あと一ヶ月と数日で齢60となる。
と、アラビア数字で書けば59の次で61の前という数列の中の1数字であるが、六十歳と漢数字で書けばちょっと重いものを感じる。
還暦、という今時あまり意味のない言葉が変にのしかかってくる。
「(60年で再び生まれた年の干支に還るからいう)数え年61歳の称。華甲。本卦還。」(『広辞苑』)
2017年はなるほど酉年だ。そうかそうか俺は生まれてから今年で5回めの酉年を迎えているわけか、しかしだから何だと言うのだ。それがどうしたとも。
だいたい干支なんか年賀状の時にしか縁がないし関心もない。
しかし、「還暦だね」と言われるととたんに「ついに俺もジジイの仲間入りしたのか」と気分からしてめっきり老けてしまう。
本来はめでたいことらしいが、実感は禁忌に近いものがある。
「還暦」など顔をしかめて手を振って「やめてくれ」とあっちへやりたくなる。鬱陶しい。
だからといって、アンチエイジングとやらに取り組む気持ちは毛頭ない。トシになんか負けるかと無理して若々しくいたいその神経が理解できない。
「60歳!いやあお若く見えますね」なんて言われて喜んでいる奴ぁありゃアホだ。
「お若く見える」の褒め言葉の裏には「それだけあんたトシ食っていて」の反語毒が盛られていることに気づかないのか。高校生に「君、若く見えるね」って言わないだろうが。当たり前だ。実際に若いのだから。
どんなに若造りしたところで、本モノの若者に勝てるわけがないだろう。
渋谷やアメ村でたむろしている若者と同じようなファッションをして得意になっているジイさんバアさんに時々出くわすが、周りに「そんな格好はやめなよ」と止める人がいなかったのか。
止めるどころかむしろ残酷な人ばかりなんだろう。「おだてりゃすぐ図に乗ってあのジジイ、見てみな今日はあの格好だとよ。嗤うよな」と自分たちのお笑い種のピエロにして喜んでいるのだから。
年寄りは年寄りらしく、濃口醤油で煮しめてまた色あせさせたかのような風合いのよれよれの服とズボンかスカートを付けて、ゴムがゆるゆるになって3歩歩くとすぐにズルズル下がってくる毛玉だらけの靴下で包んだ足下でスーパーで売ってそうな790円くらいのサンダルをペタペタ鳴らして背中を丸めて、何も口に入れていないのに口をもぐもぐさせながら、「音が大きな屁ェほどこいたらケツの穴が痛いんじゃあ」とかなんとか訳のわからないことをブツブツ言ってその辺を歩いてりゃいいのだ。死臭が混じりだしている加齢臭にサロンパスの匂いが混じっているというなんとも名状しがたいかほりを周囲に発散させながら。
私はこんなジジイを目指しているのだ。こんなジジイに憧れているのだ。こんなジジイなら特別な努力もなしに今すぐにでもなれる自信があるのだ。
その兆しはすでに出ている。人様の顔を見るのつい眼鏡を鼻ごと下げて上目遣いにギロッと「なんじゃ?」という目つき、老人特有のあの視点の置き方をやってしまう癖がつきはじめた。
立つたび座るたびに「どっこらしょ」「よっこらしょ」と声を出さないと立ち居の所作の区切りがつかなくなったのはもうとっくの昔にクリアしている。
夜中の頻尿は去年あたりから。さすがに尿漏れはまだない。これが課題だ。まだまだ憧れのエリエール「アテント」が身につけられない。
髪の毛関係。白髪が増えだしたが、総白髪まではまだ遠い。ハゲ方面。悔しいことに毛が多すぎて散髪してもすぐに伸びてくる。ハゲ頭に恋しているのにフサフサの我が髪が恨めしい、と職場の62歳のハゲオヤジに言ったら、えらい怒りやがったし。髭方面も色も密度も濃い方ときている。
体格は最近体重が減ってきてだいぶスリムになっている。出張りに出張っていた腹が引っ込みはじめているし。どうせなるならハゲ、デブ、チビの喪男三冠に輝きたかったのだが、チビでもないしなあ。
いわゆるそのアッチ方面。これは若い頃にくらぶればずいぶん弱くなっているのはたしかだが、まだまだスケベ心旺盛。ごくまれに起床時にその、あれ、だな、元気な時がままある。男が完全に性欲を無くしたらもはや抜け殻。生き仏、いやミイラでんがなガハハハハハ。
などといろいろ考察するにジジイへの道はまだまだほど遠いのう。65歳になっても今とそれほど変わってなさそうな気がする。
総合的に判断して5年後の私はこんな感じだろうか。かなり当たっているように思う。
abudeka_c2
うーん、私がこれまで書いてきた理想のジジイ像とえらい違うのだが、こればかりは仕方がない。不本意だがもってうまれたものは変えられないから諦めるしかない。