いよいよ春到来!と思わしめる陽気。3月に入っているもの、もうもうそろそろこうなってくれなければ。
現在使っているパソコンの内蔵ディスクに保存しているデータを外付けのHDにバックアップを取る作業にこの数日没頭している。なかなか進捗しない。IMG_20170304_152446
子供の頃から「集中力に欠けるきらいがあり」、なぜ「」で括ったといえば、小学校の通知表に学年更新の度に担任の先生方にまるで申送り事項のようにこう書かれていたからで、この悪性はいまだ治らず、データの写真や文章、WEBページの魚拓めいたものを見てはそこで作業を中断し、該データを作成した頃の回想に耽る、というより、なんでこんなものを残していたのか、をすっかり忘れてその理由を思い出そうしても思い出せない。
データを保存した時、おそらくこれは忘れずにと考えたのであろうが、結局保存の理由すら忘れてしまっている。
人間憶えておかねばならぬことなど実はそんなに多くなく、本当に憶えていなければならないことは本能的に自分の脳がちゃんと記憶してくれている。
パソコンに保存しておかねば、あるいは手帳か日記のようなものに書いておかねばと思うことほど、たいして重要ではないことがわかる。
いい風景に出会えた時、今は携帯電話にカメラがついている時代、景色を肉眼で見渡す前にまずカメラを取り出してしまう。
自分の眼と脳をもっと信用した方がいい。「目に灼きつける」というありふれた慣用句があるが、ありふれたものながら、永遠普遍の真理である。
脳こそ最高のハードディスクで容量は無限大だ。ただ脳内のトラックに並べられたセクタに納められた記憶を取り出すサーチの速さ、シークの確かさに個人差があるだけのことで、そしてそれは経年劣化するけれどテラバイト以上のものを脳はちゃんと憶えてくれている。
ただ恣意的にそれを取り出せないのが難点なのだ。だから困るのだけど、繰り返すようだが恣意的に取り出せる記憶はそれほど重要なことではない。ちょっとしたきっかけでいきなり思い出してしまうことが個々が本能的に脳に刷り込んでおきたいことだったわけだ、とそれに近いことをボードレールは「悪の華」の香水瓶という詩ですでに表現している。引用は避ける。また作業が横道にそれるからだ。

晴れ。寒気が戻ったというが、かつての厳しさはどこにもない。時たま冷たい風が吹くが、日差しが冷気を抑え、そよ風かと思い紛う。
gahag-0052559732今日はひな祭り。初孫が女の子であれば妻方の親が、婿の親へ見栄を張り雛壇を買い調える。
平安貴族の子供の遊びごとが变化して今に伝わったという雅な行事は、いつしか旦那嫁両家の見栄の張り合いの泥仕合の場となり、その様相は部外者にすれば傍で意地悪き視線で視線で高見の見物としゃれ込むのが一番おもしろい。
次は男の子の端午の節句五月人形の出番だ。旦那の実家の親たちが雛人形に負けないものをと財布を大きく開けるのを待っている、東京浅草橋や大阪松屋町あたりから舌なめずりと算盤の音が聴こえくる。
年を取るとは厭なものだ。女の子の成長と幸せを願う桃の節句をこんな風に斜交いに視てしまう。
かつて自分も妻とともに娘の行くすえ幸い多かれと喜々として、ささやかだが雛人形をかざり、ちらし寿司と蛤の吸物で祝ったはずなのに。
「お内裏ちゃまとお雛ちゃま~♪」と、幼稚園で習ってきたという歌をおぼつかなく唄い、親馬鹿の目を細めさせた娘もこの月26になる。今さら女の子でもないが。
食い意地が張っている口卑しき私はひな祭りといえば蛤しか思いつかない。
蛤は今が旬だ。これから産卵期を迎え身がぷっくらと肥えている。しかし今では高価過ぎておいそれと手が出せない。スーパーの中国産ですら小粒のそれが5、6個ワンパック500円近くする。とてもじゃないがおそれ多くて吸物の具扱いにできる代物ではない。
大阪からこちらに移り住んだ頃、明石の魚の棚商店街まで自転車で行き、たしか千葉産と書かれた大きい蛤が一ざるに10個ほど入ったのを600円ほどで買ってきた。今思えば超破格値である。
妻の実家の前は浜辺になっており、そこで春の宵のBBQとしゃれこんだのだが、さっそく蛤も網の上に乗せられた。暮れゆく浜辺の向こうに淡路島が春霞に浮き、潮香りが風にまじるなか、殻を開けた蛤に垂らした醤油の匂いが漂う。
焼きたての、舌がやけどしそうなのを口の中でなだめながら、貝のむっちりと弾力がある肉を咀嚼すればほとばしる旨味の熱汁。それはなんともまあ香ばしく、そして野趣の中の洗練、という他はない味で、一升瓶から手酌のコップでやる酒がどんどん進んだ。
いつのまにか月の光は波と浜を煌々と照らし、酔いもまわってまさに桃源郷。その代償は次の日の地獄の二日酔いであった。

(記事中画像はイメージ。このサイトの版権フリーのものを使用)

晴れ。朝晩の寒さがやや緩和されている。
秋と春は夕暮れの色が濃い。昨日より太った月が手を伸ばし夜の帳を下ろそうとしているその横で金星が早くも煌めきだしている。
煌めく星もあれば、墜つる巨星もある。
日本の音楽シーンに多大な影響を与えたかまやつひろしという巨星。
いわずとしれた元スパイダースの音楽リーダー的な存在で、60年代後半のGS黄金期を牽引した。
他のGSほとんど、タイガースやテンプターズを筆頭に音楽性そのものよりアイドル性が重視されていたのだが、スパイダースは違い、いち早くおもに英国ロックのエッセンスを核にレベルの高い楽曲をものしていた。その要石みたいな人だったのだ。
スパイダースの楽曲を聞いていると例えば「あの時君は若かった」の間奏部分でトレモロ奏法のギターが入ってくるが「あ、これはビートルズの『バック・イン・ザ・USSR』にインスパイアされたな」とニヤリとし、「ノー・ノー・ボーイ」の出だしのメロディなんかは同じくビートルズの「『チケット・トゥ・ライド』のサビメロやんか」とこれまた苦笑いしたくなる。「サマー・ガール」なんて、まあこれはアメリカのバンドだけどビーチボーイズのハロディだ、と洋楽好きにはたまらない「遊び」を入れてくれたものだ。
かまやつ作曲のオリジナル「バン・バン・バン」のリズムとギターリフなんか当時の日本では先進的過ぎてセンス抜群だなと。当時のロック小僧予備軍の小学生が生意気にもほざいていたものである。
ちなみにユーミンの才能をいち早く見いだしたのもこの人。天才は天才を知る。
あのロン毛にニット帽、年をとってもスレンディな体つきはブーツとデニムがむちゃくちゃ似合っているかっこいいおじいちゃんそのもので、どうせ年取るならあんなかっこいいじいちゃんになりたいと思っている。
この人のこの歌が好きだ。あんまり流行らなかったけど。合掌。

曇りがちで日光が少ない分、寒さが募る。金曜日にプチ寒波がやってくるらしい。
暑さ寒さも彼岸まで。あと3週間ほどの辛抱だ。
1月は行く、2月は逃げる、3月は去るとはよくいったもので、この間正月だったと思ったら、もう弥生朔日。早いものだ。経年のたびに月日経ちの速度が早くなっていくような気がする。
サッカーJリーグはすでに開幕、プロ野球はこの7日よりWBC、大相撲春場所は新番付配布も終わり12日に初日を迎える。
日本人が好きなスポーツイベントの開催が目白押しで、否が応でも春はもうそこまでと感じる。
サッカーにしろ野球にしろ、はたまた五輪パラリンピックにしろ、日本チームや選手が活躍すれば観衆は日の丸の小旗打ち振り応援、めでたく勝利を収め、君が代の荘厳な調べの中、ゆっくりと日章旗がポールを昇っていく姿をテレビ越しに見ているうちに勝利の歓喜の中に一種の厳粛さを覚える。
愛国心などこの程度で充分である。自然発生的な感情の発露のそれ以上それ以下ではない。バカボンのオヤジではないが、それでいいのだ。
「いや、私、日の丸嫌いです。あんなの国旗と認めません。君が代?天皇制賛歌にしか過ぎないじゃないか。国歌として歌うのは断固拒否したい」と思う人もそれはそれでいのだ。そういうことを主張する人の思想と、表現の自由、人権を護れることに自由主義社会の面目がある。
国を愛する自由があれば、その反対の自由も存在する。愛国心とは権利や義務ではなくあくまで個人の裁量でどうにでも扱っていいことなのだ。言い換えればその程度のことである。
それを昨今、国はどうしても義務化しようとしたいらしい。「公共の福祉」の「公」を「国」にすり替えようと懸命である。「公」とは「様々な考え持った人たちの価値観を互いに認め合い、多様化を是とする社会全体のこと」と私はそう解釈している。「公」とはけっして国家ではない。誰が「国」なんかのために命を賭けたがる。バカバカしい。
太平洋戦争中に出征しあえなく戦死した人たちも、「自分たちが戦いに行かなければ愛する妻や子供がやられる」とまず念頭にあったに違いない。
特攻で散華した人も敵艦にぶつかる瞬間まぶたに浮かべたのは、天皇か日本国家全体か?違うはず。もっと卑近な存在である肉親や友人たちであり、自分が生まれ育った故郷だ。
最近、年端もいかない幼い子に、教育の名において愛国心を刷り込むのが学是らしき学校法人が話題になっている。
総理大臣が、この教育基本法の見地においてクエッションマークが付きまくりの法人の校舎建設土地習得絡みで暗黙の便宜を図っていたのではないか、との疑惑が持ち上がっている。
騒動出来スワ!とばかりにその学校の名誉校長であった総理大臣の妻の名が消された。4228
総理大臣自身もこの学校法人に共感する旨のことを公言した憚らずだったのが、どこか言葉を濁し始めている。この学校の学是なら、総理自ら日頃から抱き口にもする愛国の精神にフィットしているではないか。
政治家というもの逃げ足が早くないと務まらない。しょせん愛国愛国と声高にのたまう人の愛国心などこんなものだ。
それをひたすら叫び押し付けたがる連中こそ、いざ有事発生となったら真っ先に逃げていくことだけはまず間違いない。

ここのところ、晴れて昼間は暖かいが夜になると急に寒くなる日が続く。
Linux導入計画を検討し始める。
ネットを見るとLinuxにもいろいろ種類があって、これらをディストリビューションというらしい。
ビギナー向けから本格的なシステムエンジニア向けプログラマ向けのものまで多種多様。
Windows環境で作成したファイルが多く、また周辺機器のドライバも当たり前だがWindowsのドライバである。
これらはなるべく今のままで置いておきたいし、ハードディスクに下手にLinuxをインストして失敗、結局Windowsも周辺機器もすべてパーになる(もちろんデータ類は事前にバックアップを取っておくし、リカバリCDで出荷時状態に戻せばいいのだが時間がかかる)という最悪の事態になりかねない。
外付けのメディア、CDやDVD、USBなどから起動する方法はないかと思ったら、そんな虫のいいことを考えるのは誰しも同じで「ubuntu」というディストリビューションがそれにあたり、USBへのインストーラーまで用意されて、ビギナーにも敷居が低そうで人気もある。よし、これでいこうか、と決める。
しかし、念の為に今動かしているデスクトップPCを避けて、古いノートパソコンで試そうとまずは押入れを探したら、あんれまあどこかに行ったようで、よくよく思い出したら8~9年前に娘にやったことを思い出す。
娘も今ではそれを使わず、これまたどこかにしまいこんでいるらしく、暇な時でいいから出しておいてくれと頼む。
たしか富士通のFMV”LIFE BOOK"で、むろんOSはXP。CPUやメモリ容量なども覚えてないがもはやレガシーなノートで、それでもUSBポートさえあれば「ubuntu」は使えるようだ。
Linuxの基本でもマスターしようと教科書かガイドブックを探しに夕方、海の見える本屋へ行くが見当たらない。3月の1ヶ月をかけての導入プランであるから、あせることはないのだが、わざわざ三宮にあるこの本屋の神戸における旗艦店まで行くのも面倒くさいので、隣町にある筒井康隆のサイン本で有名な書店(作家の神戸の本宅がこの近所にあって、以前は本人を何度か隣町の駅前を歩いているのを見たことがある)へ行ったら、店舗の半分がなくなっていた。
街の本屋がどんどん潰れていくという時代、この書店もその波に覆われたのか。なにせ紙の本や雑誌が売れなくなって久しい。淋しい話ではあるが。
IMG_0969スペースが半分になった店にそんな売れそうにもない専門書があるとは思えないから、店に入らずして帰りの電車の人となった。加速度的に昼がながくなっていく。午後5時半過ぎでようやく暮れなずむ街の光と影の中でレールが橙色に光っている。

朝晩は放射冷却現象でやたら冷え込むが、昼間はぽかぽか、いや、ぽか一つくらいの暖かさ。日差し自体は完全に春のもの。
今日はツキイチの散髪日。ここ数年ずっとサイドとバックを短く刈り上げトップまわりに髪を残す、いわゆるソフトモヒカンスタイル。
10年前に丸坊主にしたのがきっかけで、ちょっとでも後ろ首や耳たぶに伸びた毛が触れたら鬱陶しくてたまらなくなる癖がついてしまった。
その頃の行きつけの散髪屋の大将が「髪の毛短う刈りあげたら癖になりまっせ」と言ったものだが本当だった。
10年の間に何度か、普通のおっさんの髪の普通の長さまで伸ばそうと決意するのだが、前記のラインまで伸びて来たら辛抱たまらん!状態になるのだ。
爾来、丸刈りにしたり角刈りにしたり、ソフトモヒカンにしたり、とにかく短髪スタイルヘッドを繰り返し、今の形に落ち着いている。IMG_0049
せこいことを言うなら、短髪はランニングコスパが抜群にいい。丸坊主、角刈り、ソフモヒなど安トコチェーンの1,000円散髪で充分。もっともオシャレな人はそんな頭でも、それなりの理髪店や美容院でちゃんとハサミで短く刈り込んでもらうらしいが、私には関係ね。
電動バリカンを買ってきて自分でやったこともあるが、丸坊主以外はどうしても上手くいかない。丸坊主にしたところで剛毛に出来ている私の髪はすぐに刃をワヤにしてしまう。バリカンの手入れもあれはあれで結構めんどくさいし。
寝ぐせや強風で髪の乱れとはまったく無縁、夏なんぞは汗かきすぎたと思えば、そのへんのトイレに駆け込んで頭に水かけて、ぶるっぶるっと振って水を切り、歩いているうちに瞬く間に乾く。まったく犬みたいで便利な頭だぜ。
顔の作りはブサイクだが、全体的に濃い顔つきで人相も悪いと来ているから、この頭が変に板についている。
よって外見的にはコワモテ、しかも小太り。これで肩を少し怒らせて歩けば、その筋の人っぽく見えなくもない。
一度だけだが、深夜のコンビニの前でうんこちゃん座りでたむろっている茶髪金髪のオニイチャンたちの中をわざとゆっくりと歩いたら、悪ガキどもは座ったままささっと左右にずれて道を開けてくれた。まるでモーセの海割りてヤツだな、あれは気持ちよかったぜ。でも心の中ではビビりまくっていたぜ。
家に帰ってその話を家人共にして「俺もVシネに出てくるヤーさんみたいやの~出れるかもわかれへんで」と得意になっていたら、「ええ年こいてあほちゃう」の一言で黙らされた。モーセは波に呑まれて奇跡は終わった。

朝のうち晴れていたが、昼過ぎより曇りだす。寒気やわらいだまま。
何を思ったのか自分でもわからないが、バッハの「マタイ受難曲」を全部聴き通そうとして、さきほどからYou Tubeでかけっぱなしにしているのだが、20分経ったところで止めた。
鬱陶しい、ああ鬱陶しい。こんなのじっと聞いていたら気がふれるわ。私の耳はバッハを拒絶する、というよりバッハの方が近寄る私を「しっ、しっ。おまえにわしの音楽がわかってたまるけ!アホンダラ」と追い払っているのだが。
気分を換えて、同じクラシックでも浪速のモーツアルトと異名を取る天才キダ・タロー作曲の「アホの坂田」を聞く。すんなり耳をすっと通り抜けて心に染み入る。名曲だ。とここまで書いてYou Tubeのタブを閉じる  。
 さっき散歩したついでに某巨大書店のわが町の支店に寄り、特設コーナー扱いで山と平積みしてある村上春樹の新刊「騎士団長殺し」を手に取り、さもつまらなそうな表情を作りパラパラimageとめくって、すぐにそこから立ち去った。
この作家の初期の作品は読み込んだクチだが、80年代終わり頃に「ノルウェイの森」のクソつまらなさに自分で勝手に作家にケチをつけて以降は、一部の短編集をのぞいて読み通した作品はない。
ここ10年、ノーベル文学賞絡みで作家の長編新刊が出ることが、NHKの報道番組のいわば看板である「ニュース7」のヘッドラインで取り上げられるくらいとなり、ある意味「国民的作家」と言えるのだが、ここまで来ると書店では買いづらい。文学そのものより話題性、あるいは時代と同時性を保つことがファッションであると考える、やや死語的にいえば”ミーハー”に見られるのが厭だからである。
この作家の「1Q84」が出た頃だから、もう8年も前のことか。ちょうど今頃の季節だったと覚えている。
大阪本町の東芝ビルの1Fにオープンテラス付きのスタバがあり、10くらいのテーブルには1人の客しかおらず、その客は年の頃30代後半と思しき、口髭を生やしたいかにも業界人ですそれもカタカナ仕事ですてな身なりで長い脚を組み、「1Q84」の本をカバーも付けずに読んでいる。テーブルの上のカップの横にさりげに置かれてているのは「スマホ」という言葉がまだ世に出ていない時代のiPhone。
「つまりボクって時代の先端を走ってるわけよね、iPhoneそばにハルキの新刊読んでるわけよねこの寒いのに店の中にいればいいものをこうして寒気に耐えて外にいるのはボクってカッコいいでしょと見せつけたいわけよね。これが東京の代官山あたりならもっと絵になるけどね」ちゅうわけかおまえこら、と私は心で毒づきそいつをひと睨みして通り過ぎたわけだが。
しかし、考えてみたら上記のような髭男の挙措はギャグやコントそのものである。本人はカッコいいと思っているのかも知れないが、傍から見れば相当痛い。おいおいおいおいやめてくれよと見ている方が照れくさくなる。実際わたしは男を睨みつけながら、その痛さの要素が私の中にも存在しているような気がして、男は私の分身であるかもしれないと思ったとたん、とてつもない大きさの含羞にとらわれたのである。
今、スタバがかつて踏み台としたドトールに逆転されようとしているらしいが。今どきスタバでAirMacでお仕事してますノマドですとかハルキ読んでますとかってのは実はすごくかっこ悪いことである。
早川義夫の「かっこ悪いことはかっこいいことだ」的な逆説はそこにはなく、ただひたすらカッコわり~~のである。だからスタバがスタり始めたのである。
それを早くも8年前に見きった私は実はカッコよかったのである。自分を鏡に映していたらカッコいい自分しか見つけられなかったはずで何も含羞を感じることはなかったのである。

さすがに朝晩はまだまだだが、昼間は日差しがあれば春めいていると思うことが多くなった。空気は依然冷たいが手指がかじかむほどでもなし。後4日で弥生3月らしい日和が続く。
水曜の夜の関東煮がまだ残っていたので平らげる。タネのうちすじ肉は赤味噌といっしょに煮込み、どて焼きらしきものを別にしつらえた。
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どちらも熱々なので、ここはお湯割りよりも炭酸と氷とレモン汁でチューハイを友とする。
この朝酌の後、一眠りしてパソコン相手に雑事を片付ける。
我がパソコンのOSはWindowsVistaである。XPと7以降の間に咲いた徒花みたいなOSで、調べてみると日本国内でのシェアはわずか1.6%。3年前にサポートが切れたXPですらいまだ10.1%のユーザーがいるというのに。
このVistaも来る4月11日をもってサポート終了となる。マイクロソフトもVistaをとっくの昔に見捨てているようで、去年の秋以降更新プログラムが配布された記憶がまるでない。自動更新に設定してあるので、こちらが更新忘れということはありえない。
Windowsの最新ver.は10だがマイクロソフトはこの10以降のOS開発はやめるようだ。MacOSⅩのごとく。
いずれにせよ、Vistaをやめてとりあえず7にアップグレードさせるか、今の私のパソコンでは10を動かすのには非力過ぎる。いっそのこと新しいマシンを買うしかないのだが、そんな金は一銭もない。
そこで思いついたというより、以前から一度はトライしたいと考えていたフリーOSであるLinuxの採用である。
00年代生産のPCでも充分稼働するし、セキュリティに関しても世界中の有志たちが、様々なプラグイン、カスタムアプリやソースを作って無料で公開している。
要はネット接続にLinuxを使えればとりあえずOKなのだが、これを導入するのはチト敷居が高い。多少の勉強を要する。初心者御免のOSである。
しかし検討の価値はある。グーグルPC向けに開発したGoogleChromeOSはこのLinuxカーネルを採用している。グーグルの今後の動向を見ているとスマホやタブレットOSであるAndroidをいずれPC向けにも出してくると思うが、今はLinuxを勉強しておいても損ではない。
世界を席巻したWindowsとIntelの黄金コンビの時代は終わりを告げようとしている。いろいろ泣かされることの方が多かったが、世話になったのは確か。ここは愛惜を込めて、ばいばいWindows!

払暁時、強風吹き荒れる。春の嵐というべきか。嵐のあとは晴曇繰り返すもののわりと穏やかな一日となった。
世間は今日より、月に一度のプレミアムフライデーの初日とか。金曜の午後3時で仕事を終え土日連休を休ませてその分、消費活動に費やさせ大企業の高給取りが多い正規雇用社員の財布からお金を吐き出させるのが目的である。
この国のバカな政府は相変わらず世間の実状がわかっていない愚策を弄してくる。こんなことをやられると大企業の下請け企業や出入りの業者といった中小企業、大企業に派遣されている非正規雇用労働者の負担ばかり増える。
飲食店などのサービス業は、昨今ただでさえ人手不足の折である。このうえ余暇時間が増えて客が増えても対処出来ない。いきおい少人数でこなさなければならず、結果長時間低賃金のは果て過労死という悲惨な事態が増えるのは必定。
大企業に派遣されている非正規雇用社員の給与は時間給計算が基本である。派遣先の労働時間が減ればそれだけ収入も減る。正規非正規の収入格差はますます広がる。
大企業の社員だけがウハウハで、日本の勤労者の多数を占める、経営者も含めた中小企業、商店など社員、従業員が泣きをみるだけの制度など早晩引っ込めろといいたい。
労基法完全違反のそれこそ奴隷労働と等しい仕事を社員に強いて報酬を出さないブラック企業の摘発、その経営者の処罰に関しては国には秋霜烈日の姿勢でもって大いに介入してもらいたいが、労働者余暇の時間設定まで、民間に対していちいちごちゃごちゃぬかすな。
JR西日本が「走るホテル」をコンセプトに編成した豪華寝台特急「トワイライト瑞風」の運行が6月より始まるらしい。image
臨海部に沿うルートで近畿中国地方をほぼ一周する旅行代金は1泊2日のロイヤルツインで1人27万円から。最高額のスイートは2泊3日で1人120万円で1車両全部を1室のみあてるという、なんだか無駄に豪華な気がしないでもない。列車旅の概念を鉄道会社のくせに履き違えているとも言えなくともない。
こんな高い列車に誰が乗るんだと首を傾げていたら、なんと半年先まで全車両予約完売しているのだと。
私ならいくら金を目の前に積まれてもこんな悪趣味なものには乗りたくはない。
次々に廃止してきた従前からのブルートレインを需要に応じて臨時で走らせばいい。「瑞風」のような贅を尽くした豪奢な車両自体に価値があるとするのなら、もはや「鉄路の旅」とはいえない。
ゴージャスにゴテゴテと飾り立てるのは何も鉄道でやらずとも大型観光バスやトレーラーを改造して高速道路でも走らせられる。
「瑞風」の客車の塗色は深めの鶯色で、北朝鮮の金正日がロシアへ行くのに利用し、その豪華さと車両に特別装甲を施し戦車搭載までした長編成の列車が世界中の話題になったがあの列車の色に近い。
金正日列車は厳重すぎる沿線警護と他の列車のすべてを停めて最優先で動かしたものだから、それまでの苛政により度重なった人民の怨嗟を増やしただけに過ぎなかった。
その点、同じ塗色であっても件のJR西日本の超豪華列車、金余り酔狂者ご愛顧阿房列車は停車する西日本の名所各地で万札びらをばらまいて少しは地元を潤せて還って来てくれることだろう。お土産は紅葉饅頭一箱だけというのは許せんけんの。

晴れ時々曇り。寒気、予報が伝えるほどはなし。
昨夜半より結構呑んだが、さほど残らず。
しかし倦怠感があり食欲もなく、朝におじや夕方にきしめんに花かつおを振りかけて食したのみ。
隣の駅で下りて銀行で所用をすませ、図書館で別の区の図書館で借りた「グーグル秘録」と乙川優三郎の短編集「太陽は気を失う」を返却すると同時に「北朝鮮国家安全保衛部」を借りる。
不可解極まりないあの国の秘密警察の実態を、かつてそこに勤務しながら脱北した人物が暴露した本。2003年の刊行なので、内容の大方は秘密警察本好きの私には既知で、おさらいのつもりで読んでいる。そんなことおさらいしたって、興味のない者からすれば「だから何」な無駄な知識を自己満足的に充足させるだけだが。
読書に実利を求めても仕方がないと考えている、実用本や自己啓発本とは全く無縁の場所にいる私にとってはこれはこれで愉しいひとときなのである。
連日、マレーシアでの金正男の暗殺事件について報じられているが、あの国に世界共通の常識や原則など露ほども求めてはいけない。
在マレーシアの北朝鮮大使館職員の言い条はあまりにも荒唐無稽すぎて論ずるに値しないが、彼らとて国家安全保衛部の厳重な監視下に置かれているわけで、自分たちの独自の見解を述べてはならない。
そんなことをすれば自分も含めた家族、親族、親しくつきあっていた人物まで芋蔓式に逮捕され、尋問と拷問を繰り返されたあげく北朝鮮国内の政治犯収容所送りとなり、最後は筆にするのも憚るやり方で殺されてしまう。
大使館職員の言うことは金正恩が言っていると思って全く差し支えがない。
あのエリンギカットのデブが死なない限り、あの国は絶対に変わりようがない。
中国もさっさとあの厄介なデブを抹殺したくてウズウズしているのが本音だ。
北朝鮮の住民統制監視システムが、今でこそやや綻びが出かけているが、それでも今なお国家安全保衛部の下、緻密に稼働しているのは事実。刺客を送り込む手段がないに等しい。
「いや、どんな不可能でもやってのける人物がたった一人いる…」
習近平は執務室でひとり含み笑いをした。そしてデスクの電話を取ると人民解放軍総参謀部第二部のトップを呼びだした。
「張同志、今からアメリカのアトランタ刑務所に収監されているマーカス・モンゴメリーに手紙を書いてくれ」
「そうすると総書記同志…」
「ああ、いよいよあの男に依頼する時が来た。我々中南海を怒らせるとどういう結果になるか、あのバカ息子に身をもって知ってもらう」
「かしこまりました」
と、世界一のスナイパーにしてテロリストのあの男に頼るしか方法はない。
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