昨日、安売りドラッグ店でなにげなく買った「はちみつ飴」。 
他になにも加えず、特殊な製法ではちみつだけで飴を作ったというのが売りだが、これが意外にビンゴ。 
「こんなものね、所詮は気休めですわ」と買った本人が小馬鹿にしつつ、1個2個としゃぶっていたわけだが、今朝目覚めてからまったく咳ひとつしなくなった。
あれほどゲホガホゲホガホに苦しまされてきたのに、まったくのシ~~ン。 
ハナから疑ってかかっていただけにいわゆるフラセボで症状が緩和しているのではないのは確か。 
階段を上ったら息苦しさもあいまって5分近く咳込んでいたのが、軽いコホンのひとつも出ない。 「へえぇ?えらいもんやな」とあらためて税込み181円のその袋を手にしてためつすがめつ眺めたものである。 
今までに買った咳止め薬やキャンデーの類、ありゃなんだったんだ。トータル3000円近くつっこんで来たぞ。金返せこら。 
たまたま私の身体に合ったからかも知れ ないが、ここまで効くとは予想だにしなかったので、あらたに3袋ほどまとめて買った次第。 
久しぶりに咳にむせぶことなくラーメンを啜ることが出来た。
家の近所の肉屋の評判のバラ肉チャーシュー。ちょっと今日のは不出来でやたら固いわりには肉脂のジューシーさが味わえなかった。 
ラーメンといえば無性に大阪梅田揚子江の、あるいは駅前2ビル地下の倶知安の、高井田のあのぶっといラーメンが食べたくなってきた。
大阪の実家や介護施設に入居している親を訪った後、絶対どれかのラーメン屋に入るぞと思うのだが、当日になったらそれほど食べたいと思わなくなる、こんなものいつでも食べられるものだから次でいいかと見向きもしなくなるのもラーメンという普遍的な食べ物らしいといえるかも知れない。
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築30年以上の集合住宅である。
すきま風が否応なしに入ってきて、エアコンが部屋全体を暖めようにも風が一気に温度を下げる。
電気代をどぶに捨てているようなものだ。 
仕方ないので、部屋別に電気温風ヒーターやハロゲンタイプの電気ストーブを点けたら、なんとブレーカーが落ちてしまった。 
この手の製品は機器自体は小さいが相当電気を食う仕組みになっているのは知っていたが、ここまで家全体の電力供給に負荷をかけてくれる とはうかつであった。 
明日からこの異常すぎる寒波も幾分かやわらぐそうだが、いずれにしても1年で一番寒い時期である。 
やわらかなベルベットのような暖気など端っから期待しない方がよろしい。 
まだ本格的な家事は無理、かといって運動不足も身体に悪いので散歩がてらに妻がスーパーで買ってきたパック寿司を主食に冷凍うどんを使いきつねうどんとし出勤前の夕食とする。 
天かすと油揚げを入れたのだが、この油揚げ、もとから 日清の「どん兵衛」に入っている揚げのようにふんわりと膨らませて作ってある。
味も食感もまさに「どん兵衛」の揚げそのもの。 
変わったものが売られているものである。
この揚げはあのカップ麺の出汁だから合う味で、一応簡略型とはいえ天然のだしでこしらえたおつゆにはチト荷がかちすぎている気もしない。 
IMG_20180126_152125パック寿司はいわゆる助六寿司。巻き寿司とお稲荷さん各々3個の組み合わせだから助「六」。これが4個ずつなら助「八」となる のか。どうせ歌舞伎とかそのへんが語源になっているのだろう。 それとも雷門助六という東京落語の大名跡から来ているのか。 なんでもいいけど、どうしてスーパーのパック寿司はどうしていつもこう酸っぱいのか。すぐに喉が乾いてしまう。
しかし「ついでに」つまむ分には手頃で不思議とへんに美味いのもたしか。


厚ぼったい雲が少なくなった分、日ざしが多くそそぎ刃のような寒風の切っ先がいくぶん鈍くなったように思う。 
切っ先鋭く戦後日本の近代合理主義、グローバリズムに基をおく戦後民主主義に常に懐疑の論剣を突きつけてきた西部邁が一昨日逝った。 
その著書名でもある「文明の敵、民主主義」との挑戦的な喝破はなんとも魅力的で、国民主権というもはや今となっては共同幻想のまやかしにすぎない屁理屈が生み出した衆寓政治はびこる我が国 の現状をシニカルに捉える目線は深い教養と知性に裏打ちされたもので、今ではすっかり少なくなってしまった真の知識人であった。 
一度読み出して挫折した「文明の敵・民主主義、危機の政治哲学」に再度トライしてみようか。 マキアヴェリやホッブス、ロックやルソーなどの西洋政治史には欠かせない人物たちや思想についてある程度理解しておかないと放っておいてかれそうな西部先生の名著。 
泰斗の爪先にすがりついて少しでも知的スリリングなひとときを得られたらこれほど至福なこともあるまい。(タイトル文中敬称略)

先月の風邪が置き土産とした咳が「根咳」(こんな言葉はない。私の造語である)となっていついているようだ。
常日頃は埋み火のように我が胸底にそれはあり、何かの拍子に、たとえば今日のようにやたら気温が低くなったとたんに熾火と変わり、咳込みのいこり火盛んに弾けさせる。
先週買った市販の咳の薬などあれはあくまで症状を緩和させるだけで、根本の原因を除去し療治出来ぬことは承知の上とはいえ悔しいじゃないか。
ネットで昔ながらの民間療法を調べると、たいていはちみつと大根が出てくる。
特にはちみつはスプーンでひとさじ分毎日舐めているだけでも、咳止めや風邪予防に有効らしい。
さっそく家にあったそれをひとさじ舐めてみたが、咳込みはいっそう激しくなりいささかの下痢症状まで呼び込んでしまった。どうやらはちみつと相性は悪いようだ。
アレルギーとまでに行かずとも、身体が拒否反応を起こしているわけで、しからば止めておくに如かず。
この咳、いったい何が原因なのだろう。これ以外の風邪の諸症状はまったく出ておらず、家にあってもネックウォーマーを巻いて喉骨まわりを温めたり、マスクをかけて自分の吐く息を水分として循環させて絶えず喉を湿らせた状態なら、かなり緩和されるから、ま、たいしたアレではないと思うのだが、鬱陶しいことこのうえない。ryukakusan
「まったくもってもう~」と半ばヤケになってのど飴を舐めて紛らわせている。

しばらく続いた暖かい日々も昨日あたりで終わった。今週後半は今冬最凶の大寒波が襲来とのことである。
すでに昨日から東京は大騒ぎである。
日本の放送電波体系が東京を中心に編成されているため、特に雪国の人から見れば、冬の日常である20cmやそこいらの積雪がさも大天災が東京を襲来したかのように扱うニュースの垂れ流しはただひたすら鼻白み苦々しいものであろうし、雪などにほとんど縁がない関西在の私もあほらしくなってテレビを切った次第。
とかなんとか言っても真冬どストライクに変わりはあるまい。ほんとに春が来るのかこの寒さ。
しかし春のことぶれをわずかながらでも確実に感じさせるものがある。
日没時刻が先月に比べて確実に遅くなっているということ。こればかりは気温が下がろうが寒波が来ようが季節は確実に春にむかっていることを教えてくれている。
1月が開けて2月半ばまで加速度的に日没時間が遅くなっていくのが、リアルで視覚的につかめるだけでも心どこかに華やぎめいたものを感じさせる。
2月には陽光に鋭い煌めきとなんともいえないやわらかい光線が交差しだす。光の春の到来。
写真は神戸某所で撮影したものだが、一昨日撮影のもの、同じく1月5日、先月21日のを上から並べてみた。どれも同時刻に撮影したものである。

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妻の抗癌剤治療は何度かのセッションを繰り返すらしく、ただ薬を服用すればいいというものではないらしい。
その説明と指導のために彼女は除去手術をした病院に再度入院、といっても一泊二日のだが、することになった。
それでも荷物はあるもので私はポーターよろしく病院まで付き添って、いっしょに担当医師の説明を受けるつもりだったが、昨日からどうにも咳込みが激しく、微熱を伴った身体全体がなんともいえない倦怠感に覆われ、どうにも我慢がならず、途中リタイアして帰ってきた。先月に続いてまた風邪を呼び込んでしまったのである。
家の近所のスーパー内にある薬局で風邪薬を贖う。世にこれだけの種類の市販風邪薬があるのかと驚いた。
というのは、風邪薬はもっぱら富山の置き薬のものを使っていた。大変失礼だがこんな製薬会社聞いたことがないなあという会社の製品である。
無礼を重ねるが風邪のほんの初期の初期、たとえばわけもないのに肩から背中にゾクっと来るものある、鼻水クシャミ、咳がやたら出る、といった時に服用していたのだが、正直いってこれがなかなか治らない。
それじゃあ今回はテレビでバンバンCMを打っている企業のブランドを買おうということで薬屋に入ったわけだが、値段が高い方が効くだろうと単純に考え、1錠あたりの単価がもっとも高いものからランク付けしてその中から選んだ。
「せき」の二文字が大きく出て、その横に「つらいときに」と書いてある製品が目に入った。まさに今の私にジャストミートだ。IMG_20180116_165818
ブランドは「パブロン」。おお、誰もが知っている国民的風邪薬ではないか。値段、う~んさすがに他に比べて高い。大箱小箱の2種類があり、今のところこれが私に効くかどうか未知数であるので、安い小箱を選んだ。それでも1500円近くした。
家に帰り、なにせ先ほどまで病院にいたわけだから、それはそれは執拗なぐらい念入りにイソジンでうがいをし、って今さら手遅れではないかと思いが至らないこともなかったが。
昼前に用法通り2錠嚥んですぐに布団に潜り込む。咳込みの頻度が少なくなっていくのがよくわかる。フラシボもあるかもしれないが、やっぱりパブロンだ、よく効くわ~と感心しつつ俺はどこまで単純に出来ているのかとあれこれ考え、呼吸音がゼイゼイからヒューヒューに変わった頃、眠りに落ちたようだ。
3時前に目が覚め、咳はするものの連続的に続くものではなく微熱もとれている。しかしこの気怠さはなんともしがたい。副作用として風邪薬の成分がそれをなさしめているのだが、薬というもの漢方はともかくとして化学物質を体内に入れるわけだから、本質的には身体によくないのである。
それにしても今日は久しぶりに、陽光きらめき、冬にしては暖かく、たまには海岸べりでも散歩というシチュエーションには絶好な日和だったのによくせきツイていない。
仕事が休みなので、娘がマグロのお造り買うて帰ったるわと言ってくれ、刺身に熱燗でと舌なめずりしていたのだが、これもだめ。
風邪の治りかけに酒を呑むのは禁物。必ず悪化する。今までそんなことはなかった。むしろ酒呑んでそのまま寝てしまえば風邪などたいがい治っていたのに。
身体全体の抵抗力が落ちているのは間違いない。昨年11月に受けた年一の健康診断の結果が年末に届いていたが、γーGTPというやつが一昨年に比べて、許容範囲内の数値ながら倍近く増えている。
肝機能が悪化すれば、アルコール処理が精一杯で栄養分摂取に手が回らないらしい。そりゃ抵抗力も衰えるわ。妻の今後も心配だが、おのれの肝ちゃんも時々いたわってやんな、肝臓やられたらお仕舞いだぞ、と戒め今夜はノーアルコール。マグロの刺身で熱いおまんまを頂いたあとはパブロンのんでとっとと寝やがれ。

一昨日、妻の大腸がんは他には転移していないことが判明。
最大の懸念事項だっただけに胸をなで下ろす。 向後は半年間抗癌剤を投与、それで生存率は転移なしの今の85%から100%に近似するとのこと。 
あなうれしやと心は舞い上がり、誰かと呑みたくなり友人二人に連絡したところつきあってくれた。 
二人と別れて帰宅の途次、なにげなく財布を開けると元から持っていた金額とほぼ変わっていない。 
居酒屋からカラオケ、ゲーセンに居流れてワイワイやったというのに。 
あれ?と首を傾げながら、いろいろ計算してみるに結果的には二人にゴチになりやした状態となっていた。
ありがたいことだ。お祝いなのか。粋なことをやってくれると心より感謝、ああ今日はいい日だった満足満足と思えば眠気が出てきて、寒い晩であるしさっさと家に帰って風呂に入って布団にもぐりたく、大阪より西の方に住むJR通勤者が絶対にやってはいけない鉄則を破ってしまったのである。 
「酒に酔って帰る時は絶対に快速や新快速に乗るな、特に午後10時以降は西明石停まりの各停に乗れ」という鉄板の戒めを犯してしまったのである。 
快速や新快速の中で寝込んでしまうと終点である姫路やそれよりまだ遠い網干まで連れて行かれる。 午前0時過ぎだとまず上りの電車はない。
特に網干の方は東から見て姫路よりもっと遠方、住宅地の真ん中にぽつんと駅があり、ビジネスホテル、ラブホテルはもとよりオールナイトを 過ごせるカラオケ、ネカフェ、サウナ、映画館といった商業施設など皆無。 
どうせなら姫路終点で下ろされた方がまだまし。播州きっての都会のメインステーション、駅前になんなりとあるじゃろが。 
「お客さん、起きてください。終点ですよ」 
車掌に寝ぼけ眼で訊く。 
「終点ってここどこよ」 
「網干です。上りはもうありません」 
腕の時計を見ると午前0時22分。 
「姫路やなくて網干か。しまった!やっちまった」 
「上りないですよね」 
「はい。残念ですが」 
そうなりゃ仕方あるまい。姫路までタクシーで行ってそこでビジホかラブホでもええわ、最近はあれ以外の目的で使ってもおかしくもなんともない時代やし、とそこまで考えて「ああ、今日はクレカ持ってきてなかったんや」と思いが至り、いかにも田舎(といっても網干も姫路市内になるのだが)の駅前のたたずまいを街灯だけが明かりの中で見せているその場でへなへなと身体がくずれ、地に手をつき慟哭しそうになった。 
こういう鈍くっさい客のためにか、駅前に3台のタクシーが連なっている。
 「運転手さん、悪いけど手持ちの金じゃとてもやないが足らん。クレジットカードは家にある。それでなんとかならない?」
 「お客さん、手持ちのお金とか、なんとかならないとか、いったいどこまで送ればええのですん」
 「神戸の方の舞子(姫路には新舞子なる地名の場所がある。ここを間違うと余計に被害は甚大となる)。家に着いたらクレカ持ってくるから」
 「いいですよ。どうぞどうぞ」とバックシートのドアを開けてくれた。 
姫路バイパスに乗り加古川バイパス、第2神明など無料有料の自動車道を東へ突っ走り、一般道に降りて小1時間で家に到着。 
なかなか親切な運転手さんで、帰りに客がまず拾えない時間と距離なのにイヤな顔ひとつせず、今日はどこで呑みはったん、ああ三宮、よろしいでんな、お客さんみたいな終電逃しはる人結構いてますよ、とかなんとか互いに話し相手になりなられで退屈せずに済んだ。 
嫁はんと手術後の彼女の代理役である娘にボロクソに怒られたのは言うまでもない。
こちらの方も小一時間眠らされずにさんざん説教の雨あられ。 
アホだのマヌケだのボケだの調子こきだの、酒やめてまえだの、なんぼ保険が利くいうてもこのたびの入院加療で何かと物入りなんがわかってないのかこのボンクラがだの、それはそれは言いたいことをぬかしやがったのでございます。 
そんなこと言われなくとも、ただ家に帰るという本来ならタダで済む行為に2万近くも費消してしまったという、金をドブに捨てるのも同然の虚しさにただただうなだれている次第である。
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昨日妻は退院した。一昨日仕事納めだったという義姉の運転で病院までいく。
ちょうど2週間の入院生活で溜まった荷物を病室から運び出し、窓口で精算を済ませ、裸木の並木が冬空にその枝々を毛細血管のように張っている大通りを家まで急ぐ。
切り取ったS字結腸の、癌が葡萄色になって点在していた先端部の検査次第では、癌の他の臓器への可能性があることがいつまでも心にひっかかり、年内に退院できた喜びに陰翳をさしている。
そのことを言うと妻は「『ほぼ大丈夫だと思う。まあ念のために検査する』と先生は言ったやないの。たとえ転移していてもまた取ったらしまいやん」と笑い、運転席のバックミラーの中で義姉が「抗癌剤の服用や放射線治療の必要はまったくないとも言われたんやろ。心配ないて。いったいどっちが病人かわからへん。癌でない人間もそんなことばっかり聞かされとったら癌になるわ」、もっとしっかり気を持ちやと言わんばかりに妹の婿殿の小心ぶりを嗤っている。
せっかく女房が、内心では気丈にふるまい物事をいい方向に考えようと努力しているというのに、旦那がそれに水を差すようなことを口にしてどないするねん、と叱咤しているかのようでもある。
だから、(世の中には絶対ということや100%大丈夫だというのはありえない)と反発しようとしたがやめた。
根はとことんペシミシストに出来ている私が、彼女ら度し難きモンスターオプチミストたちを相手に無駄な戦いを挑んでも仕方がない。
家に到着。すでに朝のうちに娘が調えておいた妻の寝床に「荷物とかは俺と○○(娘)で片づけるからとにかく横になれ」と妻をねかしつける。
さすがに病み上がり、妻は「ごめん」と言ってまもなく小さな寝息を立て始めた。
寝顔を見ながら「どうして癌になんか」とまたまた忸怩たる泥沼の中に思考の足を入れてしまう。
こんなことを考える自体、妻がいまだ癌である、とりあえずS字結腸の癌は除去したかもしれないが、もしかして他の部位に転移しているかも知れんぞと考えている証である。
仮に転移が見られなくとも、定期的にドクターチェックを受けて癌の再発を見張っていなければならず、それを5年間続けて見つからなければまずは再発はないとのことだが、5年間時限爆弾を抱えているようなものだ。
あんまり美人ではなく可愛くもない、どちらかといえばブサイクで、スタイルもぽっちゃりブームを先取りしたかようなスノーマンボディだが、私なんぞよりはずっと人間が出来ており、気だても優しく作る飯もそれはそれは美味く、娘が素直にまっすぐに成長してくれたのも妻に因るところが大きい。
私にはもったいない妻、よく出来すぎた妻であると今しみじみと思うのだ。
妻の優しさに甘えてバカが調子こいてやりたい放題、甲斐性なしの夫のせいでパート勤務を余儀なくされて汗水垂らして働いている最中に、このゴクツブシのバカは何年紅灯の巷、狭斜の街で酒食に溺れていたであろうか。
妻にとって私と結婚し所帯を持った瞬間からずっとどす黒くも黒い黒歴史が続いているのである。いや私というどうしようもないクズと縁した時点でそれは始まったのだ。

極力軟らかく炊いたものながらも、そして私なら一口で食べられるほどの量であろうと一応お粥を卒業した妻である。
お菜もミニチュアのような焼き魚、そして野菜の煮物が少々、見た目にも薄そうな味噌汁がついている。image
なんでも便が出ないと退院が出来ないとか。便秘状態。これは手術後に誰でも見られるお約束みたいな症状らしくまったく心配いらないとのこと。
60にしていまだ餓鬼道まっただ中にいる食い意地の塊たる私に「病気なんてやるもんじゃないな」と、傍目でみているだけでため息をつかせるのは病人食の常といえば常。
揚げ物や肉類、イカなど消化しにくいものはとてもじゃないがまだまだという妻の前で正月のハレの食事、お節や常日頃よりも豪華なすき焼き、鍋物、刺身の類を楽しむほど私は無慈悲に出来ておらず、また毎年お節は義兄の店が近所の常連さんに頼まれれば実費で作る手伝いの代償に我が家の分として頂いていたのだが、義兄に今年不幸ごとがあり、よって今年は作らないというから、そんなこんなで来年の正月はお節なし。なければないでよし。
imageだいたいがあのお節というやつ、各料理の面々とその料理法をよくよくみればヘルシーさにほど遠い。
塩分糖分などどれもこれも過剰気味。縁起物だから栄養やヘルシーさ云々よりもというが、お節の各料理の縁起由来も親父ギャグそのまんまのダジャレやコジツケや屁理屈もいいことから来ていて馬鹿馬鹿しいことこのうえない。
例えばごまめ(田作り)は五穀豊穣を願い、ってカタクチイワシの大量虐殺死体を佃煮にしてなにが豊穣だ。昆布巻きは「よろこぶ」の「こぶ」だってな、とほほほほ。だから何よ。黒豆は「まめに働く」だとお。黒いだけにブラック労働を奨励しているのか。数の子は子孫繁栄やて~?。数の子の親である鰊を日本近海から全滅させといてよく言うわ。
見た目にもあんまりセンスがいいとはいえない。
華やかな色彩は蒲鉾と栗金団ぐらいであとはおしなべて地味でズズ黒くて見ているだけで心に雨が降ってきそうなものばかり。
筍椎茸蒟蒻牛蒡鶏肉の甘辛い煮しめの野暮ったい黒の塊を見ていて華やぎとかときめきを感じるか。あのなんともいえない暗いトーンはお通夜の茶碗酒のアテに通じるものがないか。
おまけにお節は保存食の意味あいもあるので料理はみんな当然冷えきっている。温度も味のうちというからもうそれだけで気分が滅入る。
鮑や床節を薄い醤油味で炊いたもの、にらみ鯛の塩焼きなどは別として他はたいして美味いものでもなし。
こうしてよくよく考えてみればそんなに有り難がるほどのものでないのだ。お節料理なんぞは。
お節に使う分の金子を国産牛の上等肉や蟹や河豚に廻せば、むしろ常の正月よりもゴージャスウハウハやったぜベイビーゴキゲンゴキゲンバッチグーと昭和ノリで喜びたいオヤジであるが、愛するカアちゃんのために来年は自粛して、白菜の漬物で冷や酒呑んだあとは茶漬けガサガサ~と食らって元朝の儀式はお披楽喜としよう。

海鼠が美味しい季節であるとはいうものの、あの海鼠というやつ、ならばどこが美味いのだと問いつめられたらチト答えに困る。
身もフタもない言い方をすれば、海鼠に味はほとんどない。咀嚼を繰り返しても旨味の成分がわずかながらでも口中に広がるかと思えばそうでもない。
箸でつまんで口に放り込む寸前にかすかに匂う潮の香りを、コリコリとした歯触りに包んだものを楽しむといえば楽しみ、あとはポン酢か薬味の分葱、紅葉おろしの味しかしない。
このあやふやでつかみどころのない海鼠はしかし日本酒とともに味わえば俄然いい仕事をする。image
正確に記せば日本酒が海鼠の尻をたたいて「ほれ、しゃんとしろ」と励ましているかのようだ。
そして日本酒としか相性が合わない。ビールだめウイスキーだめ、ワインの白ならなんとなくイケそうだと思われるが、生牡蠣が意外に白ワインに合いそうで合わないのとほぼ同じ理由(海産物特有の生臭さが強調されてしまう)でこれもだめ。
甲乙両焼酎、乙の方は芋と麦のお湯割りで試したが、日本酒が相棒ほどには美味しくなかった。甲類焼酎いわゆるケミカル焼酎のレモン炭酸割り、まるっきりとはいわないが合わないと言った方がよい。
要するに日本酒、それも熱燗でないと海鼠は美味しくないと乱暴に結論づける。中華で乾燥海鼠を使った料理があると仄聞するが食べたことも見たことすらもないので、ちょっとあっちへ行ってなさい。
この海鼠ちゃん、ごはんのおかずになるわけでなく、肴としても地味で色合いも悪く、そのへんは大根おろしや紅葉おろしでなんとか彩りを調え、小鉢なんかに盛りつけられる。
いわばつきだし的な肴、アテ芸人仲間では前説専門みたいな扱いを受けているが、海鼠の腸(はらわた)を塩辛にした海鼠腸(このわた)は高価で小さな瓶詰めが5000円前後する。
人間国宝桂米朝師匠が遺した40巻のCD落語全集の中に「近眼(ちかめ)の煮売屋」という演目が収録されている。
今日は仕事が休みという職人が煮売屋、今でいう総菜屋の総菜をお膳に並べ昼酒を楽しむ場面があり、総菜の中にこの「海鼠腸」が出てくる。
「…海鼠腸や。わしはまた海鼠腸が好きでな(ジュ、ジュル、ジュルルル~=米朝師が海鼠腸を啜り食べている体で口元を鳴らす)、この磯の香りっちゅうのかなあ、このフ~ッと残っているところへ灘のお酒を(クゥクゥクゥ~=落語好きならおわかり。噺家が酒を呑むところを再現している擬音)旨いで!」
とイヤホンから入ってくる名人の至芸を書き写しているだけで旨いで!と意地汚くも実際に唾が沸いてきた。
海鼠腸を思いつつ海鼠そのものを楽しむことにしよう。あとは湯豆腐でもあればいうことはない。
引用した噺に出てくる職人ではないが私も今日は休み。娘といっしょに妻を見舞う予定。
不謹慎の塊である私は見舞い後の今夕熱燗と海鼠で一杯やることに心ぜきとなっているのである。

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