同僚の息子さんが「ひきこもり」で困っているらしい。また知人のお子さんもよく似たケースにいる。「ひきこもり」について書く。
「ひきこもり」の高齢化が何かと問題になっているが、誰にも迷惑かけずに親も承知で引きこもらせて、それで生活が成り立っているのなら放っておけばいいのに、余計なお節介や不要な親切をかけたがる国民性なのか、なんとか「ひきこもり」状態から脱出させて社会と接点を持たせたいと、お役所までが旗を振って様々な試みにアプローチしている。税金の無駄遣いとはこのことだ。この国は官民一体となって「ひきこもる」自由と権利を剥奪しようとしているのか。
人の数だけ生き方がある。
無職のまま仕事もせず日がな部屋でパソコンだけを江戸時代の長崎の出島よろしく世間との接点として暮らす。
それのどこが悪いのか。私はいまだによくわからん。まるで「ひきこもり」を犯罪者のように扱う風潮。
学校出たら働いて自分の食い口は自分で稼ぎ、多くの人と接して、やがて結婚して一家をなし子供を育て、という生き方もひとつの生き方に過ぎず、これが人生の本道だと決めてかかる方がどうかしていると思うのだが。
たいていの人は「引きこもっているうちに50や60になる。その時は親もいなくなるだろうから後はどうするつもりだ」と詰る。
「そんなに気になるならあんたがたが面倒みてやれや」と言えば「それとこれと話が別だ。人生のあり方としてそれはちょっといけないんじゃない?」と口を尖らす。
人様の「人生のあり方」などに他人があれこれ口出すことではない。
私なんか働かないと食っていけないから働いているだけであって、親にたっぷり金があって「小遣いくれ」と言えば「はいはいあげます。いくらでも遣いなさい」なんて言われたら、そりゃもう喜んで自分の好きな物の買物以外は家の外に出ず、いや待て各種ショッピングサイトも拡充している今のご時世、買物目的で外出する必要もないしな、日がなパソコンだけをコミュニケーションツールとしてのそのそ暮らしていたいですよ、いやまったく。
仮想現実のみの中で生活を完結させていたいですよ。
今こうしてテキストのやりとりをしている相手が生身の人間であろうとロボットであろうとAIであろうとなんだって構わないんですよ。
酒が好きなので、ちょっと酒の相手が欲しければネットの向こうに同じような思いの仮想人物(あるいはロボット)が相手してくれて、Webカメラとマイクを装着すればSMで使うラメ入りアイマスクかなんかで素顔を隠したままだが、互いにともかくも顔を見ながら「や。今夜は暑いですね。やっぱりビールが最高ですな」とかなんとかしゃべりながら、そのうちどちらかともなく飽きてきたら「落ちます」で切ればいい。後腐れなし。また別の相手を探すのもよし。そのまま独り酒を楽しむのよし。
こういう「ひきこもり」生活に恋い焦がれる。生まれ変わったら(生まれ変わりなど爪の先ほども信じちゃいないけど)、古い話だが鳩山由紀夫になりたい、黙って毎年9億円もくれる母ちゃんのお腹から生まれたい。
それじゃ人間ダメになるよ、と言われるが、その「ダメ」はあくまで社会的動物としての自分を規定する中での「ダメ」であって、ずっと部屋の中にいる人間に対してダメになるもなにもないだろうが。
誰ともつき合いがないから、変なシガラミとは無縁だし、結婚といういわば「赤の他人の人生を背負い込む」というギャンブルの必要もない。
人間関係に疲れるというのはどこの世界の出来事なのか、もともと誰とも関係していないのだからそんな症状が出るわけがない。
とまあ、ここまで書いているうちになんだか心が寒々としてきた。「ひきこもり」に憧れる理由を書いているのに、書いているうちにだんだん落ち込んできた。
おお、とうとう「やっぱり俺には出来んわ。ひきこもりは」と思いさえしてきた。
「ひきこもり」になれんわ。どう考えても。やっぱりリアルで生身の人間とふれあっていたいわ。
「ひきこもり」に徹することが出来るのはひとつの才能かもしれない。そしてああ見えて結構リキ入れて「ひきこも」っているのかもしれない。
なんてチャラけたことを書いているが、今だからこうして書けるのであって、娘も2年近くそうであった。
詳らかに書かないが、彼女は好きで引きこもっていたわけでないのだ。しかし「引きこもってばかりいるな!」は絶対禁句で好きなようにさせておいた。
このやり方が正解とはけっして書かない。放置した結果がたまたまいい方に進んだだけのこと。
「ひきこもり」生活にほとほと愛想が尽きたり飽きたりしたら出て来い、だけ言っておいてはいた。
自分の娘ですら心の奥底のメカニズムはわからないものだ。
だからこそ記事冒頭に戻るがそういう生き方もあっていいじゃないか、放っておいてやれよ、という持論(てなものでもないが)は確固としてある。