経営者自ら著した「南京大虐殺はなかった」という主旨の本を各部屋に置いて、宿泊したゲストが読めるようにしているホテルチェーンが、中国からの官民こぞっての抗議に屈せず「日本には言論や思想の自由があり、それに則って正しいと思うことを書いた、とやかく言われる筋合いはない」と公式に突っぱねたことに日本国内のみだが賞賛の声があがっている。post_17773_02
日本軍による南京虐殺はこれは動かせない歴史的事実である。虐殺された人の数に諸説あるが、日本の国の軍隊が自国の身勝手な都合で満州を皮切りに中国というよその国に大挙押し掛け、いらぬ戦争を引き起こし、あげく無辜の民間人を殺戮したことは南京のみならず、あの広い中国の各所で展開された、日本人としてけして忘れ去ってはいけない目を逸らすことなく直視しなければならない史実である。
たとえば何の罪科もない自分の娘や妻、母がその目の前で、日本軍の兵士たちにさんざん性的に蹂躙された果てにその陰部に銃剣の切っ先を突き入れられ陰部から腹にかけて無惨にも割かれゆく光景を目に焼き付けられずを得なかった親、兄弟姉妹、夫や子供たちの気持ちがどんなものだったかに対する想像をもう少し働かせることが出来るなら、少なくとも大上段から切り口上のように「南京大虐殺はなかった。虚妄だった」とは、人間の良心に照らせあわせば言えないし、あまつさえ書くことなど出来なかったはずである。
戦争になればどこにおいても軍隊による女性陵辱の事件は発生する(例を挙げると終戦直前に満州に侵攻してきたソ連軍によるもの)、あるいは非戦闘員である民間人に対する無差別殺人(広島長崎への原爆投下など)は付き物であるが、それなら中国に対して戦争を仕掛けた、しかしそこは同国人として身びいきで割り引いて考えて戦争せざるを得なかった状態にあったとしよう、そういう事態の原初は奈辺にあるかのとたどればすべて日本にあったのは言うまでもない。
戦争という状態を作り出したのは日本なのである。その延長線上に、あまり文字に表したくないが「支那のチャンコロが生意気な」という中国の人に対する根拠のない稚拙かつバカバカしい限りの優越感と蔑視が重なり、中国人を人間と思わず虫けらのよう殺せることが出来たことのバックボーンとなった。
最近、戦争そしてそれがもたらす悲惨さに関しての想像力欠如の人が増えてきた。
政治家、経済人、学者、など社会の重鎮をなす人に特に増えてきており、それぞれがおのれの想像力のなさのエクスキューズとしてどこかいびつさを感じるナショナリズムを代替していると思う。
この全国有数のホテルチェーンのオーナーがとて同じことだと思う。
真の知性とはこうしたナショナリズムから離れた場所で、虚心坦懐にあくまで第三者的な視線、くもりのない眼差しで彼我の是非を検証出来る能力をもつことだと私は信じている。
反知性主義の荒波が経済人にも押し寄せて来ているのだろうか。