今日より4月。どこかの大手企業の入社式があるのか、揃いも揃ってリクルートスーツの若者たちが朝の電車のロングシートに居並ぶ。
みごとに皆ほぼ同じ角度で背中を曲げて、スマホの上でせわしなく指を動かせている。
絵に描いたような没個性さ。一本の巨大な千歳飴が座席に寝そべっているかのようだ。
「個性ある人材を我が社は求めている」と、たいていの企業のトップは言う。
その言葉を本気にして個性を発揮しようものなら、周囲がよってたかって潰しにかかるのが日本のカイシャであり社会だ。
個性個性とのたまう本人が、自らの個性を殺し会社人間となりきり、常に上司の感情を忖度、周囲に対して仕事が出来る人物という印象操作にあけくれ、チョロチョロと鼠の如く巧妙に立ち回ってきたからこそトップに立てたのではないか、と嗤ってしまう。
シャープや東芝の無能経営者とその茶坊主重役どもをみているとそう思わざるを得ない。
春は3月で足踏みしていた。桜の開花が例年より遅い。
image画像は去年の4月2日のものだが、同じ桜を昨日見たら「蕾ふくらむ」の段階。
まだ裸木同然の木の下で、それでもママ友パーティだろうか、花見(というより枝見)の宴を張っていた。
シートの上をさっと盗み見ると、ワインのボトルが並び、ちゃんとガラスのグラスに注いでいる。
手製のサンドイッチやピザにローストビーフ、カナッペ、サラダボウルに山盛りの野菜などが所狭しと並べて、皆さんのおしゃべりにも花が咲く。
平安貴族の女官たちの、雅びたる花の宴のようで一幅の絵巻となりえる、というと褒めすぎだが。
缶ビール缶チューハイにカップ酒、日本酒一升瓶に紙コップ、乾き物、缶詰、スーパーのパック寿司などを猥雑に散開させ、放歌高吟高じて乱暴狼藉に至り警察官の世話となる酒嚢飯袋の下卑た連中の乱痴気騒ぎと大違いだ。
悲しいかな、花見の名所での宴はこういう手合いでほとんど占められている。だから私は花見の名所で桜を愛でようとは思わない。
酔うほどに密に咲き乱れる絢爛の桜花よりも、ローカル線の車窓でよく見かける、晴れ渡った空の下、畑の真ん中に立つ満開の一本桜に心惹かれるものがある。
そういう時、クロスシートでたまたま飲んでいた缶ビールがいっそう美味く感じられるのだ。