前回はネットや若者言葉が由来の、大人が遣って気恥ずかしい言葉について書いた。
今日は逆に若者や時代の先を歩いているつもりの大人たちに「なにそれ? 分かんないっす」と首をひねられるが、私たちの世代以上が普通に遣っていた、今や死語同然の言葉たちを思いつくまま並べていこう。

「アベック」。今でいう「カップル」であるが、単数の男と女が屋外で仲良く時間を共有している状態、と大雑把に定義しておく。
共有の所以は恋人同士、友人同士、会社の同僚同士を関わらず広く遣われてきた。
この言葉、今世紀初頭にはすでに半死語状態で、「昨日、山田と田中がアベックで歩いていたよ」と遣えば「おいおい、アベックとはまた古い。カップルでしょ」と揶揄されたものである。
英語の前置詞「with」にあたるフランス語の「avec」がその語源らしいが、今でも年輩者はカップルよりもアベックの方を多く遣う。
男女の別なく対の二人が仲良く何かをした時にも使用されていた。
「数多くのONのアベックホーマーが巨人の昭和最後の黄金時代を築いたのだよ」と言っても今の若い人にまず通じない。
「打順3番の王と4番の長島の連続本塁打」のことを昔はこう報じていた。
アベックホーマーはON砲の連続本塁打だけに遣われていたように思う。ちなみにホームランのことをホーマーと和製英語的に略することも今ではほとんど見聞きしなくなった。

「彼女(彼氏でもいいが)とBまで行ったよ」。男女のつきあいの親密さの度合いを、Aはキス、Bはペッティング、Cはセックスと表していたのもいつのまにか消えてしまった。
「で、昨日の彼氏とはどこまで行ったの? B飛び越えてCまで行ったんじゃないの?」「んもう。課長のエッチ。失礼ね。Aもしてませんよ」などといった会話が昔は普通にオフィスで飛び交っていた。
あの頃が、おおらかでいい時代であったかどうかの評価が定まるにはまだ時間がかかるであろう。

「チョンガー」。後輩同僚の30代のチョンガーが「なんですか、チョンガーって」ときた。
独身男性のことを昔はこう呼んだ。ちなみにそれより昔はヤモメ男。
チョンガー、韓国語由来である。絶滅危惧種的存在期を過ぎてほぼ絶滅したものと思われる。
私の周囲の私より年輩の者も口にしない。「独り者」の方を遣っている。

「ビフテキ」。私の80代になる父母の口からステーキという言葉がいまだ出たためしがない。親父なんぞは単に「テキ」と言う。「たまにはテキ食うて栄養つけな」とか言っている。
もちろんビーフステーキの略であるが、昭和40年代終わり頃まで、至極一般的にビフテキと呼んでいたように思う。上流階級の方々に於かれてはいざ知らず。

「実況録音盤」。ライブ盤のことをこう言った。
「狂熱迫力の後楽園球場実況録音盤。アメリカンニューロックの神髄が炸裂する!」という惹句が書かれた帯が、フランク・レイルロードというロックバンドのLPレコードに賑々しくに掛けられていたのを今でもありありと思い出す。
ちなみにLPレコードなる言葉、一度死に絶えたが、最近のアナログレコード人気であらためて接したヤング諸君(これも死語ですな)もいることだろう。
ロックバンドの話が出たのでついでに。ロックやグループサウンズのメンバーの楽器パートを、昔はエレキギターを第1ギター、エレキベースを第2ギターと、LPのジャケットや付録のライナーノーツに書かれていたように思う。

「レッツラゴー」。レッツゴーの別の言い方。これは短命だった。70年前後の数年間だけ、当時のナウなヤング(笑)が口にしていたように思う。
ら抜き言葉の是非が問われて久しいが、こんなところに余分な「ら」が入っていたので、差し引きゼロということで是認すればいいだろう。

「洋服を着ていく」。今でも普通に言わないか?
いや言わない。わざわざ洋服と断っているのは、当時まだまだ、特にご婦人方に和服姿の人が多かったから。
普段着に和服を着て、その上から白いエプロンというより割烹着を付けていたお母さんは結構いたものだ。
その後ろ姿は朝の味噌汁を作る母親の姿に直結する。それは味噌汁(おつけ)の実の大根を刻む音がセピア色の絵の具となり、淡い記憶となって茫洋と蘇る。

「部佐君悪い、これゼロックスしてきて」。
これこそ、今の40代の人でも「なんすか?それ」とキョトン顔になろう。
私が生まれて初めてアルバイトをした高校時代の終わり頃に耳にした。
「え?」という顔をした私にバイト先の人は「コピーしてきて欲しいと言ってるの」。
70年代の半ばまでゼロックスはコピー機の代名詞的存在で、大企業ならともかく中小企業のオフィスに設置するには、たとえリースでもまだまだ超の字がつくほど高価で、都心部のあちらこちらには煙草屋の数ほどのコピー代行店があった。
そこまで出向いてコピーをとってくる行為を、企業名を動詞化して「ゼロックスする」と言っていたわけである。
今でこそコピーは普通に白いコピー専用紙を使うが、あの頃は青焼き方式であった。
ブループリント。これは今なお建築や建設の世界では残っているるらしく、設計図や工事施工図を青焼きしているところもままある。

駆け足で書きぬける。「ノイローゼ」や「光化学スモッグ」はどこへ行った? 「自家用車」は「マイカー」となり、その「マイカー」すら死語になりつつあり、「衣紋掛け」に掛けておいてが通じなくなり、「三つ揃えの背広」は背広すら使用頻度が激減し、「シケモク」って何?の前に煙草そのものが青色吐息状態で、しかししぶとく生息し、「ウナ電」「はぁ?鰻丼?」「違う!大至急電報のこと」「スマホあるから意味ナイっしょ」となる。
「あたし、今日アンネなの」、なにゆえナチスドイツの犠牲となったオランダのユダヤ人少女の名前が、日本では女性の月々のものの言い換え言葉となったのか未だわからず、しかしまあこういう古い言葉や言い回しを書いていると次々と出てきて、「すこぶる」「ゴキゲン」な私であった。

ちょっと疲れたので、「甘食」か「蒸しパン」が欲しいところである。
「蒸しパン」はともかく「甘食」とはなんぞやを知らない人は結構多い。興味のあるむきはググレカス!←ほらね、ネット由来の言葉ってキタナイでしょう。

出来うる限り端正で正確な文章を綴りたいと思う。
美文や名文でなくともよい。つか…、そう。この「つか」が問題である。
「…名文でなくともよい。というより三島由紀夫や志賀直哉のような美文、名文など土台書けるわけがない」と綴ろうとしたのだが、「というより」の部分で、つい「つか」が出てしまった。
ネットの普及で、たいそうおかしな日本語が氾濫している。
この「つか」や「~じゃね?」「とりま」「てか」「どうよ?」「ハンパない」「ぶっちゃけ」等々枚挙にいとまがない。
すべてがネット特有の言葉でなく、おそらく若者の話し言葉が由来のものもあるが、これらの語彙が耳目に触れれば気に障って仕方がない。
「とりま」など、最初さっぱり意味がわからなかった。
「とりあえず、まず」というのを短縮したものだと分かったのはつい最近のことである。
唖然とした。なんで…ああ、また出てきた。「なんで」。これもいい大人が口にしたり書いたりする言葉ではけっしてない。この場合「どうして」だろう。
「なんで」と話し言葉で遣ったり、地の文として書くことを赦されるのは高校生まで。
話を戻す。どうして「とりま」と短縮しなければならないのだろう。
今の若者はそんなに時間に追われているのかな、と皮肉っていればいいが、それなりに齢と経験、知識や見聞を積み重ねてきた大人が、平気で「とりま」などと遣っていると、こちらが気恥ずかしくなってくる。
これらのハズい…、噫々、また出てきた出てきた。「ハズい=恥ずかしい」言葉がふんだんに出てくる文章を目にすると、この人いいこと書いているのにまことに残念、と読むのをそこで止めてしまう。
一度、これらの語彙や言い回しをふんだんに遣って400字でいいから文章を書いてみたらいい。
そして読み返してみる。それで穴があったら入りたいと思わない中高年は、自国語に対し鈍感極まりないとしか言いようがない。
文章にも品格があることを知らずして、人生を終えてもいいのであろう。
と偉そうに書いてきたのは、自分のこのブログを読み返してみた上の自戒と反省の意味を込めて、である。
大人なら「少なくとも文章を書く時には死んも遣いたくない語彙や言い回し」を決めておくべきだと思う。
日本語は時代とともに変遷する。それはわかる。
しかし本を読んでいるうち、ゆくりべく美しい言葉に出会うことがある。
それらの言葉は何百年にも亘って生き残ってきたものばかりである。
今遣った「ゆくりべく」もその一つである。
初めて出会った時、辞書にあたりその意味を調べ、なんと雅な言葉だろうと、いにしへ人の豊饒な感性に想いを馳せた。死んだ後、生き返ってでも遣いたいと思った。

数日間、走り梅雨ような空模様が続いたが、昨日の昼過ぎから回復しだし、今日は快晴だった。
雲一つない蒼天、といえば嘘になる。多少の雲の白さが五月の空らしい紺碧の色のいいアクセントとなって、時折の強めの風にゆったりと動いている。
夜勤の仕事の日だが、妻も娘もそれぞれのパートやバイト休みで、それならばということで、大阪の私の実家に父、介護施設にいる母の機嫌伺いに3人で行った。
父は嫁と孫の手料理に相好を崩し、母は同じく彼女たちばかりと話を弾ませていた。
いささか憮然とした面もちで私はそれらの光景を見ているしかなかったのだが、老いたる父母が喜んでくれたならばそれで良し。不肖の馬鹿息子の毫の孝行の巻であった。
往復、阪神電車を利用したのだが、帰路に梅田に立ち寄り、阪神百貨店地下に行き、女たちの夕餉の菜を数種買うのにつきあう。
娘が「劇団四季の劇場ってどこにあるの?。友だちがこの間『キャッツ』を観てきたんやて」と言うので、一端地上に出てヒルトンウエストの前面にある劇場入り口を見せる。
妻が「いっぺんでいいから観てみたいわ。私は『マンマ・ミーア』が好きやなあ」と、劇団四季なんぞに何の興味もない私は彼女らのおしゃべりを傍で聞いているだけ。
どうも、今日の私はいわゆる「ハミゴ」にされているようだ。いや、いつもか。
高層ビル群特有の風巻(しまき)があった。風は妻の娘を髪を刹那につかみくしゃくしゃにしたままどこかに去っていった。
妻の頭のてっぺんが若い頃より、いくぶん薄くなっていて、毛根部分が白くなっていたのはわかっていたが、観劇したいという妻の言を聞きながら、それをあらためて見たのはつらかった。
妻と出会い、つきあい始めた頃、ヒルトンホテル(今のヒルトンイースト)が建ったことをふと思い出した。
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日本初の国産バーガーショップチェーン、ドムドムが風前の灯火である。
80年代前期の全盛期には400を数えた直営の店舗は今や全国に9店舗しかないという。
ダイエーがあれば、そこに入っているファーストフード店はこのドムドムと決まっていたから、都心部の繁華街を中心に店舗展開していたマクドナルドに行くには遠いし、今と違って場所柄若者客が圧倒的に多く、その中へ入っていくのにはどうしても構えてしまう層たちにとって、日常の買物で慣れ親しんだダイエー内にあるドムドムは、それこそサンダル履きで買物かごやレジ袋を下げても気軽に入れる雰囲気があり、たちまちのうちに地域密着型のファーストフード店として、主婦層や学校帰りの制服のままの学生、あるいは子供たち同士、その子供を孫として連れてくる高年齢層の支持を得た。
「わたしらでもマクドナルドの雰囲気が家の近所や下校途中で味わえる」。
今思えばこれが最大の売りだったように思う。
かくいう僕もファーストフードとしてのハンバーガーとのファーストコンタクトは、このドムドムであった。
70年代半ばにかけて、中学生であり高校生であった僕らにとって、マクドナルドは大学生以上の「大人」が出入りする店、それはまだまだ憧憬するだけの存在であり、ドムドムこそマクドナルドのオルタナティヴであり、しかしけっしてエピゴーネンではない存在であった。
あの頃、ハンバーガーひとついくらしたのか覚えていないが、シェィクなる飲み物、大根でいうところの千六本切り状のポテトフライは新鮮であり、○○駅前のダイエーにあるドムドムのシェィクは粘り気がありなかなか溶けない、△△市役所の隣にあるドムドムのポテトフライは塩気が強い、など自分たちの通学圏内にある各々の店舗の違いについて他愛のないことを言い合っていたものである。
マクドナルドのように、日本国内独自や限定のメニューを出すには、一応アメリカの本社にお伺いをたてるという手続きをふまえる必要がないドムドムは、かなり柔軟に日本人の好みに合うようなメニューを出してきた。
お好み焼きバーガーが出た時は、ここまでやるかと笑ってしまったことがある。
そのドムドムが終焉を迎えようとしている。
上述の若い頃の思い出があるだけで、それが多少感慨めいたものを抱かせるが、終焉を惜しむ感情には至らない。
子供が小さい頃、大阪の実家に里帰りの折に、京橋のダイエーにあるドムドムに連れて行った記憶がラストであった。
ドムドムの終焉も、僕の来し方の流れにおいて下流に消えていく事象のひとつに過ぎない。これから先、下流へと向かうそれらが多くなる一方であろう。
上流にあらたに生まれるものが、どんどん少なくなってくる。
老いとはそんな上流を諦念の術なき面もちで見上げるしかないことである。
ドムドムで未来を語り合っていた中学生なり高校生が、その頃聞いていたフォークソングの一節、「年老いた男が川面を見つめて時の流れを知る日が」今まさに来たのであった。


(ドムドムの店舗画像を載せようと思ったが、何かと差しさわりがあるのであえてやめた)

昨日は典型的な五月晴れの一日であった。
雲もほとんどなく、紺碧に近い、「青」よりも「蒼」の字をあてたい色の空が思いきり四方余すところなく伸びきっていた。
思い出したかのように吹き渡る風はまさに薫風。
その風に乗って、最近とみに目にするようになった燕が風景を切っていく。
と、ここまで書いてきた日和のよさの代償は、まだ5月半ば過ぎだというのに、梅雨期を飛ばしてはや7月初旬並みの気温であった。
早足で10mほど歩くと、さっそく汗腺が皮膚を蹴り倒し汗を吐き出す。
この時季でこの気温では今年もまた猛暑となりそうだ。
ここ数年、猛暑というより酷暑の夏が続いている。
地球温暖化のせいであるが、その因を作ったのは人間である。
自業自得、因果応報であり地球温暖化に文句を言うのは自分に唾することだ。
どうせなら、食べるものだけでも、さっさと先に夏の気分に慣れさせておこうと、そうめんをゆがいた。
「揖保乃糸」を4束ゆがいた。
「揖保乃糸」の宣伝をするわけではないが、やっぱりそうめんは揖保乃糸、である。
そうめんは細さが命で、細ければ細いほど舌触りの感触がシルキーで、それでいて手延べ特有の腰の強さを奥歯で味わえる。
いいそうめんは、こちらから食べにいかなくとも、そうめんの方から口の中に飛び込んでくる。
箸はほとんど使わない。
つゆを入れた小鉢から、鯉が滝昇りをするようにするするすると勝手に口の中に入ってくる。
「おいおい、ちょっと待ってくれ」と、そうめんを抑えたくなるぐらい勢いよく入ってくるのである。
1~2束あたりをちょこちょこと啜ったところで、この醍醐味は得られない。
やはり3束以上は、氷を浮かべた大きな器に、てんこ盛りでないと楽しめない。
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このブログ、途中ブランクがあるものの今年の9月で足かけ8年目となる。
まあ、何度ブログタイトルを変えてきたか。自分でも呆れている。生来の飽き性が災いしているに違いない。
しかしなんだかんだ言っても続けてこれたのもこれひとえに閲覧してくださる方がいるからである。
拙ブログ、今年1月の再開から半年近く経つが、今更ながら、ちょっと厭になれば止めてしまうことの無責任さに思いをいたし、たとえ一人だけでもお読みくださる方がいるのなら、畢竟それはこんなブログでも楽しみにしている人がいるわけで、おいおいそれは大仰だよと笑われそうだが、それなりの責任すら感じる今日この頃である。
あらためて読者各位に謝意を表したい。
風のようなブログでありたい、とブログタイトルを変えた。風のようにさっと通り抜けていくような。
さっき吹いていった風が、一葉を足元に落としていった。
おや?葉っぱになにか書いてある、と拾って読むと、なあんだ、たいしたこと書いてないなあ、しかし最後まで読ませたな、見させたなと刹那に感じていただけたら幸甚でありたいブログになればという意味を込めた。
風にちなんだ僕なりのフェバリットソングを添えながら、感謝の言葉に代えたいと記事を結ぶ。
ただし僕の年齢が年齢であるから、古い歌ばかりである。それもいにしへに聞ひてゐた…。
いつの季節でもやさしい風がふわりと吹いてきたら、つい口ずさんでしまう古い歌たち。
どうか諒とされたい。あえて歌のタイトル、アーチストは記さない、というよりYou Tubeが書いてくれている。













もっともっとあるのだが、JASRACに怒られるのでこのへんで。

今日は仕事休み。
ぶらりと散歩に出ようと思ったが、なんだか雲行き怪しく、とにかく傘を持つのが厭なので止めにして、You Tubeや無料の動画配信サービスを興味と関心のままにまったりと楽しむ。
最近の国会中継は面白い、と気楽なことを言っててはいけない。
民草が花見を楽しむことまで「怪しい!あいつらテロをたくらんでいる。見ろ。カメラでそこらじゅうを撮っている。あれはテロの準備に違いない。けしからん。ひっ捕らえろ。証拠?そんなもん取り締まる側が作ればいい」となりかねない法案が国会を通るか通らないかの瀬戸際だもの。
これまでの法務大臣や官僚などの答弁を見ていると、どう考えても無理筋もいい法律。メディアの大方が「共謀罪」と名づけたがるのもうなづける。
安倍総理大臣に至っては論点のすり替えがミエミエで、本人も心の奥深い場所では少しは「戦前の治安維持法に似ていないとも言えないなあ。でも一旦言っちゃったもんどうしようもない」てなことを思っているからこそ、野党側の追求に逃げの一手としか思えない受け答えをやらざるを得ないんじゃないか。
そんなことを考えていたら、思考がただでさえあちこち飛ぶ頭である、なぜか由紀さおりの「夜明けのスキャット」が聞きたくなって、You Tube内を検索散歩していたら、途中で五木ひろしの「夜明けのブルース」という歌に寄り道してしまった。
イントロからエンディングまで聴き通してしまったのは、テイストが昭和歌謡そのものだから。
クラブ(踊る方でない、いわゆるおっちゃん好みの、銀座や北新地にいっぱいある方の)で唄うよりも、どちらかと言えば場末のスナックで、僕ら年代以上の歌巧者のおっちゃんが好んで唄いそうな、ドがつく演歌ではなくムード演歌に近い作りである。
イントロのラテンリズムにノリノリで飛ばす五木ひろしの指パッチンと腰振りが相変わらず昭和歌謡である。なんのこっちゃ。
ブルースと銘打っているが、本物のブルースとは似ても似つかない曲になっているのが昭和歌謡である。
森進一の「港町ブルース」とか、天知茂の「昭和ブルース」とか、いったいこれのどこがブルースやねん、とBBキングやミシシッピー・ジョン・ハート、ロバート・ジョンソン、エルモ・ジェームスあたりを聴きまくっている人が怒りそうな、日本独自の歌謡ブルースも昭和歌謡の典型である。
サビの部分で意味もなくファルセットの女性コーラスが追っかけでかぶるのも昭和歌謡で…ってもうええか。
ちなみに五木ひろしの横でフェンダー・ストラトキャスター(と思う)をカッコよく弾いている人が歌詞ともに作った人で、レーモンド松屋という、マンションと牛丼店を混ぜたような名前の人は四国では知らぬ人がいないほどの有名なアーチストらしい。
僕とて昭和歌謡が骨の髄まで染み込んでいる男で、なんだかんだといいながら2回リピートして聞きました。いい曲だなあ。
商店街の外れにありそうなスナックで歌いたいな。紫色の地に金の文字が「シャネル」と入った外置きのネオン看板が煌々と光っている店。
この手のスナックではおなじみの、網タイプの黒ストを履かせた脚をタイトなスカートで包んだママがチャカチャカチャカチャカ、タンバリン叩いて、チーママがマラカス、カシャカシャカシャやりながら、心のなかで「なんちゅう下手な歌、唄いやがんねん、こいつは」と毒づきながら、そこは客商売、「素敵よ~、ブサイクちゃ~ん。唄い終わったらボトル入れてや~」なんて掛け声かけて、で僕はますます調子こいてマイク持つ手の小指をこれ以上は無理というくらいまで立てるわけなんですよ。昭和だ。

仕事に出かける前、早めの夕食を摂りながら、この時間帯にありがちなちょっと古いドラマの再放送を視るともなしに視ていた。
小林稔侍が警備員の隊長役のドラマで、視ていたのは最後の方だったが、設定がもうむちゃくちゃである。
民間人たる警備員が刑事たちより前にしゃしゃり出て、犯人になんだかんだと説教なんか出来るわけがなく、しかもその犯人逮捕のきっかけに至っては、犯人に断りもせずGPS発信器を犯人の持ち物に付けていた旨、小林稔侍隊長が得々と語っている場面に出くわした時には、業務スーパーPBレトルトミートソース(格安だが意外に美味い)をかけたスパゲティを巻いていたフォークを思わず落としてしまい、ソースまみれのスパゲティがはね跳んで着ていたTシャツにべったりと付いてしまった。小林稔侍どうしてくれる。
昨今、警察官が無断で捜査対象車に取り付けることさえ問題視されているというのに。なんで警備員がそんなことが出来るんだ。
まあたかが、と言っては失礼だがサスペンスドラマの細部にケチを付ける方が野暮天なのだが、これはいくらなんでも嘘が大きすぎる。
映画にドラマや演劇、小説などは壮大な嘘をいかに本当らしく見せるかが実作者の腕の見せ所だが、別に警備員でなくともすぐわかる嘘は頂けない。
まったくもう。またカアチャンに食べ物をシャツにこぼしてと怒られるではないか。ティッシュでケチャップの色をなんとかぬぐい去って、どうせこの上にポロシャツを着るのだからと、汚れたままのTシャツを着て出かけた次第。
腹一杯。太さ1.8mmの乾麺スパゲティ2束200gを平らげただけはある。
もうすぐ60になるのだからもっと食を落とせ、とカアチャンやかかりつけのドクターにやいのやいのと言われるのだが、食欲旺盛至極健啖なのは如何ともし難い。
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MVNO、いわゆる格安スマホを使い出して1年余。
音声通話SIMカード、データ通信制限容量はひと月に2Gまで、機種代分割料金、ユニバーサルサービス料を含めた月額基本料金は税込み2140円。
機種はZTEのBladeV6。CPUはMT6735 1,3GHz クアッドコア。オクタコアが主流になりつつ今、すでに前世代のCPUである。
2015年末の発売当時はミドルエンドクラスであったが、早くもエントリーモデル並に格下げとなったわけだが、別にになんの支障もない。
OSはAndroid5.1Lolipopで、こちらはまだまだ主流である。
機種代金を含めたスマホランニングコスト的には、MVNO業界をざっと見渡したところ、今もって斯界最安値に近い。
安物買いの銭失いになっていない。格安スマホにおいて、私のと同じ機能や容量で私より月額にして1000~1500円余分に払っている人などいくらでもいる。
だから今のところ買い換え、乗り換えの意思はないが、電話代のボッタクリ度にはいつもながら冷や汗をかく。
先日、実家の父が急病を得て、病院に搬送された際、各方面にこのスマホで連絡したのだが、トータルで20分くらいしか通話していないのに、後で調べたら443円と記録されていた。
計算は間違いないのだが、30秒10円の通話料(楽天の電話代半額アプリ経由の通話でこれである)はやはりボッタクリレベルとしか言いようがない。
今、3大キャリアまでが自社内で格安スマホサービスを手がけているが、ショップスタッフは格安スマホの短所について、情弱中高年者にもっと詳しくかつわかりやすく説明してあげないとモメる元になる。
通信インフラは自社キャリア回線のおこぼれ、お余りを使って低料金を維持しているということ。
言い換えれば通信品質にムラが出やすいということ。通話音声が途切れたり、データ転送速度が遅くなるのは当たり前。
SIMカード挿し、そしてAPN設定は基本自分でやらなければいけない。キャリアならショップで据え膳上げ膳で全部やってくれる。
APN設定ってなんやねん?と仰天するようなことを私は先輩格の同僚に訊かれたことがある。爺さん婆さんなどよほどでない限りこの程度だ。年寄りに格安スマホは売っちゃだめだ(笑)。
3大キャリア+ワイモバイルならリアルショップが都市部にあるが、MVNOはほとんどネットで完結している。
トラブルや故障の際のやりとりはオンラインオンリーとなる。だから少々の不具合くらい自力でなんとか解決できるほどのスキルがいる。
ハードの故障とわかって修理に出せばキャリアと違って代替機貸与のサービスはない。これでよく怒っている客がいるというが、事前にそんなことくらい調べとけよ。そんなこと当たり前やんと呆れてしまう。
とまあ思いつくまま偉そうなことを書いているが、スマホの音声サイドキーを最小にしたままであることを忘れ、当然着信音が聴こえず、掛けてきた友人に「何しとるねん」と怒られ、「あれえ?音が鳴らんかったわ。不具合かな」と首を傾げたら、ガラケーの彼が「ちょっと貸してみ」と私のスマホを取り上げ音声キーをいじった。
「あらら、一番小さくなってるやん。そら鳴らんわ」と笑われたことがある。一番原始的な要因を指摘されたのだ。
あ~らあんた未だにガラケーなのフフン!とバカにしてたヤツに言われてもたわ、と顔から火が出て、穴があったら入りたく、なかったものだからコーナンまで行ってスコップを買い、それで掘ってまで入りたくなったものだ。

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昨日巨人に勝って6連勝。2位広島に2ゲーム差をつけて首位固めとなった。
特に昨日のゲームは3連続完封勝ちを続けていた菅野を撃沈させた勝利であるから大きい。
先日の9点差ビハインドからの大逆転勝ちといい、今年の阪神、もしかしてもしかしてもしかして・・・
ああ、いやいや、悪夢の2008年の記憶がまだまだトラウマとして残っている。
あの年、オールスター戦直後まで2位に11ゲーム半の大差をつけていた。
7月27日時点でマジック43点灯、29日は41に減らした。この調子じゃ最速8月中に優勝やな、と周囲のアンチ虎でさえ確信しボヤいていた。
それが終わってみれば巨人の後塵を拝しての2位。
阪神の大失速と言われているが、8月の間それほど負けてもいず、それ以上に巨人が恐ろしい早さで追い上げてきたのである。
巨人の底力はやはりすごいものがあり、その強さにあらためて舌を巻いたものだった。
伊達にかつて球界の盟主を気取ってはいなかっただけはある。
7月29日は私の誕生日で、そこへもって贔屓チームの驚異的な進撃、浮かれまくって喜びに浸っていたかと思いきや、そうでもなかった。
勤めいていた会社の大阪支社が10月末をもって閉鎖と決まり、高齢の大阪支社長は退職、私は在宅での勤務となったのだが、その旨をを通告しに東京から社長が来阪したのがちょうどこの頃だった。
どうでもいいが、社長の手土産は鎌倉名物とやらの「鳩サブレ」という菓子だった。
社長が帰った後、「もうちょっと気の利いたもん持ってこいや。子供のお菓子やんけ。セッこいやっちゃ。せやから会社が左前になるんや」と、わけのわからんことを叫びながら支社長がサブレ菓子の化粧缶をバンバン叩いているうちに手のひらがずれたのか、函の角で指をしこたま打って「痛った~~」と声を上げたのを、こちらは笑い声を殺して肩を震わせていたのを鮮明に憶えている。
文句を言いながらも函を開け、「ひいふうみい…全部で18枚入りか。9枚ずつ分け分けしよや。いったいナンボすんねん、これ。インターネットで調べてみ」とオヤジは老眼鏡越しに上目使いで私を見る。
「そんなイヤらしいこと言いなはんな。もろたもんの値段調べるやて」と私は言いかけたが、ほんまに大阪の人間はこういうところが卑しいからなあと思いつつも私も興味はなくもないので調べた。
「2000円ちゅうとこですわ」と結果を告げる。「に・せ・ん・え~ん。わしら大人二人分の菓子折りがそれだけかい。ほんまにあいつはケチやで。昔からや」とまたも吠え出した。どっちもどっちやがな、と私は聞こえないようにつぶやき、フン、と鼻を鳴らしたものだ。
それはともかく、デイリースポーツが連日第一面トップでこれ以上はない大きな活字で阪神の結果を伝え、蝉はこれ以上はない喧騒さをもって家の近所の雑木林で鳴いていた。
それが「いったいこれからどうなるのか」という不安を余計にかきたててくれた。したがって、爾来蝉の声もプチトラウマとなっている。あいつらが鳴きだすと何も理由もないのに気分が滅入ってくる。それは今でも変わらない。


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君たちになんの責任もないのに…。しつこくない甘さで美味しかった。

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