気ままに書き散らす

ほんと困るじゃないかキリンさん。ドウシテクレンネン! 
結論からいおう。私、今断酒中なのに罪なことをしてくれたものだ。
こんなに美味いチューハイ、それもよりによってストロング物を出してくるとは。 
ビール以外の商品に伝統の「麒麟」のロゴマークをあしらったのは初めてという並々ならぬリキの入れ方が伝わってくる。 
断酒の身であるが、あるがしかしである、アルコール欲しさよりも、一消費者として商品モニターの視点にたち新製品を検分してみるという意義に則り、私はこの商品を手に取りレジに持って行ったのである。 
断じて「久しぶりに酒飲みたいなあ」とつい欲望に負けてしまったわけではない! 
今流行の強炭酸で来るとは予測がついた。
ステイオンタブ(プルタブ、は間違いよ)を開けると、プシュ~~~と残響すら残しながら炭酸が弾けた。 
ひとくち飲む。少しも、あの柑橘系缶チューハイ特有の不自然な甘さをまったく感じさせない、しかししっかりとレモンの酸っぱさと少々の苦みは人工ながらほどよく再現されており、炭酸の刺激に乗ってゴクゴク飲んでも飽きがこない。 
バーベキューや揚げ物などワイルドで安いアテにはよく合うと思う。 
これからの季節、ビールの代替品という今様の需要、すなわちビール(第3のビールも含め)よりも安く済んですぐに酔い心地を味わいたいという需要に十分に応えられると思う。 
ただしさすがに9%のアルコール濃度はゴクゴク飲みに強烈なお返しをガツンとやってくれる。
空きっ腹もあったかも知れないが、くらくらと早くも酔いが廻ってしまったのである。 
サントリーのストロングドライを飲んだ時に感じる気持ちの悪さがない分、私はこの商品のリピーターに…おっとと断酒してんでしょ断酒、あくまでモニター目線で飲んだだけでしょ、自分自身よ。 
くぅ〜キリンも余計なものを出してくれたものである。
こんなもん目の前にぶらさげて「ほらほら」と人の後ろ髪を引くなよ。 
これからますます暑くなっていく。後は寝るだけという日の休日の昼下がり、よく冷やしたこいつ をグビグビやってみたいじゃないか。 
ところで「断酒」である。この「断」という字であるが、断つ、にも使うが、中断の断にも使っているなあ。
なるほどなあ。そうなんだ私は今酒を中断しているのだ。うん、そうに決まっている。いや今決めた。 
中断には再開という言葉が待っている。我慢するというのはある意味酒や煙草よりも心身に悪いものなのだ。
我慢しすぎてメンヘラにでもなったらどうする。
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あの、アメリカメジャーリーグという野球界最高峰のステージで、打てば3試合連続本塁打、投げれば7回まであわや完全試合かと固唾を飲ませ、結果1安打無失点12奪三振という快投、いや神投の域か。
漫画みたいといえは漫画に失礼だが、そう表現せざるを得ない選手がついに出てきたのだ。現実にいるのだ。大谷翔平という若者が。
こんな選手、貝塚ひろしも一峰大二も川崎のぼるも水島新司も井上コオもあだち充も(なんでもいいが今の若い人ら誰も知らん漫画家ばかりだ。平成生まれは知らんやろ、やーいやーい)、草野球や少年野球ならいざ知らず、いくらなんでもプロ野球の選手として描くにはあまりにも荒唐無稽過ぎて描けなかったキャラのはず。
ただし私の管見である。もしかして私の知らない漫画にそういう選手が描かれているのかもしれない。yakyukyo-no-uta
水島新司は女の子のプロ野球(今あるような女子リーグではない)投手を登場させたが、さすがに無理があったような気がする。水原勇気は可愛いかったけど。
それはともかく。日本中が大谷の信じがたい活躍ぶりに熱狂したわけだが、その熱狂にれいの張本「喝!」爺さんが、またまたバケツに水を汲んでぶっかけてくれた。
「3試合連続本塁打なんてまぐれか、あるいはメジャーのピッチャーのレベルが落ちたのか。すごいことはすごいけどね」と言ったことに、ネットでは「余計なことを言わないで素直にすごいとだけ言っておけばいいのに。ホントにいつもムカつくジジイだ」とかまびすしい。
最近の「サンデーモーニング」は「炎上の張本」という役柄をこのジイさんに与えているような気がする。
ネットで怒っている人たちはまんまとその手に乗せられてしまっているのかも知れないが、この発言の後に大谷をあそこまで成長させたバッティングフォームの進化について、ジイさんは具体的に解説をしており、さすがに安打製造機の異名を与えられ、その「スプレー打法」は全方向に自在に球を弾き返せる超絶テクニックで成し得た通算安打数日本最高記録ホルダーの言だけあって説得力がある。
それに「まぐれ云々」の発言も冷静になって考えたら、至極当たり前のことを言っているのだ。
まだ始まったばかりである。投打で対戦したチームは2~3球団だけでひとわたりしていない。
とことんデータを積み上げ弱点を徹底的に掘り出し容赦なくつけこんでくるメジャーの底力とまともに対峙したわけではない、まだまだ未知数…。
といったことは誰でも考えたらわかりそうなものなのに、「ムラ社会」国家の民である日本人の悪い癖がこういう時に出る。
つまりみんなが「いいねいいね」と熱狂的に喜んでいることに水をさすな、みんなの和を乱すようなこと(それがたとえ正論であっても)を言うな、雰囲気を読め、エトセトラ。
別に熱狂事でもなくていい、逆のたとえば東日本大震災の時のこと、東北の人が苦しんでいることに対して日本人みんなが身を謹むべきなのに、お祝いごとや祭りなどではしゃぐとは何事か不謹慎だろという、フキンシンバカがでかい面して世の中をしたり顔で仕切りたがっていた、息がつまりそうだった全体主義にも似たアトモスフィアが日本中を覆っていたあの頃。
このどうしようもない日本人のお調子者もいい付和雷同性が、国民の自主的開催であった戦捷奉祝大行進の提灯行列となし、軍部を調子づかせ、悲劇の戦争へ突っ込ませていったのは間違いない。
あの当時、どこの町内にも少しはいたであろう、「支那とさっさと講和条約を結んでおけばいいのに、このうえアメリカ相手に戦争をやって勝てるわけがない」と冷静に判断できる人が、一言それを口に出せば、たちまちお上に密告したのは隣近所の者である。東日本大震災の時のフキンシンバカと同類の人種である。
花火大会があるとしよう。みんなが一斉に花火の上がる方向に向かい「きれい、きれい」と声を上げている中で、一人「フン!」と鼻を鳴らして背を向け漆黒の闇の中に浮遊する蛍の仄火に美しさを見出したい、そんな屈折した、めんどくせーやつだなまったく、てなジジイを目指してい私なのである。(大谷翔平はどこ行った?)

当節大流行のアルコール度数の9%の缶チューハイ。
税法上の有利さもあって、メーカー側も低価格設定がしやすく、毎日毎日大量のCMを垂れ流し、アベノミクス効果なんてオラには関係ねえだとフン!といじけざるを得ない層の薄い財布を狙い撃ちしている。
ケミカル果汁と人工甘味料をふんだんに使い、粗悪なウオッカや甲類焼酎のアルコール臭をとことん消し、口当たりよくジュース感覚で飲めるものに仕立てあげ、どんな料理にも合うよん~♪と元タカラジェンヌあたりが飲め~storong飲め~とテレビやネットで呼びかけている。
←たしかに安物の焼きそばに合うわ。Cheap to cheap。
Heaven, I'm in heaven And my heart beats so that I can hardly speak~♪
これはCheek to cheek。まあ酒飲めばまるで天国にいるような思いになるが。
それにしてもむちゃくちゃである。アルコール度数9%。
500mlのロング缶で換算すると、45mlの純度100%もしくはそれに近い度数のアルコールを一度に摂取することになる。
45mlという容積は30mlのショットグラスをテキーラやウオッカなどの高濃度アルコール酒で満たし、それを飲み干し、お代わりにもう半分飲むのと同じ。
40数年の酒歴を誇る(笑)私でさえ、ロング缶とレギュラー缶を1本ずつも飲めば、泥酔はしないが「かなり酔った~~」感を味わえる。
それにかかったコストは、スーパーで買えばわずか税込み260円前後ですむ。定価販売のコンビニで買ってもこれに100円足せばいいだけ。
しかし行きは酔い酔い、帰りは怖いストロングチューハイである。というのは、人にもよるがこの手の酒の酔い覚めのひとときの気分の悪さと行ったらない。
頭ズキズキと吐き気は我慢できても、なんともいえない、しかもわけもなくグズグズと出てくる鬱の気分に耐えられない。この不快感を抑えるために新たな1本に手を出せば一人のアル中患者が出来上がる。
それを考えると空怖ろしくなって、最近はまったくといっていいほど手を出さない。
飲みたいという欲もわかない。それには最大かつたったひとつの理由がある。
昔の青汁のCMじゃないが、ううう~~まずい!もう一杯…になるわけないほどのまずさに尽きる。
こんな代物が美味いと本気で思ってグビグビ飲める人、悪いけどあなたの舌、完全にアルコールにやられてどうにかなってます。そのまま地獄に堕ちて閻魔様にその舌を抜いてもらいなさい、とは余計なお世話でした。
ただ酔いたいがために飲むのであれば、トリスやニッカの最下位レベルのウイスキーのポケット瓶をラッパ飲みしている方がずっとまし。
不味くとも一応ウイスキーの製法に則って作られているから。
ケミカルまみれの缶チューハイよかは少なくとも身体に少しはいいし、それに昔のジュリーの「カサブランカ・ダンディ」みたいで、傍で見ていてもカッコええことは・・・・ないわな。これとてただのアル中オヤジですがね。

本当に久しぶりにノンアルコールビールを飲む。
15年ほど前に一度だけ試しに飲んだその手のビールの銘柄は忘れたが、とにかく「なんじゃこりゃ~」であった。
とりあえずはビールの味はするにはした。
しかしビールのキモである麦芽のコク、ホップの苦味、クリーミィーな泡といったものからかけ離れていて、これじゃあ濃い目の麦茶に炭酸水ぶっこんで飲んでいる方がまだ気が利いているってもんだわと呆れてしまい、それ以降まったく手出しはしなかった。
あれから時は流れ、その間、発泡酒、第3のビールといったビールテイスト飲料の製造技術が格段に進歩し、当然ノンアルもずいぶんと美味くなっていることであろうとは思っていたのだが、アルコールが入っていないビールなんて、気の抜けたそれよりもっと頼りない、酒を飲むというのは味もさることながら、アルコールがもたらす「ガツン」「クラッ」「トロ~ン」感に全官能を委ねることに意義があるので、ノンアル飲むくらいなら水飲んでいる方がましとまるで鼻もひっかけなかったのだが、齢60を超え、残りの方がどうみたって短い人生、アルコールなる悪魔の毒素の手のひらの上で踊らされるのも如何なものかと鑑みるにあたって、しかし、ちょっとビールで喉を潤したいという欲もわからなくはないので、とグダグダグダグダ四の五のぶつぶつ言いながら、ついさっきスーパーで105円で「キリン零ICHI」なるものを買ってきたのである。IMG_20180412_094727
しかし驚いた。今、日本酒からワインに至るまでこんなにノンアルものが出ているとは。知らなかった。
これまで酒売場徘徊しておれば、たしかにそんなのが目についていたに違いないのだが、まったく眼中にないものだから事実上は見ていないことになる。
店で「へ~」とか「ほ~」とかいちいち声に出して手にとって見て、家に帰ってあらためてネットで調べてみると結構な数の銘柄が出ている。
しかしまあ、日本酒やワインのノンアルって。なんかどこか違うような気がするのだ。
逆説的に言うならそこまでして飲みたいのかと言いたくなるような人が多いということだ。
「キリン零ICHI」。最初は私でもその名前だけは知っていたサントリーの「オールフリー」を求めるつもりだったのだが、キリンのは缶の上に「麦増量!」と謳っている。
「増量」や「放題」、「無料」といった言葉にすこぶる弱い私である。
増量だから少しは得した気になってレジまで持って行ったのである。
で、味だが…まずくはない、まずくはないがやはり本物のビールをグビグビやった時のなんとも言えないあの爽快感は得られない。
これは第3のビールvs「ヱビス」や「プレモル」にも言えることで、てんで勝負にならないのである。当たり前ちゃあ当たり前だが。
本物のビールへの飢餓感が増した分、断酒とは真逆の方向へ戻ってしまいそうでノンアルものは封印。

4月に入ってから断酒に挑戦している。
しかし夜勤の仕事柄、仮眠はあれど少しも熟睡していない気怠さを解きほぐすのに、帰り間際の駅の売店で買う、近頃流行りのストロングチューハイ缶に手を出してしまう。

2年前から酒などやめてしまいたいと思っていた。
酒でしくじった若い頃を思い出し、そのあまりのイタさに今更ながら身をすくめ、しかしさすがに今では年も経て、そんなイタいことはしていないはずの昨今だが、それでもいくつか身に覚えがある(笑)。

毎日酒を飲んでいるわけではない。たまには飲まない日もある。
飲まない日の翌朝の身体の軽さ、ごはんのおいしさ、空が曇っていてもそれなりに何かをつかみとる、いやつかみとりたいという感性、私の感性などまずしいが、自分なりのそれをたとえ携帯のカメラに切り取りたい意欲、あるいはそれを頭のなかで文章に換える時、出てくる語彙の豊富さに自分ながら驚く。酔っ払っていてはまず無理だ。

酒や煙草が形成した文化を否定しないどころかリスペクトする。
人間の嗜好品だから。喜怒哀楽をすべてのみこんでくれたから。
それゆえに崇拝しつつ惜しみながらさよならしたいのである。

なんてカッコいいことを言っているが、先月の終わり左中腹から腰にかけてに恐ろしいほどの痛みが走り、それはすぐにあえなく終わったが、ネットで見ると肝臓がどうで膵臓がああでと空恐ろしいことを書いている。
あかん!と手のひら返して酒を敬して遠ざけながらボロカスに酒をけなす。そんなアンビバレンツなブログが成立するのか模索中なのである。

吉野家で久方ぶりに豚丼を食べた。 
2004年の米国牛BSE騒動で米国産牛肉の輸入が途絶えたあおりを受けて、吉野家は牛丼の販売を当分見合わせ、その代替メニューとして豚丼を出した。 
オルタナティヴものにしてはわりと美味しく、牛丼より安価だったから結構食べていた記憶がある。 
あれから実に14年ぶり「吉ブー」に相まみえることになる。 
吉野家は2年前に豚丼を復活させていたが、そのうち食べようと思っているうち に、先ほど「新味」と称してリニューアル豚丼を売り出した。 
せっかくの機会だからと、350円也の舌代を払い食べてみたのだが、タレがどうにも中途半端に甘辛く、しかもやや薄い味つけであるので、豚肉やご飯とあまりなじまず、たいして旨くもない豚の脂身の自己主張が激しくなってしまい、それが不快なまま舌の上にいつまでも残ってしまった。 
残り半分は紅生姜と七味でごかましてなんとか完食した。 
断っておくが、あくまで私の 味覚であるからして好き勝手に書かせていただく。
これはリピートしないわと、新しい吉ブーに早くも訣別の手を振ったものである。
 
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平昌冬季オリンピックに出場したアスリートたちが、自分たちの故郷の自治体や有志が企画した凱旋パレードに出て錦を飾っている。
おらが村や街から、世界を相手の大舞台でのメダリストが出た、あなうれしやめでたきや。
その観点からすれば「夢と感動をありがとう」と、ポスターや垂れ幕、プラカードにでかでかと書いて気持ちを表したくなる気持ちもわからなくはない。
しかし、お慶びのところ大変申し訳ないが、いまだに私はあの「夢と感動をありがとう」「勇気と元気をいただきました」といった類の言いまわしにはなじめない。
普通に(アスリートたちの必死さと躍動美を見ていて)「感動した」「元気が出た」でいいではないか。「感動した」「元気が出た」の主語は何かを考えたら、そのおかしさがわかるだろう。
今世紀に入って、この種のおかしな日本語の輩出度がいっそう高くなったような気がする。
特に気になるのが「~してもらってもいいですか」。
20代、30代を中心に目上の人や顧客に向かって平気で遣う人がいるが、どうして「~して頂けませんでしょうか」と言えないのか。
「~してもらう」というのは友だちや目下相手にぞんざいに遣うものであって、「もらう」の尊敬語は「いただく」であると小学生でも知っている常識に考え至れば、とてもじゃないが上司やお客様に対して口に出せるか出せないか、よほどの頓馬でない限りわかりそうなものだ。
まだまだ気になる言葉や言い回しがあるのだが、書いているうちに血圧と血糖値が上がり、心臓の鼓動と脈拍が早くなり頭がクラクラとしてくるので、今日のところはここで措く。

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先日、業務スーパーで購めた破格値即席のうち、「磯の風味がきいたソース味焼きそば」を食べてみた。
美味い。遠い昔、夜店や屋台で経木を舟形にしつらえた容器に盛って売られていた焼きそばの味である。
いい意味でチープな味、どこか郷愁の中に誘ってくれる味であった。ただし、磯の風味はまったく感じられなかったが。
私はこれまで、即席麺のうち袋麺の焼きそばは日清の「日清焼きそば」、明星の「鉄板焼きそば」を凌駕するものは出てこないと思い込んでいた。
山本製粉という愛知県豊川市にある、失礼だが大日清や大明星に比ぶればはるかに小さな会社が、この安さでここまで水準の高い製品を世に問うていたとは。おのれの管見を思い知らされた次第である。
麺は太め、ソースは甘め。麺は即席麺の原初的形態である油揚げ縮れ麺。
実はこの縮れ麺がとくに粉末ソースが絡みやすいということを、なぜか斯界のパイオニアである日清はおろそかにし、生麺感覚志向路線に固執して麺をまっすぐにしたという愚行が信じがたい。カップ麺であるが「UFO」の劣化(ソースは液体だが)に対する往年のファンの嘆きは相当なものがある。
食卓や冷蔵庫から青海苔、紅生姜、マヨネーズをひっぱり出し供にする。
焼酎湯割りには合わない、ここは当然ビールだが、春の雨が街灯に弾けているのを窓から見てコンビニまで行く気もない。


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