たとえばこんな画像が載せられていた。
何もない雪原のはるか向こうに川が見えている。冬の鈍色の雲が何重もの緞帳のように垂れ、空はそこから始まっている。
寒々とした光景に、自分の内心に今なお残る葛藤めいたものを投影しながらも、それをきちんと認めてなんとか暖かく向き合いたいという撮り手の意志が、ふわりとしたセーターに姿を変えて知らない間にこちらの肩にかかっていそうな写真。
カラー写真でありながら暗色だけしか存在しない無機質な世界を広げさせながらも、しかし見ているうちに優しさと癒しにも似たものに満たされた微風が、画像からささやかな竜巻と変わって立ち上る。
そんな画像を載せて それに添える内省的な文章が、どこか含羞(はにか)んでいるのが微笑ましく、自分の日々の生を丹念に丁寧に縫い上げているのが伝わり、私にはおよそ真似ができないことを、私よりはるかに年少でありながら教えてくれているようで、この人のブログの更新を楽しみにしている。
静かに時を刻んでいた彼の暮らしに、どうやら華やぎのさざ波が立った模様である。佳きこと幸多かれと心よりエールを送りたい。
華やぎの波は彼の撮る写真にゆっくりと暖色を与え、それはパステルカラーのような輪郭へと変わり、春霞が刷毛となり花畑を淡く掃いている光景が、新たな方向への彼の旅立ちを象徴するものとしてこれから展開されていくのだろう。
いつか彼が写した日だまりの中の珈琲茶碗が、可視できないプリズムの静謐な乱舞と無邪気に戯れている。