家内も娘も少女漫画が好きである。コミックスを買ってきて互いに交換しながら、暇さえあればむさぼり読んでいる。
それはいいのだが「俺も見せてくれや」と言っても彼女らはけっして貸してくれないどころか、読んでいる横からちょっと覗き見しただけで「見やんといて!もう!」と二人とも申し合わせたかのように本を閉じるのである。
なんともまあツレないことで。そういえば中学高校の時もクラスの女子が少女漫画誌やコミックスを読んでいる時に「なに読んでるの?」と雑誌や本を取り上げたら「やめて~返して!返せ!」と髪を逆立てんばかりに本気になって怒っていたなあ。
我が家の女連もそうだが、そんなに怒ることでもないと思うのだが、あの心理はまるで理解できない。
女連は勝手なもので私がこよなく愛する「ゴルゴ13」やら「こち亀」やら「野球狂の詩」(みんな古くてすまん。ちなみに里中満智子という偉大な少女漫画家の名前と作風は「野球狂の詩」で水島新司とコラボした時初めて知った)といったガチな野郎漫画を見ていると「ゴルゴっておもしろいのん。見せて」と来る。
私の「ええで」の答えも聞かないうちに、私が次に読むために机に積んでいたコミックスのうちから適当に持って行く。
そんなことをされても怒る気はないし、むしろ「おう、読め読め」と薦めたくなるのだが。
私は少女漫画の世界が嫌いではない。むしろ好きな方である。かといってさすがに単行本を揃
えるまでには至らないが。
斜めカットを多用した大胆なコマ割り、スクリーントーンはたいていパステルっぽさをなんとかモノクロで表現させたかのような、そうだな、春霞にその姿茫漠とした花畑模様みたいなやつが、って書いている私自身何がいいたいのかよくわからんが、要するにそういうのが使用される。
その中を主人公の女の子が両手のこぶしを口に当てて「・・・えっ!今のって。うそ、やだ!」とかなんとかつぶやく。(この箇所を書くためにいったん私はキーボードから手を離し、今書いたようなこぶしを作って口に当てて「うそ、やだ!」と口にしてみてイメージを喚起させた)
1頁2コマしか使わず、女の子は右上のコマ、左下にロンゲで体格やたら細く脚はすらっと長い、つまりは女の子が憧れる最大公約数的なイケメンのニイチャンの横顔のカット。垂れた髪で顔半分隠れている。口元はニヒルに歪んでいる。
で、次の頁で向かって右のコマでイケメンニイチャンは正面を向いている。
「だって、俺さ、なんつーかな、おまえのことをさ」
と言いつつ、その次コマでいったん髪をかきむしっている。そして次に女の子の頭の上の壁をドーンと突くわけです。「好きになったんだよな!」と決めのセリフとともに。
そして女の子の瞳がアップで描かれ、そうです瞳の中で星がきらめいているのです。少女漫画の肝です。
女の子の「んなこと急にいわれたって困るよ・・」ってセリフをものすごく小さなフキダシで言わせるか、フキダシなしで小さな手書きの字で書いてある。
少女漫画のこういうステロだが直球ど真ん中なパターンが好きで、少ないコマ数で女性の微妙な心理の綾を描くのは、こればかりは男性漫画家が束になってかかっても無理というものではないだろうか。
小説でいう行間を読みとれということに似たものがある。
そのテクニックに触れてみたいと、最近のコンビニは立ち読みさせてくれる店が減っているので、ブックオフあたりに出張って立ち読んでくるのである。
ところが気に入った少女漫画を手にしてもレジにそれを持って行く勇気がないのである。これがエロ本なら平気なのだが。
なぜに女性は男に少女漫画を見られることを極端に忌避するのか私なりに考えた結果は、登場人物の女性たちは自分たちの等身大のうつし身であり、それがため先述した微妙な心理の投影を男にさらけ出されてしまうからではないか。自分の裸を見られるよりもっとタイトなことであるからではないか。
このことに絡めて私が少女漫画をレジに持って行くのをためらわせるものは、男がけっして踏み込んではいけない女の心の襞の部分を冒そうとしていることへの自制が働いているのかもしれない。
ちなみに日本のフォークロックバンドであるチューリップに「ぼくがつくった愛のうた」という傑作があるが、あれを初めて聞いた時、ほとんど少女漫画の世界ではないか、揶揄的にではなく好意的にそう思った。
ラブリー、エミリー、ララララ~で始まる曲だが、ここまでラブリーでチャーミングなラブソングは他に知らない。「りぼん」や「マーガレット」の世界がここにある。