曇りがちで日光が少ない分、寒さが募る。金曜日にプチ寒波がやってくるらしい。
暑さ寒さも彼岸まで。あと3週間ほどの辛抱だ。
1月は行く、2月は逃げる、3月は去るとはよくいったもので、この間正月だったと思ったら、もう弥生朔日。早いものだ。経年のたびに月日経ちの速度が早くなっていくような気がする。
サッカーJリーグはすでに開幕、プロ野球はこの7日よりWBC、大相撲春場所は新番付配布も終わり12日に初日を迎える。
日本人が好きなスポーツイベントの開催が目白押しで、否が応でも春はもうそこまでと感じる。
サッカーにしろ野球にしろ、はたまた五輪パラリンピックにしろ、日本チームや選手が活躍すれば観衆は日の丸の小旗打ち振り応援、めでたく勝利を収め、君が代の荘厳な調べの中、ゆっくりと日章旗がポールを昇っていく姿をテレビ越しに見ているうちに勝利の歓喜の中に一種の厳粛さを覚える。
愛国心などこの程度で充分である。自然発生的な感情の発露のそれ以上それ以下ではない。バカボンのオヤジではないが、それでいいのだ。
「いや、私、日の丸嫌いです。あんなの国旗と認めません。君が代?天皇制賛歌にしか過ぎないじゃないか。国歌として歌うのは断固拒否したい」と思う人もそれはそれでいのだ。そういうことを主張する人の思想と、表現の自由、人権を護れることに自由主義社会の面目がある。
国を愛する自由があれば、その反対の自由も存在する。愛国心とは権利や義務ではなくあくまで個人の裁量でどうにでも扱っていいことなのだ。言い換えればその程度のことである。
それを昨今、国はどうしても義務化しようとしたいらしい。「公共の福祉」の「公」を「国」にすり替えようと懸命である。「公」とは「様々な考え持った人たちの価値観を互いに認め合い、多様化を是とする社会全体のこと」と私はそう解釈している。「公」とはけっして国家ではない。誰が「国」なんかのために命を賭けたがる。バカバカしい。
太平洋戦争中に出征しあえなく戦死した人たちも、「自分たちが戦いに行かなければ愛する妻や子供がやられる」とまず念頭にあったに違いない。
特攻で散華した人も敵艦にぶつかる瞬間まぶたに浮かべたのは、天皇か日本国家全体か?違うはず。もっと卑近な存在である肉親や友人たちであり、自分が生まれ育った故郷だ。
最近、年端もいかない幼い子に、教育の名において愛国心を刷り込むのが学是らしき学校法人が話題になっている。
総理大臣が、この教育基本法の見地においてクエッションマークが付きまくりの法人の校舎建設土地習得絡みで暗黙の便宜を図っていたのではないか、との疑惑が持ち上がっている。
騒動出来スワ!とばかりにその学校の名誉校長であった総理大臣の妻の名が消された。4228
総理大臣自身もこの学校法人に共感する旨のことを公言した憚らずだったのが、どこか言葉を濁し始めている。この学校の学是なら、総理自ら日頃から抱き口にもする愛国の精神にフィットしているではないか。
政治家というもの逃げ足が早くないと務まらない。しょせん愛国愛国と声高にのたまう人の愛国心などこんなものだ。
それをひたすら叫び押し付けたがる連中こそ、いざ有事発生となったら真っ先に逃げていくことだけはまず間違いない。