蝉しぐれが缶ビールにしきりと汗をかかせている。
ひとくちの目の冷たさと苦みが喉を引っ掻いた心地よい痛さはすでになく、ビールは流した汗の分だけ懶惰の生ぬるさだけをだらしなく口の中で広げていた。
境内と社務所に誰もいない気配をいいことに、不敬は承知で煙草の先に火を投じ、深々と喫いこむ。
碧い空に積乱雲の子供たちががゆっくりと動いている。
蝉の音はいっそう高まり、自在に四散する煙草のけむりに絡みついてくる。
静かだ。夏の昼下がりの無人の神社は、誰をも松尾芭蕉にしてしまうのか俳聖のあの有名な句がすとんと心の腑に落ちていく。
静けさの中で煙草を喫いビールを飲み、煙草の灰を指先で落とし、蝉の求愛の合唱はいやでも耳に蝟集し。
それ以外はほぼすべて意識にのぼらない。
無の境地とはこのことを言うのかどうかは定かではない。
そんな境地に凡愚凡人俗物の最たる私ごときがなれるわけはないと苦く笑う。
喫い終わった後の煙草は空になった缶に落とす。
底にわずかに残ったビールに消された火の音がかすかにしたのを確かめて缶を軽く振ってみる。
一陣の風が境内を走る。杜の木々たちがざわめく。
蝉たちは「ん?」とばかりに一瞬鎮まり、また争鳴に精を出す。
夏の日ざかりの境内はただ白い光の中でしらん顔してだんまりを決め込んでいる。