仕事で朝帰りの途中、家路最寄り駅よりひとつ手前で降りて、松屋に入り牛めしでちょい飲みを楽しんだ。
ライバル吉野家も2年前あたりから、この「ちょい飲み」サービスに力を入れている。
これからの季節、ビールで喉をうるおしがてら、ちょっと虫養いしたいという時にこの手のサービスは重宝する。
松屋でオーダーしたのは牛めし並盛とハイボール。
290円の牛めしに150円のハイボール合計440円。ワンコインで釣りが来る。まことにリーズナブル。
夜勤明けの疲れた体、それから来る喉の乾き、そして何よりも空きっ腹にまずは一口、と飲むブラックニッカのハイボールが実に美味い。
牛めしの牛に紅生姜を乗せて七味をふりかけ肴となし二口目を飲む。三口目は紅生姜単独で、四口目はこれが松屋のいいところなのだが、サラダドレッシングやBBQソースなどの調味料が充実していて好きなだけ使える。松屋の牛にはサラダドレッシングが意外に合う、でそれで。
アルコールが心地よい疲労を体全体にゆるやかに拡散させてきたところで、〆として牛めしの御飯之部に味噌汁とともにとりかかるわけである。
〆に移らず、もうちょっと飲みたいと思えば、券売機でハイボールなりビールを買えばいいし、店によって追加オーダーは口頭でも受け付けてくれるところもある。
松屋は一品サイドメニューも多く、これでは「ちょい」から本飲みに進みそうだが、松屋も吉野家も尻を落ち着けて酒を飲もうという雰囲気を醸成させていないので、さすがは客の回転が第一のファーストフード店、酒を飲ませてもちゃんと計算ずくなのだ。

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「グランピング」という名のキャンプ形式があるらしい。
寝泊まりする場所はロッジ風コテージ風の建屋になっていて、冷暖房入浴施設完備。
建屋の前でバーベキューを楽しむシステムになっている。
近年人気を呼び、シーズンは予約で満杯大盛況とのこと。
これのどこがキャンプなの、ただの貸別荘のミニ版じゃないの、と思うけど、アウトドア遊びは大の苦手、しかしキャンプの雰囲気もそれとなく味わいたいという発作が数年に一度ある、というまことに身勝手な私のような人間にとって、なかなか重宝できそうだ。
野外でのバーベキューは好かん。ただでさえ暑いし、肉や野菜を焼く匂い、人間の体熱と発散する汗に誘われて蚊や蠅、蜂に虻がやってくるし、紙コップについだビールはたちまちのうちにぬるくなるし、クーラーボックスの氷も3時間がだいたいの寿命だ。
ぬるい水が溜まっただけのクーラーボックスを見ていると、憎々しくて蹴りたくなってくる。
準備も後片づけも大変、かつ面倒くさく、BBQなどいいことなんぞ少しもない。
昔はよく家の近所の浜で親戚とその友人たちが開催するBBQに誘われていたのだが、義理絡みだから余計に行くまでなんだかんだグズグズ言い、行けば行ったでクソ面白くもない顔で通してしまうから、とうとうお呼びがかからなくなった。ほっとしている。
何が面白いのか未だにさっぱりわからない。
みんなでワイワイやるところがいいとも言われるが、ともに飲み食いするのは多くても3~4人までぐらいがちょうどいい案配であると思っている者にとってはただの苦痛のひとときである。
多人数になると必ず場を仕切りたがる奴が出てくる。
鍋奉行ならぬBBQ奉行然と振る舞い、あれこれ余計なお世話な指示を与えたがる。どうでもいいような蘊蓄とともに。
あれはいつのBBQだったか、あんまり暑いんで紙コップに赤ワインに注ぎ、自分の手のひらでクラッシュさせた氷片を放り込み飲もうとしたら、お奉行様が「たとえ安物でもワインに氷はルール違反やな」とぬかしやがった。
半分笑いながらの言なので、冗談半分とはわかっていたが、こいつのそれまでの仕切りたがりの出しゃばりな態度に相当頭に来ていたから、「うるさい黙れ。放っとけボケ」と紙コップごと、そのしたり顔にぶつけてやった。
「なにするねん!」と顔半分に赤ワインを滴らせた奉行はいきり立つ。「じゃかましんじゃ、さっきからおのれは。男のくせにごちゃごちゃと」とこっちも酒の勢いを大いに借りて立ち上がる。
「まあまあまあまあまあまあ」の声が×30回ほど周囲の人から起こり、その場の一番の年長者が間に割って入り、なんとか収まった次第であるが。
最近、一人BBQというのも流行っているらしい。道具や食材一切自分一人で差配し、行きたいところに行って、誰に気兼ねすることなく、小姑めいた横やりをあれこれ入れられることなく、生焼けであろうが焦げかけであろうが好きな時に肉を食らい、好きな酒を好きなだけ飲んで。
お笑い芸人のヒロシがこれに凝っているらしく、BBQの場所などだいたい同じような場所にあるから、そんな一人BBQファンの何人かといつしかお馴染みとなり、ひとときの交歓を楽しむというらしい。
それならそういう人たちばかりが最初から集まればいいではないか、と思った人は一人BBQのなんたるかを理解できていない。
この一人BBQ、たしかに一人気ままで楽しいだろうが、野外でやることには変わりない。
暑さと虫がうっとうしく、横着で無精な私はやはり冷房が効いた部屋で、当たり前だが、炭おこしなんか不要なホットプレートで、あらかじめ食べやすいサイズに切られた肉や野菜を用意して、ほん近くに冷蔵庫があり、すぐに冷え冷えのビールを出せるポジションで阪神の試合でも見ながら飲み食いできる、つまりは「一人おうちBBQ」が一番重畳なのである。

今朝早く、大阪に住む老父が心臓関係の発作を起こしたと妻より電話があった。
90近い年齢の父は2000年頃、心臓のバイパス手術を受けた。
その後、長き小康を得ていたが此度の発作である。
原因は処方されているニトログリセリン関連の薬を多めに誤飲したとのことであった。
原因が分かり、そしてそのことだけが発作の理由であり、今は家にて養生していると、父の近所に住む妹より連絡が私の携帯に入った。
胸を撫で下ろしはしたが、いよいよ来る時が来ていると思った。
今後予断は許されない。これは肚を括らなければいけない。
母は痴呆も同然の身。
我が家にとっての有事に常に備えなければならない。
古くからの友人とたまに飲む機会は大事にしたいが、それ以外は勝手な言い草だが慎む。そう決めた。
実を言えば父に対しては確執がなきにしもあらずである。これが因でその血を分けた弟妹の仲もしっくり来なかった。
そうした愛想こもごもの思いが交差するが、やはり血脈がそれを凌駕する。
凡庸で浪花節的な「世にたった一人の親」という概念が、かく屁理屈めいたものを吹き飛ばす。
父のとりあえずの無事を告げた妹の声が父のそれに代わった。
「わしのことはええから、お母ちゃんがおまえの名前を繰り返して会いたがっている。会ってやってくれ」といった。
しわがれた声だった。
「火曜日にいくわ」とぶっきらぼうに応じた声が震えた。
鳥の声がした。一羽の燕が巣作りに懸命に行き交いしている。
60を前に初めて慟哭を知った。

大したもんだ、北朝鮮。日頃のあの国のどうしようもなさは少し脇に置いて。
アメリカにあそこまでよく盾突けるなあと感心する。
超大国アメリカが虎の子の空母船団を動員してまで本気になってかかっている。どこか小気味よい。
同時にアメリカにはとかく米つきバッタのようにへこへこせざるを得ないわが国が情けない。
アメリカが東シナ海から朝鮮海峡に向けて、前述の空母「カール・ビンソン」を差し向けていることが報じられ、頼もしいなあと思わざるしかない現実がなんとも悔しい。
昔、ハワイの真珠湾でアメリカの空母はともかく主力戦艦のほとんどを撃沈させた国と同じ国であることが信じられない。
戦後いいようにアメリカに転がされ、半植民地状態となり果てて今に至る。
沖縄で自国の女性が米兵に狼藉を働かれてもロクに文句ひとつ言えない。
腰を引かせながら「今後は気をつけてくださいね」ぐらいなことしか言えない。
戦争に負けるということはこういうことだ。
だから金正恩よ、やるなら勝てる喧嘩をやれと言いたい。それは無理だと自分が一番承知していることはわかるが。

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              今、話題になっている写真。おんぶされるおっちゃんの表情にどことなく恐怖から来る引きつりが。


ポール・マッカートニーまた来たんかいな。もうええやん。
これじゃ完全にかつてのポール・モーリアかベンチャーズ状態。行けば必ず大入りなので出稼ぎみたいにやってくる。
ビートルズといえば音楽というジャンルを超えた20世紀カルチャーの象徴、レジェンドみたいなものなのに、かつてリーダーであった人物にこう再々来られてはだんだんその偉大さや値打ちも色あせてくる。
ニュースで見たけど東京ドームでのコンサート、最初の第一声はいつもながらのたどたどしい日本語で「コンバンハ、トウキョウドーム。コンカイモ、ニホンゴガンバリマス。オス(押忍)!」ってやっている。
その声は完全にお爺ちゃんの声であり、そんな声でお愛想ふりまく姿は痛いの一言に尽きる。なにが「オス!」だ。
やめろやもう。「レジェンド」、「象徴」が情けない真似すんなって。
コンサートでプレイする楽曲もビートルズ時代かウィングスの頃のものが中心。
舟木一夫が「高校三年生」、にしきのあきらが「空に太陽がある限り」をコンサートで必ず唄うようなものだ。
京セラドームでポールのコンサートがあって、たとえばお金あげるから、チケットやるから観に行きましょうと誘われても行かない。
ポール・マッカートニーをこよなくリスペクトしているから、としか答えようがない。

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今日(正確には昨日)は仕事休みで、ブログの下書きとか雑文をダイソーの2冊100円の大学ノートに書き連ねていた。バックに安物のCDデッキでチューリップ流しながら。
ちょっと開けた窓から入ってきたぬるい風が、ファンタグレープの泡をブチブチといたぶりやがる。
チューリップはじつはB面とかアルバム収録曲に案外いい曲が多い。
そのなかでも「なくした言葉」は大好きだ。
なんとなくビートルズの「ヒア・ゼア・アンド・エヴリホエア」に似ているなあって我見か、



豚肉の生姜焼を最初に考えた人は偉い。
この料理、トンカツと同じく日本オリジナルなのだろうか、それとも豚肉を使ったたいていの料理がそうであるように出自をたどれば中国に行き当たるものだろうか。
豚バラ肉の脂身のビロビロの部分から垂れ落ちる生姜味まじりの肉汁を白い飯めがけて落としながら、やおらパクつく瞬間のときめき感といったらない。
醤油と生姜で味付けされ、それを熱気でほだした豚肉の脂身の香ばしき旨さが、口の中で飯に混ざり込んでいく課程はまさに至高のひとときで、よくぞこんな料理を思いついてくれたものだと思わず右手に箸、左手に飯茶碗を持ったまま天を仰ぎ嘆息することしばし。
だったら最初から豚肉を飯の上に乗せて、いわば丼状態で食べたらさそや美味しいと思いきや、存外それほどではないからこれまた不思議である。
付け合わせの野菜はキャベツの千切り、これに限る。
そこがトンカツにも似ておもしろい、というより豚肉の相棒はキャベツもしくは白菜が一番であると再認識させられる。
豚角煮には大根だろうが!、酢豚におけるピーマンや玉ねぎの立場は?等々声がかかりそうだが、それはこの記事の都合上あえて無視する。
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と、タイトルそのまんまである。では教えてやろう。
私が広告代理店に勤めていた頃にお取引頂いていた中小企業の社長さんたちの芳名を、実名登録が原則であるSNSで検索してもほとんど出てこない。
皆さん、私か私よりやや下の世代の人で「パソコンやネットが不得手だから」という言い訳は許されない、というより使えて当たり前の世代であるから、当然SNSとは何たるかをご存知であるはず。
しかるに登録すらしていない方がほとんどである。
理由は歴然としている。へんな言い方だがリアルで「リア充」だからである。
充実しすぎてリアルの人間を相手にして忙しくて、どこの馬の骨だかわからない「ネットのお友だち」とやらと繋がって遊んでいる暇なんかないのである。
ネットでことさらに「あ~忙しあ~忙し」と大昔の吉本新喜劇の谷しげるみたいなことを自分で言わなくたって、ただでさえ忙しいのである。むしろ「ふぁ~~~暇で暇でしゃ~~ない」と一度でいいからのんびり言ってみたい人たちなのだ。
社長さんたち、独立不羈と努力の人ばかりで、今の会社は自分が起業した人が7割、親譲りだが自分の代で大きくしたとまわりが認める人3割か。
誰しも若い頃から相当意識と志が高かった人たちであり、またそうでないと会社経営などやれないのだが、自分は「意識が高い」とは意識すらしなかったはずである。
だから「俺は意識が高いぜ。見てくれみんな」とSNSでアピールするという発想など起こりようがない。
そんなくだらないことにまわす時間があれば、ある社長は薄膜フィルムを計測するのにもっと高精細化を目指すことに費やし、別の社長はトランザクション処理の高速化プログラムを何回も書き直していたり、こちらの社長は金属加工において微妙で芸術的とさえ言える曲げの角度にこだわっている。
かといってこれらの作業工程のあれこれをネットにいちいち上げて「やっとうまいことやれました。これから自分へのご褒美に気に入りのお店でディナーしてきます」と、店に行きゃ行ったで料理の写真をうpして悦ぶような真似は逆立ちしてもやらない。
「おやりになったら如何ですか」と訊いたところで「なんでそんなことやらなあかんの。なんかメリットあるの。作業工程を見せる?そんなもんお得意さんに直接見せるもんでしょ。素人に見せてどないしますのん。褒美に料理?あほかいな。仕事してそのたんびに自分に褒美なんかやってたら、金がなんぼあっても足りますかいな」と至極当然な答えが返って来るだけだ。
真に意識が高い人とは、自分が目指していることや、大人として当然のことをさらっとして黙ってやってのけ、それをいちいち口に出さなくとも、まわりが勝手に認めて評価してくれる人たちのことである。
世に言う「意識高い系」とバカにされている人はこの逆で、非力でバカである自分(悲しいかな、そのことに気づいていない)を人気ラーメン屋ではないがマシマシにしてSNSを中心としてネット上で盛りたがる。
異業種交流会などでたまたまサプライズで現れた今をときめく企業(特にIT系)の社長の横にささっと近寄りぱぱっと自撮りして、その画像を載せてさもこの社長とは旧知の仲のように演出する。
夢語りはいいが「フェラーリに乗るのが夢」と臆面もなく語れる、稚気というよりたんに精神年齢が低いだけなのだが、勝手にやっとれ馬鹿かと哄(わら)いたくなるやつ。
何を夢見て頑張ろうがそりゃ本人の勝手だけど、即物的俗物的であんまり意識が高い夢とは思えんぞ。
「そういうやつのSNSの友だちをたぐっていけば類は類を呼ぶとはよく言ったもので、友だちもおんなじようなやつばっかりや」」と娘に言って講義はお開き。

神戸市営地下鉄の定期券がICOCAでも発売されるようになった。
ただし、今使っている従前の磁気カード方式の定期券がそのままICOCAへ移行出来るわけではない。
今の定期券を精算して解約、あらためて新規として買い直すという形になり、デポジット代として500円プラス1500円のチャージの義務が伴う。
都合2000円の出費となるが、紛失した時にすぐにJRもしくは地下鉄の最寄りの駅で、購入時に登録した暗証番号を告げ、紛失定期券を無効化してくれるのはありがたい。
私の地下鉄定期は三宮駅とわりと乗降客数が多い某駅とを結ぶ230円区間のだから、それなりに使いでがあり、拾った奴はおそらくに届け出なく、そのままちゃっかり自分のものとして使いやがるに違いない。まったくふてぇ野郎だ。
高額な定期代もさることながら、拾得者が「でひひひひ」と、ほくそ笑みながら使いくさりやがってと思ったら、それはそれはもう悔しくて仕方がない。
夜毎涙で枕を濡らし、ハンカチを奥歯で噛みちぎり、この恨み晴らさずにおくべきかと身体全体を瘧のようにうち震えさせる毎日であろう、とまだ落としも紛失もしていないが確信をもって言える。
これを想像怒りという。そのまんまやんけな名前であるが、思い出し怒りとともに持って行きようのない怒りの双璧である。
思わず地下鉄の車内で一人「落としたら悔しいやんけ!」と絶叫したものである。
2000円という濫觴の出銭を保険ととらえ、ICOCAで地下鉄もいこかと思案投げ首である。
ところで「AHOCA」というICカード乗車券もある。
これは定期券では発行されない。当日有効の普通乗車券のみで販売されている。
よほどの鉄道オタクでもなかなか入手しにくい。
発売日や発売駅の告知もなく、JRを含む関西全鉄道のどこかの駅で年に1日だけ売り出されるICカード乗車券である。
1枚100円。有効期間は1日。JRの「大阪都市近郊区間」、関西民鉄の「ぐるっと関西」区間内であればどの鉄道路線でも乗車可能である。
問題は降車時である。買った人間がツイていれば無料で改札を通れる。そうでなければなんと10000円の乗り越し運賃が請求される。
極端な話、JRの有効区間の最西端である播州赤穂駅から乗り、JR赤穂線、山陽・東海道本線をたどって京都駅まで乗り、そこで近鉄の京都線に乗り換えて、同大阪線山田線を乗り継いで伊勢駅まで行っても0円で済めば、大阪市営地下鉄御堂筋線梅田駅から乗車、一駅隣の淀屋橋で降りて10000円取られるということもあり得る。
まことにギャンブルマインドに溢れた乗車券なのだ。
10000円を支払うのは不服として自動改札の閉じられたバーを強行突破すれば、ドローンが「あほか。運賃払え払わんか」との電子音声を伴い、無賃乗車した不心得者をどこまでも追いかけていくという恐怖の乗車券でもある。
このドローンがまことに精緻巧妙に出来ており、ホバリングしながら10台の小さなドローンに分裂する。
CDよりひとまわり小さいサイズのドローンが、ターゲットをどんな細い路地のみならず屋内までまるで蚊の如くブーンブーンと唸りながら追いかけてくる。
何かをぶつけたり、手を伸ばして墜とそうとしても無駄で、中に仕掛けられたパチンコ玉を雨霰のように連射してくる。私も経験があるがあれを浴びせられた時の痛さといったらない。
AHOCAの名前の由来はICOCAから来ていると思われがちだが、実は古代中国に棲息していたと今に伝わる「阿房蚊」にちなんでいる。
関西弁の「あほ」の語源は、秦の始皇帝の「阿房宮」であるがそれと同じなのだ。
運験しに1枚買われては如何かとお勧めする次第ではある。あほか。

焼きそばはソース焼きそばより塩や醤油で味付けた焼きそばが好きだ。
塩焼きそばは淀屋橋にある、昼は大衆食堂、夜は居酒屋になる「京家」という店でその味を知った。
醤油系は「餃子の王将」の焼きそば。王将に行けば餃子と焼きそばとビール、とりあえずこの3点セットを注文する。
どちらの焼きそばも家庭で再現出来そうで、微妙にそれは無理なことだと思い知る。
素人の誰もが家庭で簡単に作れるものでお金は取れないよ、と言われているようだ。
塩焼きそばは塩とわずかにオイスターソース、そして味の素で調味する。
ソース焼きそば、あれはソースが完全に独裁者然として中華麺を抑圧しているが、塩や醤油のはそれらが下支えしながら、本来は邪魔なはずの中華麺の鹹水くささにいいアクセントを与えて美味く感じる。
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昨日は三宮で飲んだ。
宴は夕方にお披楽喜となり、一人となり、センター街のジュンク堂で立ち読みをしていたら、頭の芯から前頭部右側にかけて急にズキズキと痛みだしてきた。
酒を飲んだ後は多少なりとも頭痛がするものだが、此度の痛さは尋常ではない痛みであり種類のものだった。
ジュンク堂当該店は、センター街を見下ろせるはめ殺しの掃き出し窓の下部に腰掛けのような縁をしつらえているが、酒の酔いでないよろめきでふらつく足をなんとかそこまで運び、へたりこむようにそこへ尻を下ろした。
痛む頭を抱えてしばらくうなだれていたのだが、「脳梗塞、脳内出血、脳血栓破裂、くも膜下出血、死ぬかヨイヨイか」と呪文のように声にもならぬ声でリフレインする。
とにかく落ち着け、まずはゆっくりと深呼吸、と言い聞かせてそれをくりかえしているうちに痛みは緩和されてきた。
そうして20分ほどうなだれポースでいたが、ほとんど痛みを感じなくなりようやく頭を上げた。
ゆっくりと立ち上がるとふらつきもない。恐る恐る歩き出す。なんとか歩けるようだ。
しかし地下鉄駅まで歩くのはつらい。センター街から地下鉄三宮駅まで腹立つくらい離れとる。ここらへんが大阪梅田と違うところで、梅田はJR大阪駅、阪急、阪神各梅田駅、地下鉄御堂筋線梅田駅谷町線東梅田駅四つ橋線西梅田駅と6つもの駅が角突き合わせるかのように近接している。せやから神戸は田舎やっちゅうねん。
神戸からすればまったく理不尽なことを毒づきながら、久しぶりに三宮からJRを利用した。快速電車に乗れば乗り換えなしでまっすぐに自宅最寄り駅まで帰れる。
ちょうど退勤時のラッシュ。三宮駅の夕方ラッシュ時の下りホームは相も変わらず殺人的な飽和状態。よくまあこれで事故が起こらないことだと思う。
この時間帯の快速は10両か12両編成。運用車両は221系か223系。それぞれ6連+4連、8連+4連の編成で入線してくる。
223系より221系の方が、1両あたりの座席数が若干多い設計になっているから、白い電車の12両が来るまでホームの東端で待つ。最後尾車両に乗れば確実に座れることを経験上知っている。
スーツを着た人で溢れているホームをぼんやりと眺めていると、大阪で勤めていた頃を否が応でも思い出す。「あ、部長、その件でしたら後ほどメールお入れしますわ」とかなんとか携帯の通話が聴こえてくれば「あんなこと俺もやってたやってたなあ。それが今はなんやねん。本来なら俺も50代最後の年とはいえ男の仕事盛りやんけ。ふん。アホがええ気になって平日の昼間から酒くろて頭イタタタでウロが来てくさる。さっきの頭痛が因で救急車呼ばれてなんて事態になりゃええ恥さらしやがな」と自嘲する。
あの尋常ならざる頭痛のひとときはもしかして警告かも知れない。天が「注意したるのはこれが最後やで。ええかげんしとけよ。後は知らんぞ」とばかりに。
と思いたくもなるような痛さだった。小心で器量度量ともに褊狭たる私は帰宅後、入浴も恐恐とそこそこに倉皇として寝床に退散したのであった。

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