サヨナラだけが人生さ。

松居一代の、夫に対する呪詛に満ちたおどろおどろしい動画を最後まで見てしまった。
くさいまでの芝居がかったそれは松居にとって失点であった。
動画の流れで彼女のブログも見た。また彼女の過去の、夫船越英一郎に対する妻としてのあざといまでの献身ぶりもあわせ、私に反感しか抱かせなかった。
この一連の離婚騒動、どちらに是非があるのかわからないしわかろうと思う気すらない。夫婦喧嘩犬も食わず。
ただ松居は大きな誤解をしている。
彼女が動画の中で強調していたが、夫婦も含めて男女の仲に「絶対」と「永遠」が成立するという誤解。
いや男女の仲のみならず、この世のありとあらゆる「出会い」には必ず終わりがあるということを知るべきである。
出会った時から別れが始まる、究極をいえば生まれた時から死出への旅への準備が始まる。
恋愛や夫婦愛、親子の愛、友情、あるいはペットへの愛、これ仏教用語でいうところの「愛別離苦」と一体である。
それをきちんと見据えていれば、別れを受け止められる。別れはたしかに悲しいことだが、別れをいつまでも追いかけてはいけない。
とくに男女の間の別れの際に往生際悪く振る舞うというのは醜い、これまた仏教でいう畜生界に生きている下等な動物の振る舞い以外のなにものでもない。
いや、畜生と人間が蔑んでいる動物たちの方が別れを哀しみの表情をたたえながらも冷静に見送っている。
彼らが別れを特に死別を受け入れる姿勢に高貴ささえうかがえる。
男があるいは女が自分から離れようとしている。それを追いかけたところでどうにもならない。来る者拒まず去る者追わず、サヨナラだけが人生だ。
別れ際の美学を、いい大人なら持つべきである。簡単なことである。「追いかけない」の一言に尽きる。
永遠の愛だの、絶対の愛だの中学生がノートの切れ端に書きそうな戯言にこだわっているからこそ、無様に追い続けてしまうのだ。
男と女の出会いはどんなカップルでもそうだが、互いの大いなる虚妄と幻想の発火で始まり燃えさかる。炎の盛りは必ずいつかその火照りに影なす。
それを埋み火として未練たらしく陰火となっても抱き続けるか、それともさっさと水をかけて消してしまうか、そのどちらでしかないのだ。
私の美学はもちろん後者にある。サヨナラだけが人生さ、と振り向きもしないで後ろ手を振るだけ。
手を振り消えた指先は狭斜の巷の紅灯をさす。一夜の酒の中。想い出は琥珀色の液体に、あるいは吐き出す一服の紫煙に託しておけばいい。
グラスの中の氷がひそかな音をたてて割れたとき、Good lack!とささやいていればいい。

ノルウェイの鯖

家人の代理で、昼前に住まっている集合住宅の寄り合いに出る。
面倒くさいと思ったが、こんな昼日中に家にいるのはだいたいが専業主婦か定年後のオヤジか、自由業の人間か、中年ニート(ああいうのは何故か男ばかりだ)であるので、専業主婦つまりは人妻の顔を拝むのも一興とばかり鼻を伸ばして出席したらハズレ。
定年後の身をもてあますオヤジばかり。女性もいるにはいたが私から見ればお姉さまという年代と思しき人が2名であった。
集合住宅内の決め事の確認など、たいした内容でないルーチンワーク的な打ち合わせの後、時分時であるということで弁当が出た。
この住宅が棟ごと入っているケーブルテレビ会社の差し入れなそうな。
それはいいのだが、おかずが鯖の塩焼き。そのでかいのが他のおかず仲間に足を乗せてど~んとのっかり、sabaご飯を枕にして威張っているのである。これが本当のサバイバル……すまんの~笑えよ~生きよ~、ここで笑わな、この記事もう笑うとこないよ。
盛り付けもへったくれもないもので、他のおかずの面々も「差し入れ」にふさわしい陣容である。
ケチをつけちゃいけないのはわかっているが、私は鯖が「あかん」のである。大昔にこいつで蕁麻疹をヒットさせ一晩と医者へ行った次の昼間まで痒みにのたうち回っていた経験から、以後は食べないことはないが、よく火の通ったやつか、新鮮なそれをすぐに酢締めにしたのでないと引いてしまうのである。
しかし性根がとことんいやしく出来ているので、タダ飯とあらば全部いただきやしょう残せば失礼ってもんだ主義であるから、まあ塩焼きなので大丈夫だろうと口にしたのである。
これが美味かった。厚い身の中央に走る脂身の部分がこってりとして、白い身の部分に伝わりいかにも脂の乗った魚を食べているいう実感を得たのである。
他の人の話を聞くとはなしに聞いていると、やはり美味しいの声があって、今時の弁当用とか惣菜の鯖はだいたいがノルウェイ産らしいと。日本近海のものはここまで太っていず脂は乗らないらしいと。
逆にいうとそれは大味ということではないでしょうか、といらんことを口走りそうになったが、近隣住民の皆様につまらないことで目を付けられてもと思い、この際美味けりゃなんでもええわと黙って美味しゅうごさいましたと相成った次第であった。
食後、昼だけあってビールではなくペットボトルのお茶でのごく自然発生的な茶話会という流れになった。
私より年長者たちの話柄である。介護、健康、持病、飲んでいる薬、孫の自慢が一回りも二回りもしている。
いい加減うんざりしてきて、「マナーモードにしているスマホに突然かかってきた電話に慌てて出る」体(てい)の小芝居を演じ、中座を詫びて集会場となっている一室から脱出したのでである。
近所のスーパーに行き、ノルウェイの鯖を見つけようとしたが、近海産のものばかりだった。たしかに小さくて身も薄い。なるほどな。
蕁麻疹は今のところ出ず。病は気からという、出るぞ蕁麻疹出るそと思っているから出るのではないか。だいたいが鯖を食べてなんともない方が圧倒的に多かったのだから、鯖アレルギーでもなんでもないのだ。
ということは私は今時稀なるノンアレルギー体質、何を食っても腐ったものでない限り当たらないという幸せ者である。口いやしきことは良きことであるのだ。

記憶の糸で編むセーター

先日、大阪の実家に父、介護施設に入居している母の機嫌伺いに行った際、生野区の方に足を伸ばした。
大阪市生野区小路東、古くは腹見町と呼ばれた地で私は生を享け数年間育った。
父の昔話を聞いているうちに自分のいわば揺籃の地を訪れてみたくなったのである。
父はかの地で吹けば飛ぶような自動車整備工場を立ち上げ、母はそれを手伝い、夫婦付随で町工場を営みながら私に餌を運んでくれていたのだ。
小路東から同区中川周辺に父のお得意先の多くが住んでいた。
差別的に使っていないことを断って書くが、生野区といえば全国屈指の在日コリアの街としても有名であり、鶴橋や猪飼野といったコリアタウンはここにある。
父の営業エリアには、とうぜん「チョーセン部落」と当時の周囲の日本人から蔑まれていた一角があった。
父は幼い私を時々そこへ同行させてくれ、父が商談と世間話で長引く間、私はそこで得意先の家の子と遊んでいるうちに、数名の子らと友だちとなり、それぞれの家にも招かれ「クルマ屋のボン」として、遊び友だちの親に歓待された。
キムチやチヂミとのファーストコンタクトもそうした友だちの家でのことだった。
友だちのお母ちゃんとお婆ちゃんが話す時は当然朝鮮語であり、それも大きな声でやりあうから、こう書くと失礼だが、その頃は子供のことであるから面白がって聞いていた。
50年以上前の部落は劣悪な環境で、どの家々もトタンの張りの掘っ建小屋同然。
強い風が吹いたら軒並み菱餅状態になりそうな状態であった。
集落の横に地面と吃水面がほぼ同じ高さのドブ川が、悪臭汚臭を放ちながら青大将のようにのたくっている。
流れはほとんどなく淀みに近い、覆いのない暗渠めいた水路には生活の澱と滓のありとあらゆるものが浮沈していた。犬猫のむくろの腐れ身から骨が見えていることもある。
日本の社会の汚いものと矛盾のすべてを一身に引き受けている、いや押しつけられているかのような川であった。
そんな街景は今はさすがに見られない。雑居ビルや小規模なマンションが区画整備された街路に沿うて高低雑然と並んでいる。
しかしそういった家並みの間の路地を通り抜けると、バラックではないが茅屋の家も何軒か身を寄せ合ってありその合間を、大通りからの路地よりいっそう細い路地がうねっている。
人間の潜在の記憶というものはたいしたもので、路地のちょっとした曲がり具合から、はるか昔の風景を再現できてしまうのである。
上述した部落の在りし日の姿の細部まで蘇り、粗末な家屋の前に干されていた洗濯物の白さを思いだし、その時吹いていた風の匂いが鼻腔の奥でつむじ風となる。
こういうものは思い出そうと意識的になればなかなか思い出せない。
たとえば昔通った店を探す。それが都会の繁華な場所であればあるほど街の変遷も激しいから、なかなか見つからない。
しかし必ずといっていいほど、ランドマークといえば大げさだが、記憶を取り出すピックのような変哲もない、昔流行った言葉でいうなら「トマソン的物件」みたいなものでもいい、そんなものがひとつでもあったら「ああ、あれあれ。あれまだあったのか」とたちまちのうちにそれをきっかけにもつれた記憶の糸がほぐれて、あの頃の街の光景をセーターのように編み上げていく。
父も母も余命はわずか。今のうちにその記憶を出来るだけ引き出して、私なりのセーターを文章として編み上げ、親たちが生きてきた証というものに着せてやりたい。
それも彼らにとって終生不肖の息子であった私のせめてもの拙いが孝行だと思いたい。

安倍晋三夫妻は潔く銃殺されよ。

都議選の結果は大方の予想通りだが、自民があそこまで惨敗するとは実に喜ばしいことである。
選挙前日の秋葉原、安倍首相の応援演説へ浴びせられた怒号の野次「安倍辞めろ」の5文字が全てを物語っている。
同じ場所で5年前歓呼によって迎えられた男は此度も同じ礼遇を期待していたに違いない。それが、である。
図らずも私は1989年12月21日のルーマニアの首都の光景を思い出した。
ブカレストの王宮広場の群衆。ルーマニア共産党本部庁舎のバルコニーに立った独裁者ニコラエ・チャウシェスク大統領。
自分を称賛させる集会で演説を始めたとたん起きた爆発事件。
それに勇気づけられたように長年の圧政に耐えかねた民衆たちの怨嗟に満ちた反逆の野次と怒号の砲火。
こんなことはありえないと言いたげにたじろぐ独裁者とその夫人。そして取り巻き。 
この後事態は急速に進み、大統領夫妻は反政府軍によって逮捕監禁され、あっというの間の裁判の結果銃殺される。
安倍晋三もおそらく同じ心境であったに違いない。「こんなはずではなかった。拍手の嵐がボクちゃんを包んでくるはずなのにぃ」と。
それがいらつきを呼び、自分をやじる人たちを「こんな人」呼ばわりをした。関西弁でいえば「それは言うたらあかんやろ」なことを口走った。

「銃殺」を比喩的に使えば、安倍晋三は今回の都議選の結果をもって潔く銃殺されるべきである。
自民党の最高責任者として選挙の敗北の責任云々よりも国民に対する犯罪に近い政策をごり押ししてきた点で。
この無能かつ希代の暴虐宰相はその夫人も含めパフォーマンスやスタンドプレーに長けても、この国の富裕層にいい思いをさせただけで、それ以外に見事なまでになんの業績も残せなかった。
ルーマニアの独裁者もその夫人も至近距離から撃ち殺されて、驕り高ぶった者の哀れな果ての屍体が全世界にさらけ出されたという屈辱を後世にまで見られてしまう結果となった。
安倍晋三夫妻もこの扱いにふさわしい。
それにしてもマスメディア、特に週刊誌はよく頑張った。新潮砲も文春砲も国政選挙と同じウエイトがあるといわれる都議選直前に轟き渡った。
悪質な選挙妨害だという声もあるが、メディアは時の政権の足を引っ張ることにその意義がある。広報係にはけっしてなってはいけない。
われわれ国民もそうで国家のやることに万事逆らう視座を維持しておかないといいようにカモられるだけ。
「国全体がひとつにまとまって」。ぞっとする。いい意味でも悪い意味でも私はごめんこうむる。

流れゆく時の中で

珍しく、家の近所の純喫茶店に入った。そこは60年ほどやっている店らしい。
今、喫茶店でコーヒー1杯は500円である。それもブレンドのやつ。
500円払うのだから、少なくともファーストフードや外資系や日本系のチェーン店でいるようにガサつきたくないので、岩波文庫版の萩原朔太郎「猫町」を取り出して、紫煙くゆらせながらページをめくっていた。
その方が格好がつく、こんな古ぼけた店と岩波文庫のカバーを外した昔ながらの赤茶の本はよく似合うからと思う、ミーハー極まりない理由からだけのことだが、本というもの読む場所によってカッコつけで終わらなくなるようだ。
西日が強く入る店で、本のページと日照の角度が時の流れに比例していくのがよかった。
煙草吸う、コーヒーすする、大詩人の遺した行間に夕暮れの色が差し込んでくる。
店はBGMなどいっさい流さない。
3本めの煙草に火を点けて、本を閉じ、漫然と窓の外を眺める。
人と車が行き交い、変哲のない営みがそこにあり、ぼんやりの度合いが進むと読んでいた本の効果もあって、いろいろな場所へ空想の中に旅できる。
4本目の煙草にさしかかる。客は私以外誰もいないようだ。
私だけの夕日を静けさが侵食していくと思われるほど静かだ。
時の流れの差配する帝王になれた気分。
時の流れが私の中のへんてこな空想を時制を変えてしまうにまかせて広げていく。しかしその限界を知る…
どこにいても結局、人は時間に対して王にはなれなくスレーブのままでいるしかないのかもしれない。
そんな時なすすべもなく、ただ夕暮れの街、それも自宅近所の、を行き交う人をぼんやりと見守ることしか為す術がないのだ。


ある若い人のブログ

たとえばこんな画像が載せられていた。
何もない雪原のはるか向こうに川が見えている。冬の鈍色の雲が何重もの緞帳のように垂れ、空はそこから始まっている。
寒々とした光景に、自分の内心に今なお残る葛藤めいたものを投影しながらも、それをきちんと認めてなんとか暖かく向き合いたいという撮り手の意志が、ふわりとしたセーターに姿を変えて知らない間にこちらの肩にかかっていそうな写真。
カラー写真でありながら暗色だけしか存在しない無機質な世界を広げさせながらも、しかし見ているうちに優しさと癒しにも似たものに満たされた微風が、画像からささやかな竜巻と変わって立ち上る。
そんな画像を載せて それに添える内省的な文章が、どこか含羞(はにか)んでいるのが微笑ましく、自分の日々の生を丹念に丁寧に縫い上げているのが伝わり、私にはおよそ真似ができないことを、私よりはるかに年少でありながら教えてくれているようで、この人のブログの更新を楽しみにしている。
静かに時を刻んでいた彼の暮らしに、どうやら華やぎのさざ波が立った模様である。佳きこと幸多かれと心よりエールを送りたい。
華やぎの波は彼の撮る写真にゆっくりと暖色を与え、それはパステルカラーのような輪郭へと変わり、春霞が刷毛となり花畑を淡く掃いている光景が、新たな方向への彼の旅立ちを象徴するものとしてこれから展開されていくのだろう。
いつか彼が写した日だまりの中の珈琲茶碗が、可視できないプリズムの静謐な乱舞と無邪気に戯れている。

だから「ご冥福を」ってどの口が言えると思う?

人気歌舞伎役者の妻が足かけ3年にわたる乳がんとの闘いの末逝った。34歳の若さ。物心がつき始めた子を二人遺しての死は無念余りあるだろう。
以前から何かとネット上で話題になっていたこの人のブログを昨日初めて見た。
簡潔な、そしてとにかく努めて明るく明るく自分の日常を語る文章であるから、その精神力の勁さに圧倒された。
末期がん特有の症状である激痛に苛まれる中でも、なんとか自分に誠実に向き合っていたのだ。
不撓不屈という言葉はこの人のためにあるようなものだ。
事態この期に及んで、まだこの人とその夫を叩いている人たちをネットのあちらこちらで散見する。
死神というのは皮肉な奴で憑くべき者には憑かず、憑かなくていい人に憑いてしまう。
だからこそ死神と忌み嫌われるのだが。
相変わらずの、人様の死と哀しみでこの際思いきり飯米代を稼がんかなのマスコミの卑しさが目立ちすぎた。
哀惜の人にハイエナやハゲタカのように群がる。
権力者には腰が引けて、どころかへらへら尻尾を振って剝こうとしない怯懦と卑劣な牙を容赦なく向けている。
職業に貴賎はある。いわゆる芸能ジャーナリストである。
有名人のプライバシーを知りたい、あの俳優がどれだけ悲嘆にくれているか、「冥福を祈ります」とかなんとかいくら言い繕っても、所詮「他人の不幸は蜜の味」的な覗き見趣味だけがその根底に横たわる愚かなる大衆の欲望に応えることが仕事であり、崇高な義務であるかのように振る舞う下賤極まりない輩。
しかし人のことは言えない。私だって人の不幸をこうしてブログの記事のネタにしているのだから。
何か書くネタはないかと思ったら、ああこれがあったと。
あまりにも動機が不純すぎて自分で自分を「フン、どの口が記事冒頭の7行を言わせたのかい」と嗤っているのだが。
所詮他人事だから書けるのだ。他人の苦痛はいくらでも耐えられる。なぜならある程度想像できても実感がないから。遠い関係ほど想像>実感の>が広がる。
それゆえ、いけしゃあしゃあと身内でも友人でも知人でもない人の「ご冥福をお祈り」なんて出来ない。
私はそこまで厚顔に出来ていないことが小さな矜持でもある。

SNSタイムライン画像の楽しみ

SNSの「友人」が少ないせいか、タイムラインに流れてくる画像はどうしても同じようなものになってくる。
私以外は猫好きな人ばかりなので、それぞれの愛猫の写真が流れてくる。
猫という動物、見ている段にはどの猫も可愛いものだが、私のような無精星という星から横着という衣をまとってやって来たような人間にとって、あの猫特有の気ままさにはついていけないものがあるので、見ているだけでは飽きたらず、いざ猫を飼うとなればその決心だけで猫虐待の濫觴となろう。
いや猫のみならず、およそ地球上地球外問わず生きとし生けるもの、私なんぞに飼われた日には、はや暗剣殺に向かう運命を曳きあてたようなものだ。
人様の猫写真を眺むるか、街や公園を歩いたり寝そべったりしている猫を見れば気向き次第で写メを撮るくらいが、ちょうど猫にとっても私にとってもほどよい距離となる。
猫の写真がひとしきり続けば、あとは日々の食事の写真が多い。
これは猫画像よりも楽しめる。というのは今晩のおかずの写真が多いのだが、これを作っている人のあれこれを想像する。
菜の材料を刻む包丁の音が作る人の言葉や鼻歌となり、作る人のその日のご機嫌次第で、素材たちはまな板に引っかかりながら、あるいはするすると自分を切った包丁に素直に乗って鍋なりフライパンなりに落ちていく。
包丁でトントン、鼻歌ふんふんやっているうちに忘れていたはずの遠い昔の歌を思いだし、あの頃の自分がありありと浮かんできて、網膜に映像と浮かび上がり、ということもあり得るかもしれない。
料理というのはいろいろなプロセスを含んでいるが、プロの調理人ならいざしらず、毎日毎日の作業であり、食べる相手は勝手知ったる家族である。あるいは自分のためだけの個食である。
手を抜くところは手を抜いて能率最優先である。いきおい単純作業となるのだが、何もそれを責めているわけではない。
こう書けばフェミニストから叱られるかもしれないが、世界のどこでも「おうちごはん」を作る人のたいていは主婦であり女性である。
家庭内において、女性は男性と違って他にやることは山ほどある。いちいち炊事に時間をかけていられないのはわかるし、こんなめんどくさいことを毎日よくまあ出来るものだと尊敬する。
しかもその多忙という時の銃弾雨霰の中をかいくぐってそれなりに体裁を調えたものを食卓に並べていくのである。驚嘆に値する。
だから、流れてくる特に夕餉の食事の陣容のひとつひとつを入念に拝見する。
それぞれ、ほとんどネット上でしか見知り合いがないのに「あの人らしいな」という個性みたいなものが出ていて面白い。
他人のご家庭の夕めしなのに「味噌汁も少し濃いめに願えません?」「鳥の唐揚げいいですな、わたし的にはむね肉よりももも肉を使ってください」「ああ、サラダはいいけどトマトはいけない。ブロッコリーもやめて後生ですから~」「天ぷら!いいですねいいですね。ただしなす天とカボチャ天はのけといてください」「ビール下さいな」「ごはんお代わり」となんとかパソコンやスマホのディスプレイに向かって、ぶつくさ注文をつけているのである。
これだけでゆうに30分は楽しめる。いやしい。まことにいやしい。

酒宴(まつり)の後の寂しさは~

昨日は友人たちと三宮にて飲む。
男のほうは神戸市内の美術館に足を運んだ帰りであり、展示されていた画家のファンだという女のほうと画家について話が盛り上がっている。
その方面にはとんと無知は私は聞き役に徹するしかない。
少し前の私なら、のけ者にされた、とヒガミ根性丸出しで、なにかと余計な茶々を入れ、なんとかその話柄をぶち壊しにかかったものだが、人間丸くなったものだ。
(ふーん、そんな画家がいるのか。しかしこいつらたいしたもんだ。よく知っているんやな)と感心しながら、黙って拝聴に預かっていた次第であったのだ。
彼と彼女の芸術談は、しかしいきなり「蒼井優が高層ビルの建築現場最上階の狭い足場で助けを求めていたら助けに行くかどうか」という話になって、いや俺は高所恐怖症だからいくら蒼井でも無理無理と男は手を振り、女のほうは、蒼井優が山田孝之なら助けに行く、と答え、じゃ飼っている猫ならどうか?となり、もちろん助けると。その流れであんたなら足場に誰がいたら助けに行く?と私に話が振られてきた。
その時の私は、酒場に置いてあるテレビが消音状態で、北朝鮮で拘束されたアメリカ人が解放され帰国したとたん死んだ、北朝鮮はアメリカ人に何をやったのだろうとか、とのニュースを報じており、それを見るとはなしに見ていて、今後米朝関係はますます悪化するやろなと案じていたところへ「足場に誰がいれば助けに行くか」ときたのである。
(またほんまにしょうむないことを。知らんがなそんなこと。こいつらときたら)と呆れながらも、さあわからんなあ、まあ俺は足場に誰がいても助けに行くどころか、そこからさっさと飛び降りて死んでまえと言う、と適当に答えを返す。
しばらくこの話題でああだこうだと、3人の年齢を足せば170歳をゆうに超えるおっさんとおばはんが喧々囂々と語り合っていたかと思うと、男が突然立ち上がり、このTシャツええやろ。ハシビロコやで、と言い始めた。
女は、いやほんまやハシビロコや、ええやんそれ、と男が誇らしげに見せている背中にプリントされた絵を褒めちぎる。
(ハシビロコと聞こえたが、おそらく女性であろうデザイナーかイラストレーターが描いたんかこれ)と私も見ていたのだが、二人の話を聞いていると、どうやら「ハシビロコウ」という名前の鳥がいるらしい。その鳥は獰猛でなんちゃらかんちゃらで、らしい。
鳥なんぞは鶏コケコッコーか雀チュンチュン、鳩ポッポー、燕スイスイ、後は鷲とかコンドルとかペンギンくらいしか思い浮かべない私はすんでのところで、ハシビロコって誰やねん?そんなイラストレーターがおるんかいな、と訊くところであった。まさに大恥をかくところであった。
この大恥はこれから先、ずっとこやつらの酒の肴となり語り続けられるだろう。そういう奴らなんやこいつらは、ンマにもう~。おまえらが足場から墜ちてまえっちゅうねん。200階くらいの高さから。
店を出て、お決まりのカラオケルーム繰り込み。ジャスト2時間の歌合戦。歌ののど前は男抜群に上手い、女そこそこ上手い、私話にならない、のいつものパターンである。
170歳トリオはその後プリクラに入る。撮れた結果を見てひとしきりはしゃぐ。
やっていることはJCかJK、被写体はJB(ジジイとババア)である。時間帯からしてCとかKのほうはさすがにいない、というよりたしか午後7時以降はお子たちは入店禁止だったか、この手の店は。
「おつかれさん」と3人それぞれの家路に足をふみだし、ここに今宵の酒宴お披楽喜と相成る。
家の最寄駅から降りた時、小雨がぱらつき始めた。夜半から大雨に注意という予報があっただけにこれはツイていたのだが、当然、西の上空にいつも光っている金星は見えない。
一昨年だか、ちょうど同じ場所で流星を見たことがあった。初めてのことだった。おおっ!と見据えた瞬間、鋭く煌いていた光の細長い尾があっという間に闇に吸い込まれていった。
誰と飲んで歌って騒いでも、終わればなんとも言えない一抹の寂寞感に包まれる。躁と静の落差の大きさはあの時見た流星に似ているものがある。
そういえばさっきのカラオケで谷村新司が唄われていたな。谷村の「Far Away」ではなかったが、一度見た流星のブレードのような光芒の軌跡を思い出すと気分はこの歌だ。
星が消えいった先はあまりにも遠すぎるが、あくまで私の視界から消えたのであって、遠く離れた別の場所で燦然と輝いているに違いない。


かくありたいジジイ像

あと一ヶ月と数日で齢60となる。
と、アラビア数字で書けば59の次で61の前という数列の中の1数字であるが、六十歳と漢数字で書けばちょっと重いものを感じる。
還暦、という今時あまり意味のない言葉が変にのしかかってくる。
「(60年で再び生まれた年の干支に還るからいう)数え年61歳の称。華甲。本卦還。」(『広辞苑』)
2017年はなるほど酉年だ。そうかそうか俺は生まれてから今年で5回めの酉年を迎えているわけか、しかしだから何だと言うのだ。それがどうしたとも。
だいたい干支なんか年賀状の時にしか縁がないし関心もない。
しかし、「還暦だね」と言われるととたんに「ついに俺もジジイの仲間入りしたのか」と気分からしてめっきり老けてしまう。
本来はめでたいことらしいが、実感は禁忌に近いものがある。
「還暦」など顔をしかめて手を振って「やめてくれ」とあっちへやりたくなる。鬱陶しい。
だからといって、アンチエイジングとやらに取り組む気持ちは毛頭ない。トシになんか負けるかと無理して若々しくいたいその神経が理解できない。
「60歳!いやあお若く見えますね」なんて言われて喜んでいる奴ぁありゃアホだ。
「お若く見える」の褒め言葉の裏には「それだけあんたトシ食っていて」の反語毒が盛られていることに気づかないのか。高校生に「君、若く見えるね」って言わないだろうが。当たり前だ。実際に若いのだから。
どんなに若造りしたところで、本モノの若者に勝てるわけがないだろう。
渋谷やアメ村でたむろしている若者と同じようなファッションをして得意になっているジイさんバアさんに時々出くわすが、周りに「そんな格好はやめなよ」と止める人がいなかったのか。
止めるどころかむしろ残酷な人ばかりなんだろう。「おだてりゃすぐ図に乗ってあのジジイ、見てみな今日はあの格好だとよ。嗤うよな」と自分たちのお笑い種のピエロにして喜んでいるのだから。
年寄りは年寄りらしく、濃口醤油で煮しめてまた色あせさせたかのような風合いのよれよれの服とズボンかスカートを付けて、ゴムがゆるゆるになって3歩歩くとすぐにズルズル下がってくる毛玉だらけの靴下で包んだ足下でスーパーで売ってそうな790円くらいのサンダルをペタペタ鳴らして背中を丸めて、何も口に入れていないのに口をもぐもぐさせながら、「音が大きな屁ェほどこいたらケツの穴が痛いんじゃあ」とかなんとか訳のわからないことをブツブツ言ってその辺を歩いてりゃいいのだ。死臭が混じりだしている加齢臭にサロンパスの匂いが混じっているというなんとも名状しがたいかほりを周囲に発散させながら。
私はこんなジジイを目指しているのだ。こんなジジイに憧れているのだ。こんなジジイなら特別な努力もなしに今すぐにでもなれる自信があるのだ。
その兆しはすでに出ている。人様の顔を見るのつい眼鏡を鼻ごと下げて上目遣いにギロッと「なんじゃ?」という目つき、老人特有のあの視点の置き方をやってしまう癖がつきはじめた。
立つたび座るたびに「どっこらしょ」「よっこらしょ」と声を出さないと立ち居の所作の区切りがつかなくなったのはもうとっくの昔にクリアしている。
夜中の頻尿は去年あたりから。さすがに尿漏れはまだない。これが課題だ。まだまだ憧れのエリエール「アテント」が身につけられない。
髪の毛関係。白髪が増えだしたが、総白髪まではまだ遠い。ハゲ方面。悔しいことに毛が多すぎて散髪してもすぐに伸びてくる。ハゲ頭に恋しているのにフサフサの我が髪が恨めしい、と職場の62歳のハゲオヤジに言ったら、えらい怒りやがったし。髭方面も色も密度も濃い方ときている。
体格は最近体重が減ってきてだいぶスリムになっている。出張りに出張っていた腹が引っ込みはじめているし。どうせなるならハゲ、デブ、チビの喪男三冠に輝きたかったのだが、チビでもないしなあ。
いわゆるそのアッチ方面。これは若い頃にくらぶればずいぶん弱くなっているのはたしかだが、まだまだスケベ心旺盛。ごくまれに起床時にその、あれ、だな、元気な時がままある。男が完全に性欲を無くしたらもはや抜け殻。生き仏、いやミイラでんがなガハハハハハ。
などといろいろ考察するにジジイへの道はまだまだほど遠いのう。65歳になっても今とそれほど変わってなさそうな気がする。
総合的に判断して5年後の私はこんな感じだろうか。かなり当たっているように思う。
abudeka_c2
うーん、私がこれまで書いてきた理想のジジイ像とえらい違うのだが、こればかりは仕方がない。不本意だがもってうまれたものは変えられないから諦めるしかない。
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