微熱初老年の一日

晴れ。朝から寒風吹きすさぶ。時には台風紛いの強風も。
昨日、ベランダで喫煙している時、背筋に刹那悪寒が走り、そののち節々に鈍痛を感じる。微熱もある。市販の風邪薬を服用。鼻炎薬とダブルで睡気と倦怠に苛まれる一日となる。
食欲もさほどなく、先日近所のスーパーで一番ぶっとい麺があったと妻が買ってきたうどんを啜る。軽い風邪の日にはダシがよく効いた素うどんや煮麺が最高だ。IMG_20161126_155344
何もやる気なし。テレビを茫乎の面持ちで観流している。森友学園のズルが次から次へと取りざたされている。理念のご立派な割にはやっていることが卑しい。理事長である籠池某夫妻のさもしい人間性を見た思いである。早晩退学者が続出し、いずれ学校法人自体消滅となるのではないか。
昨日よりイカナゴ漁解禁となったが、獲れ高は今のところ例年の3分の1とのこと。去年も少なかったが今年も先行きあやしい。妻が炊く、いかなごのくぎ煮を楽しみにしてくださっている方がいるので、いささか気を揉む。
熱を計れば37℃。最高時の37.7℃からだいぶ落ちてきた。これが美少年なら微熱を帯びて、薄紅色に染まる顔もまた美しいものだが、60手前のオヤジのそれなど酒焼けの赤も混じり、ただただきちゃならしいだけ、見苦しいだけである。
微熱といえば松本隆の「微熱少年」の文庫本どこへやったのか。ほとんど内容を忘れているのだが、昭和40年代の風俗(東京の)があの当時の流行歌や映画などを織りこんで描かれていたのだけは憶えている。
該本を30年ほど前に読んだ時の思いと、今読み返すとやはり違った視点からの感想が生じるだろう。読書の愉しみの一つである。

我が屁の香いとしき布団の中

晴れ。弱い寒気戻る。抗花粉症薬服用の機会が多いので、たえず体がだるっぽい。
このブログの文章はテキスト打ち専用機であるキングジムの「pomera」を使って作成している。
カバーを開ければ即電源が入り、2秒ですぐに文章を入力できる。ディスプレイもモノクロだから電池の持ちがいい。
IMG_20170307_073720eneloopの単3×2本で、毎日1~2時間使用しても3週間は保っている。
ネットに接続できないから、ひたすらテキスト打ちに集中できる。それしか出来ない仕様になっているからプロの物書きにも愛用者が多い。
ピース又吉と芥川賞を同時受賞した羽田圭介も、このpomeraで原稿を執筆しているらしい。
向こうは4年ほどの使用歴、こちらは5年である。やーいやーい勝った勝った。向こうは芥川賞を穫った。こちらはこうして一銭にもならぬ、そして読者のことなど少しも想定していない勝手気ままな駄文を書き散らし、数え切れないほどいる有象無象の無名ブロガーの沼の中で蠢く。
布団の上で倦怠を沼の河馬の如くもてあまし、枕に顎をのせて腕を伸ばして枕元のpomeraのキーを叩いてここまで書いた。
そういえば羽田同様、今はタレント活動に忙しい西村賢太も布団に寝そべり小説の下書きをノートに書きつけていくという。ノートといっても向こうはコクヨのキャンパスノートだ、今どき手書きだアナログだ、やーいやーい勝った勝った。向こうも芥川賞を穫った。こちらはこうして…もういい。
今、音なしの屁をひった。布団の下部から温泉地のような硫黄臭が仄たち鼻腔を穿つ。屁をはじめ排泄物全般の自分から発した匂いはクサい中に愛着がある。顔をしかめつつ、しかしいつまでも嗅いでいたいものである。他人の、いや家族のものでさえ、それは許しがたい。タバコの煙もそうだけど。
タバコと書いた瞬間、今のところまだやめられぬそれが無性に喫いたくなってきた。家の中で喫うのは断固御法度。妻と娘が我が家では法律である。
舌打ちしながら、やれやれと独り言ちてのそのそと布団から抜け出し、よっこらしょと立ち上がり、ベランダに行く。「う。寒い」。
冬の殿軍が風を吹かせて最後の抵抗を試みつ撤退していくのだろう。煙草さえ止めれば寒風にさらされ紫煙を散らすという酔狂もなかろうに。
駅前に今では珍しいタバコだけを商う店があるのだが、店の看板にその名もずばり「莨専門店」と表記している。数多くの種類のタバコを扱う傍ら葉巻やパイプタバコも揃えており、タバコ通では有名な店らしい。
「煙の草と書いて『タバコ』やない、草の良いものが『たばこ』なんや」の信念を「莨」の一字に込めているのだろう、とは私の勝手な推測だが。
体が冷えてきたので倉皇としてベランダから退去、すぐに布団の中にもぐる。自分のぬくもりの中で先程の屁の香がかすかだがしつこく残っている。愛しや。畢竟、人間一番落ち着くシャングリラは自分の布団の中であろう。眠たくなったので寝る。

ちょっとスケベな話

結局雨は降らずじまい。朝のうちこそどんよりした空だったが、昼より晴れ間が広がり、若干の寒気をもたらす。
娘に頼んでおいた古いノートパソコンの蔵出し、まだ手をつけていないようだ。ほんまにケツが重いやっちゃ。
これが息子なら「ちゃっちゃっとやらんかい!」とどつき倒してでもはいいが、逆襲されて当節のこと殺されかねん。子供が女でよかった。吉田沙保里みたいなのは別として。
バックアップ作業、ようやく先が見えてきた。いっとき(40代前半まで)はアダルト関係の無修正なんちゃらも鼻の下を伸ばして、休み前の夜なんか窓の外が白くなる頃まで「でひひひ」と涎を垂らしながらネットから下ろして保存していたものだが、これらの扱いには困った。削除してしまうのは惜しいが、うかつに残しておいて、私にもしものことがあった場合、やはり恥ずかしい。
いやいや、今どきの女性もたいがいそういうのを一度は見ているから免疫が出来ていて、「うちのオヤジもまあ普通の男やったんやな。しっかしまあ、こんなぎょうさん集めてからに。アホちゃうか」で笑ってすましてくれるだろう。
だいいち日頃から、酔ってはドスケベなことばかり言っておった(おる)私である。「ま、これくらいのことはやりかねんやろ。あのくそったれオヤジは」と、妻と娘も苦笑しながら流してくれるだろう。
こういうところに日頃の行いが生きてくるわけである。日頃スケベな言動の、「動」はともかく「言」を心がけておけば、ちゃんといいように評価されるのである。だから堅物男はダメなのだ。生前のふるまいの表裏の乖離が余計に遺族に軽蔑の念を増大せしめる。
結局エロ関係はアダルトもOKの某無料サーバに置くことにした。これならIDとパスワードを知られないかぎり、誰にも見られることなく、後はサーバの底へ藻屑となって沈み、ずっとアクセスなし状態となっているわけだから、いずれ勝手に消されることであろう。
しかしまあ、そういう類のものを見ているとアダルト関連の紙媒体やDVDメディアが壊滅状態になったのはよくわかる。それら有料コンテンツ以上に刺激的なものが無料でいくらでも観られるのだから。ただし、何度か地雷(ウイルス感染、振り込め詐欺など)を踏まされるのは必至。その都度こいつらと格闘してきてスキルも上がった。adult
人間よく出来たもので、男もあっち方面が弱くなってくると、アダルトサイトにも興味が失せてくる。もうすぐ六十路を歩むことになるのだが、あの頃何を必死こいてこんなものをコレクションしていたのだと自分で呆れると同時に、いいように人間が枯れてきているなとも自負している。
落語の艶噺バレ噺は棺桶に片足突っ込んでそうな師匠がやると少しもイヤらしくない。
それと同じ伝で、ほどよく加減された猥談をバーの片隅でバランタインの30年物でもなめながら、女性相手にさらりとやれる粋なジジイを目指したいものである。

暖かくなればなったで鼻にくる

今日も暖かいが朝から曇っている。明日は雨だと予報は伝える。
春のやわらかい絹糸のような雨ではなく、まだどこか氷雨の名残を冷たく糸筋に垂らし早春の曇天を縫っていくような雨になろう。
昨日の陽気にさっそく私の鼻腔は反応した。空気の入れ換えのために部屋の窓を全開にしたのが災いした。鼻水がやたらに出て断続的なくしゃみを誘発する。
ここ数日のバックアップ作業を中断して、鼻炎薬を内服する。
この薬の難点は服用後30分以内に睡くなってくることだ。常用しているエチゾラムより、こと入眠に関してはよく効くのではないか。
それがわかっているので、デスクから離れて横になる。体が徐々にだるくなるのにつれて鼻水の流出が減ってくる。ああ眠い。
小1時間ほど眠ったら腹が減った。のそのそ起き上がってキッチンに行く。鼻水とくしゃみは収まっている。そのために薬を嚥んだのだから。
IMG_20170109_153503マルタイラーメン九州味が残っていたので、冷蔵庫に残っていたチャーシューの切り落としを全部投入。高菜漬もトッピング。
それをダラダラ、テレビを視ながら時間をかけて食べる。
安倍晋三も鴻池祥肇も、それぞれ国会で記者会見でどこか言葉がうわずっている。
図星を指されてなんとか言い逃れようとの必死さが伝わる。嘘や悪戯がバレて咎められた子供がそのままおっさんになったようだ。
安倍に至ってはいったい何が言いたいのかさっぱりわからない。ひとつ覚えのように「野党側の印象操作だ、印象操作だ」ばかり。
自分の奥さんが一時は森友学園の名誉校長先生としてご丁寧にも顔写真入りで学園のサイトで挨拶していたのは印象操作の最たるものではないか。
安倍にしろ鴻池にしろ、逃げ足が早いのと掌返しの鮮やかさはさすがに政治家だと感心する。
両人ともあれだけ森友学園のことをヨイショしていたのに、悪事露見となるとなんともまあ。
鴻池のおっさん、「男の頬を、政治家の頬を金で叩くような真似しくさって恥を知れ」と芝居気たっぷりに憤慨していたがそのまんまブーメラン。あるいは自嘲のブラックユーモアか。
その森友学園の幼稚園児が「尖閣」だの「安保法制」だの言わされている姿は実に哀れ。この子らの親がPTAの挨拶として運動会で披露するならまだしも。それでも相当キテいる変な幼稚園と思わしめるのに充分だが。
北朝鮮の子供らが「私たちは将軍様や大元帥様の懐に抱かれて世界で一番幸せな子供たちです」と、子供特有の甲高い声で叫ぶ姿のおぞましさに似ているというより、やっていることはほぼ同じ。
こんなのいくら私学でも認可すべきではない。洗脳と教育は紙一重だが、これじゃどうみたって洗脳ではないか。
口利きで国有地を超安値で学園側に売り渡したことよりも、民主義国家の政府の長とファーストレディが、すなわち公人と準公人たる人が、こんな「ど」がつく偏向教育をなさしめている学校法人に夫婦で肩入れしていた事実の方が問題なのだ。

脳こそ最高の記憶メディア

いよいよ春到来!と思わしめる陽気。3月に入っているもの、もうもうそろそろこうなってくれなければ。
現在使っているパソコンの内蔵ディスクに保存しているデータを外付けのHDにバックアップを取る作業にこの数日没頭している。なかなか進捗しない。IMG_20170304_152446
子供の頃から「集中力に欠けるきらいがあり」、なぜ「」で括ったといえば、小学校の通知表に学年更新の度に担任の先生方にまるで申送り事項のようにこう書かれていたからで、この悪性はいまだ治らず、データの写真や文章、WEBページの魚拓めいたものを見てはそこで作業を中断し、該データを作成した頃の回想に耽る、というより、なんでこんなものを残していたのか、をすっかり忘れてその理由を思い出そうしても思い出せない。
データを保存した時、おそらくこれは忘れずにと考えたのであろうが、結局保存の理由すら忘れてしまっている。
人間憶えておかねばならぬことなど実はそんなに多くなく、本当に憶えていなければならないことは本能的に自分の脳がちゃんと記憶してくれている。
パソコンに保存しておかねば、あるいは手帳か日記のようなものに書いておかねばと思うことほど、たいして重要ではないことがわかる。
いい風景に出会えた時、今は携帯電話にカメラがついている時代、景色を肉眼で見渡す前にまずカメラを取り出してしまう。
自分の眼と脳をもっと信用した方がいい。「目に灼きつける」というありふれた慣用句があるが、ありふれたものながら、永遠普遍の真理である。
脳こそ最高のハードディスクで容量は無限大だ。ただ脳内のトラックに並べられたセクタに納められた記憶を取り出すサーチの速さ、シークの確かさに個人差があるだけのことで、そしてそれは経年劣化するけれどテラバイト以上のものを脳はちゃんと憶えてくれている。
ただ恣意的にそれを取り出せないのが難点なのだ。だから困るのだけど、繰り返すようだが恣意的に取り出せる記憶はそれほど重要なことではない。ちょっとしたきっかけでいきなり思い出してしまうことが個々が本能的に脳に刷り込んでおきたいことだったわけだ、とそれに近いことをボードレールは「悪の華」の香水瓶という詩ですでに表現している。引用は避ける。また作業が横道にそれるからだ。

ひな祭りといえば蛤

晴れ。寒気が戻ったというが、かつての厳しさはどこにもない。時たま冷たい風が吹くが、日差しが冷気を抑え、そよ風かと思い紛う。
gahag-0052559732今日はひな祭り。初孫が女の子であれば妻方の親が、婿の親へ見栄を張り雛壇を買い調える。
平安貴族の子供の遊びごとが变化して今に伝わったという雅な行事は、いつしか旦那嫁両家の見栄の張り合いの泥仕合の場となり、その様相は部外者にすれば傍で意地悪き視線で視線で高見の見物としゃれ込むのが一番おもしろい。
次は男の子の端午の節句五月人形の出番だ。旦那の実家の親たちが雛人形に負けないものをと財布を大きく開けるのを待っている、東京浅草橋や大阪松屋町あたりから舌なめずりと算盤の音が聴こえくる。
年を取るとは厭なものだ。女の子の成長と幸せを願う桃の節句をこんな風に斜交いに視てしまう。
かつて自分も妻とともに娘の行くすえ幸い多かれと喜々として、ささやかだが雛人形をかざり、ちらし寿司と蛤の吸物で祝ったはずなのに。
「お内裏ちゃまとお雛ちゃま~♪」と、幼稚園で習ってきたという歌をおぼつかなく唄い、親馬鹿の目を細めさせた娘もこの月26になる。今さら女の子でもないが。
食い意地が張っている口卑しき私はひな祭りといえば蛤しか思いつかない。
蛤は今が旬だ。これから産卵期を迎え身がぷっくらと肥えている。しかし今では高価過ぎておいそれと手が出せない。スーパーの中国産ですら小粒のそれが5、6個ワンパック500円近くする。とてもじゃないがおそれ多くて吸物の具扱いにできる代物ではない。
大阪からこちらに移り住んだ頃、明石の魚の棚商店街まで自転車で行き、たしか千葉産と書かれた大きい蛤が一ざるに10個ほど入ったのを600円ほどで買ってきた。今思えば超破格値である。
妻の実家の前は浜辺になっており、そこで春の宵のBBQとしゃれこんだのだが、さっそく蛤も網の上に乗せられた。暮れゆく浜辺の向こうに淡路島が春霞に浮き、潮香りが風にまじるなか、殻を開けた蛤に垂らした醤油の匂いが漂う。
焼きたての、舌がやけどしそうなのを口の中でなだめながら、貝のむっちりと弾力がある肉を咀嚼すればほとばしる旨味の熱汁。それはなんともまあ香ばしく、そして野趣の中の洗練、という他はない味で、一升瓶から手酌のコップでやる酒がどんどん進んだ。
いつのまにか月の光は波と浜を煌々と照らし、酔いもまわってまさに桃源郷。その代償は次の日の地獄の二日酔いであった。

(記事中画像はイメージ。このサイトの版権フリーのものを使用)

巨星墜つ…

晴れ。朝晩の寒さがやや緩和されている。
秋と春は夕暮れの色が濃い。昨日より太った月が手を伸ばし夜の帳を下ろそうとしているその横で金星が早くも煌めきだしている。
煌めく星もあれば、墜つる巨星もある。
日本の音楽シーンに多大な影響を与えたかまやつひろしという巨星。
いわずとしれた元スパイダースの音楽リーダー的な存在で、60年代後半のGS黄金期を牽引した。
他のGSほとんど、タイガースやテンプターズを筆頭に音楽性そのものよりアイドル性が重視されていたのだが、スパイダースは違い、いち早くおもに英国ロックのエッセンスを核にレベルの高い楽曲をものしていた。その要石みたいな人だったのだ。
スパイダースの楽曲を聞いていると例えば「あの時君は若かった」の間奏部分でトレモロ奏法のギターが入ってくるが「あ、これはビートルズの『バック・イン・ザ・USSR』にインスパイアされたな」とニヤリとし、「ノー・ノー・ボーイ」の出だしのメロディなんかは同じくビートルズの「『チケット・トゥ・ライド』のサビメロやんか」とこれまた苦笑いしたくなる。「サマー・ガール」なんて、まあこれはアメリカのバンドだけどビーチボーイズのハロディだ、と洋楽好きにはたまらない「遊び」を入れてくれたものだ。
かまやつ作曲のオリジナル「バン・バン・バン」のリズムとギターリフなんか当時の日本では先進的過ぎてセンス抜群だなと。当時のロック小僧予備軍の小学生が生意気にもほざいていたものである。
ちなみにユーミンの才能をいち早く見いだしたのもこの人。天才は天才を知る。
あのロン毛にニット帽、年をとってもスレンディな体つきはブーツとデニムがむちゃくちゃ似合っているかっこいいおじいちゃんそのもので、どうせ年取るならあんなかっこいいじいちゃんになりたいと思っている。
この人のこの歌が好きだ。あんまり流行らなかったけど。合掌。

愛国心って何?

曇りがちで日光が少ない分、寒さが募る。金曜日にプチ寒波がやってくるらしい。
暑さ寒さも彼岸まで。あと3週間ほどの辛抱だ。
1月は行く、2月は逃げる、3月は去るとはよくいったもので、この間正月だったと思ったら、もう弥生朔日。早いものだ。経年のたびに月日経ちの速度が早くなっていくような気がする。
サッカーJリーグはすでに開幕、プロ野球はこの7日よりWBC、大相撲春場所は新番付配布も終わり12日に初日を迎える。
日本人が好きなスポーツイベントの開催が目白押しで、否が応でも春はもうそこまでと感じる。
サッカーにしろ野球にしろ、はたまた五輪パラリンピックにしろ、日本チームや選手が活躍すれば観衆は日の丸の小旗打ち振り応援、めでたく勝利を収め、君が代の荘厳な調べの中、ゆっくりと日章旗がポールを昇っていく姿をテレビ越しに見ているうちに勝利の歓喜の中に一種の厳粛さを覚える。
愛国心などこの程度で充分である。自然発生的な感情の発露のそれ以上それ以下ではない。バカボンのオヤジではないが、それでいいのだ。
「いや、私、日の丸嫌いです。あんなの国旗と認めません。君が代?天皇制賛歌にしか過ぎないじゃないか。国歌として歌うのは断固拒否したい」と思う人もそれはそれでいのだ。そういうことを主張する人の思想と、表現の自由、人権を護れることに自由主義社会の面目がある。
国を愛する自由があれば、その反対の自由も存在する。愛国心とは権利や義務ではなくあくまで個人の裁量でどうにでも扱っていいことなのだ。言い換えればその程度のことである。
それを昨今、国はどうしても義務化しようとしたいらしい。「公共の福祉」の「公」を「国」にすり替えようと懸命である。「公」とは「様々な考え持った人たちの価値観を互いに認め合い、多様化を是とする社会全体のこと」と私はそう解釈している。「公」とはけっして国家ではない。誰が「国」なんかのために命を賭けたがる。バカバカしい。
太平洋戦争中に出征しあえなく戦死した人たちも、「自分たちが戦いに行かなければ愛する妻や子供がやられる」とまず念頭にあったに違いない。
特攻で散華した人も敵艦にぶつかる瞬間まぶたに浮かべたのは、天皇か日本国家全体か?違うはず。もっと卑近な存在である肉親や友人たちであり、自分が生まれ育った故郷だ。
最近、年端もいかない幼い子に、教育の名において愛国心を刷り込むのが学是らしき学校法人が話題になっている。
総理大臣が、この教育基本法の見地においてクエッションマークが付きまくりの法人の校舎建設土地習得絡みで暗黙の便宜を図っていたのではないか、との疑惑が持ち上がっている。
騒動出来スワ!とばかりにその学校の名誉校長であった総理大臣の妻の名が消された。4228
総理大臣自身もこの学校法人に共感する旨のことを公言した憚らずだったのが、どこか言葉を濁し始めている。この学校の学是なら、総理自ら日頃から抱き口にもする愛国の精神にフィットしているではないか。
政治家というもの逃げ足が早くないと務まらない。しょせん愛国愛国と声高にのたまう人の愛国心などこんなものだ。
それをひたすら叫び押し付けたがる連中こそ、いざ有事発生となったら真っ先に逃げていくことだけはまず間違いない。

Linuxは一応「ubuntu(ウブンツ)」にしようかと。

ここのところ、晴れて昼間は暖かいが夜になると急に寒くなる日が続く。
Linux導入計画を検討し始める。
ネットを見るとLinuxにもいろいろ種類があって、これらをディストリビューションというらしい。
ビギナー向けから本格的なシステムエンジニア向けプログラマ向けのものまで多種多様。
Windows環境で作成したファイルが多く、また周辺機器のドライバも当たり前だがWindowsのドライバである。
これらはなるべく今のままで置いておきたいし、ハードディスクに下手にLinuxをインストして失敗、結局Windowsも周辺機器もすべてパーになる(もちろんデータ類は事前にバックアップを取っておくし、リカバリCDで出荷時状態に戻せばいいのだが時間がかかる)という最悪の事態になりかねない。
外付けのメディア、CDやDVD、USBなどから起動する方法はないかと思ったら、そんな虫のいいことを考えるのは誰しも同じで「ubuntu」というディストリビューションがそれにあたり、USBへのインストーラーまで用意されて、ビギナーにも敷居が低そうで人気もある。よし、これでいこうか、と決める。
しかし、念の為に今動かしているデスクトップPCを避けて、古いノートパソコンで試そうとまずは押入れを探したら、あんれまあどこかに行ったようで、よくよく思い出したら8~9年前に娘にやったことを思い出す。
娘も今ではそれを使わず、これまたどこかにしまいこんでいるらしく、暇な時でいいから出しておいてくれと頼む。
たしか富士通のFMV”LIFE BOOK"で、むろんOSはXP。CPUやメモリ容量なども覚えてないがもはやレガシーなノートで、それでもUSBポートさえあれば「ubuntu」は使えるようだ。
Linuxの基本でもマスターしようと教科書かガイドブックを探しに夕方、海の見える本屋へ行くが見当たらない。3月の1ヶ月をかけての導入プランであるから、あせることはないのだが、わざわざ三宮にあるこの本屋の神戸における旗艦店まで行くのも面倒くさいので、隣町にある筒井康隆のサイン本で有名な書店(作家の神戸の本宅がこの近所にあって、以前は本人を何度か隣町の駅前を歩いているのを見たことがある)へ行ったら、店舗の半分がなくなっていた。
街の本屋がどんどん潰れていくという時代、この書店もその波に覆われたのか。なにせ紙の本や雑誌が売れなくなって久しい。淋しい話ではあるが。
IMG_0969スペースが半分になった店にそんな売れそうにもない専門書があるとは思えないから、店に入らずして帰りの電車の人となった。加速度的に昼がながくなっていく。午後5時半過ぎでようやく暮れなずむ街の光と影の中でレールが橙色に光っている。

とかく便利な我がヘアスタイル

朝晩は放射冷却現象でやたら冷え込むが、昼間はぽかぽか、いや、ぽか一つくらいの暖かさ。日差し自体は完全に春のもの。
今日はツキイチの散髪日。ここ数年ずっとサイドとバックを短く刈り上げトップまわりに髪を残す、いわゆるソフトモヒカンスタイル。
10年前に丸坊主にしたのがきっかけで、ちょっとでも後ろ首や耳たぶに伸びた毛が触れたら鬱陶しくてたまらなくなる癖がついてしまった。
その頃の行きつけの散髪屋の大将が「髪の毛短う刈りあげたら癖になりまっせ」と言ったものだが本当だった。
10年の間に何度か、普通のおっさんの髪の普通の長さまで伸ばそうと決意するのだが、前記のラインまで伸びて来たら辛抱たまらん!状態になるのだ。
爾来、丸刈りにしたり角刈りにしたり、ソフトモヒカンにしたり、とにかく短髪スタイルヘッドを繰り返し、今の形に落ち着いている。IMG_0049
せこいことを言うなら、短髪はランニングコスパが抜群にいい。丸坊主、角刈り、ソフモヒなど安トコチェーンの1,000円散髪で充分。もっともオシャレな人はそんな頭でも、それなりの理髪店や美容院でちゃんとハサミで短く刈り込んでもらうらしいが、私には関係ね。
電動バリカンを買ってきて自分でやったこともあるが、丸坊主以外はどうしても上手くいかない。丸坊主にしたところで剛毛に出来ている私の髪はすぐに刃をワヤにしてしまう。バリカンの手入れもあれはあれで結構めんどくさいし。
寝ぐせや強風で髪の乱れとはまったく無縁、夏なんぞは汗かきすぎたと思えば、そのへんのトイレに駆け込んで頭に水かけて、ぶるっぶるっと振って水を切り、歩いているうちに瞬く間に乾く。まったく犬みたいで便利な頭だぜ。
顔の作りはブサイクだが、全体的に濃い顔つきで人相も悪いと来ているから、この頭が変に板についている。
よって外見的にはコワモテ、しかも小太り。これで肩を少し怒らせて歩けば、その筋の人っぽく見えなくもない。
一度だけだが、深夜のコンビニの前でうんこちゃん座りでたむろっている茶髪金髪のオニイチャンたちの中をわざとゆっくりと歩いたら、悪ガキどもは座ったままささっと左右にずれて道を開けてくれた。まるでモーセの海割りてヤツだな、あれは気持ちよかったぜ。でも心の中ではビビりまくっていたぜ。
家に帰ってその話を家人共にして「俺もVシネに出てくるヤーさんみたいやの~出れるかもわかれへんで」と得意になっていたら、「ええ年こいてあほちゃう」の一言で黙らされた。モーセは波に呑まれて奇跡は終わった。
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