晴れ。日差しがあるうちはいいが、少しでも陰ると冷たい風が吹き、真冬に戻ったかのよう。
3月11日ということで、れいによって東日本大震災関連のニュース相次ぐ。
もう6年になるのか。ちょうど6年前の3月分から、前に勤めていた会社の給料遅配が始まったのは。
典型的な二代目目あほぼん社長と監査役であったその嫁の乱脈といってもいい経営で、その前年あたりから沈没しつつあったのだ。
得意先や社員に平気で嘘をつく夫婦だった。バレているのがすでにわかっているのにそれでも虚言を弄するその姿に怒るよりもただ情けなかった。
あの時、すでに五十路の半分まで歩いていたので、おいそれと辞めるわけにもいかず、結局次の年、今から5年前の秋に私を含めた社員全員愛想尽かして出ていってしまった。
2013年秋に倒産となったのだが、弁護士が入っての債務整理において厚生年金や健保未払いなど公的な負債が1億近くもあることが判明。法律上公的負債弁済が最優先されるため、すでに我々の未払い賃金や退職金、得意先の売掛代金など債権は事実上0となってしまい一銭も還らず。
湘南の某地にある社長宅と土地はとっくの昔に銀行抵当物件となっていた。社長は会社に対して連帯保証人となっていた為、当然これらの財産もパー、会社の金で月に200万も銀座のクラブ通いで費消、嫁は嫁で同じく会社の金を横流し、自分で健康食品通信販売めいたことをやっていたのだから呆れた夫婦である。
これって背任横領で刑事罰に問えると思うのだが雲隠れ。どこでどうしていることやら。
昨日はやくざが大嫌いだと書いた指が、ああ、こんな時やーさんの知り合いがいれば、あるいは萬田銀次郎みたいな人とおつきあいがあればオレ(折半)でもええからキッチリ追い込みかけとくなはれ萬田は~んと泣きつけるのに、などと愚痴りのキーを押している。
まあ、きょう日の極道である、社員5名の退職金も含めた未払い賃金〆て総額3000万くらいのキリトリじゃシノギにもならんわ、と鼻もひっかけてくれないけれど。
東日本大震災、いまだ6万もの人が心身ともに消耗疲労する仮設住宅暮らしを余儀なくされてimageいるのに、安倍晋三ときたら「ひとつの節目がついた」と首相記者会見もせず、被災者やフクイチのことなど知ったことかと言わんばかり。
「節目がついた」というのは被災した側が言うことだ。
日本語の遣い方もわからない、所詮この程度の男である。自分の名誉と栄達と保身しか考えない小物であったことがこれでよーくわかっただろう。
まだこんな男を支持しているのが国民の半数いるというのだから面妖、不可解だ。
こいつを見ていると虚言で保身汲々それでいて虚勢張りと見栄張りの塊であった社長夫妻を思い出して不愉快になってくる。ああ腹がたつ。

晴れ。春は目の前で足踏み状態。昨日などは少し陰っただけで手がかじかむような寒さだった。今日は幾分か和らいでいる。
結局娘が出してきた富士通の2004年リリースのレガシーノートであるFMVは電源を入れても黒い画面のまま。冷却ファン音だけがむなしく聴こえるだけ。マザーボードに通電出来なくなっているようだ。要するにオシャカになってしまっている。
こうなると今使っているvistaのデスクトップにLinuxを入れるしかない。
当初の目的どおり、USBからの起動を選べるデュアルブーストの方を採ることにする。ハードディスクにすべてコピーすることなど、とても怖くて出来ない。
大事なファイルのバックアップも済んだし、本腰入れて取りかかることにする。
別の用件で今日はエクセル相手に一日つぶす。体を使うより頭と目を使う方が空腹感が深い。
特大のオムライスを作ってかっ食らう。オムライスやカレーはいい。片手があくから「ながら仕事」が出来る。image
東京の「たいめいけん」だったか。チキンライスの上に中身がふわふわのプレーンオムレツをのせて、それをほぐしながら、ライスにまぶす形で食べさせるオムライスを出す店は。
あれは故・伊丹十三が考案したらしい。彼の妹の旦那である大江健三郎のエッセイにそう書いていた。へえと思った。
件のオムライスは伊丹がメガホンを取った「たんぽぽ」にも登場しているという。テレビでオンエアされた時に観たはずだが、これが覚えてないのだ。
エッセイストでも一流、映画監督としても一流だった才人を自殺に追いやるような脅迫を繰り返した連中。芸術の真反対側にいるやくざを私が蛇蝎の如くに嫌う(あんな連中に人権なんかいらないとさえ思う)理由のひとつである。

いろいろ文句を言われている団塊世代の人たちだけど、彼ら彼女らが若い頃に遺してくれた音楽はやはり今聞いても傑出したものがある。これはちゃんと評価しなければいけない。
評価の重要ポイントは歌詞なんである。ちゃんと詩になっている。団塊の人たちって読むべき本はちゃんと読んでいたなという素養みたいなものを感じる。


「なごり雪」。このまま上質の私小説である。「君の唇がさようならと動く」の一節が素晴らしい。


「自由への長い旅」。「信じたいために疑い続ける」。この精神はいつの時代でも必要だ。

 
「夏なんです」。季節は違うけど中原中也の「春の日の夕暮れ」に通じるものがあるんだななあ。なんとなく。松本隆の詩って季節を感じさせて、ぽいと放り投げてくれるところがいい。


「ガムをかんで」。女と惚けた朝を迎えたアンニュイがなんともいえない。「川向うに行ってごらん」以降の明日が見えない爽やかな虚無感をガムを噛みながら眺めている姿が愛しい。



「恋の西武新宿線」。なんともいえない作品だけど70年代中頃の早稲田から高田馬場あたりの夕暮れの情景ってこんなものだったんだと想像を膨らませてくれる。浜省の若い声が懐かしい。


「一本道」。全編素晴らしい詩。この人の詩集を買ったくらい惚れ込んだ。
まだまだ採り上げたいものがあるのだけど今日はこのへんでお披楽喜。
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晴れ。朝から寒風吹きすさぶ。時には台風紛いの強風も。
昨日、ベランダで喫煙している時、背筋に刹那悪寒が走り、そののち節々に鈍痛を感じる。微熱もある。市販の風邪薬を服用。鼻炎薬とダブルで睡気と倦怠に苛まれる一日となる。
食欲もさほどなく、先日近所のスーパーで一番ぶっとい麺があったと妻が買ってきたうどんを啜る。軽い風邪の日にはダシがよく効いた素うどんや煮麺が最高だ。IMG_20161126_155344
何もやる気なし。テレビを茫乎の面持ちで観流している。森友学園のズルが次から次へと取りざたされている。理念のご立派な割にはやっていることが卑しい。理事長である籠池某夫妻のさもしい人間性を見た思いである。早晩退学者が続出し、いずれ学校法人自体消滅となるのではないか。
昨日よりイカナゴ漁解禁となったが、獲れ高は今のところ例年の3分の1とのこと。去年も少なかったが今年も先行きあやしい。妻が炊く、いかなごのくぎ煮を楽しみにしてくださっている方がいるので、いささか気を揉む。
熱を計れば37℃。最高時の37.7℃からだいぶ落ちてきた。これが美少年なら微熱を帯びて、薄紅色に染まる顔もまた美しいものだが、60手前のオヤジのそれなど酒焼けの赤も混じり、ただただきちゃならしいだけ、見苦しいだけである。
微熱といえば松本隆の「微熱少年」の文庫本どこへやったのか。ほとんど内容を忘れているのだが、昭和40年代の風俗(東京の)があの当時の流行歌や映画などを織りこんで描かれていたのだけは憶えている。
該本を30年ほど前に読んだ時の思いと、今読み返すとやはり違った視点からの感想が生じるだろう。読書の愉しみの一つである。

晴れ。弱い寒気戻る。抗花粉症薬服用の機会が多いので、たえず体がだるっぽい。
このブログの文章はテキスト打ち専用機であるキングジムの「pomera」を使って作成している。
カバーを開ければ即電源が入り、2秒ですぐに文章を入力できる。ディスプレイもモノクロだから電池の持ちがいい。
IMG_20170307_073720eneloopの単3×2本で、毎日1~2時間使用しても3週間は保っている。
ネットに接続できないから、ひたすらテキスト打ちに集中できる。それしか出来ない仕様になっているからプロの物書きにも愛用者が多い。
ピース又吉と芥川賞を同時受賞した羽田圭介も、このpomeraで原稿を執筆しているらしい。
向こうは4年ほどの使用歴、こちらは5年である。やーいやーい勝った勝った。向こうは芥川賞を穫った。こちらはこうして一銭にもならぬ、そして読者のことなど少しも想定していない勝手気ままな駄文を書き散らし、数え切れないほどいる有象無象の無名ブロガーの沼の中で蠢く。
布団の上で倦怠を沼の河馬の如くもてあまし、枕に顎をのせて腕を伸ばして枕元のpomeraのキーを叩いてここまで書いた。
そういえば羽田同様、今はタレント活動に忙しい西村賢太も布団に寝そべり小説の下書きをノートに書きつけていくという。ノートといっても向こうはコクヨのキャンパスノートだ、今どき手書きだアナログだ、やーいやーい勝った勝った。向こうも芥川賞を穫った。こちらはこうして…もういい。
今、音なしの屁をひった。布団の下部から温泉地のような硫黄臭が仄たち鼻腔を穿つ。屁をはじめ排泄物全般の自分から発した匂いはクサい中に愛着がある。顔をしかめつつ、しかしいつまでも嗅いでいたいものである。他人の、いや家族のものでさえ、それは許しがたい。タバコの煙もそうだけど。
タバコと書いた瞬間、今のところまだやめられぬそれが無性に喫いたくなってきた。家の中で喫うのは断固御法度。妻と娘が我が家では法律である。
舌打ちしながら、やれやれと独り言ちてのそのそと布団から抜け出し、よっこらしょと立ち上がり、ベランダに行く。「う。寒い」。
冬の殿軍が風を吹かせて最後の抵抗を試みつ撤退していくのだろう。煙草さえ止めれば寒風にさらされ紫煙を散らすという酔狂もなかろうに。
駅前に今では珍しいタバコだけを商う店があるのだが、店の看板にその名もずばり「莨専門店」と表記している。数多くの種類のタバコを扱う傍ら葉巻やパイプタバコも揃えており、タバコ通では有名な店らしい。
「煙の草と書いて『タバコ』やない、草の良いものが『たばこ』なんや」の信念を「莨」の一字に込めているのだろう、とは私の勝手な推測だが。
体が冷えてきたので倉皇としてベランダから退去、すぐに布団の中にもぐる。自分のぬくもりの中で先程の屁の香がかすかだがしつこく残っている。愛しや。畢竟、人間一番落ち着くシャングリラは自分の布団の中であろう。眠たくなったので寝る。

結局雨は降らずじまい。朝のうちこそどんよりした空だったが、昼より晴れ間が広がり、若干の寒気をもたらす。
娘に頼んでおいた古いノートパソコンの蔵出し、まだ手をつけていないようだ。ほんまにケツが重いやっちゃ。
これが息子なら「ちゃっちゃっとやらんかい!」とどつき倒してでもはいいが、逆襲されて当節のこと殺されかねん。子供が女でよかった。吉田沙保里みたいなのは別として。
バックアップ作業、ようやく先が見えてきた。いっとき(40代前半まで)はアダルト関係の無修正なんちゃらも鼻の下を伸ばして、休み前の夜なんか窓の外が白くなる頃まで「でひひひ」と涎を垂らしながらネットから下ろして保存していたものだが、これらの扱いには困った。削除してしまうのは惜しいが、うかつに残しておいて、私にもしものことがあった場合、やはり恥ずかしい。
いやいや、今どきの女性もたいがいそういうのを一度は見ているから免疫が出来ていて、「うちのオヤジもまあ普通の男やったんやな。しっかしまあ、こんなぎょうさん集めてからに。アホちゃうか」で笑ってすましてくれるだろう。
だいいち日頃から、酔ってはドスケベなことばかり言っておった(おる)私である。「ま、これくらいのことはやりかねんやろ。あのくそったれオヤジは」と、妻と娘も苦笑しながら流してくれるだろう。
こういうところに日頃の行いが生きてくるわけである。日頃スケベな言動の、「動」はともかく「言」を心がけておけば、ちゃんといいように評価されるのである。だから堅物男はダメなのだ。生前のふるまいの表裏の乖離が余計に遺族に軽蔑の念を増大せしめる。
結局エロ関係はアダルトもOKの某無料サーバに置くことにした。これならIDとパスワードを知られないかぎり、誰にも見られることなく、後はサーバの底へ藻屑となって沈み、ずっとアクセスなし状態となっているわけだから、いずれ勝手に消されることであろう。
しかしまあ、そういう類のものを見ているとアダルト関連の紙媒体やDVDメディアが壊滅状態になったのはよくわかる。それら有料コンテンツ以上に刺激的なものが無料でいくらでも観られるのだから。ただし、何度か地雷(ウイルス感染、振り込め詐欺など)を踏まされるのは必至。その都度こいつらと格闘してきてスキルも上がった。adult
人間よく出来たもので、男もあっち方面が弱くなってくると、アダルトサイトにも興味が失せてくる。もうすぐ六十路を歩むことになるのだが、あの頃何を必死こいてこんなものをコレクションしていたのだと自分で呆れると同時に、いいように人間が枯れてきているなとも自負している。
落語の艶噺バレ噺は棺桶に片足突っ込んでそうな師匠がやると少しもイヤらしくない。
それと同じ伝で、ほどよく加減された猥談をバーの片隅でバランタインの30年物でもなめながら、女性相手にさらりとやれる粋なジジイを目指したいものである。

今日も暖かいが朝から曇っている。明日は雨だと予報は伝える。
春のやわらかい絹糸のような雨ではなく、まだどこか氷雨の名残を冷たく糸筋に垂らし早春の曇天を縫っていくような雨になろう。
昨日の陽気にさっそく私の鼻腔は反応した。空気の入れ換えのために部屋の窓を全開にしたのが災いした。鼻水がやたらに出て断続的なくしゃみを誘発する。
ここ数日のバックアップ作業を中断して、鼻炎薬を内服する。
この薬の難点は服用後30分以内に睡くなってくることだ。常用しているエチゾラムより、こと入眠に関してはよく効くのではないか。
それがわかっているので、デスクから離れて横になる。体が徐々にだるくなるのにつれて鼻水の流出が減ってくる。ああ眠い。
小1時間ほど眠ったら腹が減った。のそのそ起き上がってキッチンに行く。鼻水とくしゃみは収まっている。そのために薬を嚥んだのだから。
IMG_20170109_153503マルタイラーメン九州味が残っていたので、冷蔵庫に残っていたチャーシューの切り落としを全部投入。高菜漬もトッピング。
それをダラダラ、テレビを視ながら時間をかけて食べる。
安倍晋三も鴻池祥肇も、それぞれ国会で記者会見でどこか言葉がうわずっている。
図星を指されてなんとか言い逃れようとの必死さが伝わる。嘘や悪戯がバレて咎められた子供がそのままおっさんになったようだ。
安倍に至ってはいったい何が言いたいのかさっぱりわからない。ひとつ覚えのように「野党側の印象操作だ、印象操作だ」ばかり。
自分の奥さんが一時は森友学園の名誉校長先生としてご丁寧にも顔写真入りで学園のサイトで挨拶していたのは印象操作の最たるものではないか。
安倍にしろ鴻池にしろ、逃げ足が早いのと掌返しの鮮やかさはさすがに政治家だと感心する。
両人ともあれだけ森友学園のことをヨイショしていたのに、悪事露見となるとなんともまあ。
鴻池のおっさん、「男の頬を、政治家の頬を金で叩くような真似しくさって恥を知れ」と芝居気たっぷりに憤慨していたがそのまんまブーメラン。あるいは自嘲のブラックユーモアか。
その森友学園の幼稚園児が「尖閣」だの「安保法制」だの言わされている姿は実に哀れ。この子らの親がPTAの挨拶として運動会で披露するならまだしも。それでも相当キテいる変な幼稚園と思わしめるのに充分だが。
北朝鮮の子供らが「私たちは将軍様や大元帥様の懐に抱かれて世界で一番幸せな子供たちです」と、子供特有の甲高い声で叫ぶ姿のおぞましさに似ているというより、やっていることはほぼ同じ。
こんなのいくら私学でも認可すべきではない。洗脳と教育は紙一重だが、これじゃどうみたって洗脳ではないか。
口利きで国有地を超安値で学園側に売り渡したことよりも、民主義国家の政府の長とファーストレディが、すなわち公人と準公人たる人が、こんな「ど」がつく偏向教育をなさしめている学校法人に夫婦で肩入れしていた事実の方が問題なのだ。

いよいよ春到来!と思わしめる陽気。3月に入っているもの、もうもうそろそろこうなってくれなければ。
現在使っているパソコンの内蔵ディスクに保存しているデータを外付けのHDにバックアップを取る作業にこの数日没頭している。なかなか進捗しない。IMG_20170304_152446
子供の頃から「集中力に欠けるきらいがあり」、なぜ「」で括ったといえば、小学校の通知表に学年更新の度に担任の先生方にまるで申送り事項のようにこう書かれていたからで、この悪性はいまだ治らず、データの写真や文章、WEBページの魚拓めいたものを見てはそこで作業を中断し、該データを作成した頃の回想に耽る、というより、なんでこんなものを残していたのか、をすっかり忘れてその理由を思い出そうしても思い出せない。
データを保存した時、おそらくこれは忘れずにと考えたのであろうが、結局保存の理由すら忘れてしまっている。
人間憶えておかねばならぬことなど実はそんなに多くなく、本当に憶えていなければならないことは本能的に自分の脳がちゃんと記憶してくれている。
パソコンに保存しておかねば、あるいは手帳か日記のようなものに書いておかねばと思うことほど、たいして重要ではないことがわかる。
いい風景に出会えた時、今は携帯電話にカメラがついている時代、景色を肉眼で見渡す前にまずカメラを取り出してしまう。
自分の眼と脳をもっと信用した方がいい。「目に灼きつける」というありふれた慣用句があるが、ありふれたものながら、永遠普遍の真理である。
脳こそ最高のハードディスクで容量は無限大だ。ただ脳内のトラックに並べられたセクタに納められた記憶を取り出すサーチの速さ、シークの確かさに個人差があるだけのことで、そしてそれは経年劣化するけれどテラバイト以上のものを脳はちゃんと憶えてくれている。
ただ恣意的にそれを取り出せないのが難点なのだ。だから困るのだけど、繰り返すようだが恣意的に取り出せる記憶はそれほど重要なことではない。ちょっとしたきっかけでいきなり思い出してしまうことが個々が本能的に脳に刷り込んでおきたいことだったわけだ、とそれに近いことをボードレールは「悪の華」の香水瓶という詩ですでに表現している。引用は避ける。また作業が横道にそれるからだ。

晴れ。寒気が戻ったというが、かつての厳しさはどこにもない。時たま冷たい風が吹くが、日差しが冷気を抑え、そよ風かと思い紛う。
gahag-0052559732今日はひな祭り。初孫が女の子であれば妻方の親が、婿の親へ見栄を張り雛壇を買い調える。
平安貴族の子供の遊びごとが变化して今に伝わったという雅な行事は、いつしか旦那嫁両家の見栄の張り合いの泥仕合の場となり、その様相は部外者にすれば傍で意地悪き視線で視線で高見の見物としゃれ込むのが一番おもしろい。
次は男の子の端午の節句五月人形の出番だ。旦那の実家の親たちが雛人形に負けないものをと財布を大きく開けるのを待っている、東京浅草橋や大阪松屋町あたりから舌なめずりと算盤の音が聴こえくる。
年を取るとは厭なものだ。女の子の成長と幸せを願う桃の節句をこんな風に斜交いに視てしまう。
かつて自分も妻とともに娘の行くすえ幸い多かれと喜々として、ささやかだが雛人形をかざり、ちらし寿司と蛤の吸物で祝ったはずなのに。
「お内裏ちゃまとお雛ちゃま~♪」と、幼稚園で習ってきたという歌をおぼつかなく唄い、親馬鹿の目を細めさせた娘もこの月26になる。今さら女の子でもないが。
食い意地が張っている口卑しき私はひな祭りといえば蛤しか思いつかない。
蛤は今が旬だ。これから産卵期を迎え身がぷっくらと肥えている。しかし今では高価過ぎておいそれと手が出せない。スーパーの中国産ですら小粒のそれが5、6個ワンパック500円近くする。とてもじゃないがおそれ多くて吸物の具扱いにできる代物ではない。
大阪からこちらに移り住んだ頃、明石の魚の棚商店街まで自転車で行き、たしか千葉産と書かれた大きい蛤が一ざるに10個ほど入ったのを600円ほどで買ってきた。今思えば超破格値である。
妻の実家の前は浜辺になっており、そこで春の宵のBBQとしゃれこんだのだが、さっそく蛤も網の上に乗せられた。暮れゆく浜辺の向こうに淡路島が春霞に浮き、潮香りが風にまじるなか、殻を開けた蛤に垂らした醤油の匂いが漂う。
焼きたての、舌がやけどしそうなのを口の中でなだめながら、貝のむっちりと弾力がある肉を咀嚼すればほとばしる旨味の熱汁。それはなんともまあ香ばしく、そして野趣の中の洗練、という他はない味で、一升瓶から手酌のコップでやる酒がどんどん進んだ。
いつのまにか月の光は波と浜を煌々と照らし、酔いもまわってまさに桃源郷。その代償は次の日の地獄の二日酔いであった。

(記事中画像はイメージ。このサイトの版権フリーのものを使用)

晴れ。朝晩の寒さがやや緩和されている。
秋と春は夕暮れの色が濃い。昨日より太った月が手を伸ばし夜の帳を下ろそうとしているその横で金星が早くも煌めきだしている。
煌めく星もあれば、墜つる巨星もある。
日本の音楽シーンに多大な影響を与えたかまやつひろしという巨星。
いわずとしれた元スパイダースの音楽リーダー的な存在で、60年代後半のGS黄金期を牽引した。
他のGSほとんど、タイガースやテンプターズを筆頭に音楽性そのものよりアイドル性が重視されていたのだが、スパイダースは違い、いち早くおもに英国ロックのエッセンスを核にレベルの高い楽曲をものしていた。その要石みたいな人だったのだ。
スパイダースの楽曲を聞いていると例えば「あの時君は若かった」の間奏部分でトレモロ奏法のギターが入ってくるが「あ、これはビートルズの『バック・イン・ザ・USSR』にインスパイアされたな」とニヤリとし、「ノー・ノー・ボーイ」の出だしのメロディなんかは同じくビートルズの「『チケット・トゥ・ライド』のサビメロやんか」とこれまた苦笑いしたくなる。「サマー・ガール」なんて、まあこれはアメリカのバンドだけどビーチボーイズのハロディだ、と洋楽好きにはたまらない「遊び」を入れてくれたものだ。
かまやつ作曲のオリジナル「バン・バン・バン」のリズムとギターリフなんか当時の日本では先進的過ぎてセンス抜群だなと。当時のロック小僧予備軍の小学生が生意気にもほざいていたものである。
ちなみにユーミンの才能をいち早く見いだしたのもこの人。天才は天才を知る。
あのロン毛にニット帽、年をとってもスレンディな体つきはブーツとデニムがむちゃくちゃ似合っているかっこいいおじいちゃんそのもので、どうせ年取るならあんなかっこいいじいちゃんになりたいと思っている。
この人のこの歌が好きだ。あんまり流行らなかったけど。合掌。

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