気ままに書き散らす

近所のスーパーは正月にはわりといい肉を安く提供する。
正月以外でも売ってくれたらいいのにって思うが思ったところでそんなにめったやたらに買えないけど。
で、薩摩牛ちゃんのお肉で久方ぶりにすき焼きと酒を楽しんだのは昨夜のこと。
窓から見える満月がいやに大きいと思ったら、夕べはなんといきなりの今年最初のスーパーフルムーンだったらしい。
そんならカメラで撮っとけばよかったと今更ながらに臍を噛む。
宴の名残が頭イテテテとなって昼過ぎになっても抜けず寝床からも抜けられず、午後2時過ぎをもってようやく離床の流れに至った次第である。
酒の勢いを借りて久しぶりに人様のブログに言いたい放題のコメントを残してきたことを思い出し、ありゃまと朝の10時に起きて、そのコメントを見る。ちょっときついことを書いたが伝えたかったことの本音でもある。
それにやや関連したことを今から書いてみる。
午前10時過ぎに目覚めた。その時にスマホの充電をした。それが今やっと90%充電に達した。
最近、充電に要する時間が長くなった。いよいよスマホのバッテリが死に体に入りかけてきたか。
基本的に2日に1回のペースで充電していたのだが、だいたいこのバッテリというやつ、スマホなどのガジェット向きのは500回の充電サイクルで寿命となる。
一昨年4月からのスマホ使用であるから、以来20ヶ月日数にして600日強。
ちょっとヘタリが早い気もしないでないが、500回という数値は多少盛っているものであるとシニカルに見ているので「まあ、こんなもんか」と怒りもしない。
常にAndroidのバッテリセーフモードで使用、ゲームはやらず動画はストリーミングで視聴せず、Wi-Fiサーチャーは常にOff、データ通信も必要な時だけOnにする。
ディスプレイバックライトは最暗レベルで落としてとケチケチチマチマと使って、10%まで落ちてきたら95%まで充電、つまりバッテリの大敵であるフル充電とフル放電の繰り返しを極力回避するという優等生的な使用でこのザマである。
所詮はスマホである。バカタレである。
バカタレは最初からわかりきっていたことなので「フン!」と鼻を鳴らしてヨタヨタ電気を溜め込んでいるバカを指で弾いてやった。
それにしても2010年に買ったSHARPのガラケーだが、今は時計、アラーム、携帯オーディオプレーヤーやデジカメ代わりにしか使っていないというものの、先月の24日か5日だかに充電、それから10%しか減っていない。
なんともコスパのいいことで。何度落としてもかすかに筐体に傷がついたもののディスプレイ割れとは全然無縁、サイズも私の掌にちょうど合っており実に使い勝手がよかった。
それをauというキャリアごと切って、格安スマホに変えての20ヶ月。スマホにしてよかったと思えることは数えるほどだ。
格安スマホというもの電波は3大キャリアから空き回線を借りてコストを抑えている分、通信品質は「ムチャ」がつくほど悪い。通話中ちょっと歩いただけですぐにブチブチ途切れる。
当たり前だがauガラケー時代は通話中に歩こうが走ろうがクリアな音質を維持したまま。地下に入ってもまったく途切れずガンガン入ってくる。
格安スマホも地下で通話は出来るが、静止した状態でも時折ブチッと相成る。こちらも脳の血管がブチッとなりかねない。
先述した如く腫れ物に触るようにバッテリを大事に扱ってやるのに、遠慮深く奥ゆかしく電気を食うガラケーを少しは見習えと怒鳴りたくなるほどバカバカと大食いしやがる。
わかっていたこととはゆえ2日に1回とはいえ充電させる手間は面倒くさいものがある。
カメラ機能など画素数や機能が一見ゴージャスになっているが、なんのことはない数年前のデジカメレベルだ。
写真に精通していない私でもわかるほど、家にあるキャノンやニコンのデジカメで撮影したものとスマホのカメラのそれの歴然とした画質の違いがわかる。
スマホのカメラはオリジナルの色を忠実に再現出来ないのだ。
ちなみにスマホの機種はZTE社の「Blade V6」。もともとカメラ機能の彩度に難あり機種らしいが、そこをカメラに搭載のHDR機能で補正して撮影しても、キャノンの「PowerShot」で撮ったものと比べたらまるで話にならない。
下の写真は同じ時間同じ照度の部屋で両者を使って撮ったものを並べている。どちらがキャノンの写真か誰でもわかるだろう。
キャノンの方の出前坊やは生き生きとしている。顔色もいい。自信と誇りを持って「出前一丁を出前してます」の覇気に溢れている。
それに比べてスマホの出前坊やは活気とやる気がまるで感じられない。「仕方ないから岡持ち持ってんだよ、悪いか」とどこかふてくされている。イヤなら辞めろ明日ハローワークに行ってこいとどやしつけたくなる。
被写体がなぜ「出前一丁」なのかはたまたま目の前にあったからである。
本来ならアクアマリンやトパーズ、エメラルドなど発色がわかりやすいものを机上にずらずらごろごろと並べたかったのだが、おかしいな、どこへやったのか、家中探してもないのである。一個も見つからないのである。だから「出前一丁」なのである。「デマエーJ」なのである。
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スマホにした当座はそれはもういろいろアプリを入れて遊んだり(といってもゲームでという意味ではない)験したりしたものだが、現在実質稼働させているのは本来の通話、メール送受信、カメラのアプリに加えて「楽天でんわ」(同社の通話料半額アプリ)、「ChMate」(5ちゃんねるブラウザ)、「詰将棋」(通信不要で楽しめる頭の体操ボケ防止)、「Weather Report」(天気予報アプリ。特に雨雲の動きの精度は高く値打ちのある無料アプリだ)、「livedoorBlog」(スマホにしてよかったと思う数少ない例のひとつとして出先でブログが更新出来ることである。このアプリと「連続バーコード読み取り」アプリ、そしてテキスト打ち特化マシンの雄「Pomera DM100」の組み合わせでテキスト打ちやブログ更新に限ればほぼノートパソコンと同質の機能を維持出来ている)「乗換案内」(言わずと知れた電車通勤者にとって必須のアプリ。JRのダイヤ乱れは日常茶飯事。運転状況を事前にチェックしておけば駅でイラつくことはない)「SmartNews」(広告がうざったいが大新聞から地方新聞、夕刊紙、スポーツ紙、はたまたCNNやロイター、ハフィンポストなどの国内外の新聞・ニュース媒体を俯瞰的にチェックできる。目を通していると結構暇つぶしになる)…といったところか。
Googleのアカウントを持っているので、大抵のGoogleのサービスはパソコンとスマホをリンクさせて利用出来る。
Googleに部分的ながらプライバシーを覗かれるおそれがあるという意見もあるが、イマドキのネットにアクセスすればクッキーやなんやらである程度のことはどのサイトでもユーザーの情報を把握しているものだ。そんなことをいちいち気にしていてはネットなど事実上使えない。
それはともかく、特にGoogleドライブは使い勝手がよく15GBまで無償で使える。
MicrosoftのOfficeソフトと互換性を持たせたソフトをネット上でこれも無償提供しているので、Officeが入っていないマシンであってもネットに接続すれば読み書きなど自在に出来るから重宝している。スマホとも同期させられるのでなおさらだ。こういう芸当はガラケーでは無理だ。
Googleフォトにいたっては容量無制限で画像を置いておける。ただしポルノ関係、特に児童ポルノ関連のそれへの対処は厳しく、例え我が子のプールサイドの水着姿をアップしてもダメのようでいきなりカウントを切られ、Googleの一切のサービスが利用出来なくなる。
言い換えれば常にGoogleはクラウドコンピューティングの美名の下ユーザーの動向を見張っているのである。
さきほどそんなことをいちいち気にしては云々と書いたが、やはりこれは恐ろしいものを感じざるを得ない。バックグラウンドでこっそり検閲されて気持ちがいい人間などいまい。
児童ポルノ画像をアップする輩なんぞは人間のクズにも悖る存在だが、自分の子の水着姿まで同一視するのは如何なものが。
話があちこちへ飛ぶ。だらだらと書いている。読み返してみると一体何が言いたいのか、自分でも呆れている。
要するにスマホとガラケー比ぶれば、去年の夏以降、公私共に電話をかける機会が格段に増え、家族割とかなんとか割のサービズなどの埒外にいる格安スマホを使っている私の電話代が時に月に2,000円を超えることもままあり、しかしその値段の割にはトータルの通話時間が、楽天でんわアプリを通じて半額にさせても、たったの50分ちょいとはあまりの馬鹿高い電話代に今更ながら怖気を振るってしまっている。
これは考えなおさなければと思案投げ首、妻と娘はauなのでもう一度auに戻って家族間カケホか、大阪の親がdocomo、ではdocomoに入ってせめてオヤジと私の通話代はただになるサービスに入るか、どちらにしてもスマホを使うならガラケーよりも月々の費用はどう試算しても月々3倍近くに跳ね上がる。
auのスマホで三太郎の日にミスドでドーナツ2個もろても算盤が合わしまへん。帳尻の合わん商いやってはると船場じゅうで笑われます。わてはそんなんイヤだす。
ああ考えるだけでまた頭イテテテになってきたのでここいらで擱筆。



昨日妻は退院した。一昨日仕事納めだったという義姉の運転で病院までいく。


ちょうど2週間の入院生活で溜まった荷物を病室から運び出し、窓口で精算を済ませ、裸木の並木が冬空にその枝々を毛細血管のように張っている大通りを家まで急ぐ。


切り取ったS字結腸の、癌が葡萄色になって点在していた先端部の検査次第では、癌の他の臓器への可能性があることがいつまでも心にひっかかり、年内に退院できた喜びに陰翳をさしている。


そのことを言うと妻は「『ほぼ大丈夫だと思う。まあ念のために検査する』と先生は言ったやないの。たとえ転移していてもまた取ったらしまいやん」と笑い、運転席のバックミラーの中で義姉が「抗癌剤の服用や放射線治療の必要はまったくないとも言われたんやろ。心配ないて。いったいどっちが病人かわからへん。癌でない人間もそんなことばっかり聞かされとったら癌になるわ」、もっとしっかり気を持ちやと言わんばかりに妹の婿殿の小心ぶりを嗤っている。


せっかく女房が、内心では気丈にふるまい物事をいい方向に考えようと努力しているというのに、旦那がそれに水を差すようなことを口にしてどないするねん、と叱咤しているかのようでもある。


だから、(世の中には絶対ということや100%大丈夫だというのはありえない)と反発しようとしたがやめた。


根はとことんペシミシストに出来ている私が、彼女ら度し難きモンスターオプチミストたちを相手に無駄な戦いを挑んでも仕方がない。


家に到着。すでに朝のうちに娘が調えておいた妻の寝床に「荷物とかは俺と○○(娘)で片づけるからとにかく横になれ」と妻をねかしつける。


さすがに病み上がり、妻は「ごめん」と言ってまもなく小さな寝息を立て始めた。


寝顔を見ながら「どうして癌になんか」とまたまた忸怩たる泥沼の中に思考の足を入れてしまう。


こんなことを考える自体、妻がいまだ癌である、とりあえずS字結腸の癌は除去したかもしれないが、もしかして他の部位に転移しているかも知れんぞと考えている証である。


仮に転移が見られなくとも、定期的にドクターチェックを受けて癌の再発を見張っていなければならず、それを5年間続けて見つからなければまずは再発はないとのことだが、5年間時限爆弾を抱えているようなものだ。


あんまり美人ではなく可愛くもない、どちらかといえばブサイクで、スタイルもぽっちゃりブームを先取りしたかようなスノーマンボディだが、私なんぞよりはずっと人間が出来ており、気だても優しく作る飯もそれはそれは美味く、娘が素直にまっすぐに成長してくれたのも妻に因るところが大きい。


私にはもったいない妻、よく出来すぎた妻であると今しみじみと思うのだ。


妻の優しさに甘えてバカが調子こいてやりたい放題、甲斐性なしの夫のせいでパート勤務を余儀なくされて汗水垂らして働いている最中に、このゴクツブシのバカは何年紅灯の巷、狭斜の街で酒食に溺れていたであろうか。


妻にとって私と結婚し所帯を持った瞬間からずっとどす黒くも黒い黒歴史が続いているのである。いや私というどうしようもないクズと縁した時点でそれは始まったのだ。


極力軟らかく炊いたものながらも、そして私なら一口で食べられるほどの量であろうと一応お粥を卒業した妻である。


お菜もミニチュアのような焼き魚、そして野菜の煮物が少々、見た目にも薄そうな味噌汁がついている。
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なんでも便が出ないと退院が出来ないとか。便秘状態。これは手術後に誰でも見られるお約束みたいな症状らしくまったく心配いらないとのこと。


60にしていまだ餓鬼道まっただ中にいる食い意地の塊たる私に「病気なんてやるもんじゃないな」と、傍目でみているだけでため息をつかせるのは病人食の常といえば常。


揚げ物や肉類、イカなど消化しにくいものはとてもじゃないがまだまだという妻の前で正月のハレの食事、お節や常日頃よりも豪華なすき焼き、鍋物、刺身の類を楽しむほど私は無慈悲に出来ておらず、また毎年お節は義兄の店が近所の常連さんに頼まれれば実費で作る手伝いの代償に我が家の分として頂いていたのだが、義兄に今年不幸ごとがあり、よって今年は作らないというから、そんなこんなで来年の正月はお節なし。なければないでよし。


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だいたいがあのお節というやつ、各料理の面々とその料理法をよくよくみればヘルシーさにほど遠い。


塩分糖分などどれもこれも過剰気味。縁起物だから栄養やヘルシーさ云々よりもというが、お節の各料理の縁起由来も親父ギャグそのまんまのダジャレやコジツケや屁理屈もいいことから来ていて馬鹿馬鹿しいことこのうえない。


例えばごまめ(田作り)は五穀豊穣を願い、ってカタクチイワシの大量虐殺死体を佃煮にしてなにが豊穣だ。昆布巻きは「よろこぶ」の「こぶ」だってな、とほほほほ。だから何よ。黒豆は「まめに働く」だとお。黒いだけにブラック労働を奨励しているのか。数の子は子孫繁栄やて~?。数の子の親である鰊を日本近海から全滅させといてよく言うわ。


見た目にもあんまりセンスがいいとはいえない。


華やかな色彩は蒲鉾と栗金団ぐらいであとはおしなべて地味でズズ黒くて見ているだけで心に雨が降ってきそうなものばかり。


筍椎茸蒟蒻牛蒡鶏肉の甘辛い煮しめの野暮ったい黒の塊を見ていて華やぎとかときめきを感じるか。あのなんともいえない暗いトーンはお通夜の茶碗酒のアテに通じるものがないか。


おまけにお節は保存食の意味あいもあるので料理はみんな当然冷えきっている。温度も味のうちというからもうそれだけで気分が滅入る。


鮑や床節を薄い醤油味で炊いたもの、にらみ鯛の塩焼きなどは別として他はたいして美味いものでもなし。


こうしてよくよく考えてみればそんなに有り難がるほどのものでないのだ。お節料理なんぞは。


お節に使う分の金子を国産牛の上等肉や蟹や河豚に廻せば、むしろ常の正月よりもゴージャスウハウハやったぜベイビーゴキゲンゴキゲンバッチグーと昭和ノリで喜びたいオヤジであるが、愛するカアちゃんのために来年は自粛して、白菜の漬物で冷や酒呑んだあとは茶漬けガサガサ~と食らって元朝の儀式はお披楽喜としよう。


海鼠が美味しい季節であるとはいうものの、あの海鼠というやつ、ならばどこが美味いのだと問いつめられたらチト答えに困る。


身もフタもない言い方をすれば、海鼠に味はほとんどない。咀嚼を繰り返しても旨味の成分がわずかながらでも口中に広がるかと思えばそうでもない。


箸でつまんで口に放り込む寸前にかすかに匂う潮の香りを、コリコリとした歯触りに包んだものを楽しむといえば楽しみ、あとはポン酢か薬味の分葱、紅葉おろしの味しかしない。


このあやふやでつかみどころのない海鼠はしかし日本酒とともに味わえば俄然いい仕事をする。
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正確に記せば日本酒が海鼠の尻をたたいて「ほれ、しゃんとしろ」と励ましているかのようだ。


そして日本酒としか相性が合わない。ビールだめウイスキーだめ、ワインの白ならなんとなくイケそうだと思われるが、生牡蠣が意外に白ワインに合いそうで合わないのとほぼ同じ理由(海産物特有の生臭さが強調されてしまう)でこれもだめ。


甲乙両焼酎、乙の方は芋と麦のお湯割りで試したが、日本酒が相棒ほどには美味しくなかった。甲類焼酎いわゆるケミカル焼酎のレモン炭酸割り、まるっきりとはいわないが合わないと言った方がよい。


要するに日本酒、それも熱燗でないと海鼠は美味しくないと乱暴に結論づける。中華で乾燥海鼠を使った料理があると仄聞するが食べたことも見たことすらもないので、ちょっとあっちへ行ってなさい。


この海鼠ちゃん、ごはんのおかずになるわけでなく、肴としても地味で色合いも悪く、そのへんは大根おろしや紅葉おろしでなんとか彩りを調え、小鉢なんかに盛りつけられる。


いわばつきだし的な肴、アテ芸人仲間では前説専門みたいな扱いを受けているが、海鼠の腸(はらわた)を塩辛にした海鼠腸(このわた)は高価で小さな瓶詰めが5000円前後する。


人間国宝桂米朝師匠が遺した40巻のCD落語全集の中に「近眼(ちかめ)の煮売屋」という演目が収録されている。


今日は仕事が休みという職人が煮売屋、今でいう総菜屋の総菜をお膳に並べ昼酒を楽しむ場面があり、総菜の中にこの「海鼠腸」が出てくる。


「…海鼠腸や。わしはまた海鼠腸が好きでな(ジュ、ジュル、ジュルルル~=米朝師が海鼠腸を啜り食べている体で口元を鳴らす)、この磯の香りっちゅうのかなあ、このフ~ッと残っているところへ灘のお酒を(クゥクゥクゥ~=落語好きならおわかり。噺家が酒を呑むところを再現している擬音)旨いで!」


とイヤホンから入ってくる名人の至芸を書き写しているだけで旨いで!と意地汚くも実際に唾が沸いてきた。


海鼠腸を思いつつ海鼠そのものを楽しむことにしよう。あとは湯豆腐でもあればいうことはない。


引用した噺に出てくる職人ではないが私も今日は休み。娘といっしょに妻を見舞う予定。


不謹慎の塊である私は見舞い後の今夕熱燗と海鼠で一杯やることに心ぜきとなっているのである。


妻の入院で最初に頭に浮かんだものは「先立つモノ」であった。


病気が病気だけにいったいいくらかかるんだと頭を抱えかけた入院治療費であるが、妻の健保に加え、妻のパート先の自社保険でほとんどまかなえるようだ。


試算すれば手術・入院費はもとより退院後の通院にかかる交通費などの諸雑費のほとんどが、健保と組み合わせて申請すれば還付されるらしい。


さすがはパート勤務といっても大企業の福利厚生制度。ありがたいことだ。健保本人負担分3割、それも企業保険活用でほぼチャラになるというのだから。


昔に比べて本人負担割合がずいぶんと増えたが、それでも日本が世界に誇る国民皆保険制度の恩恵は大事にしなくてはならない。


その意味では今のところTPPは頓挫、ペンディングの状態にさせたトランプ大統領、このことだけはアメリカファーストの政策上のこととは言えあんたは偉かった、と拍手したい。


TPPが発効されれば日本の皆保険制度など、アメリカ来の営利第一主義の医療ビジネスの波に呑み込まれたちまちのうちに崩壊するのは間違いのないところ。


しかしもっと深刻なのが、中国人による「経営・管理ビザ」を取得して来日、3ヶ月以上日本国内に滞在すると日本の健保に加入が義務付けられることを悪用した手口で、日本の健保加入者として堂々と本人3割負担だけで日本の高度な医療を受けている事実である。


日本国民や企業がせっせと払い込んできた保険料で、なぜによその国の人の医療まで面倒みなくてはいけないのだ。


こんなインバウンドなどいらない。関空から一歩も外へ出さず、とっとと追い返せといいたい。


早急に当該ビザのルールを変えるべきだ。自国民の利益を損ねてまでの「おもてなし」など以ての外である。


一昨日より妻は五分粥を中心とした食事に替わっている。順調に恢復しているようだ。


病室で夫婦して「有馬記念」を見る。夫婦とも馬券はほとんど買わないが、サラブレッドが疾走する姿の美しさが好きなので競馬中継はよく二人でリアルタイムや録画したものを視る。


それにしてもだ。有馬記念。ものすごく出来すぎたレースだった。


国民的歌手の持ち馬は今回を含めG1で7勝。これは史上タイ記録とかで馬自体も「国民的」という言葉が冠されるほどの超絶的人気馬。話題性も抜群。


で、この馬なぜか以前から有利な内枠を引いてくることが多いというよりほとんど1枠か2枠での出走。


昨日のレースなど騎乗武豊はそのことを最大に生かして終始先頭に立っていた。


このお馬ちゃんの「有馬記念」、一昨年は3着、去年は2着、そしてラストランの今年で優勝と。ちょっとこれはなんだかなあ、ミエミエじゃないの、である。


競馬人気もかつての勢いはなくJRAもなにかと必死、なりふりかまわずはいいけどねえ。「もしかして」と首をつい傾げたくなるのである。





火曜日に妻の手術があった。癌が点在しているS字結腸の先端部を切除、これを精査してリンパ節に癌が存在が認められ他の臓器への転移の可能性がある、向後5年間は診察が必要との担当医先生のご説明であった。


術後、24時間経った水曜日に早や歩行訓練を課せられた妻は、キャスター付き点滴棒を手にして、看護師に寄り添われその指導の下、病院廊下を慎重に歩を進める。まだ完全に癒着していない術部に多少の痛みが残っていようと、これをやらないと結果的に治りが遅くなると看護師はいう。


昨日は仕事の都合上見舞いにいけなかったが、娘よりのLINEは顔色もよくなり、やや早めの歩行も可能になっているとのこと。やれ嬉しや。


仕事の行きしな集合住宅1階のポストをのぞくと、郵便局から「配達物お預かりのお知らせ」なる葉書が入っていた。


文面を見ると16日にそちらにゆうメールを配達したが、お宅は不在で局に荷物を持ち帰って保管している、預かり期間は23日まで。再配達希望なら返事しろ、みたいなことが書いてある。


お送り頂いてから1週間近く届いている。送ったものが届いたのかどうか先様では首をひねっているだろう。まことに申し訳ないことをしている。


それに保管の締め切りが23日だと。明後日じゃないか!


なんで配達当日にこの葉書を入れなかったのか。相変わらずの日本郵政にいまなお厳然とあるお役所的仕事ぶりに怒る。


いつになったらまこんな官僚的な態度から脱せられるんだ?


郵便局に電話を入れてところで、どうせこういうに決まっている。


配達は5時までですので明日以降の再配達となります、と。


木で鼻をくくったような気の利かない返事を聞くために払う電話代などない。


通勤に乗る電車の中でスマホで再配達依頼の手続きをとる。明日の午前中ならなんとか受け取れるだろう。


先日、初期の大腸がんだと診断された妻が昨日入院した。


一昨日妻と娘が2週間の予定である入院生活で必要なものあれこれを準備しているのを見ながら、遅番の勤務に出かけ昨日は昨日で早朝から深夜までの勤務で入院初日に同行してやれず、夜勤である今日の午後、ようやく見舞いに行くことができた。


病院は消化器系器官の腫瘍や癌手術では定評があり、ここを紹介してくれたのは私の主治医でもある自宅近所のクリニックの先生だった。


一ヶ月前から断続的に血便が見られるという妻の訴えに、彼女の下腹部をさすったり軽く押したりして、これはもしかして、と冒頭の病を疑い、とりあえず診てもらって、と病院と専任医師への紹介状を認めてくださったという。


的確な所見だったわけで、このことだけでも藪どころかその下の土手医者だけが目立つ当今、僥倖であったといわざるをえない。名医鄙にあり。


ハズレな医者にあたると生存出来る者でも殺されてしまう。


大腸がんは初期に見つかれば完治率は100%に近いというのだから。


だから「癌だと宣告された」という重い感覚より「ああこれは初期のがんですな」と世間話のついでに気軽に告げられたという気安さの中に夫婦ともにいる。ま、不安がまるでないといえば嘘になるが。


病室でだが、久しぶりに夫婦しみじみと語りあった。


さりげないやりとりの中に夫は妻の身を案じ、妻は夫のこれからの半月の暮らしぶりを気にかけているのが互いにわかりあえている感覚が、連れ添うて27年の流れの中で交わす言葉が小石と変わり、日々の営みのせせらぎにごく自然に快くまかせているかのようであった。


その夫人に先立たれた先輩が「常日頃から嫁さん大事にしてやれよ、でないと本当に後悔する。あの時もっと優しくしてやれば、あの時もっといっしょにいてやれば、あの時あんなことを言わなきゃよかった、あの時ああしてやればよかった、そういう『あの時』か次から次へと出てつらくてつらくて」


と、奥様の鬼籍入り直後に涙ながらに語っていたことを思い出す。


それに近い感情が早くも私の中で去来を繰り返す。


完治率極めて高しという晴れ間をそれでも癌は癌であるという思いが黒雲のようにまだらに点在している。


ほどよく暖房が効いた病室の窓からそんな冬空が見えたからかもしれない。


今このときこそ妻との密着を重ね合わせて、ともに吸う空気の濃度を深めておかないと、人生の半分をともに過ごした人をもしかして喪うという事態になれば、私の在り処のすべてをもろくも壊してしまうことになり、そのことに対する取り返しのつかない悔悟の念と喪失感の前に私はなす術もなく立ち尽くし膝を屈し、もはや顔も上げられずにいよう。


と深刻めいたことを書き連ねたことが、あとになって私の密やかな笑い話となり、喉元過ぎればなんとやらで、妻という存在が空気のように薄れてしまい、その空気にどっぷりと浸かり、自分にとって都合のいい妻への依存心ばかりが膨張する日々を送れることを再び希っている身勝手な自分が確然として存在しているのも事実である。


とあれ、今の私は妻に出来うる限り寄り添っていたい。甲斐性のない私といっしょになったことで妻があきらめてきた何かが多すぎたということへの罪滅ぼしにもならないが。


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「粒うに」の瓶詰めが安かった。199円。
この小川うにの「粒うに」は近所のスーパーではしょっちゅう目にするもので日頃は398円だから、なるほど「特売お一人様2本まで」と赤札がそばにあったわけだ。
熱いめしにのせてよし、燗酒の肴によし、私は酒呑みだから、もっぱら酒の相手として消化していく。大根おろしにのせて雲丹おろし、もどした塩くらげとあえて雲丹海月、佃煮昆布を切り刻んだものと混ぜた雲丹昆布、これらを割れ山椒の小鉢に盛り、熱めの燗酒をちびりちびりとなめるひとときは何物にも代えがたい。
年中売られているものだが、なぜか冬に美味しく感じられるのは自分の想像が勝手にそうさせているのだろう。あるいは酒を燗して呑む機会が多くなるからこともあるからだろう。
なんだかんだ言っても日本酒が一番美味い。お米の国の人だからが当然である。
地酒の銘酒となるといろいろうるさい人たちがいて、なかには半可通なことを言い合っているが、なに、酒とくに燗酒にとって肝心のエッセンスは「厳寒」と「空腹」のふたつだけである。
このふたつの条件が揃っていれば、「通」たちを唸らせる銘酒でなくとも、ごく普通の大酒造会社の、さすがに合成酒や増添酒は御免こうむるが大吟醸までいかなくとも純米酒クラスなら充分に美味い。
とくに空腹状態で少しずつ流し込む燗酒の美味さといったらブランドのべつまくなしである。五臓六腑に染み渡る、という表現はこういうことであるのかと身をもって知ることができる。
内蔵を癒やした酒精たちは次に折からの寒気に凍えた身体を駆け巡り、ほこほこと少しずつ温めてる、こわばった筋肉をほぐしてくれ、心身ともにだらりと弛緩させてくれた時、しみじみと酒なくしてなんの人生ぞと思う。
夏に昼過ぎから必死に水分絶ちをしてアフター5の生ビールごくごくの楽しみに備えるように、冬の休みの日の私は朝から何も食べないようにしている。五臓六腑それぞれにに「夕方まで待ってろよ」と声をかけつつ。



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