早朝は肌寒いくらい。どんよりした曇り空のスタートだったが、昼過ぎに一旦晴れたかと思うと、空気に湿り気が混じりだし、薄暮には再び曇りとなった。
imageアマゾンより昨日発注した電子タバコ到着。
さっそく喫って、いやこの場合吸ってみる。はなから分かっていたことだが、要は湯気を吸い込んでいるようなものだ。
なまじタバコの形状をしたものから吸い込むという所作の分があるだけに、本物のタバコへの渇求が増しかねない。
これは失敗だった。700円足らずの勉強代で済んだのはもっけの幸い。
今日で禁煙4日。なんとか続いている。禁煙と減酒は60代ファーストステージの最大目標である。ヘビースモークと大酒喰らいは必ず身を滅ぼす。物心ともに大いなる破壊をもたらす。
「出来れば10年前に戻ってやり直したいというおまえ。未来から戻って来なよ。今やり直しておくんだよ。10年後悔悟とともに振り返らずに済むように」
2ちゃんで以前見かけた無名の人の書き込みである。原典みたいなものがあってそこから引っ張ってきたかどうか定かではない。
しかしまあいいことを言うじゃないのと感心したものだ。
あの悪名高き巨大掲示板でレスされたものだけに、よけいにその前向き感が目立った。
2ちゃんねるもたまには覗いてみるもんだ。

さわやかな好天が続く。しかし昼過ぎからやや湿気を帯びた空気が淀んできた。明日の午後は雨との予報。
禁煙3日目。今日もなんとか喫わずに一日を終えそうだ。
ニコレットを買いトライしては挫折のくりかえしを1年ぐらい続けている。
今回は目先を変えて、ニコレットがあと14個しか残っていない心もとなさもあり、トップランドという会社が発売している「トゥモロー」なる電子煙草をアマゾンでポチした。
500円ギフト券を使い、配送料込み730円ほど。3級品煙草約2箱分の値段である。明日着予定。image
タイコスやブルームテックなど1万前後もするその手の製品で、それでも禁煙失敗だったとなれば目もあてられない。
出勤前、テレビを点けたらU局以外はどの地上波チャンネルも内親王婚約内定記者会見の模様ばかり。
先帝陛下御崩御の時もそうだったが、こうも金太郎飴みたいな番組編成をやっていると、あの当時よりもずっと多チャンネル多メディアの時代、テレビ地上波チャンネルは完全にそっぽを向かれる。
それはともかくとして、内親王眞子様は比べるのもおこがましく畏れ多いが我が娘と同い年。
内親王ご幼少の砌の映像を愚娘の幼き頃のそれと重ね合わせ、ある種感慨めいたものを抱く。
秋篠宮殿下の御胸中、いかな殿上人とはいえ、そこは世間一般の父親の如く些かのお寂しいものがあると拝察する。
とあれ末永くお幸せにとお祈り申し上げる。
ところで皇室御一家は吉野家の牛丼や王将の餃子なんかをお召し上がりになるのだろうかと、大内山関連のニュースが流れるたび、いつもそんな下世話でくだらないことを考える。
まさかお忍びでお召し上がりになられるのだろうか。変装やサングラスで容姿をカモフラージュして、うつむき加減に吉野家にお入りになり「牛丼特盛、ツユダクで」とか御注文遊ばされるのだろうか。
「餃子2人前とチャーハンな、餃子焼けてからビール、うーん、そうやな生中の方持ってきてな」と御注文された後、東スポあたりを開いて、きょう日の下々は何をしとるのであろうぞと目をお通しになるのだろうか。んなわけないやろ。
こんなことを、出勤前の私一人だけの早い夕食時に視ているテレビに一人でブツクサとツッこんで一人でボケいたわけです。

今朝スマホで撮影したもの。
朝の光に海がほどよくきらめき、雲の群れも初秋にふさわしいやわらかさで漂っていて、電車から見ていて(写していて)なんとも気持ちのいい風景だった。

ようやく朝夕めっきり、という言い回しが似合う頃合いになった。
昼間の日差しは夏の最後の抵抗か、往生際悪くカンカン照りつけているが、風の冷たさが日差しのきつさを霧散させてくれる。
昨日一日、そして今朝と典型的な秋の空の碧さが広がり、綿菓子の外縁部をちぎって投げたかのような雲が点在している。IMG_20170831_173233
これは以外に早く本格的な秋がやってきそうだ。私の見立てでは早くとも9月半ばとにらんでいたのだが。いずれにしても酷暑がもはや過去のものになったのは嬉しいことだ。
こういう季節の変わり目には好んでスーパーやデパートの食品売場をウオッチングする。
秋刀魚が出だした。松茸も中国産のこぶりなものが並びはじめた。栗や柿はさすがにまだか。こういったものを見てまわるだけでも楽しい。
秋刀魚はここ数年中国や台湾の漁船団の乱獲によって品薄、今年も高騰でのスタート、1尾がまだ500円近くする。
今秋はとくに秋刀魚の好漁場である北海道東部沖に、北朝鮮がミサイルを打ち込んできたこともあって高値止まりのまま推移しそうである。
もっともいくら高いといっても、出回れば上は300円下は200円ぐらいに落ちつく。安いものだ。あらためて自然の恵みに感謝する。
秋刀魚とて様々な料理が考案されて、それ用のためか最初から筒切りにした状態でトレーに乗せて売られているものもある。
あれはいただけない。やはり秋刀魚は尾頭付きで銘刀のような長い一閃の銀光を放ちながら、生鮮売場の一角でずらっと並べられているのが壮観でよろしい。
秋刀魚に凝った調理は不要。塩パッパッ振ってそのまま焼いて、焼き網から脂をポタポタ落としてそのたびにモワモワと煙が火山の噴煙の如く舞い上がりというのがいいのだが、集合住宅では無理な話でガスレンジのちんまりした魚焼きのオーブンで焼くしかないのだが、それでも充分に旬の魚の脂の旨味が楽しめる。
新物は腸も新鮮で腸の肝(変な言い方だが)である苦味も安心して味わえる。あの苦みは栄螺つぼ焼きの砂袋の苦みに匹敵するほどの美味である。
どちらの苦みも嫌って、腸なり砂袋を捨ててしまう人がいるのだが、好みそれぞれとはいえちょっと理解できないものがある。
栄螺の方は夏の盛りの昼間の浜辺で、焼かれて香ばしくなった醤油が垂れてくる砂袋をつまんで顔の上方から一気に口に持って行き、パクっとくわえて袋を破る際の抵抗を歯に感じながら咀嚼を開始、動物でいうところの贓物部分の粘りつくような柔らかさの食感を楽しむ暇もなく苦みが口腔内を覆いつくした瞬間、よーく冷えたビールをぐびっと飲る。ビールと貝の苦み渾然となした時の快感といったら、あなたそりゃあたしなんざ死んでもいいくらいでございます。これを家の中でやるとそこまで思えないはのが不思議。
秋刀魚はとくに腸の部分に関しては家の中がいい。酒はビールより熱燗。腸だけを身から分離させて、すだち(秋刀魚のコロンにこれ以外の柑橘類はありえない)を軽く絞って汁を垂らし、まさに綿に似た感触を舌の味蕾の上に広げ、やや舌を回し気味にして口の中全体に行き渡らせる。ほどよく苦みが回った頃合いを見て、やや熱めに燗した酒(こういう場合はへんに高価な純米大吟醸酒よりも安めの吟醸酒か純米酒の方が旨いような気がする)を腸の苦みと酒をしみじみ語り合わせるつもりで少しずつ舐めるようにちびりちびりと呑む。
その時、集く虫たちの声が聞こえ、三日月が群雲の中に煌として光るのが見えたら思わず口走る。「父ちゃん母ちゃん、日本人に産んでくれてありがとう」と。

やっと朝晩と昼間に吹く風の中に秋めきが感じられるようになった。
今夏は苛烈なる暑さがまるまる2ヶ月休みなく続いたことになる。毎日毎日33℃超え、夜も27℃を下回らず、これではさすがに無神経なまでにタフな私とてバテてしまった。
もとより加齢のせいもあるだろう。年ごとに体感的に疲労の蓄積が抜け切らない日数が多くなっているのがわかる。
働かないと食べていけないので仕事だけは日々を覆う倦怠感を鞭で追い叩きながらなんとか勤めているが、それ以外のことはもうやる気がない。
酷暑の中の大阪の親元通いも正直言ってうんざりである。我が親でさえそうであるのだから、このクソ暑いのに仕事と親のご機嫌伺い以外に外へ出て行く気にもならん。
パソコンの電源入れりゃ、こいつはとにかく25℃を超えればとたんに冷却ファンの排気音が人の神経を逆なでさせるほどうるさく、したがってスマホでネット接続と相成るが、あのスマホの小さい画面に向かって、むくつけきぶっとい指をチマチマチマチマチマチマ動かしているうちに「イィ~~ッ」とこれまた苛つきマックスとなり、いきおいブログ更新も途絶え、SNSは「忘れちゃいやよん」とお愛想代わりの「いいね」ポチがほとんどとなる。
話は変わるが、先週買った我がチプカシ君の働きぶりにますます惚れ込んでいる。アラームが5つ設定出来るのは特筆すべき機能で、仕事はルーチンワークの繰り返しだが、ルーチンなるゆえにそれぞれの時刻は厳守となり、ひとつでも忘れるとヘタすればおまんま食い上げの事態出来となる。
これまでは電話やネットの用件向きで使わなくなったガラケーを各時刻のアラーム設定をやっておったのだが、一旦鳴ったアラームは解除してやらないと、一定間の鳴動後も当然ながらいつまで経ってもアラーム操作中状態となるわけで、いちいち本体を開けての解除作業は煩わしい。(スマホのアラーム設定も同じようなものである)
その点、時計のそれは時計状態のままで「10秒間音を鳴らしますんで放っておいてください。とにかく知らせましたから」と楽でいい。状態解除の必要不必要はわずかな違いだが、このわずかな手間が積もり積もれば面倒くさいのだ。
同僚に元陸自の人がいるのだが、仕事の合間の話柄が軍用時計に及んだとき「自衛隊はやっぱりG-SHOCK使うのが多かったですよ。え?別に時計は制式のなんてないです。各自好きなの付ければいいんやけど、ドレスウオッチはさすがに問題外(笑)」なんて言っておった。
うむ。G-SHOCKな。これもカシオが生んだ超がつくほどの人気ブランドで、実はチプカシかG-SHOCKを買うかと迷っていた。なにせ象が踏んでも壊れない、それは筆箱、トラックが轢いてもまったく壊れずちゃんと動いたというのだから、過酷職場の王、陸自演習場でも重宝されるわけだ。
値段は当然、チプカシより高いが安いものなら4000円台からある。高いのになると30万以上するのもあるが。一旦欲しいと思えばいつまでもグズつく私の未練がましさは、昨日も大阪の親元を訪うた際、家の小うるさい女どもを先に帰しての久方ぶりのヨドバシ梅田に立ち寄りとなり、なんやこの人の多さは、それも日本語以外の会話ばっかりやんけと驚きながら時計売り場と上がり件の時計の数々を垂涎と憧憬の思いで眺めさせたものである。
家の女どもと別れる際、親分女(つまりカアチャンだが)が「なんやて。ヨドバシに寄るからぁぁ~?あんたっ!。クレジットカード持ってないやろな。財布とかポケット見せてみ。ほら、ちゃっちゃとしいや」と身体検査まがいのことを私にしでかしたのである。
「先に帰っとけ」の一言でカアチャンは「このアホ、またしょうもないもん買うつもりやな」ときっちり見破っていたのである。そこへもって子分女(娘である)が「あかんあかん、カード取りあげだけやったらあかんて。スマホも押さえとかんと。ネットで買いよるわ」と余計な、しかし鋭いところを突いて来てぬかしやがったのである。
「あほ、ネットで買うつもりやったらとっくに買うとるわ」と、腐っても一家の主の空威張りでスマホ取り上げは御免となった次第。女にわかってたまるか、時計に対する男のロマンちゅうのを。ああ~G-SHOCK欲しい。

カシオの安物デジタルウォッチなら、今まで何十個という表現がオーバーでないほど買っては内蔵電池が死ねば捨て、また新たに買うことを繰り返してきた。
今つくづく惜しいことをしたと思っている。押入れの中のごった煮の闇を探ればもしかして奇跡的に捨てられずに生き残ったやつ、4~5個は見つかるかもしれない。
ここ数年、手首まわりをチープに演出してくれるガジェットとして「チプカシ=チープなカシオ(のウオッチ)」なる言葉とともに、そのあまりの値段相応のトホホぶりながら、へんに高機能でわりと使えるじゃんな時計として脚光を浴びている。
惜しいことをしたと書いたのは、捨てないで置いておけば一大チプカシコレクションとして壮観なる画像を披瀝し、チプカシコレクターの間でドヤ顔出来ていたかもしれなかったからである。
2年前に久しぶりにチプカシを買った。カシオが海外でしか生産販売していないアナログ表示タイプ、長針短針が時間を示すだけの超シンプルなものをAmazonで1300円で売られていたもの。ベルトは例の黒いウレタンゴムながら如何にも時計本来のデザインですといった潔さに洗練されたものを感じる。これの文字盤が白いタイプは超人気製品でカスタマーレビューの数もダントツである。
で、このたび2年ぶりに新たなチプカシを買った。デジタル表示。これぞチプカシの本命、チプカシがチプカシたるアイデンティティを保っているのはこのデザインのものである。チプカシはこの手のタイプがその嚆矢である。
定価(メーカー希望価格)2000円、そこをAmazonは1485円+送料350円、ヨドバシ・ドット・コムなら960円で送料無料。当然ヨドバシをチョイス。昨日発注してなんとさっき到着した。
ヨドバシやるなあ。Amazonにいいようにやられている日本のネット通販、どうせなら日本の企業に頑張って欲しい。ただ品数がAmazonに比べたらまだまだ少ないのが難点。
で今朝届きし型番F-201WA-9AJFのブツはちゃんと箱に入れられ、マニュアル冊子まで付いている。内蔵電池寿命は10年という長さ。日常生活防水(5BAR)、曜日英表示、むろんオートカレンダー、12/24時刻表示切り替え、ストップウオッチは2位まで計測でき、アラームはなんと5個まで設定可能、しかもそのうちひとつは月日まで指定できる。この無駄にすごい機能はチプカシならでは。グリーンライト点滅で暗闇でも視認できる。別の場所の時刻もわかるデュアルタイム機能までついて、なんと1000円を切ったお値段でのご提供です!とジャパネットの塚本君みたいに叫びたくもなる。cats
値段が同じようなものなら機能の数が多いを方を選ぶのは、遠い昔「冒険王」「ぼくら」「まんが王」などの少年月刊雑誌で付録がぎょうさんある方が得やん、てなわけで月々付録の数で買う雑誌を決めていた貧乏性の伝統とDNAが今なお私の中で脈打っている証である。
アナログ時刻表示からほぼ15年ぶりにデジタル時刻表示に戻したのは、仕事の都合上、分単位まで記録しておかねばならぬという事態がままあるということで。アナログ表示だとデジタル表示に比べ即認性にかけるきらいがある。長針は何時を指し、短針は何分を指しと一旦頭の中で翻訳せねばならず、デジタル表示なら見たその瞬間に何時何分何秒というのが数字で出ている。
この時間の視認性のよさは口喧嘩の時も大いに役立つ。たとえば「いつ俺がそんなこと言うたんや。何時何分何秒に言うたんや!」と大人げないことを返された場合、さっと腕のデジタル時計を見せて「この時間から3分前の何時何分何秒におまえは言うたんや!言・う・た・ん・や!」と、こちらも大人げなく念を押してやれば相手はぐうの音も出ない(と思う)。
件のブツは残念ながら時刻修正電波受信機能(いわゆる電波時計ね)はなく、ソーラーバッテリーでもない。1000円でそこまで求めるのは残酷すぎるというもの。
であるから時々時報などを利用して修正してやる必要があるのだが、ここがチプカシとダイソーで売られているワンコイン(500円)ウオッチとの大きな違いで、前述したアナログ表示のチプカシ、買ってから2年間一度も時刻を修正したことがないながら1分しか狂っていない。たとえチープと言われようと肝心な部分はけしておろそかにしない日本のメーカーの矜持や心意気みたいなものが感じられ、だからこそ人はリスペクトとラブを込めてあえて「チプカシ」と呼ぶのである。チプカシは蔑称でなく尊称なのだ。
小腹が減ったので「大盛りイカ焼きそば」を食う。買ったばかりのチプカシのタイマーを3分にセット。3分後、チ、チ、チ、チ…の電子音が。初仕事を見事に果たしてくれた腕の可愛いヤツを撫でながら、私は感涙にむせびそうになった。そして震える声で「オメガやロレックスがカップ麺出来たで~って、し、し、知らせてくれるのか?、ええ、おい」とつぶやいたものである。
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加齢と今夏特有の気温もさることながら湿度の高さをともなった苛烈な夏のせいか、疲れがなかなか抜けにくい。
先日の終日勤務の疲労が、全身の血管に泥水を流しこんだかのように今なお沈積したままである。
そのせいか仮眠であっても熟睡できるのはありがたい。仕事の性格上、熟睡するのはあまりほめられたことではないが、身体がそれを欲求しているのだからしかたあるまい。
夢も「これは夢に決まっているではないか」という、半覚醒状態にみる夢にありがちな突拍子さやシュール性はなく、きわめて普通の筋運びとなる夢を見がちである。
それゆえに覚醒の瞬間は夢の続きの中にいるようで、しかし先ほどまでの光景、夢の中で目にしたすべてのものは寸毫も見あたらず、記憶の混乱は徐々に整理され、いつもの見慣れた部屋の光景が朝の白い空気の中で鮮明となりつつあるのを見たときは、夢の柵にもたれた背中に一ヶ月半も続いている酷暑が植えた汗疹のかゆみが走りだす。
リビングのテーブルの上に残暑見舞いの葉書があり、ありふれた夏空と海のイラストに、常套の時候挨拶が手書きの文字で入道雲の脇の筋雲のように流れ、裏返せば懐かしい名前が差出人の場所に恥じらっていた。男名前で差し出されているが、その偽名は間違いなく昔わりない仲であった女からのものである。
彼女の夫とは中学以来の友人というのが、彼女と知り合った端緒である。
自分の夫のことを一番よく知っている男性として、夫となにかあるたびに私は彼女の格好の相談相手となり、その流れで…世間によくある話である。男と女が紐帯の関係となるきっかけは多種多様にみえて、しかし根は単純なものだ。
そのあたりのあれこれを書くと煩雑になるので端折るが、結局彼女は私の友人と離婚、私は妻と幼い子供を持つ身である私が独り身となった彼女と肌を合わせるに至るまで時間はかからなかった。
およそ2年たらずの隠匿性を要する関係は時間が限定される分、濃厚で細密な逢瀬のひとときとなり、隠微さは淫靡さへと変わる。
それにしてもなぜ今頃になって斯様な葉書を送ってきたのだろうか。あの頃、世を憚る背徳の行為のほとばしりを弄び、それをなだめるために、彼女はこの男名前を使い、いくたびか私に手紙を送ってきたものだった。
電子メールというものがあるにはあったが、あくまで大学の研究者間同士のやりとりで実験的に使われている段階で、デジタル技術と生身の人間の恋とはまだ知り合わない間柄の頃だった。
結婚して4年も経っていない私に対する尺牘を女の名前で出す愚は避けて男の名前にしたのだが、この名前は彼女の私の共同の産物である。
夏のさかり、私と彼女は奥琵琶湖から余呉湖への小旅行を試みた。余呉湖畔の山荘風の小ホテルに一夜だけの二人の隠れ部屋を得た。
親湖である琵琶湖との間に横たわる山並みの尾根を茜色がなぞり、夜の帳は都会では見られない数の星たちを伴いながら降りはじめ、湖面はささいな風に神経質にうち震えて、薄墨色のモノトーンにアクセントを与えるかのような赤色のさざ波を送り出す風景を、私たちは握り合った手のひらに刷り込んで、いつまでも湖畔に佇んでいた。余呉湖
その年の夏は、前年の夏としては屈辱的な冷たさに終始していた鬱憤を晴らすかのように狂舞を演じ続けていた。昼間の大気の余熱がまだしつこくこの山峡にある小さな湖の縁を燻していた。
すでに漆黒の闇に包まれた湖面にホテルやロッジの灯りが蛍火のように点在している。生ぬるい夜風が小さな波をおこし蛍火を移動させ変形させ、彼女の瞳に飛び込ませる。私は彼女を思いきり引き寄せ彼女と唇を重ね合わせあう。
舌と舌のもつれあいからみあう隙間からもれる吐息は蛍火と変わり、形をなさない言葉の響きが狂言の鼓の音となり、明日が見えない男の女の隠れ恋の道行き模様が湖ぜんたいを幽玄の羽衣が覆ったように錯覚した。
いくぶん照れ屋の彼女は巧みに互いの舌先のほつれをほぐして、「夜になっても滋賀県の奥でもけっこう暑いね。滋賀は暑かねぇ」とおのが故郷である九州の方言でおどけて言ってみせた。
「滋賀は暑かね、か。それ名前にならないか。しがわあつかね、なかなかいい響きだと思う」
「そんなもの名前にしてどうするの?」
「男の名前だから、今度から僕に手紙を送る時は差し出し名無記名だと、さすがにうちの者が怪訝な顔つきの度合いを深めてきているんだ」
「そう」
彼女は言ったきりしばらく黙っている。さまざまな思いがその胸と思案を行き来し葛藤し怯懦と開き直りが錯綜していることは、自分たちの行いがけっして赦されるものでないことを自覚している私には痛いほどわかっていた。
沈黙の重苦しさは破綻への足がかりに続いていくのは必定であることに二人とも気づいているので、耐えられたものではなく、努めて私は明るく、「しがわのしは志、がわは川という字をあてて…」と言いながら彼女の手をとり、その手のひらに「あつかねは、厚兼、こう書くんだよ」と指先で漢字をなぞってみせた。
「だいたいわかるよ。じゃその字で書いてみる」
と言うなり彼女は私の胸に飛び込んできた。
「おもいきりだきしめて。ただだきしめて、それだけ」
彼女のいうとおりにした。風がまた、しかし今度はやや強く吹いた。人工の蛍火の動きと鼓の音の密度が増した。しかし時間は止まった。互いの鼓動と脈動がひとつとなり気流と変わって漆黒の天空をかけあがり、散りばめられた星々の間を揺曳している間は。たしかに。
その志川厚兼からの残暑見舞いの葉書がリビングのテーブルの上に置かれている。
私がそれを手にしたとたん、もたれていた夢の柵は倒れ、そのあおりで目が醒めた。
覚醒の場所はむろん家ではないから、葉書などあるわけがない。しかし夢の中の葉書の差出人、志川厚兼の右肩に記されていた住所、大阪府守口市某町某番地は彼女が住まっていたマンションの住所である。いく度か泊まったこともある。
今も住んでいるのかどうかはわからない。あくまで夢に出てきた住所であるが、志川厚兼という名前といい、実際にある住所が表記されていることといい、どこか名状しがたい感慨めいたものを、近頃やや遅くなってきた乳灰色の空を朝焼けが淡く照らすいっとき煙草の煙の中に散らしてみた。
大阪の実家や介護施設に父母を訪ねた足で葉書に書かれた住所を一度は訪ねてみよう。たんに酔狂なのか、あるいは遠い日の未練の切れ端をどこかに無意識nしまい込んでいたのか自分でも定かではない。
葉書には電話番号が記載されていなかった。これは電話をするなということか。おいちょっと待て。夢の中の葉書ではないか、現実ではないんだと思わず苦笑してしまった。
携帯電話も市井の人間までには普及していなかった頃、電話といえば固定電話であるが、彼女のその番号などもはや覚えていない。06の904か905(大阪市内局番が3桁の頃である)か、それ以上は思い出せないのである。
夢の柵の向こう側にいけばわかるのかも知れないが、こちらから意識的にいける場所ではない。さすれば住所とて同じこと、たまたま夢が私の脳に思い出させただけである。それだけのことで現実にそこを訪うことは、なにかを冒涜するような気がしてならないのだ。

(画像はイメージ。「eoおでかけサイト」(http://eonet.jp/travel/data/3057774_1386.html)のものより拝借)

さすがに盆を過ぎると日中(ひなか)はともかく朝夕涼しくなった。
夕暮れの涼風の中、海岸を缶ビール持ってぶららぶら歩いていると口をついて出てきたのが、記事タイトルの歌。
私はこの歌詞が好きで、こんなな~~んも考えてない、いや待て、何か意味あるはずと考えなおして、それでもなにが言いたいのかさっぱりわからん、というのがいい。
この曲が入っているアルバム「元気です」には、アコギの3フィンガーテクを充分に味わえる「リンゴ」も収録されているが、石川鷹彦がギターを担当している。
記事タイトル曲は本人が弾いている。それはともかく歌詞である。

ガラスの言葉 詞・及川恒平 曲・よしだたくろう

笑ってるよ白いワンピースの
長い髪に落ちていく影
それは誰ですか

ふと止まる鉛筆の中から
まっさらな日記帳に落ちていく影
それは誰ですか

ガラスの言葉が眠っている
遠いあの日の遠い街

こんばんわ どこへいく風
ミルクウエイに花が
ほらあんなにいっぱい、ほらゆれてるよ

風が吹いてるそのとき
風を見ていたその瞳
それは誰ですか

食べかけのチョコレートから
お幸せにと落ちていく影
それは誰ですか

ガラスの言葉が眠っている
遠いあの日の遠い街

食べかけのチョコレートから
お幸せにと落ちていく影
それは誰ですか


という歌詞である。あの「出発の歌」の詞を書いた人と同じ人とは思えない投げやりで、「落ちていく影」んところ、も少し他に言葉がなかったのかと思うけど、You Tubeの動画を見ながら逐語的に手書き、いや手打ちで書き写しているうちに、なんともいえないいい味が目を通じて脳に左脳でいったんろ過して右脳に伝わってくる。

「ふと止まる鉛筆の中から
まっさらな日記帳に落ちていく影
それは誰ですか」

なんて中原中也テイスト(あくまでテイストですよ)みないなものを感じる。
ちょっと調べてみたら作詞者本人が実にええかげんに作っていたのが判明
でも歌詞とか詩、文章表現というものひらめきみたいなもだから、ええかげん、いや言葉悪ければ「ラフに」作る方がむしろいいのが出てくるもの。

昨日の記事にも書いたが、2日連続早朝から日付が変わる時刻まで食うや食わずの状態で働いていた間、食べたくて仕方がなかったのが、とにかく激辛のカレーであった。
家で作るカレーは女連も口にするので、そう辛いカレーを望むのは無理で、こういう時のために常時買い置きしているレトルトの「グリコLEEの20倍カレー」にひたすらすがりつきたかった。
これに3年前からこれまた切らさずように心がけているサドンデスソースの、それも一番辛いタイプのものを数滴たらし、ヒーヒーと口内全域と舌に鞭打ちながら、ライスとルーとソースが織りなす激辛カオスをがっつり味わう。
エアコンをつけても流れ出る汗を拭きながら、そのあまりの辛さに小さな悲鳴をあげること自体に快感を覚えるマゾッホで倒錯的なひとときに浸りたかったのである。
それを本来の夜勤シフトに出る前に摂る少し早い夕食で実行したのであった。
いくら辛味が好きだといっても延々それだけでは単調になるので、生野菜にマヨネーズをかけ回したものをスプーン休めとし、凶悪レベルの辛さをたっぷりと堪能し、汗流しに風呂を使い、やおら出勤へという流れになった。
それにしてもサドンデスソースは重宝する。これ1~2滴使うだけで、世間レベルでいう極辛となりうる。さすがに刺身や奴、うどんやそばといった和食にはそれぞれ山葵や唐辛子に比べれば風味的にミスマッチは否めないが。
サドンデスソースを知ってから、夏期限定発売のLEEの30倍シリーズは買わなくなってしまった。
毎年、おもに中南米やアフリカ方面の熱帯で使われる液状の激辛調味料を別添え小袋につけて、それをもって20倍+10倍としていたようで、世界各地の激辛の味を知る好機でもあったが、どんなソースよりもサドンデスは私にとっては辛いのである。
先月末、ストックの最後の分を開栓したこの瓶もまたたくうちに費消して空になることだろう。激辛ソースは即空ソースでもあるのだ。
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先週一週、このブログに何も書いていない。
先週前半はあまりの酷暑になにをするのも億劫、後半、といっても昨日一昨日だが、事情があって夜勤シフトから、朝夜明けとともに家を出て、夜は日付が変わる直前に帰宅。わずか4時間の睡眠を余儀なくされ、その間、仕事の合間を見つけては「とにかくかっ込んでおけ」というやり方での食事を余儀なくされた。
だいたい私は義務的な早起きを強いられると余計に眠れないタチにできている。そこのところはデパスのジェネリックであるエチゾラムを増量して無理やり眠るようにするしかなかった。
てなわけで当節流行りのブラック企業の過酷な勤務に似たものを、シフトの都合上2日間連続で体験したのである。断っておくがうちの会社はブラックではない、むしろホワイトな方で賃金が安いのだけが唯一の欠点(笑)。
2日間、朝から深夜まで、スマホでネットにアクセスする時間もろくにないほど働きづめに働いでも日給換算で1日1万円足らず。
世の中こんな条件で2日間どころか、365日ほとんど休日も与えられず働かされている、もはや奴隷労働というしかない仕事でたつきを得ているひとは今の時代、いくらでもいる。
たった2日でへとへとである。60歳の私だからそうであるのかもしれないが、これではどんな頑健な若い人でも毎日毎日、早朝から深夜まで睡眠時間も削られ休日も与えられずに働かされた日には過労死するか、自立神経系の制御が効かないようになって思いつめた果てに自殺を選ぶのも無理もない。電通やユニクロ、ワタミの悲劇はまだまだこれから先起こりそうだ。
「俺(わたし)達は若い頃は血の小便出たほど働いたものだ」なんてくだらないことを自慢するオヤジ(オバハン)が経営陣や上司にいる企業はそれだけでもブラックであるという認識がまるでない。
「長時間会社に居残って時には徹夜もしたのだ」というのは何の自慢にもならない、時間を無駄に使い非効率のまま働いて生産性を高める工夫をしなかっただけ、出来なかっただけの能なしのたわ言にすぎない。
「人間楽してお金は手に出来ない」と、戒め的に昔から言われていることだが、そうだろうか。
できるだけ楽して、効率的能率的に少しでも多くお金を得られる方がいいに決まっているではないか。そのことを真剣に考えて実現させてこそ「人間らしい」生活ではないか。
それにはやはり印税生活が一番である。寝ている間、遊んでいる間に銀行口座に多額の金が振り込まれて、という濡れ手に粟、棚から牡丹餅、金色(こんじき)と薔薇色の人生をめざしたい。
印税を得るには本を書く、音楽を創る等表現物を世に売り出すしかないのだが、音楽や絵や漫画は特別な才能が必要。文章は誰にでも書ける。さほどの才能などいらない。
文学ならともかくこれから言及する自己啓発からみのビジネス書か、夢をかなえるとかスピリチュアルがどうの引き寄せの法則がどうのとのたまう自己実現本などむしろ文学的才能など邪魔で、当用漢字の知識、それに普通に作文さえ出来れば、後は詐話の能力とハッタリさえあれば誰でも書ける。このジャンルの書き手は売れ出すと文章の能力すらいらない、編集者が適当にまとめてくれる。
30年ほど前ある著作で世に出た某売れっ子の著作物などほとんどこのやり方で書店の棚に並んでいる。出版業界の公然の秘密だ。
それはともかく出版不況がいわれて久しいがこの手の本はいつも書店で目立つ場所に平積み状態に置かれている鉄板の売れ筋本である。
それだけ世の中にはこんなものを有難がる手合が多いという証であるが、他人の同じような書物を30冊も読めば、なんとか自分の知識としてでっち上げ著すことが出来る。経済の知識の基本を抑えておいてそれらしく書けばビジネス自己啓発本一丁ハイ出来上がりましたと澄ました顔をしていればいい。
実際に手に取ればどの本も内容貧相で安っぽい大きな文字で行間スカスカ、改行の連続で頁を稼ぎ、装丁だけは上質本ハードカバー、それを覆うカバー写真には著者がアゴに親指をあてる「いかにも私賢いんです」てなポーズの顔写真が麗々しく刷られていが、なに中身なんてたいしたことは書いていない虚仮威しもいいシロモノばかりだ。
スピリチュアルや、引き寄せの法則で夢叶います本も同じようなものである。
この手の本が売れた著者はたいていまとも怪しげ関わらずなんらかのセミナーでの講師に呼ばれる。
売れっ子になると2時間ほど他人の知識をパッチワークのようにつぎはぎして、面白おかしく講釈たれていればギャランティの50万も楽に稼げる。時間給25万のバイト。両津勘吉の目が$マークに変わるてなもんだ。
セミナーの後は著者本の即売コーナーが必ず設けられているから、本人に適当にサインのひとつもしてやればカモがどんどん買ってくれる。あらたな印税も懐に入ってくる。
どんないいかげんな著者でも「先生」と呼ばれ、ゴルフと美食三昧の日々、日々新たな知識を仕入れたりといった努力なんぞしてますかいな、ただ毎日遊びほうけている。
自己啓発本界の超売れっ子のあの人やこの人などの本を適当に2~3冊選んで立ち読みしてごらん。「使い回し」というしか言い様がない内容だから。よくまあこれで金取れるなあと呆れてしまうから。
しかし、売れた者勝ちである。需要があるから供給ありの資本主義の原則に従い、どんなに拙劣極まりない本にも羽根が生えて飛んでいき、札束くわえて戻ってくるのである。
こんな美味しい生活はない。これは俺にも出来そうだ、よしこれでいこうとこの2日間そればかり皮算用しておったのである。

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