小田原市役所の生活保護課の職員が、保護を申請や更新に来所した市民を威圧する文言を刷り込んだジャンバーを着込んで職務にあたっていたという事件。
当該職員たちに非礼を承知で言わせてもらうと「発想がやはり木っ端役人のやることだな」と鼻で嗤ってしまったのである。
indexテレビのニュースによっては、彼らがかような仕儀で職務遂行にあたるのは、全国どこの自治体においても生活保護課に申請や相談にやってくる人の中には職員に対して暴言を吐き、どころか命に関わるような暴力を働く狼藉者もいて、それで思いあまってあのような服を着た云々と職員をかばう観点で報じていたものもあったが、ではなぜ一部の来訪者が暴言暴力沙汰に及ばざるを得なかったのかまでを掘り下げてこそ、真の報道だと思うのだが。
役人が昔のように市民に向かってタメ口を遣い「あんた」呼ばわりするといった横柄な態度はさすがに今ではすっかり陰をひそめ、その応対は民間企業の窓口かと思うほどずいぶんマイルドになった。
なったはいいがマイルドすぎて謙譲語尊敬語の用法が明らかに間違っていることがあって、傍らで見ていて微笑ましい失笑(変な表現だが)を買わされてしまうこともままあるのだが。
ところが生活保護給付や出産手当など「本来胸を張って堂々と自治体から受け取る権利が担保されている金」の申請を受け付ける部署は相変わらず「えらそーに」な役人が多い。
根本的には給付金というもの市民が納めた税金を還元するだけなのに、まるで自分の金を恵んでやるかのような錯覚を起こしている職員が散見される。
「くれてやる」かの態度で接するから、いきおいその言葉もぞんざい態度も傲慢あるいは皮肉っぽく慇懃無礼、これでは神や仏のような人物でもカチンと来る。
申請者のうち気の強い市民なら一発や二発役人を張り飛ばしたくなるのはむべなるかな、である。
窓口で市民に暴言を吐かれ暴力をふるわれという目に遭遇した職員の数など実は微々たるもので、それの何十倍かの市民が本来給付されるべきはずのお金を、人を人と思わない役人を前にして萎縮してしまい申請せずして帰ってしまうのが実状ではないか。
働けない病気を抱えた50代の車椅子の女性に対して「とにかく働けや、体を売って働けば」と北海道の役人が言えば、出産扶助受給のために妊娠を告げた女性に「で、どこで堕すんですか?」と千葉県の窓口のケースワーカーがひとりの小さな生命を抹殺するようなことを平気で冷酷に申し渡す。
こんな当該部署の役人の、人の痛みに対しての呆れた無神経さなど氷山の一角である。
日本は申請主義の国である。まず本人が役所に出向き申請してはじめて権利の享受に預かれるという、民主主義の観点からして本末転倒な状態のままでいる。
これを役所側から困窮者を役所の方で探し、救済の方便を教示したり、本人に代わって手続きしたりすれば、(格差社会の象徴のようなアメリカでさえこの方式を採っている)最後のセーフネットの網からこぼれ落ちてしまう市民の数は激減するだろう。
それにしてもくりかえすが。自分たちのポケットマネーから誂えたというのならまだしも、市民の税金で作った実にくだらないジャンパーを着込んで権利者たる市民の前でイキがっていた小田原市職員生活保護課員の愚かさ、幼稚さには本当に嗤ってしまう。そのジャンパー、自分たちの子供の前で誇りをもって着られるか?