描かれたうさぎの絵本のお世話になった。
miffr登場人物(うさぎ?)は皆原色の服をまとい、大人にすれば他愛ないストーリーの背景となる空や木、花なども原色で塗りつぶされている。原色は子供にわかりやすい。娘はこの絵本のおかげで、赤、白、黒、青、緑、青、茶、黄の、基本中の基本といえる8色を覚えた。
たしかミッフィーの絵本は4、5冊あったか。最初のうちは娘にせがまれ読まされた。1年経つと娘が自ずからたどたどしい舌足らずな口調で読んでいる。
あれ?そんなこと書いてたか、それよりひらがなが読めるようになったのはいいが全然間違っとるではないかと思い、読んでいる彼女の背後からのぞき込んだら、まったく別の話を子供が勝手に創りあげていたのである。
それもまるで話の前後がつながっていなく、本には出てこない動物まで登場させている。どうやら思いついたことをそのまま口に出しているだけなのだ。
注意しようとしたが、待てよ子供は子供なりの世界を構築して遊んでいるのだから放っておけと思った。
ミッフィーはきわめてシンプルな絵柄である。なんだこんなもの俺でも描けるぞと不遜にも大人が思った瞬間、大人ですら絵本作家の思惑にはまってしまっているのだという気もする。
「そう。ミッフィーは誰にでも描けます。おとなの人もたまには初めてクレヨンを手にして絵を描いた幼い頃に戻ってください」という作家の願いが聴こえてくるような。
ここまで書いて、失礼ながらこの作家の名前がいまだに思い出せないのだ。ミッフィーだけが先行してしまっている。
作家名など調べたらわかるのだがあえて措こう。自分が生み出しキャラクタが自分の手から完全に離れて世界中から愛されていることこそ作家冥利につきるというもの。

くそっ!煙草が止められない…

昨日は、気まぐれのように小雨をもたらす曇天が終日続いたが、今日は早朝からよく晴れているが、トレードオフとして寒気また戻る。
どうにも煙草がやめられない。食後の一服が一番旨いという人が多いが、私は目覚めの一服が好きだ。
時間的にはほぼ12時間ぶりの煙草は、寝起きの朝靄けむる脳内を晴れやかにしてくれる。
まずは、パッケージをトントンと叩いて1本の煙草を抜き取り、ゆっくりとした仕草で火を点ける。しみじみと深く吸い込んでニコチンとタールが肺全体に行き渡っていくことが自覚出来る快感といったらない。酒でいう五臓六腑にしみわたる、あの快感に似たものがある。これは最初の快感。
充分に肺に煙草を味わせた後、空に向かってゆっくりと煙を吐き出す。ちょうどその時、軽いめまいに似たものを覚えながら全身末端部に脱力感と倦怠感が走っていく。これが後の快感。
いずれ近々止めるのだから、煙草は銘柄にこだわらずなるべく安いものを選んでいる。「エコー」と「わかば」と喫ってみたのだが、後者は前者より10円高く、しかも前者に比べて味が雑で辛いし、と280円と290円の煙草の味比べをしても詮無い話だが。image
それはともかく、先述の快感が脳の海馬にプールされている限りいつまで経っても煙草は止められない。高校3年の夏、背伸びしてイキがってこんなものに手を出した私が馬鹿だった。
遙か昔の悪癖がその後30年続き、次にせっかく14年に亘る禁煙期があったというのに、3年前に酒席でなにげに喫った1本の美味さが、海馬奥深く潜んでいたデビルを目覚めさせてしまったのである。
またまたニコレットを発注しようか、それとも薬局で見かけた水蒸気式の電子タバコを試してみようか、思案投げ首の最中である。

「グーグル秘録」を読む。

早朝より小雨模様。午後よりやや肌寒くなる。それでもこの季節にしては暖かい空気の中で静かな雨音を聴く。
この3月半ばの気温はしかし今夜まで。夜半より北からの風強くなり、また寒気が戻るとの由。
2月に入って寒暖の繰り返しは確実に春に向かっていることでもあり、早咲きの桜のたよりも聞こえ来る。
IMG_20170217_130712一昨日より読んでいる「グーグル秘録」という分厚い単行本。これが巻追い措くを能わずの面白さ。
世界全体に影響を与えイニシティアブを握るに至ったグーグルの成長プロセスと功罪両面を、アメリカIT業界の栄枯盛衰の模様を絡ませながら、膨大な資料と筆者自ら足運びをいとわず積み重ねた取材の結果を編み込んでいく好著。
かつて野口悠起雄がものした「アメリカ型成功者の物語」(これも好著だった)に続けて読めば、今以上に興趣もぐっと増していただろう。
バイタリティとブレない不撓不屈の意志力を維持して、自分が叶えんとする夢、達成したい目標に突き進む者が、たとえ20代の若者であっても公平に評価し、有形無形の支援を与えるアメリカの国柄は、アメリカンドリームとして今なおアメリカ人以外の人間をも求心させている。
今も昔もアメリカが生み出したガリバー的企業の創業者の出自は移民が多い。いわゆるヨソモノに対してもアメリカはビジネスゲームのプレーヤーとしての資格を与える。それが結果的にあの国に莫大な富と新たな雇用をもたらした。
グーグルの創業者コンビのうちセルゲイ・ミハイロビッチ・ブリンも、その名前からしてロシア(正確には旧ソ連)からの移民である。
グーグル創業時の出資者であるラム・シュリアムはインド人であり、事業開発担当の副社長として迎えられたオミッド・コーデスタニはイラン人だ。
出自が何人であり、どこそこの国の出身など意識すらせず当たり前のようにアメリカのビジネスシーンで幹部クラスとしてそのステージで活躍している。
これだけをとってもトランプの移民反対政策がいかに馬鹿げているかよくわかる。自国の富をプロダクトしてくれる人材を遠ざけようとしているのだから。
日本もそう。移民導入政策にテロが怖いからと実に腰の引けたくだらない理由で反対する政治家がいるが、日本にとって有益なことをやってくれる人材ならどんどん入れてしまえばいいのである。
ソフトバンクの孫正義は、自身は移民ではなく在日2世にあたる人だが、彼がいなければ日本のインターネットのブローバンド普及は10年は遅れていたであろう。また元はお役所だった電電、国際電電の2公社が民間企業となって、事実上独占企業的にその利用料金を何様な標準で決めていた携帯電話の世界に風穴を開けた功績は、何かと世間の耳目をかきたてるソフトバンクの商法に首をかしげざるを得ないことを差し引いても評価に値する。
韓国人を揶揄蔑視する言葉でもって、彼自身をそして彼の出した結果を批判にもならない批判、下劣なヘイト的感情で主にネットで攻撃しているおバカさんたちにはそんな暇があれば、もっと建設的な方向に自分の目を向けなさいと申し上げておく。
他人の成功、それもにっくき韓国人だから腹がたつと、パトリオティズムの名を借りて、下衆根性もいい妬みとそねみをもてあそんでいる前に、さっさと英語でもマスターしてアメリカへ行っておんなじことをやればいいんだ。
その才覚や度胸、勇気、根性もないゆえ孫を攻撃することで、結果的には自分で自分をミジメに追い込んでいることに気づかない。笑止。
つまらない連中のことで寄り道してしまった。件の本はまだ半分ほどしか読んでいないが、グーグルの創業者以下幹部から技術スタッフに至るまで本当によく働く。ワーカーホリックではないかと思うほどそれこそ24時間働き詰めに働く。
さしずめ日本ならやもすればブラック企業の誹りを免れないが、グーグラー(グーグルの社員をこう呼ぶようだ)たちには「無料で検索エンジンを提供、ネットにアクセス可能な世界のあらゆる人にあらゆる情報をもたらし、ネットを通じての民主主義を確立する」という原則的なミッションが創業者や個々の社員の中で成立しており、それは宗教に殉ずる崇高感に似たものを伴っているからオーバーワークも苦にならない前提がある。
その代償として豪華すぎる食事を無料で提供する社員食堂、24時間社員の体調を管理調整するこれも無料の医療施設、マッサージ、浴場、理髪、要するにありとあらゆる福利厚生を用意し、仕事の報酬的には自社株を持たせストップオクションなどの恩恵に預からせる。
働けば働いた分だけ日本のサラリーマンの年収なんか足元にも及ばない額の金を手にすることが出来る。ブラックどころか、当節のいささか軽薄な言い回しを使えば「神」企業とさえいえる。ただし、チンタラチンタラダラダラ非生産的に決められた時間分だけ働いて、それでもべつに安月給でいいやというグータラはグーグルはいらない。
このほど日本の政府は「残業時間月60時間まで」の案を提示したが、過酷な時間数の残業や休日出勤を押し付けて手当も払わずという、正真正銘の極悪ブラック企業は大いに規制して欲しいどころか国権をもって強制的に罰則付きで規制すべきと思うのだが、働きたいという人間の労働時間まで国が容喙するのは筋違いではないかと思う。
こんな馬鹿げた労働時間規制の提示はグーグラーのみならず、世界中の企業のやる気満々で実際に仕事が出来るビジネスパーソンなら余計なお節介をするなと怒りたくもなるだろう。
本は今のところ、ほとんどグーグルの功罪の「功」ばかりを描いている。サブタイトルが「完全なる破壊」とある。いよいよ「罪」の部分が描かれていく。楽しみ。

5年で勝手に12kg減量した。

朝から比較的暖かい。やや春めく。
2ヶ月ごとの検診で近くのクリニックへ。以前から「そろそろ頸動脈エコー再検査を」とドクターから言われていたので受ける。
5年前にこの検査をしてもらい、その際右首筋の頚動脈管に2mm大の脂肪の瘤が見つかった。
これを放置しておくと、いずれ血栓となり動脈圧迫、そしてBURN!悪くて死、よくても左半身麻痺となるそうな。
ドクターはそれが気になるからとかねてからおっしゃってくださっていた次第である。いい先生だ。
結果的には今回の検査で瘤はいくぶんか小さくなっていたのだが、こういうものが頸動脈にあることだけは忘れずに養生を心がけてくださいと釘を刺される。
5年前の検査の時量った体重は83kgであった。今日は71kg。気まぐれに家にある体重計で量ることがあるが3年ほど前に80kgを、2年前か去年に75kgをそれぞれ切ったことは覚えている。そして今日のこの体重である。
5年間に12kgを減じたわけだが、意識的にダイエットに励んだ憶えはない。好きなものを好きなだけ食らい呑みたい酒をパカスカ呑んでいた。
まあ、人間年とれば勝手に体全体が縮小していくもので、これはこれで理にかなっていることかもしれない。
image娘が知人に穴子弁当をもらってきた。穴子は嫌いだからとこちらが断れない立場にいる相手にもらったものとかで、オヤジ食えというので喜んで頂戴した。穴子ふんわり柔らかく、上品な味わいのタレがご飯にほどよくしみて、ほんに美味しゅうございました。

歌詞の文学性

さて、とばかりに書きだした今は午前0時30分。
晩飯どきの酒が私の後ろ髪を引くというより、ぐいと束ねて離さず、まだ焼酎の湯割りをちびりちびりとやらせている。
この分では明日、いや正確には今日は二日酔いは必定。さっさと眠ればいいのだが、なぜか心たかぶりそれが出来ず、漫然とネットで遊んでいる。
昨日の記事でふれた鼻歌の一節は井上陽水の「FUN」である。日本の音楽史上の名盤である「氷の世界」の中の1曲。
You Tubeで見つけた現在の陽水が小ぢんまりとしたスタジオでアコギ中心の編成で歌っている動画。
これが素晴らしい出来で、違法を承知で酒の力を借りて(笑)ここに貼る。(livedoorブログサービスの変に親切なところは、ある程度の時間がすぎれば、こうした明らかに著作権法に触れている動画掲載を勝手に削除してくれることである。livedoorさんお願いしましたよ)
陽水は現在69歳。若いころの声量とキーの高さはさほどからわず、本当に歌がうまい。そして彼の歌詞は歌詞でなく文学詩レベルである。
ボブ・ディランがその歌詞でノーベル文学賞を受賞したが、陽水の歌詞もそれに匹敵する文学性を秘めている。かつて「ユリイカ」という詩の専門誌が彼の特集を組んだぐらいだ。 


ある日の記事で眼鏡のことでジョン・レノンのことを採り上げたが、彼の歌詞も非常に素晴らしい。ビートルズ時代の「Strawberry Fields Forever」「Happiness Is Warm Gun」「Across The Universe」、ソロ時代の「Love」「Imagine」など枚挙にいとまがない。
特に「Love」はあんなにシンプルな表現で、人を愛することのすべてがここに集約されている。愛についてこれ以上何を表現すればいいのだと言えるほど凝縮されている。
私はこれらの作品群にもうひとつ「#9Dream」を加えたい。
一番好きな箇所を引用する。横着して辞書も引かずヘタな訳で汗顔の至り。

Took a walk down the street
Through the heat whispered trees
I thought I could hear
Hear, hear, hear
Somebody call out my name
“John…、John…”
As it started to rain
Two spirits dancing so strange

通りを歩いていると、暑気の中で木々たちが
囁くのが聴こえてきた、そう、聴こえてきた
何かが私の名前を呼ぶ、ジョン、ジョンと
いつのまにか雨が降ってきて二つの魂が踊っている
とても不思議なことだった

といった内容で、これのどこが文学だと言われると、そう思うからとしか答えようがないが。
 

書いているうちに午前2時前。無理にでも寝よう。こんな不思議な夢を見られたらいいのだが。

今日は素敵なValentineday to(or for) me

晴れ。予報がいうほど寒くなし。
家人たちよりチョコレートもらう。一応手作りでピンクや濃紺の包装紙にリボンなんかかけてある。「人様に贈るのならともかく。食えば後はただのゴミなんやから家族の間でこんな無駄なことをするな」と言い聞かせていても治らない。
まったく女人といふものげにつまらぬことに神経と黄白を費ひたがる動物ではある。
いやそれ以上に、チョコをもらったもらなわい、手作りや高価なブランドチョコだから本音、それ以外は義理でどうのこうのといい年をした大人、しかもおっさんたちがこだわり、そしてはしゃぎたがる。
いやいや、あえてそういうことにこだわって一喜一憂しているふりをしてみせるのも、余裕のある大人の態度だと言えないこともないが。
若かりし頃、バレンタインデーから遠く離れた時期なのに「チョコレートは甘いからあんまり好きやないなあ。ウィスキーボンボンやったら別やけど」と一言もらしたばかりに、それこそ全国に散らばった女性たちからぼんぼんとウィスキーボンボンばかり2月14日の前後送られてきて往生した者にとって、今さらバレンタイン云々と騒ぐのは。フフッ…
と自分で書いていてもあほらしすぎる駄法螺だが、ウィスキーボンボンが好きなのはこれは本当で、あればかりは手作りはなかなか難しく、気が向いたら自分で買うことがある。
私の、すでに亡くなった叔父はむかし日本郵船の船乗りだった男で、世界各地の港町にゃ俺の女が待ってるぜ、と言っては叔母に怒られていたものだが、日本では見ることもできない外国のお菓子を土産に買ってきてくれた。
中でも、もはやどこの国のものだったか覚えていないが、ウィスキーボンボンをもらったことがあり、その美味さに大仰でもなく驚天動地の思いがしたものである。
チョコレートの甘さと、それがファーストコンタクトであった酒という未体験の味の組み合わせの妙は名状しがたいものがあり、絶妙な味わいに子供ながらに陶然とした。
2個以上食べようとすると「あかん」と言って取り上げられたが、時すでに遅し、今に至る酒好きの素地がウィスキーボンボンによって潜在意識の中にきっちりと縫い込まれた瞬間であった。私の酒デビューはウィスキーボンボンがそのステージだったわけである。
IMG_4702窓の外の街は暮れなじみの中にいる。暮色に明るさが増してきた。口の中でチョコレートが温かみを帯びて溶けていく。
“ため息まじりの夕暮れ、エナメルの靴も濡れてる、帰り道の水たまり、よけて通ることもない♪”…つい下手くそな鼻歌が出てきた。
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