利用しているSNSはミクシィであるが、友だちになっていただいているメンバーの「つぶやき」や「日記」を一通り拝見した後、ミクシィニュースに立ち寄る。
ニュースサイトのミニ版みたいなものだが、凶悪事件などに寄せられるコメントを見ていると、必ずといっていいほど、「容疑者の名前が出てこないのは特A国(韓国・北朝鮮・中国をまとめて、かの国や人が大嫌いな人が揶揄してこういう)の人だから?」や、どうみても容疑者の名前は日本人のそれなのに「どうせ通名なんだろ」とか、苗字がたとえば「金田」「金本」や「新井」「高山」などとあれば「だから○○○(朝鮮民族の人を見下して呼ぶカタカナ三文字)はこれだから」と在日の韓国・朝鮮人を罵倒する言葉でもって得意げに書きたがる人がいる。
いまだにこんなことを言っているのかとわらいたくなる。
いわゆる「ネトウヨ=ネット右翼」と呼ばれる人たちである。「在特会」をはじめとした主にネットで、在日特権がどうのこうのとかまびすしく騒ぎあっている人たち。
この「ネット右翼」の連中の思想や行動論理が、まっとうな右翼のそれで理論武装をしているのかどうか疑わしい。
ためしに連中に、右翼なら避けて通れないマストパーソンである北一輝、保田與重郎、山口二矢など知っているかどうかとぶつけても、おそらく「誰それ?」な反応を示すであろうし、かつて三島由紀夫が陸自市ヶ谷駐屯地に乱入、東部方面総監を人質とし、自衛隊に蹶起を促す演説のはてに自刃したことを、その是非はともかくとして系統立てて説明できるか訊いたところでしどろもどろであろう。
日本共産党の下位運動家たちが、共産主義の理論を日共の見解や党が出すパンフや出版物を通じてしか知らないように、あるいは創価学会の信者が学会の、主に池田大作が解釈した仏法を学び、そのことでもって仏教全般について理解したと勘違いしているように、ネット右翼の人らは自分たちの都合に合わせた誤解に満ちたコリアン、中国人像をあれこれと憎々しげな方に増幅せしめたものをよすがとし、ネット上でこねまわずだけのものに依拠しているだけなのである。
ネット右翼のほぼ全員が、自分が今ある不遇的な環境の原因は、「特A国が出自の在日の奴らが特権を恣ままに行使しているからだ」と、これまたネトユヨ仲間でこしらえた荒唐無稽もいい「共同幻想」の中で彷徨しているに過ぎない。
在日特権などそもそもあるわけがなく、よしんばそんな特権を構築するためには在日出身の政治家や中央官僚が政官両界を牛耳なければとてもじゃないと出来ないことくらい、少し考えてみたらわかりそうなものなのに、それにあえて耳目を塞いで、思考停止のまま在日が多くすむ東京なら新大久保、大阪なら鶴橋などで徒党をなし、文字にするのも口にするのも憚る蔑視の言葉で在日の人らを攻撃している。
在日のほとんどの人は日本国籍を取得して帰化した歴とした日本国民である。それに対して、同じ国民がヘイトスピーチで攻撃する様はどこか滑稽で笑えないブラックジョークだ。
ヘイトな表現に関して最近では法令や条例などの規制がかかり、かつてのような醜悪の一語につきるデモは見かけなくなったのは同慶の至りである。
しかし、何の罪もない在日の年端もいかない子供たちにとって、先ほどの蔑視語差別語に続けて「日本から出て行け」「死ね」だの「ウ○コでも食っていろ」だのと、いい大人たちにラウドマイク越しに下品を通り越し、人格すら崩壊させてしまいかねない言質で罵倒された心の傷は永遠に消えまい。
憎悪は所詮憎悪しか生み出せない。いつか、攻撃していた大人たちの子供が逆に憎悪の言葉を投げつけられる可能性も大いにあるのだ。
通名に関してもそう。劣等感にまみれ人間性そのものがイジけたネトウヨ如きがそれをいうのはまず措いて、真性右翼にひたすら近い保守の論客の一部には「あれは我が国が朝鮮半島を保護下においていた時代、『創氏改名』の折、日本人名を名乗ってよいという当時の朝鮮総督府の通達があり、自分から進んで日本人のような名前に変えたのである。決して改名を強いたわけでない」という解釈がある。
たしかに表面上はそうであろう。しかし儒教の精神を自分の生の根本に置いている朝鮮民族にとって、先祖からの名前のたとえその一部の字を織り込んだものとしても変えざるを得ない、つまり改名しないと何かと不都合や不利な局面が生じる状況に追い込まれていたからであって、なにも好きこのんで「自発的に」変えたわけでない、ということに想像が働かないのだろうか。
まさに他国を植民地として統治している側の強者の論理でもって解釈している、おのれのその傲慢さに気づかないのだろうか。
弱い立場にいる人に対する想像力の欠如が、自分より弱い立場にいる者を攻撃することによって、社会の底に置かれてしまった自分の今の状況のカタルシスとしたい心理と結合し、心から余裕と寛恕をなくし民族差別を増幅させている醜悪な連中は、たとえばYouTubeにネトウヨ的解釈でアップされている国会中継の、「(野党議員を)フルボッコ!」やら「(野党の質問に)安倍総理大激怒!」「(野党を)軽く論破ザマァ」などと、なんの工夫もひねりもなくやたら大仰で扇情的なタイトルを付けられた(実際はこれのどこが「激怒」なんだと呆れてしまう代物だが)動画を見ているのである。
この連中のおかげで、YouTubeで少し前の国会中継を見たいなと思っても、ネトウヨ的解釈のそれが検索上位にずらっと並び、うっとうしいことこの上ない、と私もつまらない鬱憤ばらしで長々と書いてきたものである。
しかし怒りのエネルギーはすごいものがある。ここまでひたすら一気に書き上げられた。まだまだボケるには早いわ(笑)
kokkai

「スポーツが嫌いな中学生を現在より半分減らす」。
スポーツ庁がこんな目標を掲げた。まったく余計なお世話。
子供の頃から現在も、観るのはともかく、スポーツをやることなど大嫌いな私のような人間にとって、国がこんなことを子供に押しつけてくるなんて、おぞましきこと以外の何物でもない。
中学の時は仮病、高校の時は授業エスケープで、とにかく体育の時間から逃げていた。
「運動音痴は練習すれば克服できる。そしたらおまえも嬉しいやろ」と高校の時などは、単細胞運動バカを絵に描いたような体育教師に職員室に呼ばれ、いかにも頭が悪そうなお説教めいたものをくらったが、(体育バカほど物の本質をまるで理解できていない、ハナから理解しようとしないし、そもそも理解できる能力に欠けている。まあそれだからこそ体育の教師になったのやろね、あんたは)と心の中で毒づきわらいながら、一応センセイの顔を立てて話だけは聞いてやっているふりをしていた。
運動音痴でもいいではないか。何が悲しくてしんどい思いをして走ったり跳ねたり、ボールを蹴ったり投げたり、プールで泳いだり、体育祭(学校行事で一番嫌いだった!)の時には組み体操などさせなければならないのだろう。
こんなことで時間を費やすなら、漫画でもいいから本の一冊でも読む、音楽を聴く、絵を鑑賞する、上質な芝居や映画を観る方がよほど人間形成に役立つ。
体育の授業など、スポーツ選手を目指す人間以外には、な~~~んの役にも立ちまへん、というのが今も変わらぬ私の持論。
たとえば8段の跳び箱を飛べたところで、お猿さんじゃあるまいし「それがどうしたん?」としか思えない。
あるいはスポーツを通じてチームワークを学ぶてか?。私、そういうの、チームワークというの大嫌いな人なんですぅ~。
「一人はみんなのためにみんなは一人のために」って?やめてくれ。
「一人は一人のために、みんなはみんなで勝手にやっといてくれ」な人なんです。いいでしょ誰に迷惑かけるわけでなし。
それにしても、ここ数年、国家は国民の日々の生活レベルの事柄、個人の生き方に至るまで何かと茶々を入れたがっている。
「結婚しない自由」「一人でいる自由」「子供を産まない自由」「無職でいることの自由」「「国家を愛さない自由」「国旗に背を向ける自由」「あえて過激派やテロ集団を支持する自由」「人に迷惑かけず刑法に抵触せず公共の福祉に反せずならば何をやっても言っても書いてもいい自由」その他諸々の、個人の心の中で決めることまで土足で入り込もうとしている。
そして心のヒダをそのつま先でめくり上げ、(国家が公認した)「愛国心」や「公徳心」という価値観を上から刷り込み、国家やそれに統べられた社会にとって都合のいい人間ばかりを生み出そうとしている。
物事を深く考えるのが苦手で邪魔くさい体育会系的人格、上が白いものでも黒といえば「黒です」と即座に答える単純な人格の持ち主を作るのに躍起となっている。
国家がスポーツに身を入れだしたら危険信号。
人間関係が上意下達であるのが基本のスポーツ育成は、そのまま軍隊教育に応用出来る。唯一体育の授業が役に立つとすれば、軍隊を通じた人殺し、だけであろう。
戦前の日本、ドイツ、旧ソ連など体育教育にやたらと力を入れていた。その結果は…

さて今日から6月。今月を送れば1年の半分が過ぎたことになる。早いものだ。
一昨日から、プロ野球交流戦が始まったわけだが、2009年のシーズン以外はすべてパ・リーグが勝ち越している。
1975年のシーズンから指名代打制(DH)を採用しているパ・リーグが有利になるのは最初から目に見えていた。
野球は1チーム選手9人のみグランドに出られるのが基本的なルールだが、DH制となると10人が出ることになる。
バットを振れば貧打か三振か、それなら何もしないでバッターボックスで立っておけ、なピッチャーが打席に入らざるを得ないセ・リーグに比べ、パ・リーグは守るのも走るのも苦手だが打つことだけは誰にも負けないという選手がもう一人加わり、ピッチャーに代わって打席に入るのだから、勝負はハナから決っているようなものだ。
交流戦や日本シリーズではパ・リーグ側主催試合ではセ・リーグもDHを使えるが、そもそもDH制がないセ・リーグにDHの存在を頭に入れたチーム編成やゲーム構築は原則的にやっておらず、どうしても不利な戦いを強いられる。
交流戦誕生から今年で18シーズン目を数えるわけだが、交流戦はパ・リーグにとってはその存在価値をアピール出来る絶好の機会であり、とりわけ巨人や阪神、最近では広島といった人気球団相手には自チームの表ローテのエースを最初からぶつけてくる。
つまり本気になってかかってくるわけだ。地上波でも中継されることがあるので、まさにチーム一丸となって挑んでくる。好球必打、いい珠がくればすかさずフルスイングで打ちぬく。
とかく細かい野球が多くなりがちなセ・リーグのゲーム運びに慣れてしまったファンの目には、パ・リーグの豪快な野球は新鮮で魅力的である、面白い、だから新たにファンを増やせた。
パ・リーグのフランチャイズ重視地元ファースト主義と交流戦のお陰でパ・リーグの人気は飛躍的に高まった。
パのチームの各本拠地での1試合あたりの観客動員数が10,000人を超えるのは当たり前となった。
これは冗談でなく、70年代のたとえば近鉄や阪急のシーズン末の消化試合の頃など、球場の客よりも、審判やボールボーイを含めたグランドに出ている側の人数の方が多かったというゲームがあったのだから。
それが今や、セ・リーグの不人気球団よりも観客動員数で上回るチームが2、3ある。
なにかと小舅根性を剥きだして「今のプロ野球はダメだ。俺や王や長嶋がいた頃の野球の方が」とボヤキだす野村克也翁は鬱陶しい限りだが、「指名打者制と予告先発だけはなんとかせい。あれがプロ野球から面白さと奪いとった」と常々言っていることには両手をあげて賛成だ。
明日のゲームの先発ピッチャーを予想し、それに合わせた相手チームの先発オーダーを組み立ててみる、という監督ゴッコの段階からゲームを楽しめたのに。
前述したが、DH制など最初からアドバンテージを与えて不均衡状態で試合をやるようなもので、これでは面白みが半減する。
パ・リーグにもホーム地元を軸として固定的なファンが増えたので、そろそろDH制をやめたらどうかと思うのだが、なんとあの読売の法皇渡邉恒夫老がこれをセ・リーグにも導入したらと言い出した。
まこといつまでも身勝手な爺様である。ガチガチの巨人ファースト主義者だから致し方がないのだが。

前回はネットや若者言葉が由来の、大人が遣って気恥ずかしい言葉について書いた。
今日は逆に若者や時代の先を歩いているつもりの大人たちに「なにそれ? 分かんないっす」と首をひねられるが、私たちの世代以上が普通に遣っていた、今や死語同然の言葉たちを思いつくまま並べていこう。

「アベック」。今でいう「カップル」であるが、単数の男と女が屋外で仲良く時間を共有している状態、と大雑把に定義しておく。
共有の所以は恋人同士、友人同士、会社の同僚同士を関わらず広く遣われてきた。
この言葉、今世紀初頭にはすでに半死語状態で、「昨日、山田と田中がアベックで歩いていたよ」と遣えば「おいおい、アベックとはまた古い。カップルでしょ」と揶揄されたものである。
英語の前置詞「with」にあたるフランス語の「avec」がその語源らしいが、今でも年輩者はカップルよりもアベックの方を多く遣う。
男女の別なく対の二人が仲良く何かをした時にも使用されていた。
「数多くのONのアベックホーマーが巨人の昭和最後の黄金時代を築いたのだよ」と言っても今の若い人にまず通じない。
「打順3番の王と4番の長島の連続本塁打」のことを昔はこう報じていた。
アベックホーマーはON砲の連続本塁打だけに遣われていたように思う。ちなみにホームランのことをホーマーと和製英語的に略することも今ではほとんど見聞きしなくなった。

「彼女(彼氏でもいいが)とBまで行ったよ」。男女のつきあいの親密さの度合いを、Aはキス、Bはペッティング、Cはセックスと表していたのもいつのまにか消えてしまった。
「で、昨日の彼氏とはどこまで行ったの? B飛び越えてCまで行ったんじゃないの?」「んもう。課長のエッチ。失礼ね。Aもしてませんよ」などといった会話が昔は普通にオフィスで飛び交っていた。
あの頃が、おおらかでいい時代であったかどうかの評価が定まるにはまだ時間がかかるであろう。

「チョンガー」。後輩同僚の30代のチョンガーが「なんですか、チョンガーって」ときた。
独身男性のことを昔はこう呼んだ。ちなみにそれより昔はヤモメ男。
チョンガー、韓国語由来である。絶滅危惧種的存在期を過ぎてほぼ絶滅したものと思われる。
私の周囲の私より年輩の者も口にしない。「独り者」の方を遣っている。

「ビフテキ」。私の80代になる父母の口からステーキという言葉がいまだ出たためしがない。親父なんぞは単に「テキ」と言う。「たまにはテキ食うて栄養つけな」とか言っている。
もちろんビーフステーキの略であるが、昭和40年代終わり頃まで、至極一般的にビフテキと呼んでいたように思う。上流階級の方々に於かれてはいざ知らず。

「実況録音盤」。ライブ盤のことをこう言った。
「狂熱迫力の後楽園球場実況録音盤。アメリカンニューロックの神髄が炸裂する!」という惹句が書かれた帯が、フランク・レイルロードというロックバンドのLPレコードに賑々しくに掛けられていたのを今でもありありと思い出す。
ちなみにLPレコードなる言葉、一度死に絶えたが、最近のアナログレコード人気であらためて接したヤング諸君(これも死語ですな)もいることだろう。
ロックバンドの話が出たのでついでに。ロックやグループサウンズのメンバーの楽器パートを、昔はエレキギターを第1ギター、エレキベースを第2ギターと、LPのジャケットや付録のライナーノーツに書かれていたように思う。

「レッツラゴー」。レッツゴーの別の言い方。これは短命だった。70年前後の数年間だけ、当時のナウなヤング(笑)が口にしていたように思う。
ら抜き言葉の是非が問われて久しいが、こんなところに余分な「ら」が入っていたので、差し引きゼロということで是認すればいいだろう。

「洋服を着ていく」。今でも普通に言わないか?
いや言わない。わざわざ洋服と断っているのは、当時まだまだ、特にご婦人方に和服姿の人が多かったから。
普段着に和服を着て、その上から白いエプロンというより割烹着を付けていたお母さんは結構いたものだ。
その後ろ姿は朝の味噌汁を作る母親の姿に直結する。それは味噌汁(おつけ)の実の大根を刻む音がセピア色の絵の具となり、淡い記憶となって茫洋と蘇る。

「部佐君悪い、これゼロックスしてきて」。
これこそ、今の40代の人でも「なんすか?それ」とキョトン顔になろう。
私が生まれて初めてアルバイトをした高校時代の終わり頃に耳にした。
「え?」という顔をした私にバイト先の人は「コピーしてきて欲しいと言ってるの」。
70年代の半ばまでゼロックスはコピー機の代名詞的存在で、大企業ならともかく中小企業のオフィスに設置するには、たとえリースでもまだまだ超の字がつくほど高価で、都心部のあちらこちらには煙草屋の数ほどのコピー代行店があった。
そこまで出向いてコピーをとってくる行為を、企業名を動詞化して「ゼロックスする」と言っていたわけである。
今でこそコピーは普通に白いコピー専用紙を使うが、あの頃は青焼き方式であった。
ブループリント。これは今なお建築や建設の世界では残っているるらしく、設計図や工事施工図を青焼きしているところもままある。

駆け足で書きぬける。「ノイローゼ」や「光化学スモッグ」はどこへ行った? 「自家用車」は「マイカー」となり、その「マイカー」すら死語になりつつあり、「衣紋掛け」に掛けておいてが通じなくなり、「三つ揃えの背広」は背広すら使用頻度が激減し、「シケモク」って何?の前に煙草そのものが青色吐息状態で、しかししぶとく生息し、「ウナ電」「はぁ?鰻丼?」「違う!大至急電報のこと」「スマホあるから意味ナイっしょ」となる。
「あたし、今日アンネなの」、なにゆえナチスドイツの犠牲となったオランダのユダヤ人少女の名前が、日本では女性の月々のものの言い換え言葉となったのか未だわからず、しかしまあこういう古い言葉や言い回しを書いていると次々と出てきて、「すこぶる」「ゴキゲン」な私であった。

ちょっと疲れたので、「甘食」か「蒸しパン」が欲しいところである。
「蒸しパン」はともかく「甘食」とはなんぞやを知らない人は結構多い。興味のあるむきはググレカス!←ほらね、ネット由来の言葉ってキタナイでしょう。

出来うる限り端正で正確な文章を綴りたいと思う。
美文や名文でなくともよい。つか…、そう。この「つか」が問題である。
「…名文でなくともよい。というより三島由紀夫や志賀直哉のような美文、名文など土台書けるわけがない」と綴ろうとしたのだが、「というより」の部分で、つい「つか」が出てしまった。
ネットの普及で、たいそうおかしな日本語が氾濫している。
この「つか」や「~じゃね?」「とりま」「てか」「どうよ?」「ハンパない」「ぶっちゃけ」等々枚挙にいとまがない。
すべてがネット特有の言葉でなく、おそらく若者の話し言葉が由来のものもあるが、これらの語彙が耳目に触れれば気に障って仕方がない。
「とりま」など、最初さっぱり意味がわからなかった。
「とりあえず、まず」というのを短縮したものだと分かったのはつい最近のことである。
唖然とした。なんで…ああ、また出てきた。「なんで」。これもいい大人が口にしたり書いたりする言葉ではけっしてない。この場合「どうして」だろう。
「なんで」と話し言葉で遣ったり、地の文として書くことを赦されるのは高校生まで。
話を戻す。どうして「とりま」と短縮しなければならないのだろう。
今の若者はそんなに時間に追われているのかな、と皮肉っていればいいが、それなりに齢と経験、知識や見聞を積み重ねてきた大人が、平気で「とりま」などと遣っていると、こちらが気恥ずかしくなってくる。
これらのハズい…、噫々、また出てきた出てきた。「ハズい=恥ずかしい」言葉がふんだんに出てくる文章を目にすると、この人いいこと書いているのにまことに残念、と読むのをそこで止めてしまう。
一度、これらの語彙や言い回しをふんだんに遣って400字でいいから文章を書いてみたらいい。
そして読み返してみる。それで穴があったら入りたいと思わない中高年は、自国語に対し鈍感極まりないとしか言いようがない。
文章にも品格があることを知らずして、人生を終えてもいいのであろう。
と偉そうに書いてきたのは、自分のこのブログを読み返してみた上の自戒と反省の意味を込めて、である。
大人なら「少なくとも文章を書く時には死んも遣いたくない語彙や言い回し」を決めておくべきだと思う。
日本語は時代とともに変遷する。それはわかる。
しかし本を読んでいるうち、ゆくりべく美しい言葉に出会うことがある。
それらの言葉は何百年にも亘って生き残ってきたものばかりである。
今遣った「ゆくりべく」もその一つである。
初めて出会った時、辞書にあたりその意味を調べ、なんと雅な言葉だろうと、いにしへ人の豊饒な感性に想いを馳せた。死んだ後、生き返ってでも遣いたいと思った。

数日間、走り梅雨ような空模様が続いたが、昨日の昼過ぎから回復しだし、今日は快晴だった。
雲一つない蒼天、といえば嘘になる。多少の雲の白さが五月の空らしい紺碧の色のいいアクセントとなって、時折の強めの風にゆったりと動いている。
夜勤の仕事の日だが、妻も娘もそれぞれのパートやバイト休みで、それならばということで、大阪の私の実家に父、介護施設にいる母の機嫌伺いに3人で行った。
父は嫁と孫の手料理に相好を崩し、母は同じく彼女たちばかりと話を弾ませていた。
いささか憮然とした面もちで私はそれらの光景を見ているしかなかったのだが、老いたる父母が喜んでくれたならばそれで良し。不肖の馬鹿息子の毫の孝行の巻であった。
往復、阪神電車を利用したのだが、帰路に梅田に立ち寄り、阪神百貨店地下に行き、女たちの夕餉の菜を数種買うのにつきあう。
娘が「劇団四季の劇場ってどこにあるの?。友だちがこの間『キャッツ』を観てきたんやて」と言うので、一端地上に出てヒルトンウエストの前面にある劇場入り口を見せる。
妻が「いっぺんでいいから観てみたいわ。私は『マンマ・ミーア』が好きやなあ」と、劇団四季なんぞに何の興味もない私は彼女らのおしゃべりを傍で聞いているだけ。
どうも、今日の私はいわゆる「ハミゴ」にされているようだ。いや、いつもか。
高層ビル群特有の風巻(しまき)があった。風は妻の娘を髪を刹那につかみくしゃくしゃにしたままどこかに去っていった。
妻の頭のてっぺんが若い頃より、いくぶん薄くなっていて、毛根部分が白くなっていたのはわかっていたが、観劇したいという妻の言を聞きながら、それをあらためて見たのはつらかった。
妻と出会い、つきあい始めた頃、ヒルトンホテル(今のヒルトンイースト)が建ったことをふと思い出した。
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日本初の国産バーガーショップチェーン、ドムドムが風前の灯火である。
80年代前期の全盛期には400を数えた直営の店舗は今や全国に9店舗しかないという。
ダイエーがあれば、そこに入っているファーストフード店はこのドムドムと決まっていたから、都心部の繁華街を中心に店舗展開していたマクドナルドに行くには遠いし、今と違って場所柄若者客が圧倒的に多く、その中へ入っていくのにはどうしても構えてしまう層たちにとって、日常の買物で慣れ親しんだダイエー内にあるドムドムは、それこそサンダル履きで買物かごやレジ袋を下げても気軽に入れる雰囲気があり、たちまちのうちに地域密着型のファーストフード店として、主婦層や学校帰りの制服のままの学生、あるいは子供たち同士、その子供を孫として連れてくる高年齢層の支持を得た。
「わたしらでもマクドナルドの雰囲気が家の近所や下校途中で味わえる」。
今思えばこれが最大の売りだったように思う。
かくいう僕もファーストフードとしてのハンバーガーとのファーストコンタクトは、このドムドムであった。
70年代半ばにかけて、中学生であり高校生であった僕らにとって、マクドナルドは大学生以上の「大人」が出入りする店、それはまだまだ憧憬するだけの存在であり、ドムドムこそマクドナルドのオルタナティヴであり、しかしけっしてエピゴーネンではない存在であった。
あの頃、ハンバーガーひとついくらしたのか覚えていないが、シェィクなる飲み物、大根でいうところの千六本切り状のポテトフライは新鮮であり、○○駅前のダイエーにあるドムドムのシェィクは粘り気がありなかなか溶けない、△△市役所の隣にあるドムドムのポテトフライは塩気が強い、など自分たちの通学圏内にある各々の店舗の違いについて他愛のないことを言い合っていたものである。
マクドナルドのように、日本国内独自や限定のメニューを出すには、一応アメリカの本社にお伺いをたてるという手続きをふまえる必要がないドムドムは、かなり柔軟に日本人の好みに合うようなメニューを出してきた。
お好み焼きバーガーが出た時は、ここまでやるかと笑ってしまったことがある。
そのドムドムが終焉を迎えようとしている。
上述の若い頃の思い出があるだけで、それが多少感慨めいたものを抱かせるが、終焉を惜しむ感情には至らない。
子供が小さい頃、大阪の実家に里帰りの折に、京橋のダイエーにあるドムドムに連れて行った記憶がラストであった。
ドムドムの終焉も、僕の来し方の流れにおいて下流に消えていく事象のひとつに過ぎない。これから先、下流へと向かうそれらが多くなる一方であろう。
上流にあらたに生まれるものが、どんどん少なくなってくる。
老いとはそんな上流を諦念の術なき面もちで見上げるしかないことである。
ドムドムで未来を語り合っていた中学生なり高校生が、その頃聞いていたフォークソングの一節、「年老いた男が川面を見つめて時の流れを知る日が」今まさに来たのであった。


(ドムドムの店舗画像を載せようと思ったが、何かと差しさわりがあるのであえてやめた)

昨日は典型的な五月晴れの一日であった。
雲もほとんどなく、紺碧に近い、「青」よりも「蒼」の字をあてたい色の空が思いきり四方余すところなく伸びきっていた。
思い出したかのように吹き渡る風はまさに薫風。
その風に乗って、最近とみに目にするようになった燕が風景を切っていく。
と、ここまで書いてきた日和のよさの代償は、まだ5月半ば過ぎだというのに、梅雨期を飛ばしてはや7月初旬並みの気温であった。
早足で10mほど歩くと、さっそく汗腺が皮膚を蹴り倒し汗を吐き出す。
この時季でこの気温では今年もまた猛暑となりそうだ。
ここ数年、猛暑というより酷暑の夏が続いている。
地球温暖化のせいであるが、その因を作ったのは人間である。
自業自得、因果応報であり地球温暖化に文句を言うのは自分に唾することだ。
どうせなら、食べるものだけでも、さっさと先に夏の気分に慣れさせておこうと、そうめんをゆがいた。
「揖保乃糸」を4束ゆがいた。
「揖保乃糸」の宣伝をするわけではないが、やっぱりそうめんは揖保乃糸、である。
そうめんは細さが命で、細ければ細いほど舌触りの感触がシルキーで、それでいて手延べ特有の腰の強さを奥歯で味わえる。
いいそうめんは、こちらから食べにいかなくとも、そうめんの方から口の中に飛び込んでくる。
箸はほとんど使わない。
つゆを入れた小鉢から、鯉が滝昇りをするようにするするすると勝手に口の中に入ってくる。
「おいおい、ちょっと待ってくれ」と、そうめんを抑えたくなるぐらい勢いよく入ってくるのである。
1~2束あたりをちょこちょこと啜ったところで、この醍醐味は得られない。
やはり3束以上は、氷を浮かべた大きな器に、てんこ盛りでないと楽しめない。
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このブログ、途中ブランクがあるものの今年の9月で足かけ8年目となる。
まあ、何度ブログタイトルを変えてきたか。自分でも呆れている。生来の飽き性が災いしているに違いない。
しかしなんだかんだ言っても続けてこれたのもこれひとえに閲覧してくださる方がいるからである。
拙ブログ、今年1月の再開から半年近く経つが、今更ながら、ちょっと厭になれば止めてしまうことの無責任さに思いをいたし、たとえ一人だけでもお読みくださる方がいるのなら、畢竟それはこんなブログでも楽しみにしている人がいるわけで、おいおいそれは大仰だよと笑われそうだが、それなりの責任すら感じる今日この頃である。
あらためて読者各位に謝意を表したい。
風のようなブログでありたい、とブログタイトルを変えた。風のようにさっと通り抜けていくような。
さっき吹いていった風が、一葉を足元に落としていった。
おや?葉っぱになにか書いてある、と拾って読むと、なあんだ、たいしたこと書いてないなあ、しかし最後まで読ませたな、見させたなと刹那に感じていただけたら幸甚でありたいブログになればという意味を込めた。
風にちなんだ僕なりのフェバリットソングを添えながら、感謝の言葉に代えたいと記事を結ぶ。
ただし僕の年齢が年齢であるから、古い歌ばかりである。それもいにしへに聞ひてゐた…。
いつの季節でもやさしい風がふわりと吹いてきたら、つい口ずさんでしまう古い歌たち。
どうか諒とされたい。あえて歌のタイトル、アーチストは記さない、というよりYou Tubeが書いてくれている。













もっともっとあるのだが、JASRACに怒られるのでこのへんで。

今日は仕事休み。
ぶらりと散歩に出ようと思ったが、なんだか雲行き怪しく、とにかく傘を持つのが厭なので止めにして、You Tubeや無料の動画配信サービスを興味と関心のままにまったりと楽しむ。
最近の国会中継は面白い、と気楽なことを言っててはいけない。
民草が花見を楽しむことまで「怪しい!あいつらテロをたくらんでいる。見ろ。カメラでそこらじゅうを撮っている。あれはテロの準備に違いない。けしからん。ひっ捕らえろ。証拠?そんなもん取り締まる側が作ればいい」となりかねない法案が国会を通るか通らないかの瀬戸際だもの。
これまでの法務大臣や官僚などの答弁を見ていると、どう考えても無理筋もいい法律。メディアの大方が「共謀罪」と名づけたがるのもうなづける。
安倍総理大臣に至っては論点のすり替えがミエミエで、本人も心の奥深い場所では少しは「戦前の治安維持法に似ていないとも言えないなあ。でも一旦言っちゃったもんどうしようもない」てなことを思っているからこそ、野党側の追求に逃げの一手としか思えない受け答えをやらざるを得ないんじゃないか。
そんなことを考えていたら、思考がただでさえあちこち飛ぶ頭である、なぜか由紀さおりの「夜明けのスキャット」が聞きたくなって、You Tube内を検索散歩していたら、途中で五木ひろしの「夜明けのブルース」という歌に寄り道してしまった。
イントロからエンディングまで聴き通してしまったのは、テイストが昭和歌謡そのものだから。
クラブ(踊る方でない、いわゆるおっちゃん好みの、銀座や北新地にいっぱいある方の)で唄うよりも、どちらかと言えば場末のスナックで、僕ら年代以上の歌巧者のおっちゃんが好んで唄いそうな、ドがつく演歌ではなくムード演歌に近い作りである。
イントロのラテンリズムにノリノリで飛ばす五木ひろしの指パッチンと腰振りが相変わらず昭和歌謡である。なんのこっちゃ。
ブルースと銘打っているが、本物のブルースとは似ても似つかない曲になっているのが昭和歌謡である。
森進一の「港町ブルース」とか、天知茂の「昭和ブルース」とか、いったいこれのどこがブルースやねん、とBBキングやミシシッピー・ジョン・ハート、ロバート・ジョンソン、エルモ・ジェームスあたりを聴きまくっている人が怒りそうな、日本独自の歌謡ブルースも昭和歌謡の典型である。
サビの部分で意味もなくファルセットの女性コーラスが追っかけでかぶるのも昭和歌謡で…ってもうええか。
ちなみに五木ひろしの横でフェンダー・ストラトキャスター(と思う)をカッコよく弾いている人が歌詞ともに作った人で、レーモンド松屋という、マンションと牛丼店を混ぜたような名前の人は四国では知らぬ人がいないほどの有名なアーチストらしい。
僕とて昭和歌謡が骨の髄まで染み込んでいる男で、なんだかんだといいながら2回リピートして聞きました。いい曲だなあ。
商店街の外れにありそうなスナックで歌いたいな。紫色の地に金の文字が「シャネル」と入った外置きのネオン看板が煌々と光っている店。
この手のスナックではおなじみの、網タイプの黒ストを履かせた脚をタイトなスカートで包んだママがチャカチャカチャカチャカ、タンバリン叩いて、チーママがマラカス、カシャカシャカシャやりながら、心のなかで「なんちゅう下手な歌、唄いやがんねん、こいつは」と毒づきながら、そこは客商売、「素敵よ~、ブサイクちゃ~ん。唄い終わったらボトル入れてや~」なんて掛け声かけて、で僕はますます調子こいてマイク持つ手の小指をこれ以上は無理というくらいまで立てるわけなんですよ。昭和だ。

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