このブログのヘッダ部分の写真は昨日(正確には一昨日)散歩に行った夕暮れ時に近い頃の須磨海岸である。
前にも書いたが須磨海岸の海水浴場は東西に長く、須磨水族館前の浜を東エリア、JRの須磨駅直前の浜を西エリアと私は勝手に区分している。
西エリア。ここはとかく昔からやんちゃなニイチャン、ケバいネエチャンが東に対して圧倒的に多く、10年前から夜遅くまで騒音、喧嘩騒ぎがしょっちゅうあって、それだけならまだしもちょっとしたクスリやイリーガル煙草のやりとりもあったという、いわば水着を来たアメ村状態になっていたのである。
これじゃいかん家族連れが逃げてまうがな、と警察と行政が本腰を入れて、なにかと縛りをかませた結果、2~3年前から沈静化されて歩き煙草(もちろん合法の方ね)も禁止、足洗い場を作ったから砂を洗いさってから須磨駅に上がってくれ、駅のトイレで着換えすんなコラとばかりにJR西日本も手を焼いていた案件に自ら乗り出し整備した結果を昨日確認してきた。
たしかにきれいになった。何年か前よりきれいになった。動き始める快速待ちの各停電車の中もそれほど砂落ちてない状態になっていた。
海の家も昔ながらの野暮ったいよしず張りの店はなくなり、ヘミングウェイがタイプライターを叩きそうなコテージ風の店が出来て、かくいう私も相棒のpomeraをたずさえ夕暮れの潮風に吹かれながらイタイ文章のひとつも紡ぎたくなる店である。
しかしこの手の店は一人で入るには勇気がいる。あきらめて前から一度やってみたかった、ヒトカラ、独りカラオケと洒落こんだのだ。
結論をいえば、ヒトカラむっちゃ楽しいやん、である。部屋の中には当然誰もいないから、上手い下手気にせず唄える。エコー、音程の上げ下げ好きなようにやれる。他人の目にさらしたくない自我意識の充足を思う存分発揮できる。
好きな歌を他人の目を気にせず歌える。私は音痴でなく自由奔放にアレンジしながら唄っているのだという常日頃の持論をカタルシスできる。
ちょっとめずらしい歌を唄うと、こんな歌知らんわと必ず茶々が入ることもなく、ポーズをつけて歌ったところで当たり前だが誰も見ていないので思いきり自己陶酔にひたれる。
2時間ほど歌い続けて喉がいたい。50曲くらいは唄ったのではないか。精算すると税込み1000円ちょい。いや~安いレジャーでありました。
50曲くらいの中の1曲。