相変わらず寒い。寒いと嘆くことにもう飽きた。 
 昨日、通勤途上にある吉野家にかなりの行列ができていた。
「なんだこいつら。あ、これかあ。ソフバンのスマホで並盛り1杯ただになるキャンペーンは」とピンときた。
 吉野家のこれといい、もはやすっかり定着した感のあるミスドの三太郎デー(auのスマホ見せたらドーナツもらえるやつね)といい たかだか1杯380円の牛丼である。1個108円かそこらのドーナツが2個である。
 無料だからといって、このクソがつくような寒空の下、1時間も2時間も並んでまで、それらの「粗品」をもらおうとするその了見が実にあさましく、卑しく、セコすぎる。
 あたしゃね、そりゃたしかに貧乏はしてますよ、でもね腐っても「おこも」や「こつじき」「こじき」の真似なんざあしたくありませんや。
 あの行列の人らは乞食そのもの。しかもタチが悪すぎる乞食だ。
 けっして安くはない月々のスマホ維持費のお金はあるのに、たかが牛丼1杯、ドーナツ2個がタダだからとケチるその了見がさもしいんだ。ケチくさいんだ。
 武士は食わねど高楊枝。腹は減っても心は錦、「そんなもんいらねーよ」と格好つけてうそぶいてみせる矜持すらもない情けない連中だ。貧乏はどこかに救いがあるが精神の貧困は救いようがない。
 スマホ見せただけで牛丼食えた、すごく得した!と思っているのだったら、つける薬はない。
 380円浮かすために寒風に吹かれて1時間以上待っている。
 その間に吉野家の店員はあったかい店内で1時間1000円前後の時給がつく。
 これで得したと思っているの?この程度のコスト計算も出来ないの?貴重な自分の時間を無駄にして本当にバカとしか言いようがないと自分で思わないか。
 これじゃあ吉野家の店員さんは施餓鬼のようなもの。ホームレスにシチューを配るボランティアか。
 寒さに震えて長時間待った客(この連中ははたして「客」なのだろうか)のために丼に飯をよそい牛肉煮をぶっかけて差し出す、という一連の動きは、江戸時代に飢饉にあえいでいた民百姓を並ばせ、お上が炊いた粥をフチ欠け椀に注いでやっている与力同心の姿にダブって見える。
 炊き出しに並ぶホームレスにボランティアが無造作に粥やシチュー注ぎ込んでいるシーンにつながるものがある。
 牛丼やドーナツぐらいてめえの身銭を切って食えよな、ほんと。
 子供連れならなおさらだ。物乞い同然の情けない背中を子供に見せてなんとも思わないのかねえ。
 私は余計な仕事に忙殺されている店員さんのために釣り銭が出ないように、自分の財布から380円きっちりの金子を取り出しカウンターに置き、「あんちゃんよ、ごっそさん、お代はここに置いとくぜ。おっと釣りはいらねえぜ、取っときな」と爪楊枝をくわえて革ジャンを肩にひょいと小粋に乗せて店を出た。
「身銭を切って食ったからな、わしゃ~おまえらとはちゃうけんの」と行列に鋭い一瞥をくれて暮れなずむ街をいそいだのであった。

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 シベリアからのハイパー寒気団が居座り続け、列島全体を雪と氷、寒風責めにしている。 
 昨日より今日の方が、今日より明日の方がと日替わりで、一日の最低気温最高気温の低さを更新させている。 
 西日本全体が雪、例年雪にはほとんど無縁の四国徳島でも積雪をみたというのに、関西地方は雪舞いすら見かけない。
 関西の北東南方面に屏風のように立つ北摂、生駒信貴、金剛、和泉山地の頂部分や山あい見渡せる範囲に雪が見え ない。 
 それを思うと、昔の方が実はもっと寒かったことに気づいた。 
 今もそうなのか知らないが、私が小中学生の頃、大阪の児童生徒たちは「耐寒訓練」と称して、都会では珍しい観雪も兼ね、毎年1月終わりから2月半ばにかけて、おもに金剛山に登山させられたものであるが、毎年毎年それが中止になったことはなかった。  
 行けば必ず20~30cmくらいの積雪があり、中学生あたりになると、自分が今やらされている行為の意 味と価値を自分の主観で斟酌したがるようになるから「1年にいっぺんだけこんな登山ゴッコみたいなことをやったところで、しんどいだけで何の意味もないわ」と生徒一同異口同音文句たらたら雪に足を取られつ、時々木々の枝から音を立てて落ちてくる雪塊に頭を打たれて驚き、息も絶え絶えになりつもなんとか頂上までたどりついた。
 「どや!頂上で食べる弁当は美味しいやろ!」と、どこの学校にもいる、体育系イベントの時だけ張り切 る熱血かつ単細胞で無神経、おつむの出来が杜撰で粗雑な体育教師が白筋入りの紺のジャージの腰に両手を当ててガハハハハと笑う。
 余談。この馬鹿野郎に理不尽極まりないビンタを一度だけ喰らったが、その一度が衆人環境であった。
 あの時の屈辱感は今でも持ち続けている。体罰は必ず人の心に陰影をつける。
 体育系教師がひとつ覚えのように言いたがる「愛情のある体罰」なんてありえない。論理と言葉で子供を納得させられないおのれのバカを棚に上げるなといいたい。
  そういう意味で私は先日亡くなったプロ野球の星野仙一ごときなど名監督とは絶対に認めたくない。
 ああいう人物を過剰評価するところに論理と知性より情緒と根性を大事にしたがる日本人の野蛮かつ非合理的な一面を見せられるようで、日本人であることが恥ずかしくなってくる。
 私の年代以上の者がよく「授業で殴られた先生ほど印象に残って会いたくなるんだよ」というが、何も考えないでいられるシアワセな人たちだ。
  閑話休題。耐寒登山のサミットで食う握り飯はほぼ凍りつき、おかずは冷え冷えに萎縮し味もへったくれもない。
  あほらしもないという冷めた空気を全身に醸した生徒たちはまるで感情をなくした表情で黙ったままひたすら凍った飯に箸を突き立てているばかり。 
 今でもこんなアホなイベントをもって教育と称しているのだろうか。
  毎日それをやれば少 しは身体も剛健になりそうな気もしないでもないが、真冬の最中、ただひたすら寒いだけ、やもすれば風邪をひいてしまう可能性も大いにある物好きもいい物見遊山みたいことをもって、子供の鍛錬とする愚かしく幼稚な精神主義が幅を利かせているとしたら度し難い。  
 あの頃、こんなナンセンスで愚劣な行事が、堂々教育カリキュラム課程に入っていたのは、毎年冬になれば街の中はともかく山間部に行けば必ず雪が積もっているという 保証があった、つまりはそれだけ寒かったから可能だった。
  雪はなくとも毎朝通学路の水たまりは必ず氷が張っていたし。今は結氷すら、あまりというよりほとんど見かけない。 
  確実に昔の方が寒かった。地球温暖化が進み今の冬はずいぶん優しくなった、寒い言うたかて昔に比べたらマシやなあ、と思うことによって少しでもこの寒さを心で緩和させているのだが、う~~ん寒いもんは寒いのう。なんとかしてくれ。  
 科学の進歩 は精巧精密なAIロボットはおろか、生身の人間のコピーまで創れるようになった。
 今や人類は神の領域に足を入れたどころか、縦横に動き回り神をも畏れなくなくなった。
  だから天気ぐらいなんとでも出来そうなものだ。 
 年中春と秋だけ繰り返してくれたらいい。夏と冬なんていらん。
 この2シーズンは身体に悪い。なんもええことあれへん。 
 あ、あかん。さぶいさぶい、ああさぶい、たまらん。
 神戸方面最高気温が3℃!冷え〜ざん(比叡山)延暦寺、ああ滋賀県〜(←吉本新喜劇ファンならわかる)。
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昨夜は11時過ぎに帰り、ほぼ一日じゅう留守にしていたので、なんだかんだと雑用がたまりそれを片付け、寝に就いたのが未明四更であった。
 アルコールも入っていたので二日酔い気味、布団の中の温かさに未練がましくしがみつき、昼日中になっても離床せず、午後も2時を過ぎてようやく布団をたたむ。
 娘が仕事が休みとかで、えらいまたでかいオムライスを作ってくれた。冷や飯が大量に余ったからだと。omuaisu
 それをもそもそ食べながら、昨日父と話した遠いいにしへの漫才をYou Tubeで楽しんだ。昔は音曲漫才全盛期。特に松竹芸能にその手のトリオが多かったなあ。
 笑芸の質やセンスなど時代によって移り変わるものだが、これだけは言える。
 昔の芸人の芸の蓄積の凄さは今のいわゆるひな壇芸人など及ぶべくもない。今の芸人は自分の持ち芸を磨きこむということが出来ないのかやらないのか。
   長い目で見たら芸を磨きこんだ方がずっと食べていけると思うのだが。バラエティやひな壇で楽屋オチやイジリイジられの与太話ばかりで笑いをとっていると結局使い捨てられるだけだ。
  晴れてはいるが寒風吹きすさぶ。聞くからに寒そうな音だ。窓外の下に見える裸木の並木が風にいいようにあしらわられている。
 救いは陽射があることで、冬の乾ききった空は紺碧に近く、どす黒く分厚い雲に一面の覆われた冬空が陰の冬空だが、寒風に吹かれながら青空を仰ぎみると凛とした気持ちに近くなるから陽の冬空だろう。
 暦の上では今日より春。旧暦で決められた二十四節気の気候区分の方が体感的に的を射たものになっている。
 寒気依然猛威を振るっているが、日差しの中に甘さが出てきている。
 梅が植わっている家の庭先から道路にはみ出している枝を仔細に見やれば蕾が膨らんでいる。
 日はますます長くなり、5時を過ぎての茜色の空は秋のそれのようにどこか索漠としたものでなく、どこか絢爛な緞帳のような華やかさを織り込んで風景におりてくる。
 まさに春に近づいていることを視覚的に体感的に感じられる移り変わりの中にいる。春が立ち始めたわけだ。
 昔の人の季節に対する繊細な感覚は今の人間より遥かに研ぎ澄まされたものであったのだろう。

 またもや危急の発作を起こした大阪の母を見舞った後、甥っ子の車で送ってもらい実家の父としばし語り合う。
 母の話柄にはじまって肉親同士の愛憎のあれこれから、昭和の芸人や映画俳優の話で盛り上がり、夕暮れに押されて辞す。
izakaya 大阪という自分の故郷から一人帰る寂しさを背負っているという甘ったれた思い混じりの重さを、長い付き合いの友に天満の居酒屋で癒やしてもらう。いい友だ。
 つかず離れずほどよい距離を置きながら、気が向けばなにくれと連絡をとりあい、80のジジイになってもたまには「おい、元気かい」と互いに杖つきながら、いや振り回しながらか、酒場でオダを上げていけそうだ。
 男の付き合いはそれくらいでちょうどいい。
 画像処理で顔は見せられないが、どちらもいかにも酒呑みという面貌である。
 年ふればふるほど男は渋い顔になるという、私はともかく彼はその典型だ。
 家に帰れば義兄がちゃんと節分の巻き寿司をあつらえて、妻を通じて今年もまた食べさせてくれた。
 母の病態にに対する屈託が吹き飛んだ佳き日であった。
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 予報ほどには暖かくなかった。
 日差しはあるにはあったが、雲が薄い膜となって燦然と降り注ぐという状態にほど遠かった。
  文句ばかりいっても仕方あるまい。冬は寒いものである、という当たり前のこと受け止めたら、さほど腹は立たない…ことはあれへん、寒いもんは寒いんや。
  明後日は立春だというのに。今年は少々図々しくないか冬将軍のバカたれめ。
  火曜日に母の容態云々で大阪に駆けつけて医師に「母上に関して今 回は一応乗り越えたが今後の予断は許されないものがある」と言われたことが軛となって、いつ携帯が鳴るやと思うと気もそぞろである。 
 最近ほど「なんでもない日おめでとう」という、『ほぼ日手帳』の有名なコンセプトフレーズが心に沁みることはない。
 幸い昨日今日もなんでもない日だった。
 そんな自分や、めでたいことがあった人もそうでない人も、とにかく日常変わらぬなんでもない日だった人たち、おめでとう。  
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 氷雨そぼ降る如月朔日。終日底冷え厳しかった。 
 妻が最近徐々に走り元に立つようになり、ブリの煮付けをこさえて夜勤明けの私を待っていてくれた。 
「これはおまけ」と、私の大好きなだし巻き玉子もあった。 
 まずはパソコンを見ながら麦焼酎をあえて湯割りにせず(冷めた時よけいに冷たく感じるから)ロックでグラスに満たし、手づくしの料理の半分を酒肴として楽しみ、半分は熱いめしの友として食卓に移動させて楽しんだ。
 短冊切りの大根と薄揚げの味噌汁も充分に熱く、おかげで身体 の隅々まで温かくなった。 
 朝風呂と朝酒朝めしでぬくもった身体を布団の中にもぐりこませる。
 仕事の疲れがほどよく酔いと満腹感にほぐされて、そのまま昼の3時過ぎまでぐっすりと眠れた。 
 4時間熟睡出来れば充分である。 若い頃に比べて長時間グースカグースカ寝続けるということはない。 
 むしろそんなことをすれば、寝ること自体に体力を使いそうで眠りのたびに疲労度が増すというわけのわからない状態になってしまいそうだ 。
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数日間の酷寒が嘘のような日和だった。 
近所の書店から望見する明石海峡の銀波の煌めきはまさに早春のものであった。 
店の窓から差し込んでくる日差しが、立ち読みする私の肩を暖めてくれる。 
昨日大阪まで行った疲れがまだ気だるく残っており、ついあくびが出てしまった。 
昨日朝、大阪の病院にいる母の容態が悪化したとの急報を受け、夜勤明けの身体を休めることなく大阪へ直行、担当医師の説明を受ける。 
要介護レベル2 の父は自宅である。一人で外出するには困難となっている。 
大阪に住んでいるために日頃、両親の世話や見舞いをこなしてくれている妹はどこかに行っているのか携帯がなかなかつながらない。 
行きのJR快速電車の中であせりといらつきの合間に「事後」についてどう進めていこうかとそればかり思案していた。 
シビアで冷たいと思われるかもしれないが、去年あたりからもはや回復の見込みなどほとんどない母である。 
延命への望み は捨てたわけではないが、現実を鑑みるにやることは山積されている。そちらの処理について出来るだけ今から手を打っておかないと。 
容態急変といえど危篤という事態には至らなかったことにまず胸をなで下ろす。 
しかし鼻孔や口にさまざまなチューブを入れられ、両の腕のそこかしこには点滴や脈拍や心拍数カウントのための管が装着され、看護師の問いかけにわすかに反応する程度、私が呼びかけてもまったく応答なし。 
やせ衰えた 幽鬼のような面貌で気ぜわしく呼吸を繰り返している母の様を見ると、なんともいえない無常観におそわれる。 
ここまでしてまで生かしておく必要があるのか、という先刻の安堵の感情とまったく矛盾した思いが鬱勃とわく。 
人間の尊厳ということを考えた場合、こんな惨めな格好のまま大部屋の病室というパブリックな場所でさらされているのはどうかと思う。 
私ならごめんである。安楽死は遺言で認められるのかどうか勉強してみる必要 がある。 
いずれにしても今年はどうにも波乱含みのただならぬ一年になりそうな気がする。 
冬の陽に暖められている海峡は、皮肉にもおだやかなたたずまいの中で静かにさざ波を散らしている。
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依然厳寒続く。
日差しはあるがそれ以上に足下から脳髄脊髄骨の髄まで氷の刃で削ぎかねない寒気に震え上がる。 
昨日の夕方食した巨大穴子の天ぷらの残滓今なお胃底に沈積していそうで、夕食後20時間経つというのにさほどの空腹感はない。 
この天ぷら、とにかく長い。30cm近くあっただろう。肉厚も結構あってうどんの上に乗せて食べたのであるが、かじってもかじっても穴子の肉が陸続と間断なく口の中に入ってくる。
舌の上を アナゴさんが列をなし「フグタくん、帰りに一杯やらないか」と言いつつ行進しているかのようだ。 
天ぷらだけで腹満ちて、うどんを平らげるのに往生した。天ぷらを片づけるのに時間がかかり、その分衣からつゆにポロポロ落ちた天かすが、程良くほとびてつゆに脂の旨さを与えそれなりにうどん啜りも進んだが。 
穴子天1尾162円。このボリュームでこの安さ。
穴子は高級魚とされるが、この安値を実現させたのはいかなる手だてであろうか。 
穴子は当然輸入物で冷凍品を使用しているとは簡単に想像はつくが。
それとも穴子は穴子でも明石海峡にいるような正統派穴子でない種類の穴子なのか。 
丼鉢からはみ出し、写真を撮るにもどうしても重みで鉢の外側で大きくだらりとたわみ「しゃんとしろ!」と叱咤のひと声もかけながらそれでも「んまに~世話の焼ける」と、その端っこを折りまげなんとかうどんの中に突っ込み画像に納めた。 
ちなみに穴子の天ぷらはあるのに鰻のそれはないのはなぜかと、料理人である義兄に訊けば「あんな脂っこいものをさらに油で揚げてどうすんの?」と極めて直截的で散文的な答えが返ってきたものである。そりゃまそうだな。
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いつになったらこの寒さ厳しき折柄から抜け出ることが出来るのだ。 それでも今朝はやや小康を得ているが。
先日も書いたが、熱効率が悪い家に住んでいるので、暖房器具を点けるだけで機能に必要な分以上の余分な電力垂れ流しとなり、本来使わなくてもいい電気代が嵩むからほとんど寝床の中にいる。 
室内の温度が低い状態で、パソコンの電源ONOFFの繰り返しは出来ればやらない方がいいので、ネットはスマホを介して閲覧している。 
ブログ記事の更新は寝床で腹這いになってポメラで作成 、バーコードで読みとらせそれをlivedoorのブログサイトに転送させている。 
寝そべって記事が書ける、これは別に冬でなくとも四季を通じて楽ちんな体勢だから腰や背骨への負担もほとんどない。 
なにかと話題の大相撲初場所。西方前頭3枚目栃ノ心が6年ぶりに平幕優勝をはたした。
横綱陣が総崩れの間隙を縫うてという感なきにしもあらずだが、序盤で大関高安、中盤で横綱鶴竜を倒しての優勝は立派なもので、今場所もかよ情けない!の一言に尽きる稀勢の里よ、少しはこの力士の爪の垢でも煎じて飲みやがれ。まったく。
ジョージア出身の力士だというから、てっきりアメリカのジョージア州からやってきた、ついにアメリカ本土出身のお相撲さんが出てきたのかと思いきや、なんのことはない、ロシアの昔のグルジ アが公式に英語読みの方を採用されてジョージアと呼ぶならわしとなったという。 
グルジアといえばワイン、コニャックと黒海産の上質なキャビアが世界的に有名、近現代史的にはあのヨシフ・スターリンと彼の悪名高き片腕的存在のラヴレンチー・ベリヤの揺籃の地て知られる。 
スターリンの伝記やその恐怖政治の実体を描いた本はそれこそ世界中で星の数ほど出版されているが、スターリン治世のうち大粛清時代から晩年にかけて、彼の独裁政治を血と銃弾とラーゲリ(強制収容所)で支えた秘密警察のトップとして、ソ連国民を絶望と煉獄に放り込み続けたベリヤの伝記や研究書は驚くほど少ない。 
あのリャハルト・ゾルゲが必死になって送り続けた日本の北進に関する情報を諜報機関の長として握りつぶし、そのことが独ソ戦初期に大敗北を喫する結果となったのだが、おのれの失態には頬かむり、すべての責任をゾルゲに押しつけて、日本政府によるその処刑にも知らぬ顔を決めこんでいた。 ゾルゲの妻や上司にまで無辜の罪をかぶせラーゲリに送り込むやら銃殺するやら、血に飢えきった悪魔の所業であった。
おまけにこの男はロリコンの気もあって、無数の少女を拉致監禁してクレムリンの奥深い部屋で陰惨に弄んだことはよく知られたエピソードである。
まさに鬼畜を絵に描いたような人物、尻尾のないケダモノ、どうしようもなく救いようのないカス野郎だったわけで、伝記を書くにしても途中でイヤになってしまうに違いない。 
cats-horz相撲人生を大怪我で頓挫しかけ、それでも不屈の闘志で苦節12年ついに優勝に輝いたという、暗いニュースばかり続いた大相撲の世界に一筋の光を与えた栃ノ心に悪いけど、グルジア、もといジョージアというとどうしてもロシア現代史悪のツートップであるスターリンとベリヤのイメージが強すぎて、まずはこの悪魔どもの名前が口をついて出てしまう。 
それにしても栃ノ心の奥さん、すご い美人だ。グルジア美人という言葉があるがさもありなん。
だいたいロシア(広義的に)の女性男性ともに透き通った白い肌で面貌も美形が多いのだが、申し合わせたかのように中年にさしかかると突然太りだし、ご面相もわずかに若き日の美しい面影を留める程度になってしまう。 
あれは絶対にウオッカがいけないんだと思う。あの強い酒を呷るように何杯も飲み干すのがロシアの宴の作法らしいが、悪酔いしないようにパーティの事前にバターの塊を飲み込んでおいて胃壁を脂分で保護するらしい。それじゃ肥え太るのも無理はない。

今年は平昌冬季五輪開催も近いとあって、いつになくトワ・エ・モワの「虹と雪のバラード」がテレビから流れてくる回数が多いような気がする。
この歌ほど記憶している限りの映像を次から次へと飛び出せてくれるものはない。
札幌冬季五輪のテーマソングであったこともあり、日の丸飛行隊の金メダル表彰台、ジャネット・リンがスケートで転んだ場面、そこからなぜか横井庄一元軍曹がグアムの洞穴から出てきたところに飛び、浅間山荘事件で山荘の横壁にでかい鉄玉で穴を開けるシーン、その穴は北関東山地の過激派のアジトで起こった悲惨な同士討ちリンチ事件の犠牲者を埋めた穴の記憶に繋がる。
いい方も悪い方も、とにかくあの1972年の1~3月にかけて、名実ともに大事件が立て続けに発生したから余計に記憶に残っている。
日の丸飛行隊の金メダルフィーバー、あれは凄かったなあ。あの頃の住宅はまだまだ平屋建てが多く、今ほど密閉された造りにもなっていないから、近所が何のテレビを観ているのかよくわかり、とにかくこの日の丸飛行隊の時はご近所という近所みんながこれを観ていた。
家族揃って拍手と歓声もよく聴こえ、日本全国津々浦々おらが国の選手をみんなで応援していたんだと思うと、実にいい時代だったわけでまだまだあの頃の日本には伸びしろもあり、未来もそんなに捨てたもんではなかったのであり、今こうしてあらためてYou Tubeで「虹と雪のバラード」を聞いていると「もうこんな時代はやってこんのよ」と、昭和を懐かしむ還暦男の口からため息のひとつも出てくる。
韓国の人らにとって初めての冬季五輪、本当に成功裡に終わって欲しいと思う。
北朝鮮の参加がどうの、慰安婦問題蒸し返されて何も総理が出席することないじゃないかがこうの、となんだかんだケチつけて何かいいことでもあるのか。
あくまでスポーツのお祭りでしょ。お祭りなら大目に見てやれ。お隣さんがなんとか開催日に間に合わせて必死になってこぎつけたんじゃないの、無粋なことをあれこれ槍玉に挙げるより、おめでとう頑張れよくらいさらりと言ってのけてこそ真の大国の貫禄ってものだ。
アジア初の冬季五輪となった72年の札幌オリンピックのことを悪くいう日本国民は皆無である。
古き良き日への郷愁もあるかもしれないが、札幌オリンピックにいまだ寄せる日本人の思いと同じものが、韓国の人たちの胸の中で少しでも残せることを願ってやまない。



トワ・エ・モワの他、ピンキーとキラーズ、菅原洋一、黛ジュンなどが競作のカタチでカバーしていたらしい。聞き慣れているためだろうか、この歌はトワ・エ・モワ以外の人が歌ってもトワ・エ・モワを超えられそうにないと思う。
もともとNHKの「みんなのうた」で製作された。

「五輪開幕2年前の1970年、NHKは河邨に作詞を依頼する際に、
  • イベントが終わっても長く歌い継がれるもの。
  • オリンピックを待ち焦がれる札幌の人たちの心情を表していること。
  • 重々しい式典風のものではなく、屋根裏の落第坊主がギターを爪弾いて歌え、なおかつ、何千人もの合唱に耐えうること。
  • の3つを要望した。依頼を受けた当初はなかなか構想がまとまらず、河邨は2週間ペンが進まなかったという」


    ウィキペディアよりの引用だが、3つの要望のうち3番めの「屋根裏の落第坊主」ってなんだ?当時は落第坊主は屋根裏部屋に生息していたのか。「落第坊主」。坊主が余計だ坊主が。それとも江戸川乱歩の短篇のパロディみたいな奴がギター爪弾いて歌い、かつ何千人ものコーラスでも歌える歌を作れとはむちゃくちゃもいい。まるで相反する要素をクリアせよと言っているのだから。そりゃ2周間ペンが進まなかったのは当然だ。

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