寒い日はひたすら本を読むに限る。

晴れ時々曇り。時折朔風強く吹きつのる。今週末には今冬最厳の寒気襲来とのこと。
3連休にかぶり、ウインタースポーツ愛好者や彼ら彼女らにお金をうんと落としてもらわんと願う関係あきんどのほくそ笑みが目に浮かぶ。
この大寒気、スキーやスノボ、スケートなんぞに爪の先ほどの興味もない私にとっては迷惑千万のみ。
しかし寒暖の移り変わりのリズムがサン、カン、シ、オン、サン、カン、シ、オンと刻み始めているようで、わずかずつであるが春に近づいているの確実。
IMG_20170206_141235寒い日は家に閉じこもってひたすら読書を決め込む。日光を出来るだけ浴びた方が体にいいのはわかっているが、それは冬にしては比較的暖かい日に限ったこと。「寒い」に「クソ」がつく日にノコノコ出かけて風邪など伝染されなどしたら堪ったものではない。

…結局かれはどういう結論にいたったかというと、アメリカ人は一様化、単一化をまぬがれねばならぬということです。アメリカ人には一様化する傾向がある。アメリカ人にはそういう一様化の情熱がある(-引用者略-)たしかに非常に狂気じみた激しい高揚にむかって、自分たちを一様化してゆくことは、おおいにありうることでしょう。しかし、こうした一様化の情熱こそがアメリカ人を毒する、そしてそれこそが―diversityという言葉をエリソンはもちいますが、このdiversity、多様性ということこそ大切なのだ、われわれがまもってゆくべきことなのだ、人間に様ざまな要素を保持させることだ。そうすれば独裁国家など生まれはしないだろう。アメリカ人が、今後生き延びてゆくためには、アメリカ人が持っている多様性、それぞれの人間が持っている白人の多様性、黒人の多様性というものを生かしてながら生きていくことなんじゃないか、それこそがアメリカの希望だというふうに…
ラルフ・エリソンというアメリカの黒人作家が世に問うた長編「見えない人間」で、アメリカの将来をこのように結論づけた、と大江健三郎が半世紀前の自分の講演を一冊にまとめた『核時代の想像力』の中で紹介している。
野蛮な反知性主義の最悪のサンプルであるドナルド・トランプが引き起こした今のアメリカの惨憺たる状況を予見し警鐘を鳴らしているかのようである。
トランプの一連のイスラム圏各国を軸とした移民・難民入国制限策を支持するアメリカ人は国の半分を占める。おそらくエリソンがいうところの「白人」たちがほとんどなのだろう。
新大統領が一つ覚えのように「アメリカファースト」と叫ぶが、本音は「White People of USA First」であることが丸見えである。
なんてことを偉そうに言えるかな私も含めた日本国の人は、と自問自答しているとうつむかざるを得ない。

朝めしの流れで学校の給食思い出す。

昨日は立春にふさわしい、終日よく晴れておだやかな一日だったが、今日は一転、早朝から冷たい雨がしょぼ降る。
IMG_20170205_102037朝食はニッポンの朝食らしい朝食といえばそうなるか。ご飯、明太子、味噌汁、塩鮭の焼いたの、揚げ出し豆腐、玉子焼き(形が崩れておるが笑)、高菜漬。
めったにパン食はしない。私の場合、どうもパンと相性が悪いらしく、どんな種類のパンであってもだいたい胸焼けを起こす。昔、小学校で食べさせられたコッペパンのトラウマを未だ引きずっているのかも知れない。
とにもかくにもあれは不味かった。固くて味気がなくてどうしても好きになれなかった。そこへもって脱脂粉乳に鯨のカツが毎日のように続く。それらを残さず食べることを強制されたのだ。完食しないと昼休みはなし。泣きながら食べた記憶が今もある。あの頃のボクのなんといういじらしさ!いたいけさ!…
好き嫌いをなくす教育の一環だったかもしれないがあれでは逆効果だ。学校教育というもの昔も今もどこか間が抜けてスカタンな部分がある。
世の中のオッサンオバハンにはあの昔の学校給食を懐かしがるだけでなく食べたがるという物好きな奇特な人が結構いて、昭和の学校給食メニューばかりを出すレストランが存在し商売として成立していると仄聞するからたいしたものだが、私は絶対食指を動かさんからな。
ただし「日本の学校給食は第二次大戦直後アメリカで大量に余った家畜飼料用小麦を当時占領統治していた日本の学校給食に導入したのが始まり。小麦を通じて日本人にパン食の習慣を定着させ、将来的に日本をアメリカの小麦の大量輸出先に仕立てるという深謀遠慮があった。つまりは俺らは牛や豚の餌を食わされてたんや、ケッ!」云々としたり顔で賢しらに言って、学校給食を全否定したがる人もいるが、自分が仮にも口にしたものを動物の餌に過ぎなかったとヒネクレて卑下して貶したくはないのも事実。
ただ一つだけ、これは美味いなあと思ったのが当時は何の魚か知らなかったが、白身ということだけわかっていた魚のフライ。ほどよく塩気が利いて魚肉特有の縦方向に走る繊維の食感もよく、成人してもあのフライはビールに合うなあと時々思い出したものだ。
ある時思い出しついでに調べたら、どうもメルルーサーのようであった。これなら今も冷凍フライ物でよく売られている安価な魚で、なあんだそうだったのか、と変な落胆に似たものを感じた。
そうなんだ俺はご幼少のみぎりから安いものを食ってウメーウメーと喜んでいるプアな舌しか持ってなかったんだ。いいんだいいんだ俺なんか。

ご主人様には忠犬ハチ公な司法権力

一昨日からわりと温暖な晴天日和が続く。
トランプ新大統領の中東・アフリカの7カ国からの難民も含めた国民のアメリカへの入国禁止大統領令をワシントン州連邦地裁は無効とした。このあたりはさすがに腐っても「自由と民主主義の国」アメリカである。三権分立がきっちり機能している。
外国と自分の国を比べて貶めるのはあまり好むところではないが、日本の司法権力はほぼ国家体制へすり寄っている。
沖縄米軍基地の是非についてあえてふれないが、昨年12月の辺野古裁判上告退けなんぞはどう「見ても完全に沖縄県民の意向を無視している。
最高裁長官とて特別職ながら国家公務員である。棒給月額は推定であるが550万。総理大臣とほぼ同額の「お給料」である。手下どもの最高裁判事たちも200万はもらっているだろう。
彼らの上司は「国」である。ヘタに上司にさからってこんなオイシイ仕事を失う気などさらさらないわけだ。日本列島から遥かに南に離れた島の民草の日常のことなんぞ知ったこっちゃないのだろう。
「法の番人」が笑わせる。まったく「権力の番犬」である。月々500万の餌欲しさに尻尾ふりふり愛嬌をふりまいている。
IMG_20170204_153731さて俺もそろそろ餌を食おかいな、と冷凍カレーコロッケ、クリームコロッケを揚げて、レトルトの「咖喱屋カレー」シリーズのハヤシをかけた。可もなく不可もない味。コロッケとあわせて総額200円にも充たない餌である。



恵方巻丸かぶり。

晴れ。寒さ一段落。こうした寒暖の繰り返しが車輪となって、北風が空に描いた冬のみちに柔らかで遠慮がちな轍を刻みながら、私たちを春の方へ誘ってくれる。
やがて風の中に潮の匂いがしだしたら、このあたりでは春の方角へ進路を定めたという証。
今日は節分。例年のごとく義兄の店より恵方巻をいただく。穴子、車海老、玉子、干瓢、椎茸、三つ葉、高野豆腐といった面々が絶妙のバランスで手を組んだ酢と飯に巻き込まれている。ありがたいことである。image
恵方は今年も北北西。そちらを向いて「丸かぶり」する。家内安全無病息災商売繁盛大願成就棚から牡丹餅濡れ手に粟背中(せな)に床の間前には会席酒馳走左右に女懐に金…ありったけのいろんなことを願いながら寿司を食べていく。
もともと大阪は船場商人のならわしだったらしいが、柊を飾り鰯を焼くという風習はずいぶん昔から聞いたことがあるが(戦前船場の大家に奉公していたという、20年前に亡くなった祖母が言っていた)、この恵方巻に関してはその記憶が実はまったくないのである。ここ30年のうちに降って湧いたような「伝統的な習慣」なのである。おかしな話もあるもんだ。

風邪対策。

晴れ。寒さやや緩む。
昨日の夕方にきつねきしめんを食べたきりだから、早朝から飢餓状態。で、朝食は家牛丼をがっつり食らった。丼鉢にして2杯も食うたっimageた。
とにかくこの時期は出来る限り動物性蛋白質と脂肪分を摂取しないとスタミナ切れとなり風邪を引きやすくなる。
朝飯の後はバナナを食べ、果汁100%リンゴジュースを飲み、ビタミンC方面の補給も怠りなかった。ビタミンC不足も風邪を呼び込む。
幸い今冬も今のところ風邪気にほとんど縁がない。毎年めったに風邪はひかない。アホは風邪ひかんとはよく言ったもの。
もっとも日頃から家に帰れば即、昔ながらのイソジンを水を満たしたコップにたらし、強弱とリズムパターンを付けてのうがい。その徹底ぶりは家人をして「にぎやかやなあ」と呆れさせている。もちろん手洗いも薬用石鹸で肘のあたりまで擦り洗うことを心がけている。
よしんば喉が痛くなり、鼻水がやたら出る、体の節々が痛ダルい、体の中からうすら寒気がする、といった症状が出始めたら黄信号、すぐに市販の風邪薬を嚥む。風邪のごく初期症状はたいてい市販薬で治る。ユンケルなどの風邪向きの栄養ドリンクもOK。
ここから先をこじらせると医師が打つ注射、処方する薬でないとまず根治しない。保険が利いても診察料を含め市販の薬代より高くつくのは言うまでもない。
一昨日は酒席で煙草に手を出してしまった。だからといって「ああ、今回もあかんかった」で禁煙をやめるのではなく、一昨日は一昨日と割り切り、とにかく決めたことは続行することが大切と昨日今日とニコレット噛み噛み1本の煙草も喫わずにいる。
夕方家を出る。日に日に昼の時間が長くなっていく。日没は17時29分。12月2日より40分も長くなった。明後日は立春。ニユースでは大阪城公園の一部の梅花の蕾もはじけ開花しだしたと報じている。今月を乗り切ったら後は早い。

二日酔いが残した気だるさの中で。

今日より2月。一日晴れていたが冷え込みのきついこと。
昨夕、友人の女性と三宮にて一席を共にして飲みかつ食らい、そして歌った。
どちらも酒には強い方でたがいに一斗酒も辞さずのいきおいで杯を重ねる。
この女性とは好き勝手言いたい放題言える仲で、時には罵りあいもやる。彼女は空手に覚えがあるので、罵りあいがある程度に達したら私が矛を収めるのようにしている。まだまだ死にたくはない。
別れ際に「最近、あんた疲れてへんか。元気がないで」と言う。まあたしかに強いといってもかつての酒量に届くことは滅多にないし、最近家呑みでもそうだが、酒が進むと体がだるくなる時間が早くなるようになった。
やはり年には勝てない。それを指摘されたのかもしれない。
まだ二日酔いによる倦怠感が沈積している。食欲もさほどなく、夕食はあっさりときつねきしめん。image
きしめんやうどんとというもの静謐な食べ物だ。一夜の宴の喧騒の名残りをひとすすりごとに静かに消し去ってくれる。

トランプ大統領のサインペンが気になって。

矢継ぎ早に、先手必勝とばかりに無理筋無茶筋もいい大統領令に署名、発令しているトランプ新大統領。
彼の知性品性人格のほどはとりあえず脇において、まさにやり手のビジネスマンからいきなり政治家的には世界最高の地位といっていい席についたというイメージにあふれている。
熟慮もいいが、やはり即断即決がビジネスシーンで大きなアドバンテージとなることを知りすぎた男のやり方である。
あまりにもえげつないという向きもあるが、いや、あるがではなく世界じゅうからそう見られているのだが、リーダーにとって大切なのは「やるか」「やらないか」「イエス」か「ノー」かのどちらかなのだ。
上に立つ者があれこれ逡巡していてはついて行きたい人間も頼りなささに態度を留保したくなる。
そういう意味では、彼を支持する側からみればまことに頼もしいリーダー像を見事に自己演出している。
それはともかく彼が大統領令文書にサインするたびに映し出される、記名に使うペンが気になって仕方なかった。netインクフローがよく、さほどの筆圧もかけずともすらすらと快適に書けそうなあの黒いペン。あれいいなあ、と変なところに目が行ってしまう。
ペンのボディがなんとなくクロス社製ぽいと思って、調べてみたらやはりそうで、ペン先はボールペンではなくポーラス芯のリフィルを使用しているようだ。
日本で言うなら文字通り「サインペン」という商品名で売られている、ぺんてるのあの製品と同じタイプの水性のものである。
ぺんてるのは100円くらいで売られているが、大統領のそれはボディが1~2万、リフィルは1000円弱。やはり高い。当たり前か。(ぺんてるのサインペンの名誉のためにいっておくが、こんな安価でこんな素晴らしい書き味の筆記具はめったにない。日本が世界に誇るペンのひとつだ)
しかし、大統領に近いのなら私も持っている。このプラチナ製の「ソフトペン」。IMG_20170131_095216同社の万年筆用インクカートリッジと、フェルトのペン先(これも補充品が売られている)をセットすれば、筆ペンよりも細くそれでいて紙を滑る様はまさに筆のような軽やかさである。
先ほど宅配便が来たので、さっそくこれで伝票にサインして、セコくてしょぼい束の間の大統領気分を味わったものであった。

大江健三郎「水死」を読む。

雨の朝は比較的温暖だったが、昼前から晴れ間が冷たい風を伴いながら広がるほど寒さがぶり返してきた。
大江健三郎の「水死」を読み続ける。去年読んだ「晩年様式集」のプレリュード的な作品。
初期から中期にかけてのこの作家特有の難渋極まりない、悪文と紙一重の輻輳する文体はすっかり影をひそめ、平易な文章で綴られる「超私小説」としか言いようのない作品世界に引き込まれる。image
文章はわかりやすいが、文脈のつながりや小説中の小説、いわばミザナビーム的な叙述はそこは大江ワールド、しっかり読み込まないと置いて行かれてさっぱり訳がわからなくなる。
この作家の政治的スタンスにいろいろ毀誉褒貶があるところだが、それと作品とは別。彼とはある意味ライバル的存在であった三島由紀夫の作品に接する時の態度と同じである。
三島に関して大江はエッセーの中でこう書いている。

三島由紀夫の文体は見事だ、というのが定説ですがたそれはエラボレートという、泥くさく人間的な努力の過程をつうじてなしとげられた、「美しい文章」ではないのです。三島さんはマニエリスム的な操作で、頭のなかでこしらえたものをそこに書くだけです。書いたものが起き上がり対立してくるのを、あらためて作りなおして、その過程で自分も変えられつつ、思ってもみなかった達成に行く、というのではありません。三島さんのレトリック、美文は、いわば死体に化粧する、アメリカの葬儀社のやっているたぐいの作業の成果です。若い作家でそれを真似ている人たちがいますから、ここでそう批判しておきたいと思います。(「言い難き嘆きもて」より


あんたにだけは言われたくないよ、と泉下で三島が苦笑しているに違いない。
余談だが、大江の後期作品にはやたらヨコモジの語彙が出てくる。そこがちょっと鼻につく、私にとっては瑕疵に思えてしまう。いちいち辞書にあたらなくなくてはいけない。読み進めるのに一手間いる作家だ。

豚の生姜焼きを頬張りながら。

晴れていたのは早朝だけ。午後になるにつれて曇り空広がる。
朝食は豚のしょうが焼きだった。私の好物のひとつである。
豚バラ肉の脂身びろびろのところから、肉本体にこすりこまれた生姜が甘辛い醤油だれに混じった汁が垂れているのを見ているだけで、ご飯がご飯がススム君と一昔前のCMソングが自然に口をついて出るじゃないか。IMG_20170129_102105
今日は日曜でテレビは「ワイドナショー」を映していた。
好物のおかずとご飯を口の中で咀嚼しながら、何にも考えずこの手の「ながら観流し番組」をぼけ~と視るのも楽しい。
松ちゃんが此度の横綱稀勢の里誕生について「ちょっと甘い昇進やなあ」みたいなことを言って一丁噛みしていたので、私も「んだんだ。ハゲドーハゲドー」と豚肉を一噛みする。
たしかにDT松本氏の言うとおりで、横綱昇進の条件は「「最低でも『大関で2場所連続優勝に準ずる成績』」]であるというから、稀勢の里の場合は昨年年間最多勝を挙げたものの、大関としてというより幕内力士になってから一度も優勝していないのであるから、「~連続優勝に準ずる成績」の「準ずる」をものすごく拡大解釈した、大甘も大甘な条件緩和、しかし横綱が19年間ずっとモンゴル人をはじめとした外人に占められていindexるのも興行面からもあんまりよくない、なんとかせんとなあという含みが相撲協会にあったからいう意見がもっぱらであった。
この話柄において、同じ無優勝で横綱となった双羽黒の名前が挙がった。80年代末期にとんでもな事件を起こしたお騒がせな四股名として懐かしく思い出した。
たしか、ワガママ放題の横綱で遊びほうけて稽古はろくすっぽしない、それを注意した親方に手を出してなんだかんだで「相撲や~めた」とさっさと勝手に引退、北尾光司という本名に戻りプロレスに転向したまでは覚えているが、それからの消息はどうなったのか、ちょっと今ネットで調べてみたら、手を出したの相手は親方の奥さん(余計にあかんがな)で、プロレスラー、格闘家はとっくにやめており、今はナイフ評論家(なんじゃそりゃ)として活躍するかたわら、相撲アドバイザーとして相撲協会非公認ながら立浪部屋で健在らしい。まあ、元気でなにより。
気象庁のサイトで兵庫県の雨雲の動きを見たら、北部はともかく南部は今夜は降ってもさほどでないか、もしくはまったく降らないかといったところ。

ひたすらニコレットを噛みながら、ひたすら煙草を喫煙者をバカにするのだ。

昨日の午前0時から今日、これを書いている今まで煙草を喫わず。昨日は喫いたくてたまらん衝動が5度ほど出来した。
どうしても喫いたくてたまらず七転八倒しかねない(大仰だが)状況に陥った時にニコレットを噛んだ。
この「薬品」の説明書には服用は1日4個までとなっている。少々の喫煙衝動が湧いている度に口に入れるわけにはいかない。
IMG_46911個を口に入れる。ニコチン特有のピリッとした味というのか刺激というのか、とにかくあまり気持ちのいいものでない感覚が特に舌の左右縁部分に広まる。
それを口腔内全体に広めるために、まだまだ原型をなしているガムを歯を擂粉木のように使い、ガムをのばすように口腔内と舌上全体に広げてゆっくりした咀嚼をくりかえす。
この過程が実に不快で、ガムにはおそらくミント系の香料らしきものがわずかに添加されているとは思うのだが、ニコチン成分がそれを凌駕しておりなんらの香料の効果が出てこず、ひたすらニコチンの味のイヤったらしい味を左右奥歯前歯の歯をフルに使い噛み、その段階ですでにただのニコチンの塊と化した粘着物を口腔内にまんべんなくこすりつけていく行程は、ニコチンは私にとってごっついイヤな奴であるということを大脳に刷り込むことだと私は勝手に信じているのだが、あながちハズレてはいないだろう。
この作業を1時間前後続ける。口全体と顎の周囲が懈くなってくる。唾液の中にもとから存在している糖分が、ニコチンの嫌味をますます引き立てて、時折嘔吐感が突き上げる。
服用個数が増えていくにつれて嘔吐感のスパンは短くなっていく。特に食後にこの吐き気はきつい。胃がむかむかしてくる。先ほど食べたもの一切ががクネクネと食道を上がってくるのがわかる。トイレに駆け込む。だから食後にニコレットを噛むのは家の中だけと決めている。
つまりこれは煙草をいちどきに3本も4本も立て続けにスパスパやったとやった時の不快さに酷似している。
この不愉快さにおいて、私なりの煙草に対するメンタルトレーニングというのかイメージ付け作業を繰り返す。
それは徹底的に煙草を悪(にく)むことである。以下のことを念じのリフレインする。
・煙草など体にとって何の益にもなるか!
・寝起きや仕事や食後、あるいは飲酒時における一服スパ~っの快感はごまかしの 爽快感じゃ!頭がすっきするのは刹那であって、その証拠にすぐに脳に膜が張られた状態になるやないか!
・2箱の煙草代で文庫本や新書が買えるぞ!名店といわれる店でたいていのラーメンが食えるやないか!
・煙草のけむりそのものはもちろん臭いが、いかにもついそこで煙草喫ってきましたってな匂いを体中から発散させている奴の無神経さにムカついていたが、それを自分も一昨日までやっていたのだ、恥を知れ恥を!
とかなんとか、そんなこんなで煙草や喫煙者を心で罵倒しながら、ひたすらくっちゃくっちゃくっちゃくっちゃくっちゃやっておるのだ。
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中津川秀明/神戸在住のアラ還オヤジ
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