セ・リーグは広島が優勝。この日だけは完全に鯉のホームと化した甲子園での胴上げ、さほど腹立ちもせず。
関ヶ原の合戦でいえば虎も鯉も同じ西軍同士の誼みたいなものがある。
3位は東軍の雄、巨人に決まって欲しい。DeNAが相手では失礼を承知でいうが、わが阪神の相手としては役者不足。ヤクルト同様なじみもそんなにないしな。
中日は落合監督が引いてからまるで二流のチームになり、00年代のあの強かった頃の面影すらない。あの頃、中日さえいなければ阪神が何連覇出来ていたか。
興行的にも関西人は巨人が相手なら俄然盛り上がり甲子園球場の客の入りも違う。
今日はカアチャンがいないので、SNS仲間の真似ではないが、近くのスーパーの総菜コーナーでローストンカツ1枚と三つ葉、白ネギを買ってきて即席のカツ丼を作る。
行平鍋に創味の万能つゆを適宣希釈してだしを張り、そこにみりんと白だしを少々加え、切ったカツを放り込み、煮立つまでに溶いた卵と切ったネギをかけまわしてぐつぐつなりだしたら火を止めて、そのまんま丼めしの上にぶちまける。
そこへ三つ葉を乗せてカツ丼特盛完成。しかしなんだこの盛りつけは。盛りつけ以前の問題だ。image
まあええか。カツ丼なるものとにかく序盤から口をパワーショベルのようにして、鼻息荒くガツ食らっていくところにその醍醐味がある。
ガツガツやっているうちに気分も昂然となり、いわゆるトンカツハイの状態になる。
ただしこのトンカツハイトランスは丼の場合だけである。定食ではこうもテンションは上がらない。
よく刑事ドラマかなにかで刑事が取り調べ中の容疑者にそれまでの恫喝の大声を猫撫で声に変えて「やれやれ、おまえさんも頑固だなあ。だんまりもいいが腹が減ったろう。昨日からなにも食ってないんだろ。どうだ?カツ丼でも食うか」とのお約束のようなセリフがあるが、あれはおかしい。
完全黙秘を貫こうとしている容疑者の気分をたかめてどうすんの。
空腹感にさいなまれるうちに急に人情派刑事に変わった敵のやさしさにほだされ、ついほろっとなって「実は刑事さん、おっしゃるとおり…」となりかけていたところが、カツ丼を目の前に「ほら食え」とばかりに置かれ矢も盾もたまらず割り箸割るのももどかしくワシワシワシワシワシと食べ進めていくうちにトンカツハイの状態になり、おりゃ~なんでも来んかい、国家権力がなんぼのもんじゃい、わしは腐っても極道じゃい、絶対歌えへん(自白しない)ど!と完黙の決意も新たにされたら目もあてられない。
だからこういう場面では「腹減ったろう。おかゆでも食うか」かあるいは「そうめんでも食うか」でないといけないのだ。
腹ぺこで死にそうなところへ「おかゆ食うか」なんて言われてみろ。病み上がりでもない限り「ええ?おかゆて、そんな殺生な」とヘナヘナと戦意喪失も甚だしい。
「遠慮するな食え」と飢餓状態にある目の前で1束分のそうめんがガラス鉢の中でまるでやる気がなく漂っているのを見て「こんなちょびっとのそうめん、誰が遠慮するねんな」とため息をつき肩を落とさない方がおかしい。
なんてくだらないことばかり考えているから、カツ丼のお供には必須、これがないとカツ丼の魅力が半減もいいところである赤だしとまっ黄っ黄の沢庵2切れ添えを忘れてしまったではないか。
カツ丼がっつりの合間の赤だしズズっのひと啜り、沢庵ぽりぽりのひとかじりのひとときほど、中盤から終盤へのスパートを盛り上げてくれるものはない。まさに格好の箸休めである。

台風は思ったよりも、こと近畿一円にとってはヘタレな台風でまずはよかった。
これでいっそう秋の深まりが早まる。「狂」の字が似合う酷暑にあえいでいたのがほんの一ヶ月前のことであるのが嘘みたいだ。
時折の強風が窓を叩く音を聞きながら、相勤者と現場事務所のテレビを見るとはなしに見ていた。
秘書に対する暴言暴行で、高学歴を誇るエリート育ちのお嬢様育ちという人種、その実下品で人格の欠片もない手合いが多いという事実を世間に再認識させた豊田真由子という女性国会議員が宮根誠司のインタビューに涙ながらに答えていた。
「なかなか自己肯定できない(性格なんです)」と目頭をハンカチで押さえながら訥々と殊勝気に語るわりには、謝罪会見と称しながら最初から終わりまで自己肯定と言い訳の連続だったが。
政治家と芸能人の流す涙は5割引でみておくのがちょうどいい。
広い意味では彼ら彼女らの仕事は詐欺師でもあるのだから。
こやつらに真の誠意など求めてもどだい無理である。嘘とだまくらかしが服を着て歩いているようなものだ。
人間、修羅の時ほど地金が出てくる。本当の人間性が表出してくる。
たとえ政治家秘書など政治家から見れば奴卑奴隷同然といえど、仮にも妻子がいる男子のプライドと体面を女の分際でズタボロにした一連の暴言暴行の中にのみ豊田真由子の実像が存在するのだ。
こんな性悪な性格など変えられる訳がないのに、な〜にが「変えるぞニッポン」だ。この記事を書くためにネットから下ろして初めてこのimageポスターを見た時、久しぶりに大笑いしたわ。
それゆえ反省の弁など上辺だけのことである。後半の宮根誠司ごとき低いレベルの人物の説教じみた問いかけにも、だからこそ大仰にも涙を流して神妙な面もちで聞いているフリが出来るのだ。
逆に言えば本当に反省していれば、むしろ宮根のお為ごかしのあまりにも安っぽい言葉の並べ立てに腹を立てなければいけない。
豊田真由子といった女性議員や政治家を見ていると「雌鳥歌えば国滅ぶ」との中国の古い言葉を思い出す。
女が政治に口を出せば必ず国は滅ぶ、という意味で、現代の基準からすれば「何をふざけたことを」と特にフェミりん君たちあたりから猛烈な反発を受けそうだが、なぜにこうした言葉が古代より中国に残り、その間日本にも伝わり、今に生きているのか考えてみるのも意義あることだ。
かのような俚諺の類は人間が長きにわたって蓄積した生活の知恵、生き方来し方の秘訣の表象でもある。反発するいや賛同するは別にして。
女が生意気にも男の前に出しゃばるものではない。ましてや天下国家を論ずるな。家事に専念して天下国家の戦士たる男を生活の雑事に煩わせるな。
男には女にはない沽券というものがある。それをないがしろにするな。
男の言うことにいちいち逆らうな。黙って聞いてろ馬鹿者め。いいかげん聞き分けのないことを言ってるとその糞生意気な頬げたを張り倒すぞ。
女は男のやや後ろで楚々として控えていてこそ、下品で無教養な毛唐の女どもならいざ知らず、こと大和撫子の美しさが際だつのである。
男に「おい!」と呼ばれたら「はい」と遠慮がちにそして些かの含羞をたたえて蚊の鳴くような声で返事してこそ日本の女性の気品と美が内面からあふれ出てくるのだ。
豊田真由子とうちの女どもにはまったくそれがない。腹が立って腹が立って、つい心にもない、不本意なる一文をものしてしまった。
普段の私は常にレディファーストに徹し、騎士道精神にあふれ、か弱き女性が危急の際には身命を賭して彼女の盾となりお守りする、心底女性を太陽の如く崇め、水たまりがあればその上に我が上着を敷きつめ、女性の御御足元が汚れないように努め、というジェントルマンなのである。
くれぐれも男尊女卑を絵に描いたような団塊世代以上のオヤジといっしょにしないでくれたまえ。

9月1日以来昨日で16日間、煙草一本も喫わず。
「あ~たまらん喫いたいっ!」という発作は10日めあたりで消えて、「なんとなく喫いたいような」な気が1日何回か起こり、それもだんだんスパンが長くなり、しこうしてそれはつまり煙草を意識してしまうひとときが消えてきたことである。
禁煙ガムも電子タバコもつい持って出るのを忘れるぐらい。
ただ、最近は家呑みばかりだが、さすがにアルコールが入ると喫煙欲が昂進し、まさか酒肴ともにガムを噛むわけにいかず、電子タバコをぷかぷかやっている。
この電子タバコ、吸い込むとタバコの先が赤く点灯する。
つまりはタバコの火を模しているのだが「大人をバカにしとるのか」と苦笑もしたくなる仕掛けである。
これがやたら点滅しだしたら要充電通知であり、大事な機能であるのは承知だが、ほら昔、吹くとピューと音が鳴って蛇の舌のような紙紐が伸びる玩具の笛ってあったでしょう、要はあれの逆のバージョンで、よく考えてみれば電子タバコぷかぷかはなんとまぬけなナリカタチに見えなくもない。いい年した大人のオモチャ(変な意味じゃないぞ)であり、おしゃぶりみたいなものでもある。
ゆえに電子タバコぷかぷか、脇で見ているとあまりいい格好ではない。「アイコス」「ブルームテック」「フレボ」とて同じこと。
最近、仕事シフトがれいのズボラオヤジの見え見えのズル休みのおかげでむちゃくちゃである。夜勤明けの日はその日の夜勤は休みであって、次の朝は早朝に出かけて深夜までいわゆる通し勤務というハードさ。
休みの夜の酒もろくろく楽しめない。
しかしだ、たいてい休みだからと調子に乗ってネットを見ながら深酒。翌日は昼過ぎまでひどい二日酔いで頭も体もまるでモノにならず、ただ寝床の中で呻吟するだけになることが多い。
酒呑みが鬱病になりやすいのは、深酒大酒の果ての二日酔いの酒の抜けが悪抜けというのか、しつこくねちこく陰鬱極まりなく気持ちよく抜けてはくれない。
特にやけ酒が原因の大酒の挙句の酔い醒めはやけの原因をまたグジグジと思い出し、結果呑む前より事態はいっそう深刻となり、少しでもそれを振り払い前へ進もうと思っても二日酔い特有の疲労感とそれをさせず無気力もいい状態になる。
やけ酒でなく逆にたとて楽しい酒の果ての二日酔いとて頭痛吐き気倦怠気力減退感から免れず、半日を無駄に布団の中で過ごし、そのことへの起こさなくてもよい罪悪感を惹起せしめてしまう。
これが明日仕事で早起きしなければならないとなれば、いきおい酒はほどほどにして夜は遅くとも11時前に寝てしまう。これなら朝6時起きでもさほどつらくはない。
日給月給だから早く仕事に就き長時間働いた分、給金もそれだけ多くもらえるわけだから、少なくとも半日を二日酔いでつぶすよりはるかに有益である。
最近とんと酒にも弱くなったと実感しているので、このたびのシフト乱れ騒動の一件は「もうあんたはな、大酒はあかんの、無理やの。昔から酒と女は二合(号)までと言いますやろ。肴は楽しみながらちびちびとたしなむ程度にしときなはれ」と天が命じているのかもしれない。
たしなむ程度かあ、まだまだ遠いような気もする。自分で書いておいて何を言っておるのだと叱られそうだが、先日初めて呑んだ当節流行のストロングタイプ缶チューハイでウィルキンソンのドライハードってやつ。image
もともと炭酸水で有名なブランドだから、強炭酸が喉をほどよく刺激してくれて快感。ドライの名の通り辛口で缶チューハイにありがちなベタな甘さはいっさいなし。
喉が乾いている時なんかビール感覚でついごくごく飲んでしまうところへ、高い度数のアルコールがそれこそ冬の熱燗みたいに五臓六腑に染み渡りってやつで「うひょ~たまらんの」だ。
たしなむ程度しか呑めませんという人は逆立ちしてもこういう呑み方はしない。

昨日はまたもや早朝から深夜までの勤務であった。
1日の半分以上仕事をした後の、風呂はいつになく気持ちいいし、日が変わる時間に食卓にのぼったのは秋刀魚の新物、1尾291円であった。
ビールはヱビスのロング缶。いやあカアチャンありがとありがと、と言いたいが、なんだねどうも今年の秋刀魚はあれだな、身が細っているじゃないの、これで300円近いとはボッタ君ですよ。

秋刀魚2017

なんでも中国、台湾、韓国の大漁船団が北海道近海の秋刀魚の漁場に大挙押しかけて、成魚にならないものまで根こそぎもっていくものだから、こんなのしかなかなか庶民レベルには出まわらないらしい。
もっとも1尾500円も出せば、もっとぷっくらとしたものがデパ地下あたりに売っているが、秋刀魚に500円出したら意味がない、だいたい秋刀魚など100円前後で美味い美味いと褒めてこそ秋刀魚の本懐を遂げるものなのだ。
こんなことなら去年の冷凍もの1尾98円の方がもっと肥えており、そっちにすればよかったかなとカアチャンはいう。まあいいよいいよ。
ほじって一口食べてみる。脂の乗りも今ひとつ、腸もナニこの小さいのは、苦味なんてほとんどありゃしないとヱビスの旨さで流し込んでなんとか折り合いをつけてみたものの、あんまり言いたかないけどね、どうして日本人の多くが中国人や韓国人、ミサイル飛ばして来る方は朝鮮人か、を民族差別問題とかの大上段的なことを抜きにして「あんまりあの国の人たち好きじゃないんだよね」と思うのは、こういうことをするからだ。嫌われるのには理由があるんだよ。
日本人のお得意の互譲と協調の精神、みんな相身互いお互い様の精神も過ぎれば国際的にナメられるだけだが、こと秋刀魚やマグロに関しては少しは他の国のことも考えて獲っていって頂戴。習さ文さん金さんたち。

最近、デアゴスティーニからビートルズのアルバムを1枚ずつ、それもアナログ盤で創刊号は約2000円、以降は3000円で随月リリースしていくわけだが、狙いは今再び再燃しているアナログレコードブームに乗っかってのことであるのはミエミエで、さてその音源となるとどの音源を使っているのかが問題である。
そんなマニアックなことは措いて発売ラインナップは「アビーロード」がつかみ、いわゆるキャッチで次は「SGTペパーズ」、第3弾は「ラバーソウル」。
まあ妥当な危なげないチョイスでとりあえずはそれ相応の売上が期待できると思う。
それにしても私をロックの世界に誘ってくれた、かのバンドの過剰評価が過ぎやしないかと恩知らずを承知で思う。
リアルなビートルズ世代の人よりすこしだけ「遅れてきた青年」だった私ではあるが、そしてビートルズのおかげで他の特にブリティッシュの方のロックを聴きまくった、いわゆるロック耳年増になったわけだけど、ストーンズ、ピンクフロイドやパープル、フー、ジミヘン、バッジー、クリーム、クリムゾン、ツェッペリンetc…枚挙にいとまないが、ことロックでくくればビートルズってはたしてロックなのかと疑問符をつけてきたのである。
今回の記事ではとりあえず「ロックとは最初から終わりまで諸楽器の音が緻密でどの楽器もプレイも完成された技巧を聴かせるやかましい(笑)音楽である」と仮に定義すればちょっとそれは、つまりビートルズこそロックのすべての創始的な存在であると言われたら、おいちょっと待てと言いたくもなる。
ビートルズ真理教みたいなファンはハードロックもヘビメタもパンクも、はたまたサンプリング打ち込みもすべてビーが最初にやってのけたのだと言う。
そうかなあ?(笑)たまたまそうなっただけで後づけのこじつけくさい。
ほら、今の日本のロックアーティストが例えば矢沢とか桑田とか「やっぱビー、FAB4にインスパアされた」てなことを言うけどほんとかいな。
例えばハードロックかつヘビメタの創始だとよく評価されるこれ、

どこが”ハードロック”なん?ヘビメタなん?
同時期に日本のジャックスという伝説的バンドがこういうのをリリースしていたこれ。

ハナからビートルズはチャラけたロックライクなものとして拒否しているかのようのな、当時としては日本初であり発のハードロックだ。
諸楽器(笑)全部ビートルズより巧い。はっきり言って。
ちなみに私はビートルズの楽曲すべて好きである。しかしあまりに神格化されるのは如何なものかと思う。よってこんなヒネクレた記事を酔いにまかせて書いたのである。
目覚ましはiPodに入れてある「Here Comes The Sun」、もちろんオリジナルである。
ポールはなぜかジョージのオリジナルの楽曲に素晴らしいベーステクを披露する。特に曲の中盤からはリンゴがのドラムとデュエットしているかのようだ。

一昨日と昨日は先月のちょうど同じ日に早朝出勤深夜退勤の、日当的にはおいしいが些かハードなシフトの「憂き目」に遭った。
よりによって久しぶりに蒸し暑さがぶり返した中での勤務。堪えた。今日は夜勤も休みで、さっきやっと離床したのだが全身の倦怠感は否めぬ。
日頃の運動不足のツケがまわっている。
肉体労働ではないが、神経を使う分しんどいものはしんどい。肉体の疲労感は精神的疲労を余計に助長するから、やはり常日頃の健康維持は大切だ。体力や健康管理もたとえ少ない給金といえど仕事のひとつであるから。
その一環としての禁煙取り組みも今のところ順調。9月に入ってから1本も喫っておらず。
しかし、依存しがちなものを一つ減らすと他の依存的なもの、私の場合は酒だが、に対する欲望が増えるからやっかいだ。
なんでこんなシフトになったのか、先月と同じ同僚オヤジが休みやがったからである。
65歳にもなってこのオヤジ、休むのはいいがどこか無責任なところがあって、「いつまでに復帰出来そうです。今日はかくかくしかじかな状態で云々」と連絡して来ればいいのにナシの礫。
会社側がいちいち連絡してやらねばなにも言ってこない、連絡すれば「さあ、どうだかわかりません」と他人事のようないい加減な返事をよこすらしい。
よってシフト編成がうまく組めず、結果何人もの人間が振り回される。
人間年とれば身体のあちこちにガタが来るのはわかるが、前述の如く自分の健康管理も仕事のうちと考える私はそれが腹立たしい。
金をもらっている以上プロであるのだから、痛風や糖尿といったジジイにありがちな持病持ちならその症状が出ないように努力すればいいものを、食べたいから食べるという自堕落な性格からブクブク肥えやがっていっかな治そうという気がないようだ。
正社員であろうと契約社員であろうとアルバイトであろうと休む権利はある。それは認める。
しかしちゃんとケジメをつけろ、いい年こきやがって、あんた一人が休んでいるおかげで他人が休む権利を奪っている。
このバカオヤジのおかげで、ある人なんか本来休める日にずっと出てこなければならず、その分日銭が稼げるからいいじゃないか、という問題でもなかろう。
やる気がなければさっさと辞めてしまえ。こんな奴に働かれる方が傍迷惑だ。人手不足につけこんでの横着かましならなおさら許せない。
「辞めさせたらよろしいねん。あんなええかげんなおっさん」と私は本社の現場人事担当編成者に言うのだが「いや、そういうわけにはいかないんですわ。今はほら、募集かけても人は来ないからね」とボヤく。
「おっさんが出勤しても中津川さん、キツいこと言わないでね。お願いですから」と手を合わせる。
雇う側の事情もわからなくもないので、なんともまあ忸怩たる思いでいるのだ。 と同時に俺が社長なら絶対にブラック経営者になっとるわとも思わなくもない。

誰かが忘れたのであろう、帰宅途次のJR電車内の座席に雑誌のようなものが置かれていた。book
「なんやろな」と手にしてページをめくっていたら、キャバクラ女子、ホスト男子のいわば求人雑誌のようであった。
全頁アート紙使用のフルカラーにしてフリーペーパーである。紙代印刷代だけでも相当金がかかっているのがわかる。
眺めていてこれがなかなかおもしろい。キャバ嬢ホストとともに時間給はどのお店も最低4000円。「俺もホストに一丁応募したろかい」と興味津々にページをめくっていく。
ikemen「中津川秀明」なんぞそのままホストの源氏名に転用できそうだ。お客さんに「ヒデアキ」とか「ヒデ」なんて恋人気分で下の名前で呼ばれて店外で花咲く恋の展開に妄想も募る。
ペーパーは募集面だけでなく、おもに大阪ミナミの人気キャバ嬢ホストの面々が紹介されている。
女子はやはりきれいなおねいちゃんばかり、ホストはいかにも今様のイケメン、スレンディ、なによりも若い子ばかりが居並ぶ。host-horz
「わははは。わしには無理やな。イケメンだけやがな共通項は」と「俺」が「わし」に変わって、わしは思わず苦笑する。
ましてやホストの世界、チャラチャラと見えてあれでなかなかの体育会体質社会と仄聞する。
上が白を黒といえば白と言え、上下のけじめのキツさは体育会を超えてヤクザ並みの厳しさ。私が一番苦手とするタテノリ社会の典型たるものである。
彼ら彼女らが行きつけのミナミの食事処飲み処がクーポン券付きで紹介されている頁もある。
その頁も含め、なぜか飲食店関係は焼肉店の広告が目立つ。
おねいちゃんもおにいちゃんもあの商売、肉体労働に近いものがあるしな、やはり店がはねたらスタミナ付けておかんとな、そういえばホストたち営業反省MTGも兼ねて焼肉屋に集まっているのをテレビの斯界のドキュメンタリー番組で視たことあるなあと思い出す。
ミナミ同様、キャバクラやホストクラブ密集地である梅田の堂山町や太融寺界隈で、なんで今頃から焼肉屋開いてるんやとニュージャパンのサウナ泊まり明けで会社へ行きしな、怪訝ながら目撃したこともあったし。
私自身、ホストクラブはもちろんのことキャバクラなどついぞ行ったことがない。オッサン相手の普通のクラブ(平坦に発音しない方のクラブ)は接待がてら会社の金で何度か行ったことがあるけど。
さすがに遠い若い頃、性欲盛んというより頭の中はそればかり考えていた時分には、性欲処理専門の各種フーゾクにはお世話になったこともあったが、根本的に黄白と交換の閨事のなんともいえない味気なさ、事後のけして安くはない黄白をたった一度か二度の解消で失ったことへの虚しさに嫌気が差し、25才を越えたあたりからそっち方面へ足を向けたことは一度もない。
近年、何度かキャバクラへ誘われたこともあったが、接客のプロ中プロである彼女らの仕事ぶりに興味関心はないでもないものの、どうもあのキャバ嬢特有のアトモスフィアというかアウラというのかが苦手で、安くはない酒を飲み、キャバ嬢の機嫌しだいでは客のこちらが彼女の気褄を取らされる事態もありかねないのは物心ともに無駄過ぎて、と手と首を横にひらひら振って断っているうちに誰も誘わなくなったことは重畳の至り。
しかし、男にしろ女にしろそれらキャバクラやホストクラブにのめり込み、多額の金を使い場合によっては公金に手を付けてまで入れあげる気持ちはわからなくもない。
たとえ敵は商売でやっているとはいえ、金さえ払えば一夜殿様かお姫様気分に浸れるわけである。
昼間は異性に鼻もひっかけられないブオトコやシコメの寂寞感寂寥感を癒してくれるどころか、しばしモテ男モテ女の夢を見させてくれるのである。
それだけでいい、そこを割り切ってお金で買っているというのなら、むしろ普通の恋愛ごとにありそうな後腐れもなく、時間と金が尽きればハイそれまでよとさっぱりしていて気も楽である。
もっともそういった疑似恋愛だけでなかなか済まないところが世の常ではあるが。
男女とも若い頃仕事や勉強一筋で来て、性格生真面目(裏返せば小心者)な人がひとたびこの疑似恋愛の陥穽に陥るとこわい。中年になって初めて異性から異性として、とりあえず表面上はまともに取り扱ってくれた喜びは蟻地獄と表裏一体である。
だから、若いうちに多少のやんちゃと夜遊びはしておいた方がいい。水商売の異性に惚れたはったも経験しておくに越したことはない。かくいう私にもスナックのチーママに入れあげた黒歴史がある。あの時は高い授業料を払ったものだ。
若いうちのバカは「若気の至り、俺たちにも覚えがある」とわりと好意的に見てもらえるが、中高年の、それも海千山千のお水の方々への熱愛などみっともない以前に大バカ者と嗤われるしかない。

6月以来ではないか、朝からまとまった雨が降り続け、夕方にようやく収まったというのは。
今年最初の本格的な秋雨だ。これから一雨ごとに木々の葉の色を変えていく。
雨の音を聞きながら本を読むひとときは何事にも代え難い。
一週間前に図書館で借りてきた「筑摩現代文学大系第92巻/野坂昭如・五木寛之・井上ひさし集」を読む。image
いずれの作家も作品も早い頃では高校時代に読み、20歳になるまでに読んだ作品ばかりだ。
まずは五木の「さらばモスクワ愚連隊」と「蒼ざめた馬を見よ」を読み終えた。
懐かしい。高校2年の頃だったと記憶しているが、この人が訳した「カモメのジョナサン」が大ベストセラーとなり、自身の大河小説「青春の門」のヒットと併せ、作家のオトコマエさもあいまって一大五木寛之ブームを巻き起こしていた。
彼のエッセイ集「風に吹かれて」は、ブンガク的に背伸びしたがり盛りのガキどものちょっとしたバイブルみたいなものになり、新潮文庫で出ていたそれをカバーもかけずに裸のまま丸めて持ち歩くのがお洒落とされていた。
私はその頃から性根腐りのヒネクレ者で、何が五木やねん、よし俺は森進一やとばかりに「おふくろさん」のシングルレコードをジャケットが見えるように持ち歩き、「お・ふ・く・ろさんよ~お・ふ・く・ろさんよ~♪空を見上げりゃ空になるぅぅぅ~~♪」と森進一の顔真似をしながら教室内や廊下をふらふらと歌い歩いていたというのは嘘である。
何が五木やねん、まで戻す。野坂昭如で張り合っていた。角川文庫で出ていた「ゲリラの群れ」や「騒動師たち」を皮切りに、大阪の得体のしれないオッサンどもが徒党を組んで暴れたおす姿を、あの独特の五七五調を崩し気味にした戯作調饒舌文体といわれる異色の文体で書き綴ったものを好んで読んでいた。
図書館で借りた本にはその流れを組む「エロ事師たち」「とむらい師たち」が収録されている。その時分に既読だが、43年ぶりの再会の楽しみは後にとっておく。
五木の「さらばモスクワ愚連隊」「蒼ざめた馬を見よ」であるが、あの頃読んでいてかっこいいなあと思った文章がすっかり色あせてしまっている。はっきりいうと古色蒼然ですらある。
この作家が村上春樹登場と入れ替わるかのように小説の世界から遠ざかり「人生かくあるべきか」的自己啓発本ばかり書いている理由がなんとなくわかったような気がする。
村上のような今も読むに耐えるPOPでかつ深い文章の書き手が現れたら勝負にならないと思ったのだろうか。
2作とも内容的にみてもなんだか薄いなあという印象しか得なかった。
どちらもソ連という図体だけはアメリカ並みの大国なのに、共産主義国の常である表現の自由が厳しく制限されていた窮屈極まりない国が存在していた時こそ、その作品世界も重く深く受け止められたかもしれないが、作品のモチーフを支えている重要なファクターが今や消え失せてしまっているのだからどうしようもない。
ぶっちゃけた話、五木にもう少し筆力があれば確固たる古典の地位を獲得し、今も版を重ねているのかもしれないが、彼の小説作品はほとんど絶版状態である。映画にもドラマになりもしてあれだけ人口に膾炙した「青春の門」(たしか20巻くらいあったと思う)も古本屋で見かけるしかないのだ。
五木寛之の文句ばかり書いているが、読後の感想がこういう惨憺たるものしか私の非才な頭が受けつけなかったのだから仕方がない。
とあれ野坂の上記2作品を読み、井上ひさしの「手鎖心中」へと読み進めよう。井上の当該作での若旦那と幇間のやりとりは落語そのままで笑わせてもらった記憶がある。
ま、しかし10代に読んだ時と60の今読むと五木の例を挙げるまでもなく、それはずいぶんと違ったものになることは必定だと覚悟しているが。

朝から今ひとつはっきりしない天気、湿度やや高く蒸し暑さを感じた一日であった。
禁煙6日目もノンスモーキンで過ごした。ニコレットは1個の消費で済んだ。
今度こそなんとかイケそうだが、目覚めと何時間かおきに現れる喫煙願望がある限り、ゆめゆめご油断遊ばされるな殿、である。
今日も休みで、大阪へ父母を訪ねなくととも済み、という言い方は親不孝もいいところなんだが、あの介護施設の現状というのか現場を見るのが厭で厭でたまらない。
認知のレベルは我が母は軽い方でなんとか見舞えるのだが、他の認知症ドストライクにいる老人を見ると、人間の尊厳とはなんぞやとつい考えこんでいる。
よだれと排泄物を垂らし、糞まみれとなり、しかしそういう自分を意識できず、訳のわからぬことをブツブツ言っていたかと思うと、いきなり奇声を発する、暴れまわって介護職員の手を煩わせ、その手首に噛み付いたのはいいが、歯が全部抜けているものだから、ふがふがふがと締りなく、まるでマンガやんけと失笑をこらえた次に情けなくなり果てに無性に腹が立ってくる。
こんな姿をさらしてまで生きたいのか。生かしたいのか。なにが生命(いのち)の尊さやねん、あほらし。こんな恥さらしな状態なら死んでいる方がましではないか。
朝昼兼用の食事の後、急に睡気を催してきた。そのまま夕方まで寝たようだ。厳しすぎた夏の疲れが相当溜まっているのだろう。一日無駄にしたようであるが、眠れる時には眠っておくに越したことはない。
あくび一発の後伸びをして起きたら、風呂が沸いていて食卓には義兄の店から回ってきた鮪のぶつ切りに湯豆腐の小鍋。窓の外は茜空。幸せなんぞはこの程度が一番よろしい。
yusora

快晴の朝。やや湿気感ずる。午後は雨との予報あり。
禁煙5日目。目覚めの一服への希求まだやまぬ。失敗したとはいえ電子タバコをくわえ、深呼吸のつもりで大きく5回吸い込み、ニコレットを噛みだす。これでなんとか喫煙欲をグイと抑え込むようにしてやりすごす。
1個のニコレットをいつも1時間30分は噛み続ける。昨日あたりからニコチンの厭ったらしい苦さだけが後味となって累積し、軽い吐き気を催すようになってきた。こうなればしめたものである。
脳がニコチンは気にくわない奴だと拒絶しはじめているのである。あともう少しだ。
禁煙は5日目が一番苦しいと、禁煙成功者は口を揃える。かつての私も成功者であったでこのことは体感的に経験している。
今日と明日は連休である。今週は妹が父母の機嫌伺いである。しかし先々週のように彼女に急用の事態出来ということもありえる。
まずはスタンバイといったところ。以前のように休みだからと日の明るいうちから酒を呑むことは慎んでいる。
いつなんどき何があるかわからないから。
スワ有事か一大事かとばかりにおっとり刀で駆けつけた時、酒臭い息を発散させている惣領を見て身内はどう思うであろうか。
「昼日中から酒くろてなにをやっとるのや」と妹などはもろに口にし、義弟はさすがに口に出さずとも(これでも義理がつきながら一応兄なんや。情けない)と侮蔑の念を深奥に秘め、向後は彼にずっと軽蔑されるだけであろう。
我が嫁や娘も肩身狭く思い、嫁の頭に(明日、区役所行って離婚届の用紙もろてこ)という考えが浮かんでこないとも限らない。
娘なんぞは(あんたなんか父親でもなんでもない、ただの小汚い酔いたんぼのジジイや。私を娘なんぞと思わんでくれ。昼間酔うた勢いで、私が家におらんと思て私とおかんのショーツをかわりばんこに頭にかぶり自撮りしやがって。知らんとでも思てたんか)と唇を噛みしめるかもしれない。
そんな醜態はさらしたくない。私はこう見えてもいつもスタイリッシュで見栄はりでクールなイメージをふりまいているつもりなのだ。
そうすることが私にとっての男の美学なのだ。
常にかっこよく清く正しく美しく、女であれば宝塚歌劇のフィナーレで大階段をさっそうと下りてくるトップスターの心意気を常に持ち続けたいのだ。
image顔とスタイル、音楽的才能や全身から漂うオーラはさすがに少しだけ向こうに負けていることを認めるにやぶさかでない今日この頃ではあるが、神戸の福山雅治、あるいはいにしえのシド・バレットはたまたロバート・デ・ニーロだと自他ともに認めている私にとって醜態さらしは自殺したいほどの恥辱である。

(文中、ショーツかぶり、はもちろんフィクションである。他は事実)

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