窓外見やれば春の陽光まぶしく、日差しのラインを五線譜がわりに、洗濯物を干す妻の鼻歌が音符となって流れ落ちている。
時には音階を踏み外し、楽譜が弦となり弾き飛ばした音符たちがベランダの床で所在なさげだ。
その妻がこぼすには、いかなごのくぎ煮に使うシラスの値段がこのところずっと高止まりしているとの由。
不漁といわれた去年よりも今年は解禁直後から漁獲量が伸び悩み、そこへもって、ここ10年の間にくぎ煮は徐々にメジャーな存在へと変わり、本来は播磨灘沿いでしかも早春から晩春にかけてしか食されなかった素朴な地方料理は今では年中大阪のスーパーやデパートで売られているぐらいに出世した。
ネットのレシピサイトの普及も手伝い、播磨灘のみならず京阪神の家庭でも気軽にそれぞれ独自の味付けのくぎ煮を家でこしらえるようになった。
IMG_1322単に飯菜や酒肴に食されるだけではなく、チャーハン、トースト、サンドイッチの具など、これを使った料理のバリエーションも広がっている。
需要が大きい先に供給も大きくするのが経済原則というもの。かくして播磨灘沿岸よりはるかに巨大な消費地である大阪方面への出荷が激増し、それが本来の我々地元の品薄と高騰の現象をもたらしている、というのが家の近所で商う魚屋の大将の話であった。
日頃世話になっている人へ万分の一のご恩返しの代わりになどとは口はばったくとてもじゃないが言えた義理ではなく、本音としてのご笑納遊ばせで召し上がって頂く分、そして大阪に住む老いさらばえた私の父母、特に認知の症状が認められ養護老人ホームに入所している母はくぎ煮だけはわかるらしく、義理のつく親にそれを教えた妻の味付けの子細をいまだ忘れず、いちいちそれを口にしながら、美味しい美味しいと食べてくれ、それを見ている妻の目の端に光るものを見ていると、極道息子も親孝行の真似事の爪の先ぐらいは出来たかと自惚れ、妻に心の中で手を合わせたりもする。
そういった方面へ、多寡が知れた量をタッパに入れて送り、あるいは届けるのだが、自家消費分や肉親に食わせる分は諦めて、せめて人様にご賞味いただく分だけでも確保したいのだが、1kgあたり5,000円前後(10年前なんぞ1,000円もしなかった)をずっと維持している現状ではそれもままならぬと嘆くことしきりなのである。
新長田をはじめ神戸の各所で、いかなごくぎ煮のイベントが目白押しなのだが、また神戸市明石市などの自治体もご当地グルメとして全国にPR相これ努めているのだが、相手は生き物、捕獲高の高低(たかひく)を見定めてからやれ、と見当ちがい、いやあながちそうでもないぞ、どちらでもいいが八つ当たりもしたくなる今日この頃ではある。