平成生まれの昭和歌謡?「夜明けのブルース」

今日は仕事休み。
ぶらりと散歩に出ようと思ったが、なんだか雲行き怪しく、とにかく傘を持つのが厭なので止めにして、You Tubeや無料の動画配信サービスを興味と関心のままにまったりと楽しむ。
最近の国会中継は面白い、と気楽なことを言っててはいけない。
民草が花見を楽しむことまで「怪しい!あいつらテロをたくらんでいる。見ろ。カメラでそこらじゅうを撮っている。あれはテロの準備に違いない。けしからん。ひっ捕らえろ。証拠?そんなもん取り締まる側が作ればいい」となりかねない法案が国会を通るか通らないかの瀬戸際だもの。
これまでの法務大臣や官僚などの答弁を見ていると、どう考えても無理筋もいい法律。メディアの大方が「共謀罪」と名づけたがるのもうなづける。
安倍総理大臣に至っては論点のすり替えがミエミエで、本人も心の奥深い場所では少しは「戦前の治安維持法に似ていないとも言えないなあ。でも一旦言っちゃったもんどうしようもない」てなことを思っているからこそ、野党側の追求に逃げの一手としか思えない受け答えをやらざるを得ないんじゃないか。
そんなことを考えていたら、思考がただでさえあちこち飛ぶ頭である、なぜか由紀さおりの「夜明けのスキャット」が聞きたくなって、You Tube内を検索散歩していたら、途中で五木ひろしの「夜明けのブルース」という歌に寄り道してしまった。
イントロからエンディングまで聴き通してしまったのは、テイストが昭和歌謡そのものだから。
クラブ(踊る方でない、いわゆるおっちゃん好みの、銀座や北新地にいっぱいある方の)で唄うよりも、どちらかと言えば場末のスナックで、僕ら年代以上の歌巧者のおっちゃんが好んで唄いそうな、ドがつく演歌ではなくムード演歌に近い作りである。
イントロのラテンリズムにノリノリで飛ばす五木ひろしの指パッチンと腰振りが相変わらず昭和歌謡である。なんのこっちゃ。
ブルースと銘打っているが、本物のブルースとは似ても似つかない曲になっているのが昭和歌謡である。
森進一の「港町ブルース」とか、天知茂の「昭和ブルース」とか、いったいこれのどこがブルースやねん、とBBキングやミシシッピー・ジョン・ハート、ロバート・ジョンソン、エルモ・ジェームスあたりを聴きまくっている人が怒りそうな、日本独自の歌謡ブルースも昭和歌謡の典型である。
サビの部分で意味もなくファルセットの女性コーラスが追っかけでかぶるのも昭和歌謡で…ってもうええか。
ちなみに五木ひろしの横でフェンダー・ストラトキャスター(と思う)をカッコよく弾いている人が歌詞ともに作った人で、レーモンド松屋という、マンションと牛丼店を混ぜたような名前の人は四国では知らぬ人がいないほどの有名なアーチストらしい。
僕とて昭和歌謡が骨の髄まで染み込んでいる男で、なんだかんだといいながら2回リピートして聞きました。いい曲だなあ。
商店街の外れにありそうなスナックで歌いたいな。紫色の地に金の文字が「シャネル」と入った外置きのネオン看板が煌々と光っている店。
この手のスナックではおなじみの、網タイプの黒ストを履かせた脚をタイトなスカートで包んだママがチャカチャカチャカチャカ、タンバリン叩いて、チーママがマラカス、カシャカシャカシャやりながら、心のなかで「なんちゅう下手な歌、唄いやがんねん、こいつは」と毒づきながら、そこは客商売、「素敵よ~、ブサイクちゃ~ん。唄い終わったらボトル入れてや~」なんて掛け声かけて、で僕はますます調子こいてマイク持つ手の小指をこれ以上は無理というくらいまで立てるわけなんですよ。昭和だ。

スパゲティ食べながらテレビにツッコんで。

仕事に出かける前、早めの夕食を摂りながら、この時間帯にありがちなちょっと古いドラマの再放送を視るともなしに視ていた。
小林稔侍が警備員の隊長役のドラマで、視ていたのは最後の方だったが、設定がもうむちゃくちゃである。
民間人たる警備員が刑事たちより前にしゃしゃり出て、犯人になんだかんだと説教なんか出来るわけがなく、しかもその犯人逮捕のきっかけに至っては、犯人に断りもせずGPS発信器を犯人の持ち物に付けていた旨、小林稔侍隊長が得々と語っている場面に出くわした時には、業務スーパーPBレトルトミートソース(格安だが意外に美味い)をかけたスパゲティを巻いていたフォークを思わず落としてしまい、ソースまみれのスパゲティがはね跳んで着ていたTシャツにべったりと付いてしまった。小林稔侍どうしてくれる。
昨今、警察官が無断で捜査対象車に取り付けることさえ問題視されているというのに。なんで警備員がそんなことが出来るんだ。
まあたかが、と言っては失礼だがサスペンスドラマの細部にケチを付ける方が野暮天なのだが、これはいくらなんでも嘘が大きすぎる。
映画にドラマや演劇、小説などは壮大な嘘をいかに本当らしく見せるかが実作者の腕の見せ所だが、別に警備員でなくともすぐわかる嘘は頂けない。
まったくもう。またカアチャンに食べ物をシャツにこぼしてと怒られるではないか。ティッシュでケチャップの色をなんとかぬぐい去って、どうせこの上にポロシャツを着るのだからと、汚れたままのTシャツを着て出かけた次第。
腹一杯。太さ1.8mmの乾麺スパゲティ2束200gを平らげただけはある。
もうすぐ60になるのだからもっと食を落とせ、とカアチャンやかかりつけのドクターにやいのやいのと言われるのだが、食欲旺盛至極健啖なのは如何ともし難い。
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格安スマホ、導入1年

MVNO、いわゆる格安スマホを使い出して1年余。
音声通話SIMカード、データ通信制限容量はひと月に2Gまで、機種代分割料金、ユニバーサルサービス料を含めた月額基本料金は税込み2140円。
機種はZTEのBladeV6。CPUはMT6735 1,3GHz クアッドコア。オクタコアが主流になりつつ今、すでに前世代のCPUである。
2015年末の発売当時はミドルエンドクラスであったが、早くもエントリーモデル並に格下げとなったわけだが、別にになんの支障もない。
OSはAndroid5.1Lolipopで、こちらはまだまだ主流である。
機種代金を含めたスマホランニングコスト的には、MVNO業界をざっと見渡したところ、今もって斯界最安値に近い。
安物買いの銭失いになっていない。格安スマホにおいて、私のと同じ機能や容量で私より月額にして1000~1500円余分に払っている人などいくらでもいる。
だから今のところ買い換え、乗り換えの意思はないが、電話代のボッタクリ度にはいつもながら冷や汗をかく。
先日、実家の父が急病を得て、病院に搬送された際、各方面にこのスマホで連絡したのだが、トータルで20分くらいしか通話していないのに、後で調べたら443円と記録されていた。
計算は間違いないのだが、30秒10円の通話料(楽天の電話代半額アプリ経由の通話でこれである)はやはりボッタクリレベルとしか言いようがない。
今、3大キャリアまでが自社内で格安スマホサービスを手がけているが、ショップスタッフは格安スマホの短所について、情弱中高年者にもっと詳しくかつわかりやすく説明してあげないとモメる元になる。
通信インフラは自社キャリア回線のおこぼれ、お余りを使って低料金を維持しているということ。
言い換えれば通信品質にムラが出やすいということ。通話音声が途切れたり、データ転送速度が遅くなるのは当たり前。
SIMカード挿し、そしてAPN設定は基本自分でやらなければいけない。キャリアならショップで据え膳上げ膳で全部やってくれる。
APN設定ってなんやねん?と仰天するようなことを私は先輩格の同僚に訊かれたことがある。爺さん婆さんなどよほどでない限りこの程度だ。年寄りに格安スマホは売っちゃだめだ(笑)。
3大キャリア+ワイモバイルならリアルショップが都市部にあるが、MVNOはほとんどネットで完結している。
トラブルや故障の際のやりとりはオンラインオンリーとなる。だから少々の不具合くらい自力でなんとか解決できるほどのスキルがいる。
ハードの故障とわかって修理に出せばキャリアと違って代替機貸与のサービスはない。これでよく怒っている客がいるというが、事前にそんなことくらい調べとけよ。そんなこと当たり前やんと呆れてしまう。
とまあ思いつくまま偉そうなことを書いているが、スマホの音声サイドキーを最小にしたままであることを忘れ、当然着信音が聴こえず、掛けてきた友人に「何しとるねん」と怒られ、「あれえ?音が鳴らんかったわ。不具合かな」と首を傾げたら、ガラケーの彼が「ちょっと貸してみ」と私のスマホを取り上げ音声キーをいじった。
「あらら、一番小さくなってるやん。そら鳴らんわ」と笑われたことがある。一番原始的な要因を指摘されたのだ。
あ~らあんた未だにガラケーなのフフン!とバカにしてたヤツに言われてもたわ、と顔から火が出て、穴があったら入りたく、なかったものだからコーナンまで行ってスコップを買い、それで掘ってまで入りたくなったものだ。

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2008年夏の思い出

昨日巨人に勝って6連勝。2位広島に2ゲーム差をつけて首位固めとなった。
特に昨日のゲームは3連続完封勝ちを続けていた菅野を撃沈させた勝利であるから大きい。
先日の9点差ビハインドからの大逆転勝ちといい、今年の阪神、もしかしてもしかしてもしかして・・・
ああ、いやいや、悪夢の2008年の記憶がまだまだトラウマとして残っている。
あの年、オールスター戦直後まで2位に11ゲーム半の大差をつけていた。
7月27日時点でマジック43点灯、29日は41に減らした。この調子じゃ最速8月中に優勝やな、と周囲のアンチ虎でさえ確信しボヤいていた。
それが終わってみれば巨人の後塵を拝しての2位。
阪神の大失速と言われているが、8月の間それほど負けてもいず、それ以上に巨人が恐ろしい早さで追い上げてきたのである。
巨人の底力はやはりすごいものがあり、その強さにあらためて舌を巻いたものだった。
伊達にかつて球界の盟主を気取ってはいなかっただけはある。
7月29日は私の誕生日で、そこへもって贔屓チームの驚異的な進撃、浮かれまくって喜びに浸っていたかと思いきや、そうでもなかった。
勤めいていた会社の大阪支社が10月末をもって閉鎖と決まり、高齢の大阪支社長は退職、私は在宅での勤務となったのだが、その旨をを通告しに東京から社長が来阪したのがちょうどこの頃だった。
どうでもいいが、社長の手土産は鎌倉名物とやらの「鳩サブレ」という菓子だった。
社長が帰った後、「もうちょっと気の利いたもん持ってこいや。子供のお菓子やんけ。セッこいやっちゃ。せやから会社が左前になるんや」と、わけのわからんことを叫びながら支社長がサブレ菓子の化粧缶をバンバン叩いているうちに手のひらがずれたのか、函の角で指をしこたま打って「痛った~~」と声を上げたのを、こちらは笑い声を殺して肩を震わせていたのを鮮明に憶えている。
文句を言いながらも函を開け、「ひいふうみい…全部で18枚入りか。9枚ずつ分け分けしよや。いったいナンボすんねん、これ。インターネットで調べてみ」とオヤジは老眼鏡越しに上目使いで私を見る。
「そんなイヤらしいこと言いなはんな。もろたもんの値段調べるやて」と私は言いかけたが、ほんまに大阪の人間はこういうところが卑しいからなあと思いつつも私も興味はなくもないので調べた。
「2000円ちゅうとこですわ」と結果を告げる。「に・せ・ん・え~ん。わしら大人二人分の菓子折りがそれだけかい。ほんまにあいつはケチやで。昔からや」とまたも吠え出した。どっちもどっちやがな、と私は聞こえないようにつぶやき、フン、と鼻を鳴らしたものだ。
それはともかく、デイリースポーツが連日第一面トップでこれ以上はない大きな活字で阪神の結果を伝え、蝉はこれ以上はない喧騒さをもって家の近所の雑木林で鳴いていた。
それが「いったいこれからどうなるのか」という不安を余計にかきたててくれた。したがって、爾来蝉の声もプチトラウマとなっている。あいつらが鳴きだすと何も理由もないのに気分が滅入ってくる。それは今でも変わらない。


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君たちになんの責任もないのに…。しつこくない甘さで美味しかった。

へえ?知らんかった。井上陽水の「Tokyo」が

ビートルズの(というより彼らがカバーした50年代ミュージカルの名曲)「Till There Was You」がベースになっている、ということ。
なるほど雰囲気は似ているような気がするが、まったく別の曲になっている。
換骨奪胎のいいお手本だ。
人に教えられて「へえ」と思った。

井上陽水「東京」


ビートルズ「Till There Was You」


人に教えられて、と書いたが、人というのは我が愚娘。
「26歳の若造がでなんでこんなことを知っておるのか、友だちが音楽に詳しいのか、オマエら年代でビートルズとか陽水とかありえへんやろが、え、おい」と問い質したら「まあね」とだけぬかしやがった。
「年がおっさんのカレシ」という変な虫がついとりゃせんやろな。

芥川賞狙ってるのか?…って(汗;

家にあった3年ほど前の「オール讀物」を職場に持ち込み読んでいたら、同僚のおっさんが「なに、読んでるの」と訊いてくるので「小説の雑誌や」と答えたら「お、部佐さんも芥川賞を目指すんか」ときたもんだ。
これが同じ文藝春秋の「文學界」、あるいは新潮社の「新潮」、講談社の「群像」といった文芸誌を手にしていれば、芥川賞狙いの勉強の一環で他人の作品を読んでいるのか(実際その手の雑誌を常時購読している人間にはたしかに芥川賞ワナビが多いのだが、というよりそんな連中にしか読まれていない)と言われるのはわからなくもないが、通俗小説系の「オール」を読んでいるのを見て、芥川賞云々に言及するのはお門違い、とこの同僚に言ったところでわかりっこないだろう。
では、通俗小説が対象となる直木賞狙いといえばよかったのか、と返ってきそうだが、直木賞はぽっと出の作家には与えられない、それなりに実績を積み、そこそこ名の売れている作家に与えられる賞である、と説明したところでわかってもらえないレベルに同僚はいる。
この同僚にとって芥川賞などは「去年か一昨年か、お笑い芸人が受賞した、小説とかそっち方面の有名な新人賞」ぐらいの認識でしかない。
別に同僚をバカにして言っているのではない。普段に活字だけの本や小説なんぞこれっぽちも読まないという人にとって文学の賞などは、自分の興味関心の範疇のはるか外にいる。
うちの妻娘もそうだが、芥川賞が「まるきりの新人賞であり、本を出したらもらえる賞である」と誤認しているのもむべなるかなである。
「あのな。とりあえずは商業的に作家デビューしてから十年以上経ってもらった人もいるし、受賞作品はまずは雑誌に掲載されたものが賞の対象になるんやな、芥川賞というものは」と言い、さらに「その雑誌も『文學界』『新潮』『群像』『すばる』『文藝』の、いわゆる五大文芸誌と呼ばれる雑誌に当該年分前年に掲載されたものが対象で、…っておい聞いとるのか!」とせっかく説明してやっているのに、二人に欠伸とそっぽ向きで応じられた。こんなものである。
ある程度本を読んでいる人の中にも「芥川賞=駆け出しの新人に与えられる最高レベルの賞じゃないの」とこれまた笑えない誤解があって、商業文芸誌デビュー2、3年あたりの新進からベテラン作家まで幅広い層を対象にした「川端康成文学賞」「三島由紀夫賞」の方が、同じ作家の「芥川賞」候補作よりもずっと出来のいい質の高い作品が選ばれることが多い。当然のことだが。
私の好きな芥川賞作家で最近の例を挙げると、西村賢太が「苦役列車」で芥川賞の誉れに輝いたのだが、それより前に発表して、候補止まりの川端康成文学賞「廃疾かかえて」、同じく候補で終わった三島由紀夫賞の「どうで死ぬ身の一踊り」、この作品は芥川賞候補作にもなっており、結局、誰が見ても上記二作より見劣りのする「苦役列車」が芥川賞を穫ったのである。このあたり不思議で仕方がない。
皮肉なのは又吉直樹の「火花」。三島由紀夫賞を逃した作品が芥川賞では合格であった。
ここまで来ると芥川賞、最近のに限っていうなら作品の質よりも話題性を先行させているとしか言いようがない。たしかにこの程度の出来映えじゃ「三島」では落とされるわなと妙に納得したものである。
おっと、階段を上がる音が聴こえてきた。こんな本を読んでいたら、それこそ「芥川賞を狙ってるのか」と言われかねない。慌てて鞄にしまった。
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LGBT、倫理が許容しても感情が拒絶する。

男が多い職場である。
あっちの気(け)がある男を何人か見てきた。
あっちの気があるらしいという噂を含めたら、実にあっちの気の含有率が高い職場であると一見思ってしまうのだが、母集団がそも男が多いから子集団に含まれるあっちの気の人もそれだけ多くなるわけだから、率の高低(たかひく)を論じるても意味がないが。
文章ここに至るまで「あっちの気がある」という言い回しを何度も使ってきた。
こういうボカシ表現やもろに「ホモ」「オカマ」呼ばわりは差別やヘイトであると捉える風潮が高まっている。
LGBTの方たちの人権に配慮してのことだという。
またLGBTというひとつの価値観を、人間の他の基本的かつ普遍的な価値観として認めるべきだという考え方が世界的規模で敷衍されている。
そのこと自体は非常に大切なことではあると思う。
かの人たちの価値観を損なうあらゆる言説や動きにノーを突きつけることは知性主義のひとつの現れであり、揶揄的に語られる方ではない「意識が高い」ことの証左でもある。
しかし、LGBTそのもの、あるいはそういう生き方を選びとった人々の価値観は認めるにやぶさかではないが、個人の好みの問題でそれを拒否する自由も担保されてしかるべきであろう。
かいつまんで、ざっくばらんで、で言えば「男が男に向ける性愛の情(女性同士のそれもあわせて)を含んだ好意の視線がなんとも気色悪い。俺はごめんだ。俺はそんな趣味はない」と、慌てて手を振り否定し拒否する自由も担保されなければいけない。
LGBTの人たちが「僕(私)たちを気持ち悪がる権利は誰にもない。僕たちを嫌がることは人権侵害だ」と殊更に声高に叫ぶのなら「おいおい勘弁してくれ。気持ち悪いものは気持ち悪いのだから。これは仕方がないだろう」と小さな声で異議申し立てしたくなる。
それって逆にLGBT側の非LGBTに対する価値観の一方的な押しつけ以外の何物でもないだろうが、とも思う。
最近、某作家のミステリ短編集を読んだ。全面的にそのことを打ち出さず、話運びの小道具として小出しに表現されているが、探偵役はゲイのカップルである。
ゲイのカップルの生活ぶりそのものは具象的に描かれていないが、そういう関係の男同士が互いにパートナーと認め合って、一つ屋根の下に性愛を伴った暮らしを共にしているという小説上の事実が、なんともいえぬ不快なものとなって、ミステリ小説本来の楽しみである、伏線探しやらトリック解明やらの興味が後退し、ついに読了できなかった。
あらゆる人の基本的人権はこれを認めなければならない。LGBTの人のそれも同じこと。それを侵害する権利は誰にもない。
しかし、だ。自分の中の倫理観がそう思っても感情の部分で如何ともし難い部分があるのは、生身の人間だから致し方のないことでもある。

松屋で朝のちょい飲み

仕事で朝帰りの途中、家路最寄り駅よりひとつ手前で降りて、松屋に入り牛めしでちょい飲みを楽しんだ。
ライバル吉野家も2年前あたりから、この「ちょい飲み」サービスに力を入れている。
これからの季節、ビールで喉をうるおしがてら、ちょっと虫養いしたいという時にこの手のサービスは重宝する。
松屋でオーダーしたのは牛めし並盛とハイボール。
290円の牛めしに150円のハイボール合計440円。ワンコインで釣りが来る。まことにリーズナブル。
夜勤明けの疲れた体、それから来る喉の乾き、そして何よりも空きっ腹にまずは一口、と飲むブラックニッカのハイボールが実に美味い。
牛めしの牛に紅生姜を乗せて七味をふりかけ肴となし二口目を飲む。三口目は紅生姜単独で、四口目はこれが松屋のいいところなのだが、サラダドレッシングやBBQソースなどの調味料が充実していて好きなだけ使える。松屋の牛にはサラダドレッシングが意外に合う、でそれで。
アルコールが心地よい疲労を体全体にゆるやかに拡散させてきたところで、〆として牛めしの御飯之部に味噌汁とともにとりかかるわけである。
〆に移らず、もうちょっと飲みたいと思えば、券売機でハイボールなりビールを買えばいいし、店によって追加オーダーは口頭でも受け付けてくれるところもある。
松屋は一品サイドメニューも多く、これでは「ちょい」から本飲みに進みそうだが、松屋も吉野家も尻を落ち着けて酒を飲もうという雰囲気を醸成させていないので、さすがは客の回転が第一のファーストフード店、酒を飲ませてもちゃんと計算ずくなのだ。

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ひとりおうちBBQ

「グランピング」という名のキャンプ形式があるらしい。
寝泊まりする場所はロッジ風コテージ風の建屋になっていて、冷暖房入浴施設完備。
建屋の前でバーベキューを楽しむシステムになっている。
近年人気を呼び、シーズンは予約で満杯大盛況とのこと。
これのどこがキャンプなの、ただの貸別荘のミニ版じゃないの、と思うけど、アウトドア遊びは大の苦手、しかしキャンプの雰囲気もそれとなく味わいたいという発作が数年に一度ある、というまことに身勝手な私のような人間にとって、なかなか重宝できそうだ。
野外でのバーベキューは好かん。ただでさえ暑いし、肉や野菜を焼く匂い、人間の体熱と発散する汗に誘われて蚊や蠅、蜂に虻がやってくるし、紙コップについだビールはたちまちのうちにぬるくなるし、クーラーボックスの氷も3時間がだいたいの寿命だ。
ぬるい水が溜まっただけのクーラーボックスを見ていると、憎々しくて蹴りたくなってくる。
準備も後片づけも大変、かつ面倒くさく、BBQなどいいことなんぞ少しもない。
昔はよく家の近所の浜で親戚とその友人たちが開催するBBQに誘われていたのだが、義理絡みだから余計に行くまでなんだかんだグズグズ言い、行けば行ったでクソ面白くもない顔で通してしまうから、とうとうお呼びがかからなくなった。ほっとしている。
何が面白いのか未だにさっぱりわからない。
みんなでワイワイやるところがいいとも言われるが、ともに飲み食いするのは多くても3~4人までぐらいがちょうどいい案配であると思っている者にとってはただの苦痛のひとときである。
多人数になると必ず場を仕切りたがる奴が出てくる。
鍋奉行ならぬBBQ奉行然と振る舞い、あれこれ余計なお世話な指示を与えたがる。どうでもいいような蘊蓄とともに。
あれはいつのBBQだったか、あんまり暑いんで紙コップに赤ワインに注ぎ、自分の手のひらでクラッシュさせた氷片を放り込み飲もうとしたら、お奉行様が「たとえ安物でもワインに氷はルール違反やな」とぬかしやがった。
半分笑いながらの言なので、冗談半分とはわかっていたが、こいつのそれまでの仕切りたがりの出しゃばりな態度に相当頭に来ていたから、「うるさい黙れ。放っとけボケ」と紙コップごと、そのしたり顔にぶつけてやった。
「なにするねん!」と顔半分に赤ワインを滴らせた奉行はいきり立つ。「じゃかましんじゃ、さっきからおのれは。男のくせにごちゃごちゃと」とこっちも酒の勢いを大いに借りて立ち上がる。
「まあまあまあまあまあまあ」の声が×30回ほど周囲の人から起こり、その場の一番の年長者が間に割って入り、なんとか収まった次第であるが。
最近、一人BBQというのも流行っているらしい。道具や食材一切自分一人で差配し、行きたいところに行って、誰に気兼ねすることなく、小姑めいた横やりをあれこれ入れられることなく、生焼けであろうが焦げかけであろうが好きな時に肉を食らい、好きな酒を好きなだけ飲んで。
お笑い芸人のヒロシがこれに凝っているらしく、BBQの場所などだいたい同じような場所にあるから、そんな一人BBQファンの何人かといつしかお馴染みとなり、ひとときの交歓を楽しむというらしい。
それならそういう人たちばかりが最初から集まればいいではないか、と思った人は一人BBQのなんたるかを理解できていない。
この一人BBQ、たしかに一人気ままで楽しいだろうが、野外でやることには変わりない。
暑さと虫がうっとうしく、横着で無精な私はやはり冷房が効いた部屋で、当たり前だが、炭おこしなんか不要なホットプレートで、あらかじめ食べやすいサイズに切られた肉や野菜を用意して、ほん近くに冷蔵庫があり、すぐに冷え冷えのビールを出せるポジションで阪神の試合でも見ながら飲み食いできる、つまりは「一人おうちBBQ」が一番重畳なのである。

夜遊び封印

今朝早く、大阪に住む老父が心臓関係の発作を起こしたと妻より電話があった。
90近い年齢の父は2000年頃、心臓のバイパス手術を受けた。
その後、長き小康を得ていたが此度の発作である。
原因は処方されているニトログリセリン関連の薬を多めに誤飲したとのことであった。
原因が分かり、そしてそのことだけが発作の理由であり、今は家にて養生していると、父の近所に住む妹より連絡が私の携帯に入った。
胸を撫で下ろしはしたが、いよいよ来る時が来ていると思った。
今後予断は許されない。これは肚を括らなければいけない。
母は痴呆も同然の身。
我が家にとっての有事に常に備えなければならない。
古くからの友人とたまに飲む機会は大事にしたいが、それ以外は勝手な言い草だが慎む。そう決めた。
実を言えば父に対しては確執がなきにしもあらずである。これが因でその血を分けた弟妹の仲もしっくり来なかった。
そうした愛想こもごもの思いが交差するが、やはり血脈がそれを凌駕する。
凡庸で浪花節的な「世にたった一人の親」という概念が、かく屁理屈めいたものを吹き飛ばす。
父のとりあえずの無事を告げた妹の声が父のそれに代わった。
「わしのことはええから、お母ちゃんがおまえの名前を繰り返して会いたがっている。会ってやってくれ」といった。
しわがれた声だった。
「火曜日にいくわ」とぶっきらぼうに応じた声が震えた。
鳥の声がした。一羽の燕が巣作りに懸命に行き交いしている。
60を前に初めて慟哭を知った。
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