日本初の国産バーガーショップチェーン、ドムドムが風前の灯火である。


80年代前期の全盛期には400を数えた直営の店舗は今や全国に9店舗しかないという。


ダイエーがあれば、そこに入っているファーストフード店はこのドムドムと決まっていたから、都心部の繁華街を中心に店舗展開していたマクドナルドに行くには遠いし、今と違って場所柄若者客が圧倒的に多く、その中へ入っていくのにはどうしても構えてしまう層たちにとって、日常の買物で慣れ親しんだダイエー内にあるドムドムは、それこそサンダル履きで買物かごやレジ袋を下げても気軽に入れる雰囲気があり、たちまちのうちに地域密着型のファーストフード店として、主婦層や学校帰りの制服のままの学生、あるいは子供たち同士、その子供を孫として連れてくる高年齢層の支持を得た。


「わたしらでもマクドナルドの雰囲気が家の近所や下校途中で味わえる」。


今思えばこれが最大の売りだったように思う。


かくいう僕もファーストフードとしてのハンバーガーとのファーストコンタクトは、このドムドムであった。


70年代半ばにかけて、中学生であり高校生であった僕らにとって、マクドナルドは大学生以上の「大人」が出入りする店、それはまだまだ憧憬するだけの存在であり、ドムドムこそマクドナルドのオルタナティヴであり、しかしけっしてエピゴーネンではない存在であった。


あの頃、ハンバーガーひとついくらしたのか覚えていないが、シェィクなる飲み物、大根でいうところの千六本切り状のポテトフライは新鮮であり、○○駅前のダイエーにあるドムドムのシェィクは粘り気がありなかなか溶けない、△△市役所の隣にあるドムドムのポテトフライは塩気が強い、など自分たちの通学圏内にある各々の店舗の違いについて他愛のないことを言い合っていたものである。


マクドナルドのように、日本国内独自や限定のメニューを出すには、一応アメリカの本社にお伺いをたてるという手続きをふまえる必要がないドムドムは、かなり柔軟に日本人の好みに合うようなメニューを出してきた。


お好み焼きバーガーが出た時は、ここまでやるかと笑ってしまったことがある。


そのドムドムが終焉を迎えようとしている。


上述の若い頃の思い出があるだけで、それが多少感慨めいたものを抱かせるが、終焉を惜しむ感情には至らない。


子供が小さい頃、大阪の実家に里帰りの折に、京橋のダイエーにあるドムドムに連れて行った記憶がラストであった。


ドムドムの終焉も、僕の来し方の流れにおいて下流に消えていく事象のひとつに過ぎない。これから先、下流へと向かうそれらが多くなる一方であろう。


上流にあらたに生まれるものが、どんどん少なくなってくる。


老いとはそんな上流を諦念の術なき面もちで見上げるしかないことである。


ドムドムで未来を語り合っていた中学生なり高校生が、その頃聞いていたフォークソングの一節、「年老いた男が川面を見つめて時の流れを知る日が」今まさに来たのであった。








(ドムドムの店舗画像を載せようと思ったが、何かと差しさわりがあるのであえてやめた)