2017/06/11(日)
朝はどんよりと曇り蒸し暑い。昼から晴れ間広がる。それにつれて湿度が下がったのか風さわやかに吹く。
藤井君という弱冠14歳のプロ棋士が連勝記録を伸ばしている。将棋は多少知っているので、彼の大胆不敵な戦法の素晴らしさがよくわかる。
特に一昨日の飛車を相手に与えて角道を生かし、一気に攻め込んでいったのは「あんな手があるのか!考えられんわ」と唸ってしまった。もっとも彼と対局した棋士すら解らなかったのだから当たり前だが。
年をとるごとに、既成の概念や経験知が新鮮で奇抜な発想をスポイルする。やり始める前にこんなことあり得ないと思い込んでしまったら何も出来ないよ、と中坊に教わったわけだ。
藤井君の活躍で、子供に将棋を習わせる親がえらく増えているという。
何かの分野で突出した活躍をする子供や若者が出現すると必ずこういう手合いが出てくる。
自分の子供の頭の出来ぐらい自分自身を顧みたらわかりそうなものなのに。まったくもって何をやいわんや。

2017/06/10(土)
晴れ。梅雨の谷間の晴天らしい。昨日に続いて日差しがきつい。
今年初頭から須磨海岸砂浜増設工事がなされていたのだが、電車の窓からいつ見ても広くなったとは思えない。
ただ須磨海水浴場は東西にやたら長く、JRから見えるのは最西端だけであるから、もしかしてスマスイの前の東エリアが変わっているのかもしれない。
完全に人工海浜となりはててしまったものを暑い最中わざわざ見に行く価値はない。
そういえばずいぶんと海水浴にはご無沙汰である。
自宅のすぐそこに須磨よりも水がきれいな「ダジュール舞子」という、笑わせてくれる名前の海水浴場があるのだが、子供が小さい頃に行ったきり。
以降、海水浴シーズンは散歩がてら、砂浜で寝ころんだり戯れている女の子の水着姿を拝みに行くくらいしかない。
須磨は家族連れが多いが、舞子は比較的若いカップルやグループがウエイトを占める。
時々、どう見てもその筋者あるいはそれに近いとしか思えない、いかにも金がかかってそうなヨットパーカーに身を包み、光り物を腕や胸に飾っているオッサンが複数の女の子をまわりに侍らせているのを見かけることがある。
どの子も美顔美ボデーでうらやましい限り。やっぱり男はなんちゅうても甲斐性やなあ、つまりは金や金。札束で頬を叩かれて怒る女なんていない。失礼なこと言わんといて。あかんあかんきれいごと言うな、金に対する執着の深さは女の方が男より上なんや、物欲旺盛やから、それが生きる源泉となって男より長生き出来るんや、女は貧乏ないい人よりも財布が福沢さんでパンパンに膨らんでるワルに惚れるもんやで。あんた女を絶対バカにしてるわと怒りたいとこやけど、カルピスが濃いの薄いので悔しがっているセコさをなんとかしてから甲斐性がどうの世の中ジェニやで~てなことをぬかしてんか。

2017/06/09(金)
晴れわたるが昼間の暑いこと。
駅の自動販売機で「カルピスウォーター」の500mlのペットボトルを買い、飲みながらなにげなく自販機の商品群を見やれば「濃いカルピス」というのがあるではないか。同じ500mlのペットで値段もいっしょの160円。
「こんなのが出てたんや。よく見ればよかった」と悔しさのあまりボトルを持つ手が震えた。
同じ値段なら、当然カルピスの原液含有量が多い「濃い」の方を選ぶべきだった。
「ちょっぴりの水で薄めたカルピス」と「カルピスの味がする水」ではえらい違う。むろん前者の方が得に決まっている。
大損をこいてしまった。なんたることだ! 自分としたことが。
憤怒、悄然、悔悟といった感情が入り交じり、ふらふらとベンチに座り込みうなだれて「チキショー!チキショー!」とように呪詛のようにつぶやきながら、太股を拳で叩き続けるのであった。
そして「自販機の商品は上下左右よく見てからコインを入れること」と、後半生を生き抜くための戒めのひとつにしっかりと加えたのである。

2017/06/08(木)
朝のうち雨残る。昼より晴れだしたが湿気含んで蒸し暑し。
午睡後、近くの銀行で所用を済ませて仕事に向かう。職場のテレビのニュースにて巨人の13点ビハインド負けで13連敗の無様さを見る。昨日の記録した球団史上最悪の連敗数を超えてしまった。
ミジメを絵に描いたようなボロ負けで自分も含め同僚全員喜色満面、全員万歳三唱をしそうな雰囲気である。
仕事でなければそこらへんで酒でも買ってどんちゃん騒ぎをやりかねない。巨人の不幸は日本人の9割の幸福でもある。これは鉄則だ。公式だ。セオリーだ。常識だ。
いつまで「球界の盟主」「常勝巨人」「栄光の巨人軍」という、ナベツネ以下読売関係者、徳光和夫という、汚らしいだけのワザとらしい涙顔を時々見せる爺アナウンサーのような巨人ファン以外はだ~れも思っていないことにこだわっているんだ?
こだわっているからこそ、この球団旧来の鼻持ちならない自称エリート主義感覚もあわさって「監督は巨人軍OBでなければならぬ」ことに拘泥し、およそ監督職に向かない高橋由伸に指揮を執らせたのがそもそもの間違いである。
巨人などはとっくの昔にセ・リーグのただの1球団にしか過ぎないのに。そのあたりの意識改革をやらないと「栄光の」どころかセ・リーグのお荷物球団に転落しかねない。

2017/06/07(水)
朝から雨。時折土砂降り。最近、休みの夜に飲む酒の量がめっぽう少なくなってきた。体の不調ではなく経年で自然に酒量も減ることから来ている。人間の体は上手く出来ているものだ。
「飲む、打つ、買う」は昔から男の上方でいう「さんだら煩悩」、東京なら「三道楽」である。ようは「酒、バクチ、女」、である。男が堕落していく三大要素である。
さいわい自分は「酒」だけ、いや「女」も少し、であった。バクチにのめり込むことはなかった。博才はまるでゼロ、およそギャンブルに昔も今も縁遠い。
酒は最初に書いたように体力が限界を決めてくれるが、ギャンブルはそうはいかない。金さえあればいくつになっても際限なくのめり込んでいける。金が続く限りはいいかもしれないが、なくなると地獄である。
パチンコ代欲しさに爺さんがコンビニ強盗を働く事件を散見するが、「あほなジジイやなあ」と冷ややかに笑っていられる。シンパシーなど感じない。
後ろに手が回ることまでしてやりたいもんかね。パチンコなんぞ。あんなものとっとと禁止してしまえ、あれこそ亡国のギャンブルである。主婦が買物のついでに寄れる博奕場がある国を恥とせよ。
昨日買った「さいごの色街飛田」読み続ける。飛田については大阪の生まれ育ちであるから、何度か行ったことがある。さすがに「料亭」を表向きとした廓には上がったことがないが。
ほんの半世紀前まで、女の人権、とくに花街(かがい)のそれはないに等しく、牛馬も同然の扱いを受けていた。苦界に身を投じる原因も貧困であった。花も恥じらう乙女たちが自分の陰部で故郷の家族10人を養わなければいけないという境遇は想像をはるかに超えている。
今の時代は格差社会というが、昔はもっとそれがひどく、そのことを思えばまだまし、というが家計を助けるために風俗で働き出す女の子が激増している実態がある。
安倍晋三が打ち出した「一億総活躍社会」とは、下卑た言い方だが、貧困層の子女は下半身も活躍させなさい、ということだろう。

2017/06/06(火)
晴れ。朝晩寒いほど。仕事休み。このブログの記事を書いてアップ。テーマは最近の右傾化について。
元々どちらかといえば右っかわに近い思想というにはオーバーだが、そんな立ち位置だったが、さすがに共謀罪法案には賛成しかねる。
あれはテロリスト制圧にかこつけた、お上にとってはまことに都合がいい監視社会、それも姑息にも国民相互に監視させる体制づくりを目指しているのが透けて見える。
国連や民主主義社会が成熟した欧米諸国から「おい、こんな法律作って大丈夫か」と、大きなお世話な干渉を受けるのは当たり前だ。
また、ここ数年の官民挙げての「ニッポン素晴らしやいい国よ」ムードの醸成に苛立ちも覚えていた。
そう再々やっきになって「ビューティフルだ、クールだ」のと、自国を自慢たらしく見せつけている姿勢は気恥ずかしい。奥ゆかしさが日本人の身上でもあることを忘れたのか。
午睡の後、いい天気なので垂水まで海岸沿いをぶらぶら歩く。
古本屋チェーンの「本の森」で、新本に近い状態の新潮文庫版、井上理津子の「さいごの色街飛田」が216円で売られていたので買う。
垂水駅前の広場の木陰で缶チューハイを飲みながら読みだす。緑陰で爽風に吹かれての読書は気分がいい。
しかし、飲んでいるうちに煙草が吸いたくなってきた。吸う。吸いたくなったら吸う。それでいいのだ。

2017/06/05(月)
晴れ。昨日より、先日三度目の正直とばかりにAmazonでプチして買ったニコレット24個パックのうちの2個でなんとか喫煙欲を抑えこむ。
ふと思った。
「煙草を止める!」と決意するより、「煙草はいつでも吸える」とユルく考えること。
「止める」となまじ決めてかかるから、つい1本と手にした時に「やっぱり俺はあかんなあ」と挫折感を味わうのだ。
さすれば最初から「いつでも吸える」と思っておけば、つい1本が「ほら、いつでも吸えるんや。俺はフリーダムなんや」と開放感にひたれて、吸う煙草も美味い。
どうせ金出して買ったものを吸うのだ。おいしく味わないと損だ。
とかなんとかごまかしていたら、1本も吸わずに済んだ。それはそれで喜んでいたらいい。それだけのことだ。