松居一代の、夫に対する呪詛に満ちたおどろおどろしい動画を最後まで見てしまった。
くさいまでの芝居がかったそれは松居にとって失点であった。
動画の流れで彼女のブログも見た。また彼女の過去の、夫船越英一郎に対する妻としてのあざといまでの献身ぶりもあわせ、私に反感しか抱かせなかった。
この一連の離婚騒動、どちらに是非があるのかわからないしわかろうと思う気すらない。夫婦喧嘩犬も食わず。
ただ松居は大きな誤解をしている。
彼女が動画の中で強調していたが、夫婦も含めて男女の仲に「絶対」と「永遠」が成立するという誤解。
いや男女の仲のみならず、この世のありとあらゆる「出会い」には必ず終わりがあるということを知るべきである。
出会った時から別れが始まる、究極をいえば生まれた時から死出への旅への準備が始まる。
恋愛や夫婦愛、親子の愛、友情、あるいはペットへの愛、これ仏教用語でいうところの「愛別離苦」と一体である。
それをきちんと見据えていれば、別れを受け止められる。別れはたしかに悲しいことだが、別れをいつまでも追いかけてはいけない。
とくに男女の間の別れの際に往生際悪く振る舞うというのは醜い、これまた仏教でいう畜生界に生きている下等な動物の振る舞い以外のなにものでもない。
いや、畜生と人間が蔑んでいる動物たちの方が別れを哀しみの表情をたたえながらも冷静に見送っている。
彼らが別れを特に死別を受け入れる姿勢に高貴ささえうかがえる。
男があるいは女が自分から離れようとしている。それを追いかけたところでどうにもならない。来る者拒まず去る者追わず、サヨナラだけが人生だ。
別れ際の美学を、いい大人なら持つべきである。簡単なことである。「追いかけない」の一言に尽きる。
永遠の愛だの、絶対の愛だの中学生がノートの切れ端に書きそうな戯言にこだわっているからこそ、無様に追い続けてしまうのだ。
男と女の出会いはどんなカップルでもそうだが、互いの大いなる虚妄と幻想の発火で始まり燃えさかる。炎の盛りは必ずいつかその火照りに影なす。
それを埋み火として未練たらしく陰火となっても抱き続けるか、それともさっさと水をかけて消してしまうか、そのどちらでしかないのだ。
私の美学はもちろん後者にある。サヨナラだけが人生さ、と振り向きもしないで後ろ手を振るだけ。
手を振り消えた指先は狭斜の巷の紅灯をさす。一夜の酒の中。想い出は琥珀色の液体に、あるいは吐き出す一服の紫煙に託しておけばいい。
グラスの中の氷がひそかな音をたてて割れたとき、Good lack!とささやいていればいい。