なんであの時、牛丼なんか食べたのか、2日経った今でも慚愧に耐えない。
一昨日のことである。散歩に出た某所にある某量販型古本店の店先の100円均一の棚を眺めていたら、1973年刊行の新潮社「安部公房全作品集全15巻」のうち7~12巻6冊があったのを見つけた。
「おおっ」と手に取り入念に子細を調べる。40年近く前に刊行された本である。
各々さすがに経年焼けは致し方はないにしても、箱入り月報付きでさほどの汚れもなく、開きや折り癖、書き込みなど一切なし。函もほとんど傷みもなく完本に近い状態。
全巻揃いではなくいわゆる全集物の端本の集合ではあるが、これはやりようによってはAmazonやヤフオクに出品すればかなりの高値で売れるのではないか。
これだから量販店古本屋の店舗外陳列商品眺めは止められまへんわ、うひひひひひひとほくそ笑む。
しかし、この暑い中歩いて腹も減り喉も乾きに乾いている。
とりあえず虫養い、水分補給、汗乾かししようと、その店の近所にある牛丼屋に牛丼とビールを相手に、じっくりこの掘り出し物の販売戦略を考えようと入ったのが間違いの元だったのだ。
牛丼屋にいたのは30分足らず。腹はふくれビールと冷房で汗もひき、値付けと売り出しのタイミングプランもばっちり立て「さて、では」と上機嫌で、再び古本屋におもむく。
さっきの棚を見やる。ないのである。安部公房が1冊残らず消えているのである。安倍公房どこ行ったのだ!
さては店員が棚の整理のために他に移動させたかと思ったが、安倍公房の6冊の本の前後左右の本は30分前と寸分違わない。つまりは30分の間にどこぞの誰ぞがお買い上げになられやがったのである。
自分のことはすっかり棚に上げて「んまにもう。これやから油断も隙もないねん。どうせオークションサイトか密林で売りさばきよるんや。100円で仕入れてその数十倍もの値段で転売する悪徳商人奴が、さもしいやっちゃ、と憤慨のあまり、ひいたばかりの汗がまた噴き出してきた。
「掘り出し物において『次』と『幽霊』は出ない」という鉄則がある。
これはと思った商品を見かけたら躊躇せず買う、あるいは店の人間に頼み込んで1000円でもいい手付金、前約金を払い、他人に売るのを抑えてもらうのが鉄板の法則である。
「後で買う、次に買うは掘り出し物という名の気まぐれな幽霊には通用しない」ということ。
それをけっして忘れたわけではないが、酷暑と食欲が私に気の緩みを生じせしめたのだ。
たかが「牛丼とビールの組み合わせ」の魅力に負けてしまったがゆえに。
ほんまに口卑しい自分が情けなくなる。同時になんで古本屋の近くで牛丼屋なんか開いたんや、○○家のくそったれが、と見当違いの八つ当たりもしたくなる。
悔やんでも悔やみきれない。一昨日と昨日はAmazonやヤフオクはじめオークションサイトを見る勇気がわかなかった。
私が買い損ねた本を誰かが出品して、それが高値で売られたり落札されたりと知れば、悔悟、懺悔、嫉妬、怨嫉、憤怒、悲嘆、愁嘆、ありとあらゆるマイナス感情に襲われ、懊悩する羽目に堕ちてしまうのが怖いからである。
今朝、ようやくおずおずとそれらのサイトをスマホでのぞいてみると、安倍公房の件の本、全15巻揃いのものは別として端本には高値もついていず、入札価格も持ってけ泥棒価格からスタートしている。
まずは胸をなで下ろしたのだが、これがもし私が見立てた価格かそれ以上の値付けになっていれば歯ぎしりのために口腔内の歯は全部なくなり、血圧があがりすぎて口からおろか耳、鼻、陰茎、肛門、毛穴、体のありとあらゆる場所から血が間欠泉の湯のように噴き出し、あえなく悶死していたであろう。
しかし今後の予断と油断はゆめゆめ許されない。世の中には「こんなものでもいいの」みたいな物を高額で買ったり落札する物好き好事家がいる。
本の全集物、雑誌のバックナンバーなどを蒐集している人の中には一冊でも欠本があると必ず埋めないと気がすまない、死んでも死にきれないという人が結構いる。
いやそういう人の方が圧倒的に多い。この手のコレクションは全部揃えてこそ初めてコレクションと呼べるのだ。その情熱たるやすごいものがある。
自分が「こんなもの」と勝手に決めつけるのは禁物。人によってはそれが「これ、これが欲しかったんだ」という物が必ずある。
たとえ端本の集合であっても欲しければ金に糸目をつけず買いたい人が出てくるものだ。
それを考えるとまたまた「牛丼とビールで失われた30分」に対する口惜しさがむらむらとこみ上げてくる。
なんであの時、牛丼なんか食べたんや、ビールなんか飲んだんや、そんなもん後回しでもよかったやないか、なんでなんでなんでやね~ん、と頭をかきむしりながら悔し涙がボロボロとまではいかないけど、ああもったいなことをした。商機を逃してしまった。
当分牛丼屋に行かんぞ。